【森清祐】朝日新聞や中韓が「ドイツを見習え」と言うけれど…ユダヤ人を虐殺したドイツ人と助けた日本人at NEWSPLUS
【森清祐】朝日新聞や中韓が「ドイツを見習え」と言うけれど…ユダヤ人を虐殺したドイツ人と助けた日本人 - 暇つぶし2ch2:◆CHURa/Os2M@ちゅら猫φ ★
15/02/16 15:42:01.91
>>1より

その一方で、軍部がさらに多く(約2万人)のユダヤ難民を救出したことが忘れられている。

無謀な戦争を仕かけて敗戦をもたらし、国民を塗炭の苦しみに追い込んだ軍部とみられてきた
日本においては、致し方なかった点もあろう。

しかし、東京裁判で日本無罪論を展開したパール判事の言葉ではないが、戦後の70年を迎えた今日、
真実は真実として語られなければならないであろう。

・カウナスの領事館
ドイツを追われたユダヤ人はポーランド(「欧州のユダヤ国」とも呼ばれるほどに多くのユダヤ人がいる)
を希望するが果たせず、ソ連入国を目指してシベリア鉄道で満州国境までやって来た。

当時、日本はドイツと友好関係にあり、ユダヤ人受け入れに関してドイツからクレームが来た。
しかし、関東軍参謀長であった東条英機中将は「人道問題」として満州入国を許可する。

杉原の行為(1940年)に先立つ2年半前のことである。ユダヤ難民を救った軍人2人は、
ハルピン特務機関長の樋口季一郎少将と大連特務機関長安江仙弘(のりひろ)中佐である。

樋口は「敗戦の故に彼(東条)の長所の全部を抹殺することには賛成しない。
彼は正当なる考慮に出たものとして敬意を表する」と記している(『陸軍中将 樋口季一郎回想録』)。

ユダヤ民族に貢献した人やユダヤ人を救済した人を顕彰する、イスラエルで最も権威ある
『ゴールデン・ブック』に2人の名は記載されており、平成23(2011)年5月、「自由社」発行の
中学社会『新しい歴史教科書』にも記載された。

・今も聞こえてきそうな生々しい声

アウシュビッツには130万人が収容され、80%が虐殺されたとされる。筆者は2014年6月、
アウシュビッツを訪ね、持参のお線香を手向けた。すぐ近くにはロマ人を収容したビルケナウ収容所がある。

当時この地はドイツに占領されていたので、ドイツ語名でアウシュビッツと呼び続けられ、
ユダヤ人虐殺記念館となっている。しかし、周辺は住宅地などに整備され、
今日ではポーランド名でオシフィエンチムと呼ばれている。

アウシュビッツが強制収容所に選ばれたのは、方々にいたユダヤ人の中心地的な場所だったからである。

1月27日のNHK「ニュース9」は、解放された日のアウシュビッツ収容所から多くの子供たちが
出てくる姿を映し出し印象的であった。

今も残る収容所の建物や彼らを運んだ列車の引き込み線、建屋内に残された拷問跡や焼却炉、
さらには子供たちが履いていた靴や絨毯にも使われたという女性の髪などを見ると、
人間がやることかとおぞましくなると同時に、声が聞こえてきそうであった。

ヨーロッパ各国では語り継ぐために、学校の教育に取り入れ、若者たちに収容所を訪ねることを奨め、
今では訪問者の7割にもなっているそうである。

しかし、こうした残虐が過去の歴史であるばかりでなく、今も存在するところに悪寒を覚えずには
おれない。言うまでもなく北朝鮮やISIL(Islamic State in Iraq and the Levant=イラクと
レバントのイスラム国)の断末魔的な凶暴である。

ISILに夢を持って入国し、実情に失望�



次ページ
続きを表示
1を表示
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch