09/06/26 00:35:45 .net
つんぼという単語は本来単に耳が聞えないことあるいはその人という意味しかない。
めくらも同様。
つまり現代語で言う耳の不自由な人とか目の不自由の人と同じ意味。
しかるになんでつんぼやめくらが差別的な言葉と思われるか。
これは日本人の言霊信仰によるものなのである。
つまりつんぼやめくらというのは日本においては穢れと認識されるのだ。
だから使いたくない。
しかしそういうことをあらわす言葉がなければそれこそ言葉の不自由な人になっちまう。
だからそういう古来からの穢れを引きずらない「~の不自由な人」という
本来名詞であらわすべき概念を、単語でないむりやりな造語で言葉をでっち上げることになる。
そのうちその不自由な人ってのも長い年月使われて手垢にまみれてきたら
日本人はまたその言葉に穢れを感ずるようになる。
そうするとまた新しい言葉で代用する。きっとそうなる。
つまり言葉を言い換えることで禊をするのである。
本質は何も変わらない。
しかし禊をすれば穢れがぬけるから日本人はそれで充分満足する。
これは外国人にはわからない感覚だろう。