15/04/08 15:18:54.06
>>1より
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「トヨミさん、シゲオさん夫妻がいなければ遺骨収集も進まなかった」。同島守備隊の主力
だった歩兵第二連隊の遺族・戦友会「水戸二連隊ペリリュー島慰霊会」の事務局長、
影山幸雄さん(70)はこう話す。
パラオは自然、文化財保護のルールが厳格で、遺骨でも原則として発掘禁止。
夫妻とイサオさんは、遺族らが調査活動をしやすいよう政府側と何度も交渉し、
「自ら険しい山に入り、ご遺骨を収集してくれることもあった」(影山さん)。
なぜ、これほど親切なのか。先の大戦で米軍がペリリュー島に上陸する前、日本軍が
現地の人々を別の島に疎開させ、戦闘での死者が出なかったことに感謝する現地の人々は多い。
ただ、影山さんは「補給も絶たれた疎開先の島では餓死者が出た」と指摘。
「複雑な感情を持つ人もいるはずだが、常に温かく迎えてくれる」と墓守たちの思いの深さに感謝する。
夫妻が死去した際には「遺骨収集の支えを失う」と危惧する声もあったが、
イサオさんは「一人残らず返したい」と両親と同じ言葉を語り、遺族らを安心させたという。
トヨミさんとシゲオさんは生前、「ペ島の桜を讃え(たた)る詩」と題した日本語の詩を遺族らに贈っていた。
《戦友遺族の皆さまに 永遠(いついつ)までもかわりなく 必ず我等(われら)は待ち望む 桜とともに皆さまを》
両陛下は9日、島南端に日本政府が建立した「西太平洋戦没者の碑」で供花される。
「両陛下のお気持ちは国籍を問わず、すべての戦没者に向けられている」(側近)。
イサオさんも碑の前で両陛下を待ち受け、歓迎する。(ペリリュー島 今村義丈)
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両陛下が戦後70年の節目にパラオを慰霊訪問される。同国のペリリュー島は生還者の
少なさから「忘れられた島」とも呼ばれたが、遺族や戦友ら関係者は大切な人を忘れず、
70年を過ごしてきた。その思いをたどる。