15/01/03 21:53:37.22
>>1より
■10年前の設置許可は正しかったのか
問題となっている追悼碑には「かつてわが国が朝鮮人に対し、多大の損害と苦痛を与えた歴史の事実を深く記憶に
とどめ、心から反省し、二度と過ちを繰り返さない決意を表明する」などと記されている。「追悼碑」にもかかわらず、
「追悼」よりも「日本の反省」に重きを置いているようにも見える。
守る会は当初、大戦下の朝鮮人徴用を「強制連行」と捉える趣旨の文言も碑文に加えようとしていた。
これには、さすがに県も待ったをかけ、最終的には「村山談話」の範囲内に収めることでまとまった。
こうした設置の経緯に対し、八木教授は「(10年前に)県が碑の設置を許可したことにどんな意味があったのか」
と疑問を投げかける。大戦下の朝鮮人徴用に関しては、歴史の事実関係や解釈をめぐって、さまざまな意見がある。
「(碑の内容は)デリケートな問題、立場がはっきり分かれる。『多大な損害と苦痛を与えた』などの表現は
村山談話の趣旨に沿っているということだが、こうした文言は集会になると、『強制連行』を意味することになる。
県が最初に設置を認めたところに問題がある」と、当時の県の対応にも苦言を呈した。
◇
《碑の全文》「20世紀の一時期、わが国は朝鮮を植民地として支配した。また、先の大戦のさなか、
政府の労務動員計画により、多くの朝鮮人が全国の鉱山や軍需工場などに動員され、この群馬の地においても、
事故や過労などで尊い命を失った人も少なくなかった。
21世紀を迎えたいま、私たちは、かつてわが国が朝鮮人に対し、多大の損害と苦痛を与えた歴史の事実を深く
記憶にとどめ、心から反省し、二度と過ちを繰り返さない決意を表明する。過去を忘れることなく、未来を見つめ、
新しい相互の理解と友好を深めていきたいと考え、ここに労務動員による朝鮮人犠牲者を心から追悼するために
この碑を建立する。この碑に込められた私たちのおもいを次の世代に引き継ぎ、さらなるアジアの平和と友好の発展を願うものである」
※追悼碑の正面に「記憶 反省 そして友好」の碑名を日本語、ハングル、英語で表記。裏面に「追悼碑建立にあたって」
と題し、上記の碑文や日付、「朝鮮」とは現在の韓国、北朝鮮を指しているという説明などが日本語とハングルで記されている。 (了)