15/06/11 12:27:57.79 sickQkWq0.net
>>572 の続き
ルドルフ表が発表されてから3年後の
1630年ガリレオは、地動説の解説書『天文対話(英語版)』を執筆した。
この書は、天動説と地動説の両方をあくまで仮説上の話として、
それぞれを信じる2人とその間をとりもつ中立者の計3人の対話という形を取って、
地動説のみを唱えて禁令にふれることがないよう、注意深く書いてあった。
ガリレオは、ベラルミーノの判決文の内容から、地動説を紹介しても、
その説に全面的に賛同すると書かなければ問題はないと考えて出版許可をとり、
ローマ教皇庁も若干の修正を加えることを条件に出版許可を与えた[23]。
『天文対話』は、1632年2月22日、フィレンツェで印刷、発行された。
翌1633年、ガリレオは再度ローマ教皇庁の検邪聖省に出頭するよう命じられた。
被疑は、1616年の裁判で有罪の判決を受け、二度と地動説を唱えないと誓約したにも
かかわらず、それを破って『天文対話』を発刊したというものだった