15/02/16 15:51:22.73
>>2より
現在、中川さんは京都を離れ、「比良工房」を滋賀に開いて仕事をしているが、
そのアメリカ人は、結局はそこまでたどり着いた。
そして、「自分には4人の孫がいる。それぞれに椅子を1脚ずつ贈って代々家宝として伝えたい」と、
ひとりで4脚買いたいと申し出た。その熱意にほだされて、中川さんは限定数を超えたオーダーを
引き受けることになったのだという。
・桶作りの精神、木の文化を後世に伝えたい
話をパリに戻す。「レスプリ・ダルチザン」でこけら落としのための設営をしていたとき、
中川さんは背中に視線を感じた。振り返るとそこには、ウィンドーに張り付いたたくさんの顔が・・・。
とくに彼らの興味をひいたらしいのは、さまざまな種類の道具。準備中の様子をかぶりつくよう
に眺めていたなかに大工さんもいて、譲ってほしいというくらいの勢いで、すでに自分が知っている
日本の道具の良さをほめていたという。
ところで、ワインの醸造樽に象徴されるとおり、フランスにも木の伝統はある。
しかし、実際の生活のなかで、木の道具は日本以上に姿を消してしまっている。
「日本でも同じことになりかねない。今行動しなければ、次の世代にはなにも残らないと思うんです」と、
中川さんは語気を強める。
「桶そのものを作り続けるのではなく、桶作りの精神、哲学、技術を存続させることが大事。
『エルメス』にしても、昔は馬具から始まったけれど、馬具を作っていた精神、哲学、
技術が今のバッグ作りに生かされている」
「100年先の桶屋」がどういうものになるのか。それはおそらく当の中川さんにもわからない。
けれど、作務衣姿でかんなを手にした中川さんが、今年も来年も海を超え続けることは確か。
そこでの手応えが10年後、20年後の革新的な「桶」を生むに違いない。(了)