24/10/17 16:35:21.15
>>1の続き
●「世間」の目への同調圧力 欧米とまったく違う行動基準
にもかかわらず、96年の法制審答申からすでに28年もの歳月が過ぎている。
なぜ日本では、たったこの程度のことが、いつまでも実現しないのか。
これほどまでに夫婦別姓への抵抗が強い理由は、いったい何か。
日本は国際的には、146カ国中118位(24年)というジェンダーギャップ指数に象徴されるように、
「男尊女卑大国」だといってよいが、選択的夫婦別姓がいまだ実現できない根底にあるのは、
「世間」の同調圧力の異様な強さと、女性差別の根深さという2つの問題だ。
夫婦同姓の強制がもっぱら女性の側の不利益の問題となっているのは、婚姻時に夫の姓になるのが95%(22年)だからだ。
つまり、大多数の女性が姓を変えるので、ほとんど女性だけが圧倒的な負担・不便・不利益を受ける。
もちろん、「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」と規定する民法750条には、
夫の姓(氏)にしろとは書いていない。婚姻時に姓は自由に選べるのだ。
それなのに、95%が夫の姓だというのは何かおかしくないか。理由ははっきりしている。
昨今のコロナ禍で登場した「自粛警察」「マスク警察」に象徴されるような、日本の「世間」の同調圧力の異様な強さだ。
この「世間」という伝統的な人間関係は、万葉の時代以来1200年以上の歴史がある。
日本人は「世間を離れては生きていけない」と固く信じているので、数多くの「世間のルール」をきちょうめんに順守して生きてきた。
このルールの一つに、「出るくいは打たれる」という「共通の時間意識」(みんな同じ時間を生きていると考えること)がある。
日本人は何か行動する場合に、「出るくい」にならないように、まず「世間」の空気を読んだ上で自分の行動を決める。
これは、行動の基準が、基本的に神との関係で決まる欧米社会とはまるで違う。
そうすると、婚姻のさいに姓を決める場合、まず親や親戚や友達や職場など周りの「世間」の空気を読むことになる。
つまり、「みんな、どうするのだろう?」と考える。
周りを見渡せば、「みんな」が夫の姓になるのだから、そこに「出るくいは打たれる」という無言の同調圧力を感じることになる。
夫が婿養子になるといった特別な事情がない限り、誰かに強制されなくとも、妻は“自主的”に夫の姓を選ぶしかなくなっている。
結局のところ、「妻は夫の姓になるべきだ」という「世間」の圧倒的な同調圧力が、
一方的な不利益を女性に強いるとともに、夫婦同姓の法的強制の固定化をもたらしたのだ。
続く