野々村元県議の今後を考える11at MAYOR
野々村元県議の今後を考える11 - 暇つぶし2ch805:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/23 16:03:05.47 np/JGs0v0.net
ラルフ・ローレンの伝記である。彼は、1934年、ニューヨークの下町ブロンクスでユダヤ系ブルーカラー家庭の4人兄弟の末っ子として生まれた。
子供の頃から、IVYルックというか、東部の大学の金持ち学生達所謂プレッピーの格好が好きだったそうだ。大学を経て、ネクタイのセールスマンから身を起こし、
様々な人との出会いを得て、認められるまでる過程が、赤裸々につづられる。
この人が特殊なのは、デザイナーではなく、あくまでもプランナーというか、コンセプトづくりというか、
ブランドイメージの維持への変質的なまでのこだわりである。無謀な企画で損失を被っても、全く平気で次の企画を打ち出すのである

806:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/24 11:48:24.41 6gE+FvZ40.net
19世紀半ばから第二次世界大戦まで
ドイツ人は700万人、イタリア人は450万人、
アイルランド人は350万人がイギリス人も追加で300万人がアメリカに入植

807:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/24 11:56:42.89 6gE+FvZ40.net
最も大きな影響を与えた国は、間違いなくユナテイッド・キングダム
言語:
英語がアメリカ合衆国の主要言語となりました
政治・法制度:
代議制民主主義、コモンロー、そして多くの社会構造はイギリスのモデルから直接受け継がれて
宗教:
初期の植民地で大きな影響力を持っていたプロテスタントはイングランドとスコットランド
文化全般:
文学、民族音楽、社会伝統、植民地時代の建築物など

しかしながら他の国々からも大きな影響を受けました
フランス:
政治(革命思想)、美食、ルイジアナでは文化に影響を与えました
アフリカ:
音楽(ブルース、ジャズ、ゴスペル、ヒップホップ)、食の伝統、基本的な文化表現に影響を与えました
アイルランド、イタリア:ドイツ
19世紀における大規模な移民、料理、音楽、聖パトリックデー、オクトーバーフェストなど
メキシコとスペイン:
南部と西部では建築、テックス・メックス料理、ボキャブラリー、南西部の伝統

808:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/26 11:14:10.91 LeG3o/Ms0.net
中国でも王朝というか時代ごとに違うように、日本の衣服も奈良や平安はかなり違っていたからな。
現在「和服」と呼ばれているものに比較的ブレがないのは、けっきょく江戸期が安定して長く続いたということが大きい
(ただし、その範囲でも着こなしの仕方はかなり変化している)

和服の特徴は背縫いがあること
一枚の反物を(ほぼ)直線縫いして服に身体を合わせて着る
縫い目をほどくとまた一枚の反物に戻せる(実際はある程度裁ってるから縫い合わせて反物の形に戻すわけだけど)
どちらかというと中国南方の少数民族の系統の衣装だそうな
絵を見てもわかると思うけど韓服も漢服とやらも、そういう意味では系統が全然違う

子供の服には背縫いがなくて、後ろに「(縫い)目」かないから悪いものに襲われるっていうのがあったんだよね。
だから小さい子供の着物には背守りが縫い付けてあった。

大陸でも南方の系譜をひいてるからこそ、「呉服」という呼び方が定着したわけだからね。
もっともこの呼称も「大陸渡来の服」→「絹織の服一般」→「衣服全般」と変遷がある。
日本で綿花生産がはじまったのは鎌倉の頃で、それまで「木綿」というものはなかった。木綿がないということは「綿(わた)」もなく、したがって「綿入れ」も存在しない。
だから防寒のためには、十二単的に薄い布(絹や麻)をひたすら重ね着するか、でなければ「皮衣(かわごろも)」=皮革製品に頼るしかなかった。
呉服=絹に対する太物(ふともの)=木綿が一般的になることで、防寒着として「綿入れ」の丹前(褞袍)や半纏も確立し、
それを前提に日常的・標準的な服装も再編・安定していったと思われる。

中国の服が伝わる以前の日本は葉っぱ着ていたなどと言っている無教養な中国人は『職貢図』の絵図でも真に受けてるんだろう
あれは中国の学者ですら、弥生期の誤った和人イメージが古墳期まで続いた結果と指摘している
実際、古墳期の日本の服装はご存知の通り、靴も履いていた

809:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/26 11:53:07.53 LeG3o/Ms0.net
「生活様式が変わったから」「不景気だから」というのはよく聞きますが、それは検討外れだと思っています。
生活様式が変わっても、良いものは高値でも流通しているし、不景気でも売れるものはあります。

問題なのは、工芸の「時間の掛かり方」が、経済合理性とあまりに乖離してしまったことです。

技術の習得に時間がかかり、制作にも膨大な時間がかかる。 そのコストを価格に転嫁できなければ、作り手は相対的に貧しくなる。

データが示す「市場の縮小」は、そのまま「真面目な物づくりがバカを見る」状況を表しています。

若手が減っているのではなく、若手が“続けられない構造”になっている。僕にはそう見えます。

今の日本の美術・工芸には、こんな構造があります。支援の手が差し伸べられるのは、二箇所。

1、美大・芸大など教育機関による「入り口」の支援 2、人間国宝の認定など、評価が定まった「頂点」への支援

この二つ、「卵」と「ゴール」の間にある、一番脂の乗った「実働部隊(中堅)」への支援はありません。

810:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/26 13:30:12.19 LeG3o/Ms0.net
着物は唐の模倣したに過ぎないとか短絡的すぎるわ
十二単とか打掛、振袖、浴衣、袴、足袋、草履とか日本の様式だし
織、染め、和柄、独自の文化を生み出してる
和柄はどの時代の中国の服にも採用しにくいデザイン

着物って体型変わっても着付け次第ではしょりや着丈などで調整できるしね
だから親からの着物を着たりできるし
アオザイみたいに100か所以上採寸して、他人どころか本人も体型変わったら着られないみたいなものよりは、フレキシブル

着物は前を合わせてるだけだから、すり足歩きだった当時の日本人には歩きやすい構造

日本は江戸時代という比較的平和な時代が長かったから
都市部は生活に余裕があって着物も時代に合わせ洗練されて行ったけど
近代以後に生まれたK服は時代が浅い事もあって継ぎ接ぎ感が強く

なんで向こうの服は絹使って再現しないんだろうな?
化繊だとスゲー安っぽく見えるのに

李朝は自分たちは明朝の後継者だと自負したぐらいに明朝の引き写し国家
李朝は役人服は中華王朝の絹織物を利用しているから自分たちで作ってない
中国は伝統服は王朝直営の工場で作っていたから王朝消滅ともに技術も散逸
両国がやたら伝統を作ろうとするのはナショナリズムを煽るため

呉と言うのは中国から渡来した絹織物ののことで、素材の名前ね
呉から既製品の衣服を輸入してはいたかもしれないが、当時は反物での取引がメイン

811:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/26 16:26:34.94 LeG3o/Ms0.net
>日本は1月末に咲くものだったんだね

近年日本の花見を真似ただけの韓国人は知らんだろうが
日本にはいろいろな桜があって開花時期も違うんだよな
韓国と違って国土が広く南北に長いから同じ種類でも開花時期は差異があるしな

寒桜だろ

熱海でこの時期ならあたみ桜だろう
そろそろ河津桜も開花するし
3月はソメイヨシノを始めいろいろ咲く

812:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/26 17:30:09.24 LeG3o/Ms0.net
地元経済に金を落とさない(日用品を日本から取り寄せていた)こと、
何よりアメリカにおけるマジョリティであった白人種のキリスト教徒とは、文化が異なる

日系移民と職をめぐって競合していたアイルランド系やイタリア系などといった下層階級が
、日系移民への排斥運動に積極的な役割を果たしていたとされる

1882年に制定され、1902年に恒久的な措置となった『中国人排斥法』は、日本人が中国人に取って代わる

日本では長子相続の慣例が、根強く残っているという背景もあって、
海外で大金を稼ぎ「故郷に錦を飾る」事を目的とした、農家の次男以下による移民が、増加するようになった

813:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/26 18:24:06.47 LeG3o/Ms0.net
単一民族って神話よ

神話が残るほど歴史がある国って事ですよね

世界の国々で、住民が殆ど入れ替わっしまっている国って、どれだけあるんでしょう?

814:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/26 21:22:59.57 LeG3o/Ms0.net
日本とロシアの間の海域では、
その暖かい海水が大量の水蒸気を大気中に放出し、
そこへ寒気が流れ込んだことで、今回の大雪が引き起こされてい

815:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/27 22:39:08.57 3Kch3aS+0.net
昔の映画会社所属のスターは映画会社に大切に守られていました。たとえ映画
 出演が無くても生活はきちんと保障されてたし、たしかオードリー
 が一本辺りの出演料100万ドル(当時は3億6千万位)保証された
 最初の女優でなかったか(あとはたぶんエリザベス・テイラーとかも)
ただスターシステムの弊害はスターのイメージを厳然と守ったことで
 それはオードリーの様な外見やファッションに重きをおいたスターに
 とって役立った反面、体当たりの演技を要求する映画に出られなかった という不満もあったかと思います

今はご存知の様に各スターはそれぞれエージェント(代理人または管理会社)を持っていて、
エージェントが出演料の交渉その他を行います。
その中の30%位をエージェントが受け取るので、当然出演料の高い映画、または興行収入に応じて配分をしてくれる映画が優先となる。
出演が決まればエージェントと俳優が共同で契約書にサインします

816:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/27 23:06:29.12 3Kch3aS+0.net
オードリーは何を着ても似合うよね。
映画界に初めてファッションモデル的な要素を持ち込んだ女優だった。
だからこそ、あれだけ同性にも支持されたんでしょう
それまではハリウッドとパリのファッション界は全くの別世界だったんだけど、
それらの架け橋となり、両者をくっつけてしまったのがオードリー。
新進デザイナーのジバンシーが、あそこまで有名になれたのもオードリーのお陰だけど、
スタイリッシュなオードリー・ファッションを作り上げたジバンシーもまた偉大。

尼僧物語って、大ヒットして、北北西に進路を取れの、公開が伸びた経緯があって、ヒッチコックが少し怒っていたんだよね。
ヒッチとオードリーって因縁があって、ヒッチ作品にでるはずだったんだけど、裁判劇だったか、暴行されるシーンがあって
オードリーが断ったことが合った。おしゃれ泥棒で、ヒッチの研究本読んでいるシーンがあるけど、そのあたりを知っていると
笑える。

噂の二人は、オードリーの映画だと思ってみると、シャーリー・マクレーンの存在感が凄い

昼下りの情事」
ゲーリー・クーパーに「君は完璧だよ」
(オードリー)は、ちょっと顔をしかめ
「私は痩せすぎ、耳も飛び出してるし、歯並び不良。首も長すぎるわ」と、自分のルックスの欠点を挙げていく。
するとフラナガンは「だが、それらがまとまると素敵だ」

817:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/28 13:46:39.78 b33Cxljl0.net
大英帝国を称賛する人たちを見ると、階級がしばしば完全に忘れ去られているのが不思議だ。
 労働者階級なのに「帝国は最高だった」と思っている人もいる。
 彼らは、自分と同じ階級の人々がどんな扱いを受けていたかを忘れている。
大英帝国を支配し、利益を得ていたのは上流階級と貴族だった。
 富と資源の大半は彼らが所有していた。
 多くの労働者は、その恩恵をほとんど受けられず、むしろ多くが命を落とし、過酷な労働条件で安価な労働力として使われていた。
工場労働者が背骨を壊すような仕事をしている一方で、工場主は西インド諸島の砂糖を使い、インドの絹で妻を着飾らせ、中国の皿で食事をしていた。
夜通し地下の不潔な倉庫で、翌日の舞踏会用のドレスを縫わされていた七歳の少女たちもいた
貧しい人々が意思に反してオーストラリアへ送られた、なんて例もある

植民地支配の手法が最初に国内で発明・洗練され、その後海外で使われたという点は、だいたい見過ごされがちだ。

かつては多くの人が「白人」ではなく、自分の民族集団で自己認識しており、その民族性ゆえに差別されていた。
 たとえばアメリカでは、アイルランド系、南欧系、東欧系は公然と劣った存在として差別されていた。

イタリア人やアイルランド人は第二次世界大戦後まで完全には「白人」と見なされていなかった。
 そして多くの、あるいは大半のアイルランド人は、それをむしろ誇りとして捉えている。
 「白人が世界を支配したこと」を誇るよりも、アイルランド人が白人性から距離を取り、反植民地主義を明確に支持する姿勢の方がはるかに一般的だ。
 もちろん、実際には多くのアイルランド人が植民地支配の加害側に関わっていたのも事実だけどね。

ドイツでは、人々はドイツ全体よりも州、あるいは地区レベルで自分を認識することが多い。
 東西や南北の間には強い文化的差異がある。

WW2後、戦勝国は世界を支配してきた悪事を、他国に責任転嫁し自分達は悪の日独から世界を救った正義設定でやりたい放題してきた

818:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/28 14:14:48.87 b33Cxljl0.net
人間社会の多くには相続というシステムがある
相続するものは財産だけでなく、我々を規定し、拘束するすべての価値観、制度、環境も含まれる

共同体の意識を共有していないと文化だろうが産業だろうが太刀打ち出来ないと深層心理で焦っている
白人社会の地は歴史上満遍なく血塗れだから、ある日突然脆い共同体意識が崩れて内輪で攻撃し合う

819:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/28 16:38:41.71 b33Cxljl0.net
人類として同じだけの時間を使ってその時代の競争に勝ったということなんだからイギリスやフランス、
その他頂点極めたことがある国がそれを誇るのは不健全だとは思わない。
負けた連中は道徳的だから負けたわけでもないしな。

820:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/28 22:58:34.07 b33Cxljl0.net
白人にとってのホームグラウンドって近代入るまでは王国ではなく教会なんだよな
グローバルの概念とかも、俺らにとっちゃ意味不明だけど、あっちでは意外と起源が古くて
十字軍の頃の多国籍部隊や土地の垣根を越えた神官の協力にまでさかのぼるらしい
以前グローバリストと反したときに聞いた話で、これは個人的に盲点だった
だから向こうのインターナショナル系の左派は、国への忠誠が薄くて春秋列国の遊説家・縦横家とかの概念がある中国に親近感を持ちがちらしい
逆にアメリカは南部気質が一所懸命と合致するから、南軍側として叩かれがちな層は大日本帝国のことが結構好きだとか

フランスドイツイギリススペインとか王族貴族の血縁関係が入り混じってるから、白人単位で歴史を誇るのはまあ分からんでも無い

エゲレスが誇るべきはやはり立憲君主制では?まぁ王族や皇族の制限付きの特権と引き換えによる生贄的制度ではあるが、
共和政はアメリカやフランスを見ると統合が弱すぎるし、
強権的な政府や独裁体制は中露を見るに幸せにはなれなそうだ。結局のところ何かの象徴を伴った民主制がバランスが良い

821:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/28 23:46:53.53 b33Cxljl0.net
日本は国土の約70%が山地・森林なので実際に住める平地は国土の約3分の1。ニュージーランドにも同様に山岳もあるにはあるが、なだらかな丘陵地や広大な牧草地が多く、国土の約50%が農業・牧畜に使用可能な土地として利用されている

822:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/28 23:57:52.70 b33Cxljl0.net
日本は国土の約70%が山地・森林なので実際に住める平地は国土の約3分の1。
ニュージーランドにも同様に山岳もあるにはあるが、
なだらかな丘陵地や広大な牧草地が多く、国土の約50%が農業・牧畜に使用可能な土地として利用されている

823:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/29 14:10:19.24 I+hZeYTA0.net
江戸開幕の時点で、皇室から離れて都市開発をした東京が、世界的に見ても異質なんだよ。
放射状でもなく格子状でもなく、幾らでも拡大できる巻貝状の江戸の都市計画。
世界的に見てももの凄く特殊

朝鮮建築の工法では二階屋が建てられない、日本建築の工法だと二階屋が当たり前
そもそも大工が殆どいな、その大工も日本で材木をプレカットしたキットを組み立てるだけ
既に朝鮮時代の文化財を修復する技術も失われている

824:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/30 15:38:02.07 29rWk3RG0.net
―「ユダヤ国家」を自任するイスラエルを、ユダヤ人の立場から批判してきました。なぜですか?
ユダヤ教の伝統と相いれないからです。ユダヤ教は約3500年前に現在のイスラエルやパレスチナの地域で生まれた一神教で、追放や移民による離散を経て世界に広がりました。
神からの言葉と戒めである聖典(トーラー)を共有しつつ、様々な人種や言語のユダヤ人が存在します。
伝統的に、離散したユダヤ人は、救世主(メシア)が訪れたときに聖地に受動的に「戻される」のであって、人間の意思で能動的に「戻る」ことは、神に反すると考えます。
対して、1948年に建国したイスラエルは、ユダヤ人が、神からの「約束の地」である聖地シオン(エルサレムの別名)に戻るべきだ、という信念に基づいた政治運動によって生まれました。
政治運動は「シオニズム」と名付けられ、信奉者は「シオニスト」と呼ばれます。
19世紀後半から、主に東欧のシオニストたちが、オスマン帝国下や英国委任統治下だったパレスチナへと移住を進め、自分たちの国家建設をめざします。
しかし、この地域には既に人が住んでいたので、次第に土地をめぐる争いへとつながりました。現在まで続くイスラエルとパレスチナの紛争の根幹です。
イスラエルは「ユダヤ国家」を掲げますが、正確には「シオニスト国家」であり、本来のユダヤ教とは相反するのです。

 ―なぜユダヤ教の教えに反する形で、シオニズムという運動が生まれたのでしょう。

そもそもシオニズムは、17世紀のキリスト教プロテスタントの間で生まれた考えです。聖書を言葉どおりに解釈する「福音派」が、
キリストの再臨のためにユダヤ人を聖地に戻すことが重要だと主張し始めました。 
ユダヤ人がシオニズムに関心を持ち始めたのは、19世紀後半になってからのことです。オーストリア・ハンガリー帝国支配下のチェコやスロバキア人などが
自分たちの国を持ちたいと考え、ナショナリズムが台頭する中で、一部のユダヤ人も動き始めます
主にユダヤ教から離れ、世俗化した人々でした。宗教的でなかったからこそ、神への信仰ではなく、「民族(Nation)」としてのよりどころを求めたのです。
 当初はごく少数派でしたが、やがて公然と差別されていたロシア帝国に暮らすユダヤ人たちに広がりました
ロシアでの境遇に改善の見込みがない中、パレスチナに移住しようという考えが受け入れられたのです。
ただし、ロシアから移住したユダヤ人の大半は北米へ向かい、パレスチナへ移ったのは1%以下にすぎませんでした
さらに第2次世界大戦下のナチスによるホロコーストが、多くの人々に、ユダヤ人が国を持つべきだという考えを納得させました。
■「我々にはイスラエルしかない」という意識 ―世俗的なシオニズムが、「聖地」への権利をどう正当化するのですか? 
一部にとっては「神から与えられた権利」かもしれませんが、イスラエル人の多くは世俗的です

825:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/30 15:40:37.00 29rWk3RG0.net
神は存在しない。しかし、神がこの土地をユダヤ人に約束した―矛盾があります。 
イスラエル人の多数は、ユダヤ人があまりにも多くの迫害に苦しんできたからこそ、
この土地を手に入れる権利があり、パレスチナ人を追放することも許されるのだと信じています
ユダヤ人はイスラエル以外に行くあてがないが、パレスチナ人は周辺に多数あるアラブ諸国で暮らせるじゃないか、と。
 理解しがたいかもしれませんが、こうした考え方が建国以来、一般的に語られてきたのです


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