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★【日本の議論】「朝鮮人追悼碑訴訟」政治的発言繰り返した“約束違反の表現の自由” 裁判所は断固とした判断示せるか
2015.1.3 06:00
群馬県高崎市の県立公園「群馬の森」の朝鮮人追悼碑をめぐり、県が下した設置更新不許可決定の
取り消しなどを求め、碑の設置者「追悼碑を守る会」が前橋地裁に起こした裁判は、第1回口頭弁論が
来年2月4日に行われることが決まった。県は碑の前で行われてきた守る会の集会で、政治的発言が
繰り返されたことから不許可としたが、守る会は「表現の自由がある」などとして反論している。
守る会の主張は果たして受け入れられるのか。口頭弁論を前に、麗澤大学の八木秀次教授(憲法学)
の見解を交えながら検証した。
■裁判の争点は…
この問題を検証する上で重要になってくるのが、平成16年に碑が設置された際に、県と守る会が
交わした一つの約束(設置条件)だ。それは、「政治的、宗教的行事および管理を行わない」。
設置する碑に政治色、宗教色が出てしまうと、県立公園という中立的な場にはふさわしくない
という考えからだ。
守る会は碑を設置した16年から24年まで毎年碑の前で追悼集会を開催していた。その中で政治的な
発言があったとして、県は設置更新を不許可とした。県がこれまで確認した同会関係者の発言は、
「碑文に謝罪の言葉がない。今後も活動を続けていこう」▽「強制連行の事実を全国に訴え、正しい
歴史認識を持てるようにしたい」▽「戦争中に強制的に連れてこられた朝鮮人がいた事実を刻むことは
大事。アジアに侵略した日本が今もアジアで孤立している。このような運動を群馬の森からはじめていく」
-などがある。
裁判では、守る会が「政治的、宗教的行事および管理を行わない」という設置許可条件にどの程度違反し、
集会での発言にどの程度悪質性があったか▽発言は守る会が主張するように「表現の自由」として
認められるのか否か▽追悼碑が本当に県立公園にあるべき施設なのか-などが争点になりそうだ。
■表現の自由は無限か
そもそも憲法21条で保障されている「表現の自由」は、どんな状況下でも適用されるものなのだろうか。
八木教授は「表現する場所によっては制約を受けることがある」と指摘し、「たとえば、駅構内で政治的な
ビラを配ることについて、『公共の福祉』という考えで制限もできる。表現の自由は絶対無制限に保証
されたものではない」と話す。
それは、不特定多数が利用する県立公園にも当てはまるだろう。政治色のある碑の存在が表面化したことで、
「憩いの場にあるべき施設ではない」と考えることは、公共の福祉の観点から自然な流れともいえる。
八木教授は、守る会の集会について、「自分の家でやれば誰も文句は言えない。県の施設でやるから問題なのだ」と指摘する。
■人の家に許可無く物を置けますか?
また、この追悼碑問題を考えるうえで、八木教授は話を「単純化」することで分かりやすくなると語る。
たとえば、こんな具合だ。
人の家に条件付きで何か物を置かせてもらう。あるとき、その条件に申請者が長年違反していたことが発覚し、
どかすように言われる。その際に「これまで言ってこなかったのに、急に注意されてもどかせない」と主張する-。
八木教授は今回の追悼碑問題と本質は同じとし、「守る会の集会をきちんと見ていなかった県の姿勢にも問題が
あるとはいえるが、過去を調べてみたら繰り返しそういう行為(約束違反)をしているということであれば、
悪質とみなして『碑を撤去』という決定を下すのは理屈が通っている」と強調する。
守る会側はこれまで、集会で政治的発言があった可能性を認めつつ、「行政指導にとどめるべきだ。いきなり
“死刑判決(撤去要請)”はない」などと主張している。これに対し八木教授は「『政治的、宗教的な行事および
管理を行わない』という設置許可条件がありながら、繰り返し守っていないわけだから、確信犯だ」などと述べ、
悪質性の高さから県の判断は適当との考えを示した。 >>2へ続く
URLリンク(www.sankei.com)
遊歩道付近に設置された朝鮮人追悼碑。この前で集会が繰り返された=群馬県高崎市の県立公園「群馬の森」
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