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★そして「キャンディーズ」に 元維新・足立氏が古巣批判に転じたわけ
公明党の街頭演説で「日本維新の会はいらない」とぶった切る。
衆院選で維新と公明が火花を散らした大阪。よく見られる批判合戦かと思いきや、声の主は、
公示日まで維新に身を置いた元衆院議員、足立康史氏(59)だというから驚きだ。
直前まで立候補するつもりでいたが、維新に「刺客」を送られ、出馬を取りやめた。
その後は「維新をたたきつぶす」とSNS(ネット交流サービス)で古巣の批判を続け、
選挙戦終盤には公明や自民党の街頭演説にも姿を見せた。
何が足立氏を突き動かしたのか。そして今、政権の行方をどう見るのだろうか。
「維新は大阪の地域政党として残った。国政で(の維新)は万年野党化が進んだということでしょう」。
投開票から一夜明けた10月28日、足立氏はこう分析してみせた。
維新は大阪府内全19選挙区で完勝したものの、議席数は公示前の43から38に減らし、野党では「独り負け」だった。
広島や福岡の小選挙区でも議席を得たが、比例代表を含めた議席の4分の3が近畿に偏在。
目指した全国政党化には遠く及ばなかった。
「もう維新に未練はありませんね。すがすがしく、一点の曇りもない」。
選挙結果を見渡して、足立氏はこう言い切った。
●突然の政界引退劇
時計の針を1カ月前に戻そう。党員資格停止中だった足立氏は
衆院選で大阪9区(箕面市、茨木市など)に無所属で立候補する予定だった。
党の支援を受けられないため、私財や寄付など約800万円を投じて、
自身の政策や実績をまとめた冊子を約16万部印刷し、準備を整えていたという。
ところが10月6日、自らのX(ツイッター)で立候補の取りやめと、衆院解散をもっての政界引退を発表した。
神無月/楽しき日々に/始終あり/微かな光/求め続けて
こんな「辞世の句」で投稿を締めくくった。
突然の引退表明だった。
●「政策通」の一方、毒舌で注目
足立氏とは、どんな人物なのか。京都大大学院修了後、1990年、通商産業省(現経済産業省)に入った。
2011年の東日本大震災をきっかけに、政界入り。維新が国政進出した12年の衆院選で初当選し、連続4期務めた。
党政調会長などを歴任し、22年の代表選に立候補。現代表の馬場伸幸氏に敗れた。
官僚出身で「政策通」として評価される一方、その毒舌ぶりがしばしば問題視された。
19年にはツイッターで作家の百田尚樹氏らを侮辱する表現をしたとして、党から厳重注意処分を受けた。
国会でも他党を中傷する発言を繰り返し、何度も懲罰動議を出された。
政界引退の引き金となったのも、4月の衆院東京15区補選を巡るSNS投稿だった。
党による機関紙の配布について、「公職選挙法に抵触する恐れがある」との趣旨で指摘したが、
党は「不適切」と判断。6月に党員資格停止6カ月の処分を受けた。
「維新が9区に対抗馬の擁立を決めたらしい」。10月6日、関係者から足立氏に一本の電話があった。
維新が地元市議を公認候補に内定した、との情報だった。
「有権者や党員へのリスペクトがあれば、(維新は)刺客は送れないはずだ」。
そう考えていた足立氏にとって、青天のへきれきだった。
無所属の足立氏に維新が対抗馬を立てれば、地域の支持層が分断されてしまうからだ。
「支持者を混乱させてはならない」。足立氏は電話から1、2時間で不出馬を決断し、「辞世の句」を詠んだ。
(続く)
毎日新聞 2024/11/4 10:00(最終更新 11/4 10:00)URLリンク(mainichi.jp)
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