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【竹井善昭】政治的中立と人道支援~イスラム国人質事件で考える「日本人の正義」とは? - 暇つぶし2ch1:◆CHURa/Os2M@ちゅら猫φ ★
15/01/27 15:50:03.03
★イスラム国人質事件で考える「日本人の正義」とは?
竹井善昭 [ソーシャルビジネス・プランナー&CSRコンサルタント/株式会社ソーシャルプランニング代表]
2015年1月27日

ISIS(「アイシス」と発音。「イスラム国」を国家として認めたがらない欧米メディアでは、
この名称を使うこともいまだに多い)による邦人人質事件はいまだ解決の糸口さえ見えないが、
日本国内の議論を見ていると「人道」という視点からの議論が少ないように思える。
というわけで、今回は「人道」とか「人道支援」というものについて考えてみたい。

なぜなら、日本で「人道」という言葉を持ち出すと多くの人間は思考停止状態に陥り、
マスメディアでも「絶対的な正義」としての文脈で語られることがほとんどだからだ。
今回の事件でも、自己責任論を唱える人間も多いが、その一方で人道的見地から
人質の命最優先だと主張する人も多い。

もちろん、人の命は尊いし、どのような状況や事情であれ、自国民の生命を守るのは国家の責務だ。
しかし、今回のようなテロ組織と対峙するケースだけでなく、戦争によって生み出された難民支援のように、
一見すると絶対的な正義に見えるような支援活動が、新たな悲劇を生んでしまうこともある。

たとえばNGO。彼らの仕事は人道支援だが、その活動が絶対的な正義とは言えないケースもある。
しかし日本では、そのような理解があまりなされていない。そこで今回は、NGOによる人道支援活動の
負の側面を取り上げた書籍『クライシス・キャラバン ~紛争地における人道援助の真実』
(リンダ・ポルマン著 大平剛訳 東洋経済新報社刊)から、その一例を紹介する。
ルワンダ虐殺とそれに関連する難民支援の話だ。

・世界中から莫大な金と物資とNGOが集結したルワンダ

ルワンダは、かつてはベルギーの植民地だったが、ベルギーは少数派のツチ族を重用し、
多数派のフツ族を差別的に扱っていた。しかし、1962年のルワンダ独立後、ベルギーとツチ族の関係が悪化。
するとベルギーは、フツ族に肩入れするようになる。そして1973年、クーデターによってフツ族が政権を取り、
反ツチ姿勢を強めたことから、内戦が勃発。いったんは和平が合意されるが、1994年4月6日、フツ族出身の
大統領を乗せた飛行機が何者かに撃墜される事件が発生。この事件をきっかけにフツ族によるツチ族の大虐殺が始まった。

犠牲者の数は正確には分かっていないが、約3ヵ月の間に80万人とも100万人ものツチ族が殺されたと言われる。
その後、7月に入ってツチ族が反転攻勢をかけ紛争は終結したが、この過程で隣国のザイール(現コンゴ民主共和国)
やタンザニア、ブルンジなどに多くの難民が押し寄せた。同著によれば、その数は200万人と推計されている。

誤解を恐れずに言えば、このような内戦による難民の大量発生は、国際的なNGOにとっては大きなビジネスチャンスだ。
メディアの注目度も高いので名が売れるし、寄付も集まりやすい。事実、この時も即座に総額15億ドルの救済資金が集まり、
各国政府から1日あたり100万ドルの援助金、さらに私的な寄付が同じく1日あたり100万ドルが集まっていたという。

この頃、ザイールのゴマには75万人の難民キャンプがあったが、UNHCRなどの8つの国連部局の他に、
少なくとも250を超えるNGOが集結していたという。難民キャンプは衛生状態も悪く、コレラの発生により
毎日600人から多い時は(推計)3000人が死んでいったというが、その数がハッキリと分からない理由のひとつは、
各NGOが死者の数を「水増し」して発表していたからだと言われている。死者の数が多いほうがニュースになりやすく、
少しでもテレビに取材されるよう、NGOが競って死者の数を多めに提示していたのだ。

ただ、個人的にはNGOがこのような「メディア操作」をすることは、あながち悪いことだとは思わない。
虚偽やねつ造はNGだが、(線引きが難しいが)多少の誇張によってメディア露出が増え、それによって寄付が
集まるのであれば、結果として支援は大きなものになる。ただ問題は、その「お金の使われ方」だ。
つまり、誰にその支援金が使われるかである。 >>2へ続く

URLリンク(diamond.jp)

2:◆CHURa/Os2M@ちゅら猫φ ★
15/01/27 15:50:38.09
>>1より

・レンタルビデオからブティックまで国際支援で活気づく難民キャンプ

当時、ゴマの難民キャンプに避難していたのは、純粋に戦火によって追いやられた一般の人たちだけではなかった。
かつてルワンダにおいて、フツ族や穏健派のツチ族を虐殺していた軍人や民兵たちが大量に混じっていたのだ。

難民キャンプと聞けば、そこで暮らす難民たちは食うものも着るものもなく、過酷な状況のなかで子どもや
老人など弱い者から次々と死んでいく地獄絵を僕らはイメージする。実際、ゴマのキャンプでも前述するように
コレラの発生によって多くの人が死んでいった。

しかし、その一方で250を超えるNGOの支援により、キャンプのなかにはサッカーグラウンドや映画館、
レンタルビデオ店、パン屋、肉屋、蒸留酒製造所、理髪店、さらにブティックまであり、最新のファッションを
楽しむこともできた。クルマやトラック、二輪の手押し車、自転車や原付バイクが通りを行き交っていた。
キャンプの経済活動はルワンダ国内より活気づいていたという。

また、家具やマットレス、便器、洗面台から牛、山羊にいたるまであらゆる物資が難民キャンプに溢れていたが、
それらの多くはルワンダから盗まれたものだった。持ち主を殺して強奪したものだったという。
難民キャンプの住民は何度も国境を越えてルワンダに戻り、さらに多くの物資を奪った。
これに加えて、数々のNGOからの支援物資である。

当時、イギリスのジャーナリストはこのような状況を揶揄してこのような記事を書いた。

「さあ、ケアで朝食を取ろう。昼食はワールドビジョンだ。それから、ちょっと赤十字に立ち寄って
薬を少々もらって、プラスチック製のシートと毛布を、羽毛はUNHCRでいただこう。」
(「クライシス・キャラバン~紛争地における人道援助の真実」より) 

・NGOの予算が、虐殺者を利するという皮肉

ちなみに当時、紛争当事国であるルワンダには、ほとんどどこのNGOも支援をしていない。
ただ、問題は支援の不平等だけではない。もっとも大きな問題は、このようなNGOの支援が、
フツ族の兵力立て直しのために役立ってしまっていたことだ。

ゴマには、多くの一般市民に混じり、ツチ族を虐殺していた過激派のフツ政府も移ってきていた。
政府軍と共同して、民兵も2万人から10万人がゴマに移ってきたという。彼らはルワンダから大量の武器を
難民キャンプに持ち込み、徐々にキャンプを支配し、NGOが難民に提供する支援物資に「税金」をかけるようになった。

彼らは、毎晩のように国境を越えてルワンダに戻り、「ツチ狩り」を行なった。また、ゴマにいるツチ族の
人間も襲い、殺害した。また、彼らの過激派はNGOに対して、食料の配給センターでの運転手、保守管理技術者、
管理スタッフ、料理人、清掃人、管理者などの仕事を与えることを要求した。NGOによるさまざまな建設
プロジェクトや障害者支援の社会的サービスなど、あらゆるNGOの活動にフツ族の人間を雇うよう要求したのだ。
当然、過激派のリーダーたちはNGOから支払われる給料から「手数料」を徴収した。

つまり、数々の国際NGOたちは、1日100万ドルという巨額の予算を使って、ツチ族虐殺をもくろむ
フツ族過激派を養い、反撃のための兵力立て直しに協力していたことになる。 >>3

3:◆CHURa/Os2M@ちゅら猫φ ★
15/01/27 15:50:47.66
>>2より

もちろんこのような事情は、現地のNGOスタッフには分かっていたことだと思う。
しかし、そうと分かっていても支援活動を続けざるを得なかった理由のひとつは、過激派の要求を呑まなければ
現地での活動ができなかったという事情もあるだろうが、最大の要因はNGOの活動を支配する「原則」に拠る。

これは、「赤十字原則」と呼ばれるもので、人道支援NGOは「中立性」「公平性」「独立性」の3つの原則を守る。
言葉を変えれば「NGOは政治的な判断をしない」「政治に関わらない」ということで、ルワンダのケースで言えば、
フツ族とツチ族の対立には関わらない、どちらにも荷担しないということだ。しかし、結果としてこのケースでは、
フツ族に利する援助を行なってしまっている。

・最終的な判断を迫られたときに拠って立つものは?

原則にこだわることで、大きな人道的犯罪に荷担してしまうこともある。たとえば赤十字国際委員会
(以下、赤十字)は、ナチスによる国家的な殺戮「ホロコースト」の事実を1942年の段階で知ってい
たと言われている。しかし、この時、赤十字はこの事実を連合国側のメディアや諜報機関に伝える
ことをしなかったという。それは、赤十字原則の「中立性」に則ってのことだった。

もし、赤十字がホロコーストの事実をつかんだ段階でそのことを公表していたら、ユダヤ人の犠牲者は
もう少し少なかったかどうか、それは分からない。歴史に「もし」はないとも言う。しかし、「人道」
というものを考えるとき、この赤十字の判断をどう評価するのか、それはそれぞれが考えておくべきことだと思う。

個人的にはNGOにも政治性はあってもよいのではないかと思う。とくに戦争や内戦が絡む人道支援においては、
何が中立で何が公平なのか、分からなくなることも多い。そのようなときに、最終的な判断を迫られた場合、
拠って立つのは自分たちの「正義」しかないと思う。それは、多くのNGOが準拠する赤十字原則から大きく
外れることになるが、しかし、正義のない「独立性」というものは本当にあるのだろうか。独立性とは結局は、
自分たちの正義に拠るものではないのか。

だから、今回のイスラム国による邦人人質事件を人道的見地から判断するとしても、感情や憐憫に拠ってではなく、
「日本人の正義」という視点で考えるべきだと僕は考える。

「天使とは、美しい花をまき散らす者でなく、苦悩する者のために戦う者である」―フローレンス・ナイチンゲール (了)

4:名無しさん@13周年
15/01/27 19:13:20.33 QIQFt7U5L
関わらないのも正義なんだよね

5:名無しさん@13周年
15/01/27 21:05:51.49 oHhbajPzG
人質を取られているのだから、関わるざるを得ない。

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