24/11/06 08:12:43.73
★そして「キャンディーズ」に 元維新・足立氏が古巣批判に転じたわけ
公明党の街頭演説で「日本維新の会はいらない」とぶった切る。
衆院選で維新と公明が火花を散らした大阪。よく見られる批判合戦かと思いきや、声の主は、
公示日まで維新に身を置いた元衆院議員、足立康史氏(59)だというから驚きだ。
直前まで立候補するつもりでいたが、維新に「刺客」を送られ、出馬を取りやめた。
その後は「維新をたたきつぶす」とSNS(ネット交流サービス)で古巣の批判を続け、
選挙戦終盤には公明や自民党の街頭演説にも姿を見せた。
何が足立氏を突き動かしたのか。そして今、政権の行方をどう見るのだろうか。
「維新は大阪の地域政党として残った。国政で(の維新)は万年野党化が進んだということでしょう」。
投開票から一夜明けた10月28日、足立氏はこう分析してみせた。
維新は大阪府内全19選挙区で完勝したものの、議席数は公示前の43から38に減らし、野党では「独り負け」だった。
広島や福岡の小選挙区でも議席を得たが、比例代表を含めた議席の4分の3が近畿に偏在。
目指した全国政党化には遠く及ばなかった。
「もう維新に未練はありませんね。すがすがしく、一点の曇りもない」。
選挙結果を見渡して、足立氏はこう言い切った。
●突然の政界引退劇
時計の針を1カ月前に戻そう。党員資格停止中だった足立氏は
衆院選で大阪9区(箕面市、茨木市など)に無所属で立候補する予定だった。
党の支援を受けられないため、私財や寄付など約800万円を投じて、
自身の政策や実績をまとめた冊子を約16万部印刷し、準備を整えていたという。
ところが10月6日、自らのX(ツイッター)で立候補の取りやめと、衆院解散をもっての政界引退を発表した。
神無月/楽しき日々に/始終あり/微かな光/求め続けて
こんな「辞世の句」で投稿を締めくくった。
突然の引退表明だった。
●「政策通」の一方、毒舌で注目
足立氏とは、どんな人物なのか。京都大大学院修了後、1990年、通商産業省(現経済産業省)に入った。
2011年の東日本大震災をきっかけに、政界入り。維新が国政進出した12年の衆院選で初当選し、連続4期務めた。
党政調会長などを歴任し、22年の代表選に立候補。現代表の馬場伸幸氏に敗れた。
官僚出身で「政策通」として評価される一方、その毒舌ぶりがしばしば問題視された。
19年にはツイッターで作家の百田尚樹氏らを侮辱する表現をしたとして、党から厳重注意処分を受けた。
国会でも他党を中傷する発言を繰り返し、何度も懲罰動議を出された。
政界引退の引き金となったのも、4月の衆院東京15区補選を巡るSNS投稿だった。
党による機関紙の配布について、「公職選挙法に抵触する恐れがある」との趣旨で指摘したが、
党は「不適切」と判断。6月に党員資格停止6カ月の処分を受けた。
「維新が9区に対抗馬の擁立を決めたらしい」。10月6日、関係者から足立氏に一本の電話があった。
維新が地元市議を公認候補に内定した、との情報だった。
「有権者や党員へのリスペクトがあれば、(維新は)刺客は送れないはずだ」。
そう考えていた足立氏にとって、青天のへきれきだった。
無所属の足立氏に維新が対抗馬を立てれば、地域の支持層が分断されてしまうからだ。
「支持者を混乱させてはならない」。足立氏は電話から1、2時間で不出馬を決断し、「辞世の句」を詠んだ。
(続く)
毎日新聞 2024/11/4 10:00(最終更新 11/4 10:00)URLリンク(mainichi.jp)
続きは>>2-4
2:擬古牛φ ★
24/11/06 08:13:04.60
>>1の続き
●維新への愛憎相半ば?
地方発祥の政党が国政に進出し、政権を奪取する―。
足立氏はそのチャレンジに「希望」と「歴史的意義」を見いだし、この動きに賭けてみようとの思いで維新に参加したという。
しかし、馬場氏が「第2自民党」を自任するなど、最近の維新はすっかり変容してしまったと映る。
「維新の会は張りぼてだった。大阪の中での権力闘争に終始し、政策もガバナンスも低落した」と嘆く。
ある地元市議は、足立氏の古巣批判の根底には、22年の代表選の遺恨もあるとみる。
前代表の松井一郎氏の路線を継承した馬場氏が8527票を獲得し、1158票の足立氏に大差をつけた。
「代表選以来、足立さんと馬場さんはずっと関係が悪かった。足立さんもおとなしくしていないからね」。
だが、対抗馬の擁立という党本部の対応には「ここまでするか」と驚きを隠さない。
●「山口百恵からキャンディーズに」
「議員バッジを外して、山口百恵になったわけです。もうマイクは握らないと。
でも、メディアからコメントを求められ、ネット番組の対談を依頼され、結局、キャンディーズに……」
衆院解散後もユーチューブやSNSなどで政治について情報発信を続ける日々を送ってきた足立氏。
その活動をグループ解散後も個々に芸能活動を続けた往年のアイドルになぞらえた。
15日の公示後、大阪では初の全面対決となった維新と公明が激しい選挙戦を繰り広げた。
そんな中、以前から親交のあった公明関係者から、公明候補の応援演説を打診されたという。
「直前まで維新に身を置いた立場で、他党の候補者を応援するのは刺激が強すぎる」との周囲の声もあり、
当初はSNSでの発信にとどめるつもりだった。
しかし、公明側から再度の要請を受けて、「人柄や政策をリスペクトできる人物を、
党派を超えて国会に送りたい」との気持ちが膨らんだ。
そして、京都大の先輩でもあり、「国を引っ張る見識がある」と慕う大阪3区の公明副代表、
佐藤茂樹氏(65)の隣でマイクを握ると決めた。
●「維新の会はいらない」に維新側は……
「つい2週間前まで、維新の衆院議員でした」。スーツ姿で街頭に立った足立氏はそう切り出すと、
身ぶり手ぶりが加わり、徐々にヒートアップ。
「維新は政治改革を掲げるが、企業・団体にパーティー券を売ってきた。
社会保障改革でも財源を示さず、矛盾がある」と声を張り上げた。
政策の穴を突き、党改革を訴えたが聞き入れられず、党を追われたと主張。
「ここへ来て維新の会はおかしくなった。自民党の劣化版、そんな政党はいらない。日本維新の会はいらない」―。
一方、こうした足立氏の行動に、維新関係者は冷ややかな視線を送る。
「もう、何をやっても(党とは)関係ない」「特に言うことはない」
衆院選を終えた今、足立氏の関心はどこにあるのか。
●「第3のレジーム」が政界の行方占う
自公の過半数割れが明らかになる前から、「今回の衆院選は第3のレジームを作る選挙になる」と予想していた。
第1は戦後から93年まで続いた自民政権、第2は自公政権を指す。
足立氏がこの10年来、維新で成し遂げようとしたのは、自民と競い合う次なるレジームを作ることだった。
「維新が万年野党化して、国政へのチャレンジは終わりました。僕はそれをやりたかったんです」と失望する。
与野党が拮抗(きっこう)する結果となり、足立氏が思い描く第3のレジームとは、
財界などが支援する自民と労働組合をベースにした政党が競い合う2大政党制だという。
それには、連合をベースにした新しい政党作りが必要になるとみる。
キーマンとして挙げたのは、国民民主党の玉木雄一郎代表だった。
「『自公国』の連立政権にならない方がいい。与野党が競い合う健全な政治を作ることが大事なので、
玉木さんには野党政権の樹立に向けて頑張ってほしい」とエールを送る。
●足立氏の目指す先は
自身の新しい道はどうなるのか。「50代にして隠居です」とけむに巻く。
SNSなどで政治についての情報発信は続けるつもりだというが、次なる道は明かさなかった。
「僕のことなので、じっとしていないとは思います」【中田敦子】
以上
3:名無しさん@15周年
24/11/07 10:28:05.02 krvYvSfBL
いや、公明党そのものが要らないわw
4:過去ログ ★
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