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【皇室】 どうなる三笠宮家 百合子さま逝去、後継の「当主」は誰に 長男ら3人の息子は既に亡い 孫にも男性皇族はいない - 暇つぶし2ch1:擬古牛φ ★
24/11/17 09:45:58.40
★どうなる三笠宮家 百合子さま逝去、後継の「当主」は誰に

 三笠宮妃百合子さまが15日に101歳で亡くなられた。
百合子さまは三笠宮家の当主で、皇室内での信頼も厚く、宮家の大黒柱だった。
ただ、継ぐはずだった長男ら3人の息子は既に亡い。孫にも男性皇族はいない。
当主を失った三笠宮家はどうなるのか。

●昭和天皇の末弟崇仁さまが創設

 三笠宮家は、昭和天皇の末弟の崇仁(たかひと)さま(2016年に逝去)が創設した。
戦前の1935(昭和10)年12月、成人を機に昭和天皇から「三笠宮」の宮号が授けられた。
41(昭和16)年に百合子さまと結婚。3男2女に恵まれたが、長男寛仁(ともひと)さま、次男宜仁(よしひと)さま、
三男憲仁(のりひと)さまに相次いで先立たれた。
長女甯子(やすこ)さんと次女容子(まさこ)さんは結婚し、皇室典範の規定で皇族の立場を失った。

 本来であれば、長男の寛仁さまが三笠宮家を継ぐはずだった。
宜仁さまが桂宮家を、憲仁さまが高円宮家を創設した一方で、寛仁さまが新たに宮家を作らなかったのは、
三笠宮家の継承が予定されていたからだ。

●寛仁さま死去後、三笠宮家に合流

 寛仁さまは宮家を作らなかったものの、結婚を機に「寛仁親王家」の当主として独立。
宮号はなくても、他の宮家と同様に一つの「家」とみなされていた。
「ヒゲの殿下」と国民に広く親しまれたが、2012年6月に亡くなり、
寛仁親王妃信子さま(69)、長女彬子さま(42)、次女瑶子さま(41)が残された。

 家の存続をどうするのか。寛仁さま死去から約1年、決まらないままだった。
当時、宮内庁幹部は「家の中での話し合いが進まなかった」と説明。
信子さまが09年にぜんそくの治療、療養を理由に、寛仁親王家の住まいがある
赤坂御用地を離れ、別居生活が続いている事情があった。

 そのため、宮内庁が死去1年を前に家の行方について整理した。
「寛仁親王家は広い意味で三笠宮家の中に含まれていた」との考え方から、新たな当主をたてて
親王家を続けるのではなく、寛仁親王家の遺族3人が三笠宮家に合流することで決着。13年6月に発表した。

●「宮家」と「当主」

 そもそも皇室における「宮家」や「当主」とはなにか。いずれも法律に基づく制度ではない。

 宮家は、天皇家から独立して一家を成す皇族に対する呼称。
男性皇族が成人や結婚などを機に天皇から「○○宮」の宮号をもらってきた。
皇位継承が父方に天皇の血を引く「男系男子」に限られる中、
天皇家に男系男子の皇族がいない場合には、宮家から皇位継承者を出す役割が期待されている。

 皇位と同じく、宮家も男系男子の子孫が「当主」として宮家をつないできた。
継げる男性皇族がいなければ断絶となるが、女性皇族の家族が存命の間は、
女性が当主になって宮家が続く場合もある。誰が当主になるのか、原則は家族の話し合いで決まる。
(続く)
毎日新聞 2024/11/16 10:40(最終更新 11/16 10:40) URLリンク(mainichi.jp)

続きは>>2-4


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