15/06/10 08:58:16.11 DYDaVwoH0.net
■朝鮮側の再三の申し出にもかかわらず、当時の伊藤博文首相など併合に反対していた人もいた。
それを暗殺したのは「伊藤博文が天皇陛下の意思をないがしろにしているから」と主張するなど天皇を崇拝していた親日派の安重根。
彼はたびたび「獨立(独立)」という遺墨を残しているが、これはイザベラ・L・バードの 『朝鮮奥地紀行』にも見られる落ちぶれた未開国である当時の朝鮮の
国家としての「独り立ち」のことであり、そのためには日本に併合してもらうしかなかった。
なお、朝鮮が国家として独り立ちできる状態になれば日本は朝鮮から手を引く予定だった。
日本は財政破綻寸前だった朝鮮を救った。併合翌年には朝鮮内の必要予算の2/3を日本本土からの補充金で賄っていたし、
昭和14年ですら日本からの補充金は予算の1/4を占めていた。
★搾取どころか最後まで大赤字だった。
基本的に朝鮮は資源国ではなく、搾取するものなどない。北朝鮮の奥地に行けば石炭くらいなら掘れるが、石炭なら日本国内の炭鉱で掘った方が早い。
安重根とともに息子の安俊生もまた親日家であり、1939年10月15日には朝鮮の親日団体である上海駐在朝鮮人会会長の李甲寧を団長とする視察団『満鮮使節団』の一員として、
当時ソウルの奨忠壇公園にあった伊藤博文公が奉られている「博文寺」を訪問、博文公に対して父親の行為を謝罪するとともに焼香、さらに翌10月16日には、朝鮮ホテルで伊藤博文の息子である伊藤文吉と面会した。
この安重根の息子によるいわゆる「親日行跡」は韓国内ではタブーとされほとんど語られることはない。
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