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>>1の続き
●那覇市の具志光雄さん「平和を維持してくださいという思いで」
平和の礎を訪れた那覇市の具志光雄さん(76)は、祖父母など7人の名前が刻まれた
礎の前で水や果物などを供え、手を合わせました。
具志さんは「私の父からは終戦後、台湾から沖縄に引きあげると、家族が全滅していて
ショックだったという話を聞いている。祖父はどこで亡くなったかわからず、
祖母たちは入っていた壕に毒ガスを投げ込まれて亡くなった。一族が7人も亡くなっているので、
『おじいさん、おばあさん、平和をそのまま維持してください』という思いで手を合わせました」と話していました。
●訪れた男性「毎年 平和の願いをここで」
平和の礎を訪れていた70歳の男性は「長男だった祖父と祖父の弟の家族全員が避難中に亡くなりました。
二度とこういうことがないように、毎年平和の願いをここで誓いを立てようと来ています。
いまだんだん世界がおかしくなっているので、平和がずっと続くように、安らかに眠ってくださいと祈りました。
少しでも平和に近づけて行けたらと思っています」と話していました。
●那覇市の19歳の女性「胸が痛くなる」
ひいおじいさんの名前が平和の礎に刻まれている那覇市の19歳の女性は、
「亡くなった詳しい状況はわかりませんが、この時期が近づいてきたら、
ひいおじいさんをはじめこんなにたくさんの人が昔、亡くなられたと思い、胸が痛くなります。
ここに来て、自分たちのご先祖様に『ことしも来たよ』とあいさつして、
しっかりしようという気持ちになります」と話していました。
●宮古島市の男性「慰霊の気持ちでお参りに」
宮古島の飛行場でアメリカ軍の攻撃を受けて叔父が亡くなり、また南方で船に乗っていた
別の叔父を失ったという宮古島市の73歳の男性は、「沖縄でこんなに犠牲があり慰霊の
気持ちでお参りに来ました。息子や孫にもこういうことがあったと現地に来るだけでも
思いが通じると思います」と話していました。
一緒に訪れた那覇市に住む次男は「先祖がいて、自分たちがいる。おじいちゃんや、
おじいちゃんのきょうだいの時代にあった戦争を二度と起こさないようにして、
平和な沖縄が自分たちの子どもの代まで続くようにしたいです」と話していました。
孫の小学3年生の女の子は「きょうは戦争が終わった日で戦争は怖かったと感じる。
戦争をなくしたい」と話していました。
●那覇市の比嘉芳美さん「亡くなった悲しさ ずっと心の中で」
母方の祖父など3人を戦争で亡くしたいう那覇市の比嘉芳美さん(65)は日の出に合わせて
平和の礎を訪れ、「母方の祖父は戦場で亡くなり、遺骨が戻ってこないままで、
祖母は『どこで亡くなったのか、遺骨が戻って来ないか』と亡くなるまで気にしていた。
戦争というのは、本人、家族の人生を変えるもので、亡くなった悲しさを
家族はずっと心の中で引きずりながら生きていかなければならない。
慰霊の日にこうして皆が世界の平和を思い続けることは大事だと思う」と話していました。
●バスガイドの秋重優里さん「知ったことを生徒に伝えられるよう」
夜明け前に平和の礎を訪れた那覇市のバスガイドの秋重優里さん(19)は
「79年の月日がたったので、平和の祈りを込めて79羽の鶴も折ってきました。
ガイドをするようになって、戦争のことを知ることができるようになりました。
知ったことを生徒に伝えられるよう、生徒たちが少しでも理解が深まるようにしたいです」と話していました。
以上