14/08/03 01:53:59.98 F7EBXWqW0.net
>>38
だから俺の推測だと学校の「忠告」は文字通りの忠告でそれほど切迫したものではなかったような気がする。
一方7月に三回行われたという精神科医と両親との面談では精神科医はかなり厳しい本音を言ったのではないか。
それなのに両親特に父親の反応が薄いので三度も念押ししたんだろう。
父親はある意味諦めというか自殺願望,破局待望できなところもあったんだろうなあ。
「俺の結婚と子育ては失敗だった。人生をリセットしてやり直したい。」
父親が九州大学に再入学したのは娘が給食事件を起こした次の年。
父親はこのころ無意識に妻も娘も見限っていて青春をもう一度繰り返したいという夢想に逃げていたんだろうな。