24/03/01 22:50:00.34
(>>1からの続き)
◆「ちゃんとした人」ほど恋愛市場から撤退していく
残念なことに、女性がぜひとも恋愛・結婚したいと望むであろう社会経済的にも人格的にも
すぐれた「ちゃんとした人」ほどこの社会的リスクを深刻に見積もって撤退してしまう。
自由恋愛市場には逆にそういう倫理観やリスク意識を持たないタイプの男性、
いわゆる「ヤバい人」ばかりが残るという逆効果になっている。
(中略)
言うまでもないが、この国では男女交際はもっぱら男性側のアプローチをその起点とする。
(中略)
むろん女性だって、それとなく好意を持っている男性に対しては、彼が自分に好意を持つようなんらかの「布石」
をしかけることはそれなりにある。しかしそれはあくまで布石であって、最終的な意思決定や結果責任を取る
フェーズ―つまり「告白」という儀礼に臨む役割―では、やはり男性が主導的な役割を果たすことになりがちである。
男性が率先してこうした「重い」アクションを引き受けることは、ことこの国においては「男らしさ」の一部として肯定されてきた。
◆「女性にアプローチすること」はリスクが大きすぎる
だが「女性が待つ側、男性がアプローチする側」という形で落ち着いた男女の性的関係の均衡は、
現代社会の価値観や倫理観と真正面からコンフリクトを起こしてしまっている。
「女性を不快な気持ちにさせてはならない」という不文律的な倫理的コードが先鋭化しており、
男性が女性に対して性的アプローチで不快な思いをさせてしまうことは、ただ不快なだけでなく、
場合によってはなんらかのハラスメントとして非難されてしまうこともある。
かりに当時はそのアプローチが好意的に受容され良好な関係を築けていたとしても、後々に関係が悪化して
しまったときには、これまで述べてきたように「いま思えばあれは不快だった、性加害だった」などと
事後的にその評価を180度ひっくり返されてしまい、性交渉の場合には刑事責任を問われることもありえる。
(中略)
(次へ続く)