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★病床で「あとを頼む」=強い信念、卓越した行動力-評伝・山田恭暉前隊長
東京電力福島第1原発事故の収束作業を志願する「福島原発行動隊」の初代理事長、
山田恭暉さん(75)が17日、志半ばで他界した。厳しい作業が続く第1原発の状況や、
現場入りが果たせていない行動隊の今後を、最期まで気に掛けていたという。
山田さんは2007年、悪性リンパ腫を発病、医師から「3カ月先の約束はしないように」と言い渡された。
突然の宣告に動揺し、朝からアルコールに浸る日々。内臓を壊しもした。
それでも、自分自身を静かに見つめるうち「自分の手柄だとか周りの評価だとか、そういうことは全く気にならなくなった」。
原発事故が起きたのはそんな時だった。「これは大量の被ばく要員が要る。老人の出番だ」。
東大工学部で学んだエンジニアの山田さんには、事態の深刻さがすぐに分かった。
早速、手紙やメール2500通を友人・知人に送り、「若年作業員の被ばくをわれわれの世代が肩代わりしよう」と訴えた。
しかし、「人手は足りている」と言う東電の壁は厚かった。
賛同者は瞬く間に2000人を超えたが、意欲をそがれ、焦りが募る。
「除染や被災者支援など手近な活動を」との声も上がったが、
「あくまで本丸は原発構内での収束作業」と、山田さんは揺るぎなかった。
行動力も卓越していた。12年夏には米国に渡って1カ月間滞在。
議会関係者やマスコミに、行動隊の意義を説明して回った。
行動隊を紹介する本を出版、署名活動も展開するなど目標実現へと労を惜しまなかった。
亡くなる前々日の15日。大学時代からの友人で、今年3月に理事長を引き継いだ塩谷亘弘さんが病院に見舞うと、
それまで意識が混濁していた山田さんは目を開け、「何もできなくて申し訳ない。あとを頼む…」と声を絞り出した。
行動隊は今も、以前と変わらず現場入りを目指して活動を続ける。
創設者のリーダー不在でも、揺るがない組織をつくり上げたところにも、山田さんの類いまれな資質が見て取れる。
(時事通信編集委員・芳賀隆夫)。(2014/06/18-18:52)
時事通信 URLリンク(www.jiji.com)
3:名無しさん@15周年
14/06/25 19:07:50.52 16zIuGGme
被爆による無駄死にが増えている。
この恨みは、右翼弾圧へ向かうだろう。
引き金はマイトレーヤの左翼蜂起の呼びかけが合図だ。
4:名無しさん@15周年
14/06/25 23:10:00.21 by9IopmaG
減らすどころか修学旅行見学地になるワニよ
5:名無しさん@15周年
14/06/26 02:52:52.56 fyU2xxzBt
なんか被曝と被爆がごっちゃになってるな
6:過去ログ ★
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