21/11/02 22:13:59.31 .net
まだ山下達郎に決着がついていないのか?
俺が整理してやる。
1970年代は、ニューミュージックという呼び方しか使えるものがなかったので、山下達郎をニューミュージックと呼んでいた。
しかし、音楽的な判断があったわけではない。
また、そう呼ぶことが「普通」だったのか「一般的」だったのかはわからない。
1970年代末か1980年代に入って、さすがに山下達郎をニューミュージックと呼ぶには洋楽に近すぎるということがわかってきて、次第に使われ始めた「シティポップス(シティ・ミュージック、シティ・サウンド)」で呼ぶようになった。
ただ、山下達郎をニューミュージックと呼ぶことがある時点で急になくなるはずはないので、1980年代に入ってからもニューミュージックという呼び方も並行して使われた。
また、シティポップスという言葉は、当時は「全国区」ではなく、東京近辺だけで使われていた可能性が高い。
以上のようなことだな。
山下達郎は、ニューミュージックともシティポップスとも呼ばれてたという当たり前の結論だ。