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★【昭和天皇実録公表】面会最多は「植物学者」 顔ぶれガラリ変わる戦後(昭和35~39年)
2014.9.9 10:49
実録から抽出した謁見などのデータをもとに昭和天皇像を分析した「データでみる実録」
の戦後編の結果は、戦前、戦中とはまったく様相を異にする。
戦後は、大臣や大使らの任命式を前にした首相らの内奏、国会開閉会にあたっての
衆参両院議長の謁見など「象徴天皇」としての定例公務が多いほか、私的な植物研究に
関わる学者らとの接触も目立っている。
日米安保条約改定の昭和35年から東京五輪開催の39年までの5年間でみると、
最も面会が多かったのは、静養中の那須(栃木県)で連日、研究をともに行った植物学者。
37年には共同調査記録「那須の植物」を出版しており、上位10人のうち4人を
植物学者が占めた。日本国憲法の下で、天皇の位置づけが戦前から一変したことが感じられる。
政治家らの謁見は行事などに関係したものが大半だが、35年には、改定を控えた
日米安保条約について岸信介首相が1カ月間に2度説明。個人名でのカウントはできないが、
外務省の幹部官僚が外交事情について毎年20回前後の定例進講を行っており、
中ソ関係など国際情勢も幅広く把握していた。
五輪開催を控え、東京都の東龍太郎知事の謁見も目立った。
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戦後に昭和天皇があった人々
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★「昭和天皇実録」の特別閲覧開始
2014.9.9 11:17
宮内庁は9日、皇居・東御苑にある書陵部庁舎で「昭和天皇実録」の写しの特別閲覧を始め、
関心を寄せる人々が「激動の時代」をつづった記述をたどった。
閲覧を終えた東京都文京区の大学2年生、小手森千紗さん(19)は
「公開を楽しみにしていました。割と近代的な教育を受けていた印象で、
昭和天皇はユーモアがあったということが分かりました」と話していた。
特別閲覧は11月30日まで。この間は通常の情報公開請求の手続きは不要で、誰でも閲覧できる。
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