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・小原麗子さん URLリンク(p.potaufeu.asahi.com)
・麗ら舎の集り URLリンク(p.potaufeu.asahi.com)
・「別冊おなご」 URLリンク(p.potaufeu.asahi.com)
「男たちよ、乳房だけを愛でるな」。40年前、こんな痛烈なタイトルの詩を発表した
女性がいます。岩手県の内陸部、北上市で生まれ育った詩人、小原麗子さん(89)。
結婚・出産へのプレッシャーが今よりもはるかに強かった時代に農村で生まれ
育ち、「一人の人間として生きたい」と悩み苦しみながら独身を貫きました。
かの地ではそんな小原さんの姿勢を慕う女性たちが共に
学び、語らい、思いをつづるシスターフッドが続いています。
◆姉の自死 意味を問い続ける
それは小原麗子さんが10歳の頃でした。終戦間近の1945年7月、
小原さんの姉が命を絶ったのです。姉の夫は出征中で、姉は体調を崩して入院中でした。
当時、農村では、嫁は「角のない牛」と言われるほど朝から晩まで酷使されていました。
「誰よりも働かなくてはいけない嫁の身分で入院していたところに、『夫が戦死した』
という噂をきいてしまった。姉は将来を悲観し、追い詰められたのでしょう」と小原さん。
戦死のうわさは誤りで、姉の夫は戦後、妻への手土産を持って生還したのですが……。
姉の死は、幼い小原さんの心に大きな影響を与えました。小原さんは、のちに
「姉を追い詰めたのは、『病気』だったのでしょうか。『国の非常時に死んでゆくのは申し訳ない』
と姉は遺書にしたためました。国と夫。姉は、男の体制に詫びたのか」とつづっています。
姉の死の意味を問い続けることが、ジェンダーの視点から家族や社会のあり方を問う原動力になったのです。
誰よりも早く起きて一日中働き、誰よりも遅く寝る。それが当時の嫁のあるべき姿でした。
囲炉裏を囲む家族団欒は、冷たい土間に身を置いてせっせと薪をくべる嫁の忍従があってこそ
成り立っていたのです。小原さんは「農村の嫁の悲劇が生まれる原因は、多くの家族的な
美しさの中にもある」と、家族の調和が女性の犠牲に支えられる矛盾を早くから指摘しました。
(次へ続く)