14/09/09 15:28:31.07
>>2より
◆発掘史料の開示に期待◆
宮内庁は、実録の編修作業の過程で「取材」を行い、元侍従長の百武三郎の日記など、存在が知られていなかった
約40件の外部史料を発掘した。これまで未公開だった「お手元文書(皇室文書)」も引用した。
これを生かした実録は、2・26事件をはじめ、重大時の時々刻々、そして天皇の衣食住のありようから、
生物学者としての研究ぶり、見た映画の題名まで明らかにしている。天皇の「心労」「落涙」など身近な人たち
しか分からない心の内も、要所要所で書き、戦争と平和の時代を生きた天皇の複雑な思いも伝えている。
ただ史料収集には限界があった。同庁では、昭和天皇と接点のあった関係者の遺族らに日記類などの提供を
要請したが協力を得られない場合も多く、「存在自体を公にしない」との条件で引用したケースもあった。
同庁は「所有者の要望もあり、すぐには公開できないが、将来、条件が変われば史料名も開示することができる」と説明している。
「お手元文書」原本は情報公開の対象外とされているが、実録執筆に使った「写し」は行政文書で情報公開請求の
対象になる。古川隆久・日本大教授(日本近現代史)は「記載を検証するためにも、職員が書いた日誌はすべて
公開するのが当然だ」と話す。宮内庁は9日から、同庁書陵部で全文を誰でも閲覧できる措置をとり、情報開示に
積極的な姿勢を見せた。戦前、戦中、戦後と激動期にあった昭和時代の検証を進めるためにも、原史料を極力開示
していくことが求められる。
◆腰引けた記述も◆
伊藤之雄・京都大教授(日本近現代史)の話「実録を分析することで、これまでの仮説が裏付けられたり、
事件の評価が変わったりしていくだろう。そこは評価したい。ただ、昭和天皇の人物評価や皇族とのあつれきなどは、
意図的と思うが書かれていない。マッカーサー会見の記述も論争を避けようと腰が引けている。事実を挙げるだけでなく、
合理的に解釈していかないと歴史の流れは見えてこない」
◇
◆昭和天皇を巡る残された謎◆
(→は実録の内容)
◇マッカーサーとの会見で、「戦争の全責任を負う者として私自身を委ねる」と語ったか
→「語った」とするマッカーサーの回想記と、その発言が不記載の公式記録の両論を併記
◇複数作成された「拝聴録」の行方は
→宮内庁は2回調査したが、原本は見つからず
◇靖国神社の参拝見送りはA級戦犯合祀が原因か
→史料の解釈が分かれるとして断定せず
◇米国に沖縄の長期軍事占領を希望したか
→天皇の意向かどうかは特定せず
◇
◆百武三郎=1872年(明治5年)、佐賀県生まれ。日清、日露戦争に従軍し、1928年に海軍大将となる。
36年11月、2・26事件で重傷を負った鈴木貫太郎の後をうけて侍従長に就任し、44年8月まで務めた。
戦後は、結婚前の昭和天皇の三女、孝宮(たかのみや、後の故・鷹司和子さん)を百武家で預かり、家事見習いを
教えたこともある。63年10月に死去。 (了)