14/11/03 19:37:50.67
>>1より
ただ、2世、3世の誰もが活躍できているわけではない。
大久保さんによると、鈴木さんと伊藤さんは「とても優秀な例」だという。10歳前後で帰国した子どもたちの
多くは、中国語でも自分の考えをまとめられない一方で、日本語の習得にも時間がかかる。学校や日常生活の
悩みを打ち明けたくても、仕事や言葉で苦労している両親には言い出せず、抱え込んでしまうケースが少なくない。
帰国した残留邦人の子孫に対し、教育や生活面でのさらなる支援が必要だが、まだ不十分だという。
●継承
残留邦人1世の高齢化が進み、特異な体験を語り継いでいくことは困難さを増している。
「祖父が日本に連れて帰ってきてくれたおかげで今の私がいる」と振り返った鈴木さんは、「祖父に感謝をするのと同時に、
祖父や残留邦人がどんな生き方をしてきたのかをきちんと知り、自分の口で語り継いでいきたい」と語った。
伊藤さんは「一番苦労した1世が安心して暮らすことができ、『日本に帰ってきて良かった』と思ってもらえる
社会にしたい」と強調。「日本の生活様式に不慣れな1世を、高齢化した同じ1世が支えているのが現状。
支援の輪が広がってくれれば」と話し、残留邦人への理解を訴えた。
肉親と引き離され、戦争の爪痕を一身に背負い、中国で苦労を重ねてきた残留邦人1世。大久保さんは
「厚生労働省は経済的な支援を広げる良い政策を実行してくれた。今までの苦労の分も余生を楽しんでほしい」
といたわった。その一方で、「できれば周りの日本人や子孫に、自分たちの経験を伝えてほしい」と呼び掛けた。
また「新しい文化を日本に持ってきてくれた」と残留邦人を評価し、「日本の財産として、共に生きていきたい」
と話し、シンポを締めくくった。
◆中国残留邦人
国策で「満蒙開拓団」として旧満州などに送り出され、敗戦の混乱で中国に置き去りにされた日本人。
その多くが肉親と離ればなれになった女性や子どもだった。厚生労働省によると、1972年の日中国交正常化以降、
国は帰国援護を続け、永住帰国者は約6700人、家族を含めると2万人を超える。ただ中高年となってから帰国した
1世は日本語の習得などが難しく、就労に支障を来し生活に困窮したほか、地域にも溶け込めないケースが少なくなかった。
国は2008年、残留邦人への新たな経済的支援策を実施したが、継続的な支援が求められている。 (了)