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【南京事件/慰安婦問題】中韓が建設急ぐ「虚の楼閣」 日本的良心は逆効果、世界は武士道が分からぬと心得、正しく丁寧に説明を - 暇つぶし2ch1:◆CHURa/Os2M@ちゅら猫φ ★
15/05/20 13:19:30.45
★戦後70年、中韓が建設急ぐ「虚の楼閣」
世界は武士道が分からぬと心得、正しく丁寧に説明を
2015.5.20(水) 森 清勇

中韓は日本に対して「正しい歴史認識」を求めて圧力をかけてきた。
両国は終戦70年の今年を山場にしたいようで、一段と批判を強めると思われる。

南京大虐殺や従軍慰安婦問題の真実は日本に分がある。
しかし、中韓にとって史実はどうでもよく、大きい虚言ほど愛国の度合いも大きいとみなす愛国虚言の国である。

福沢諭吉は諸外国に対しては、「智戦」で対処し、優位に立って地位(名誉)を高めるべきだと主張した。
首相の米国議会における演説は、従来批判が多かった米国から多くの賛同と称賛を引き出した点で智戦の勝利と言える。

戦後体制からの脱却とは戦後植えつけられた自虐史観、犯罪国家・日本という汚名を智戦で払拭することである。

■日本的良心は国際場裏では逆効果

中国は南京攻略戦時の「南京事件」を大虐殺に仕立て、韓国は支那事変時の慰安婦を「強制連行」して
「性奴隷」にしたと糾弾し、日本に「正しい歴史認識をもて」と世界を味方につけて圧力をかけてきた。

武士道の影響が多分にあるであろうが、日本は国内だけでなく国際社会でも、問題が発生すれば穏便に
解決することを第一として、反論することを極度に避けてきた。「以心伝心」や「済みません」という
日本的な解決法が、国際社会でも通用すると勘違いして、益々謝罪の深みに入っていった面もある。

1912年の処女航海で氷山に追突して沈没したタイタニック号には、鉄道事情を視察して米国経由で帰国する
日本人の鉄道院官吏が乗船していた(「いつの時代も支那人は」、高山正之著『サダム・フセインは偉かった』所収)。

救命ボートで脱出した英国人教師(男)が「無理やり乗ってきた嫌な日本人」と語り、日本の新聞が教師の証言を掲載すると、
「日本人の恥」という手紙が殺到し失職するが、死ぬまでの27年間一言の弁解もしなかったそうである。

ところが、遺品の中から、沈没騒ぎの中でタイタニックのレターヘッドつき便箋に彼が書いた記録が見つかる。

「もう2人乗れる」という乗員の声に従い、左舷の10番ボートに乗る。教師は右舷13番ボートで、
無理やり乗ったのは出稼ぎの支那人であった。「TIME」誌が1997年に報じ、85年ぶりに官吏の汚名は雪がれた。

東条英機は家族に対して100年間は言い訳をするなと遺言した。
しかし、日本が言い訳しないことをいいことに、悪意を持つ国は日本を大罪国家に仕向ける画策をしてきた。

個人的な問題ならば官吏同様に我慢し続けたであろう東条家も、ことが国家の「名誉」に及ぶに当って、
21世紀を迎えた時点で、孫娘の東条由布子氏の我慢の緒も切れたようだ。

タイタニックの日本人は運よく汚名が晴れたが、戦争に関わった外交官は言い訳で逃げ回り、
軍人は沈黙を続けてきた結果、日本の汚名は拡大し続けてきた。

国際場裏では、妥協することなく自国の正当性を繰り返し主張する「智戦」が大切である。

■100人の現地従軍記者

南京事件を「大虐殺」にしたのは、蒋介石政権が日本の立場を悪くするために画策した陰謀に発し、
その後の中国国内事情によることが明確である。

南京には同盟通信社の記者33人をはじめ、朝日、毎日など各社10人前後の記者が派遣されており、
総計約100人の日本人記者がいたと、同盟通信社の記者であった前田雄二氏は『戦争の流れの中に』で書いている。

著者は上海戦に始まり、南京攻略戦から仏印進駐までの戦闘に従軍記者として参加した自負から、
戦時中は検閲で報道できなかったことも含めて書き残す使命があると思い、克明な日記をもとに、
約40年後の昭和57(1982)年に上梓する。

従って、南京大虐殺が話題になっていることを知ったうえで書かれた著書には、わざわざ
「第2部 南京攻略戦」の中に、「南京大虐殺とは」という項目を設け、死体が門を塞ぐように
重なっていたことや処刑の場面なども見たままに詳述している。 >>2へ続く

URLリンク(jbpress.ismedia.jp)

2:◆CHURa/Os2M@ちゅら猫φ ★
15/05/20 13:20:09.33
>>1より 

さらには「皇軍としてあるまじきこと」を叱責する松井石根軍司令官にも触れているが、
「のちに海外へ伝えられたいわゆる『南京大虐殺』などのようなものではなかった」と主張する。

南京攻略戦が終わった直後に著者は安全地帯や城内外を巡回しており、同盟の記者ばかりでなく、
他社の記者たちと情報交換もしている。

そうした中で、上海発で「占領区内(註:ドイツのジョン・ラーベを委員長に設けた市民を収容する
安全地帯で、避難民区や難民区とも呼称)で大規模の掠奪、暴行、放火があったという外電が流れた。
これを知って、私たちはキツネにつままれたような思いをした」と述べる。

100人にも上る記者が南京戦のあった現場に居合わせ、南京城内に設けられた安全地帯や城内外を廻っている。
それでも、外信が伝える「乱暴狼藉」の状況を誰ひとり見ていない。キツネにつままれた思いは当然であったろう。

現に、入城式前後の朝日グラフやその他のメディアが伝える写真は、子供や市民がにこにこしている
ものばかりで、大虐殺が行われているような状況を示す写真は1枚もない。その後に出回る写真も
大虐殺とは関係ないものを、「日本軍の悪行」にキャップションをつけ替えている。

■実際の城内風景

開城から2夜開けた15日、「車で城内をまわる。『避難民区』周辺には警備隊が配置されていた。
旧支局が区内にあるので入る。店は閉じたままだが、多くの住民が行き交い、娘たちの笑い合う姿があり、
子供たちが戯れていた。生活が生き残り、平和が息を吹き返していた」(要旨)。
こうした様子に、戦争で荒れた心が和むのを覚えたと著者は述べる。

入城式の翌18日、「入城式の頃から難民区内外で商店が店を開け始め、同盟班も旧支局に移動していた
。区内の治安が回復したからである。支局には、戦前働いていた料理人や下働きが戻ってきた」。

難民区内での日本兵の乱暴狼藉説が上海から伝えられたのは、「その直後、私たちが以前の活気を
取り戻した難民区内の支局で、平和な日常活動をはじめた矢先のことである」と、記者は驚きを隠さない。

「市内をマメにまわっている写真(班)や映画(班)の誰一人、治安回復後の暴虐については知らなかった。
残敵掃討や区内に逃げ込んで潜伏した中国兵の摘発も、14日には終わっていた。こうした無法行為が
あったとすれば、同盟(通信社)だけではない、各社百名の報道陣の耳目に入らぬはずはなかった」

これこそは、誰が何を言おうと、「南京大虐殺はなかった」という明らかな証であろう。
それでも、日本がつけ込まれたのには日本人的良心からである。

100人もの記者がいろいろな角度から南京を見ていながら、なおかつ自分たちに「死角」があった
のではないかという「良心」からの一抹の危惧であろう。そうした心理にうまくつけ込むのが
三戦(世論・法律・心理戦)である。

確かに、数万人と言われる捕虜の処刑などはあった。しかし、警備の日本兵が少ないことを
見た捕虜たちの反乱が起き、日本軍さえ不足の糧食問題などを抱えていた。

一般に、「虐殺」とは、ドイツのユダヤ人ホロコーストや米国の原爆投下、
中国が起こした通州事件など、戦争と直接関係ない女性や子供を含む一般市民の殺戮である。
この点から見ても、南京で起きた捕虜の処刑などは戦争に伴う通常の犯罪である。

■争点化させる日本人

朝日新聞が宮澤喜一首相の訪韓5日前、1992年1月11日に取り上げた防衛庁(当時)の防研図書館
にある「陸支密大日記」は、「30年前から公開されていて、慰安婦関係の書類が含まれていることも、
軍が関与していたことも、研究者の間では周知の事実」(秦郁彦著『慰安婦と戦場の性』)であった。

内容的には軍が慰安所の設置などの管理面で関与していたことを示すもので、朝日新聞が報道したように、
「歴史から目を逸らしてきた日本」でも、「偽証してきた政府」でもなかったが、そのような印象を
与える多数の見出しとリードは、新聞社の意図どうりに大反響を呼ぶことになる。

 >>3

3:◆CHURa/Os2M@ちゅら猫φ ★
15/05/20 13:20:41.41
>>2より

全国放送のテレビ番組で渡辺美智雄外相が「50年以上前の話ではっきりした証拠はないが、
何らかの関与があったことは認めざるを得ない」と発言する。これを紹介した「Japan Times」は、
外相発言になかった「何十万人(の慰安婦)」や「強制売春」という用語をつけたして、
一段とセンセーショナルな報道に持っていった。

従軍経験のない首相をはじめとする官邸は不意打ちに慌て、不手際を連発する。その最たるものが、
関与の「内容」を確認することもなく、出発前の記者会見で「軍の関与」を認め、「お詫び」を重ねたことである。

その後、青瓦台での1時間25分にわたる大統領との首脳会談で、首相は8回謝罪と反省を繰り返したと、
大統領首席補佐官が勝ち誇ったように韓国人記者に語っている。

事実を確認するどころか、すっかり雰囲気にのまれた首相(及び政府)は、韓国が何を意図しているかを
読むこともなく、相手に有利な言質で謝れば済むと思い込む。

この時までの韓国マスコミの平均的認識は、「日本当局は1937年末の南京攻略戦後、徐州作戦が開始される頃に、
朝鮮内の御用女衒たちに指示して、貧乏で売春生活をしていた朝鮮女性を多数中国大陸へ連れて行き、
『慰安所』『簡易慰安所』『陸軍娯楽所』などの名称を持った日本軍の施設に配置し、日本軍兵士の慰みものにした
・・・日本軍に出入りする御用女衒たちが朝鮮にきて、駐在所や面長を先頭に『らくちんで金もうけ出来る仕事場がある』
とだまして連れ去った」(秦前著)というものであった。

こうした韓国の認識を日本軍主導説に変えていくのが朝日新聞であり、『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』
(83年刊)で詐話話をつづった吉田清治であり、日本人煽動家たちである。92年の朝日記事で一挙に爆発する。

訪日した盧泰愚大統領が、「日本人が争点化した」と、困惑して語った通りである。

■米独までが日本批判

吉田が詳述した済州島での慰安婦狩りについて、1989年に地元の新聞記者が現地調査して「出鱈目」と否定した。
それでも、朝日が書き続けることをいいことに、韓国では慰安婦像を立て、慰安婦碑を設置していったのである。

そして米国や国連などへも拡大していく。しかも、15歳の少女を含む韓国人女性が20万人も強制連行されたと、
慰安婦像や碑に書き続け、日本批判の輪を広げていく。

秦氏の研究からは慰安婦は最大で2万人ほどである。しかも日本人が一番多く、次いで現地人(中国人、満州人、比国人など)、
3番目が朝鮮人、最後にその他(台湾人や蘭人など)とし、あえて比率を示せば4:3:2:1であろうと述べる。

この比率からは、韓国人慰安婦は精々4000人位であったということになる。最も多かった日本人慰安婦たちは
韓国のような声を上げていない。また多くの場合、韓国人(慰安婦や煽動家たち)が主張するような
強制連行でも奴隷状態でもなかったことも分かってきた。

前述のように、朝鮮人女衒に連れ出されたのであり、また少なくない慰安婦が将校や下士官・兵どころか
軍司令官よりも経済的には恵まれ、かなりの自由もあったとされる。

総じて性奴隷などではなかったのであり、年齢も募集広告では17歳や18歳以上などと明記されている。

1997年には米国のマイク・ホンダ議員が主導して、下院で「従軍慰安婦問題の対日謝罪要求決議」をした。
しかし、驚くなれ435人の議員のうち、わずか10人しか議場にいなかった「全会一致」の決議で、
米国の総意でもなんでもなかった。

また、ナチス・ドイツは日本人が想像できないほど組織的に慰安婦や慰安施設を国家管理していた。
そのことを反省することもなく、日本批判に乗り出している。しかも、11・12歳からの女性20万人を慰安婦にし、
生き延びたのは30%でしかなかったと根も葉もない批判の決議案を連邦議会に出した(川口マーン恵美論文、
『WiLL』2013年8月号所収)。 >>4

4:◆CHURa/Os2M@ちゅら猫φ ★
15/05/20 13:20:47.56
>>3より

■おわりに

マックス・ヴェーバーは、「国民は利益の侵害は許しても、名誉の侵害、中でも説教じみた独善による
名誉の侵害だけは断じて許さない」(『職業としての政治』)と述べている。

戦後体制とは自虐史観で名誉の侵害を許してきた体制であった。従って、「戦後体制からの脱却」とは
「名誉の侵害を許さないこと」とも言える。

欧米の植民地支配に比べると善政をした日本(参照:ジョージ・アキタ著『日本の「朝鮮統治」を検証する』)は、
大陸や半島への進出自体への反省もあって、中韓の批判に対して、ほとんど言い訳をしないできた。

そのことをいいことに、「無かったこと」までが「あったかのよう」に悪意で誇張されてきた。
日本を犯罪大国に仕立てて、日本より道徳的に優位に立とうとする魂胆からである。

世界は腹黒いと言われる。外国が自国の罪を軽減するために日本批判を強める前に、
日本は智戦で勝利しなければならない。(了)

5:名無しさん@13周年
15/05/20 17:30:27.86 mrqOu45iO
AIIBとか世界道連れ無理心中か邪悪な悪魔との取引だからなーゴミしかいない世界に哀れと思う


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