26/01/14 14:07:12.61 /BOsMdzK0.net
一神教は自然が豊かではない中東で生まれた。それが人工的にインドと東南アジアまで伝播した。
統治するのには都合が良かった点には、全く同意する。
自然豊かな日本が自然崇拝の多神教なのは当然である。
一神教が入り込む隙間がない以上、統治は確かに緩やかにならざるを得ない
801:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/21 12:57:45.81 y9YBSWSC0.net
カトリックの教会の中心は聖壇。
正教会の中心は聖画。
プロテスタント教会の中心は講壇。
聖壇は聖なる道具を置く机。
聖画は正教でイコンとも呼ばれます。キリストとマリアなどが描かれている、宗教的な絵画です。
講壇は聖職者による説教が行われる場所。
モーセの石版で有名な旧約聖書の十戒に「如何なる偶像も作ってはならない」とある。
この考えが浸透していったことで次第に教会内の宗教的アートが破壊されるようになり、
ついに説教者フリードリッヒ・ツヴィングリによって絵画、聖壇、装飾の組織的撤廃が決定されました
講壇は説教をする場、つまり聖書にある神の言葉を、聖職者が時代向けにわかりやすく翻訳する場所です。
プロテスタントでは「聖書は信仰生活のすべての基準であり規範である」とされ、
法王をトップに据える教会組織よりも聖書そのものに重きをおくため、聖書と向き合う場を重要視しているのです
802:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/21 14:03:08.72 y9YBSWSC0.net
キリスト教流入以前のヨーロッパ世界を鮮やかに語り伝える北欧神話
北欧神話の重要性について以下のように解説している…
「近代ヨーロッパを形作って来たゲルマン民族の神話として、ヨーロッパ神話の母胎である
天地創造から始まるのは何れの神話にも共通しているが、北欧神話では人間が誕生する前に小人(妖精)が登場したり
、神様の特技がスキーであったり、氷に閉ざされた世界が表現されたりする
神々と巨人達との最終決戦である。
ヴァーグナーの『神々の黄昏』は正しくこの場面を描いている訳だが、
実際には“黄昏”というような静かな終末ではなく、それは壮絶な戦い
北の民の精神を語るエッダ、サガ、神話、伝説を読む
ヨーロッパ北部周縁の民=ゲルマン人は、キリスト教とは異なる独自の北方的世界観を有していた。
古の神々と英雄を謳い伝える『エッダ』と『サガ』。善悪二元の対立抗争、
馬への強い信仰、バイキングに受け継がれた復讐の義務……。荒涼にして寒貧な世界で育まれた峻厳偉大なる精神
803:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/23 08:34:18.67 5W6+1QH10.net
日本が最も親しく交流した国が渤海だった。一方で新羅は日本侵略が甚だしく平安時代にはついに国交断絶したほどだった
URLリンク(youtu.be)
804:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/23 15:58:42.40 np/JGs0v0.net
アカデミー衣装デザイン賞を取った映画の衣装を全面的に手掛けたのは
若き日のラルフローレンです。
映画の衣装担当自体はレディースの衣裳を担当したセオニ・V・アルドリッジなのですが
メンズのデザインや製作のほとんどをラルフローレンが行いました。
彼はこの作品で知名度を一気に広げ、世界的なデザイナーに名乗りを上げていくのですね。
805:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/23 16:03:05.47 np/JGs0v0.net
ラルフ・ローレンの伝記である。彼は、1934年、ニューヨークの下町ブロンクスでユダヤ系ブルーカラー家庭の4人兄弟の末っ子として生まれた。
子供の頃から、IVYルックというか、東部の大学の金持ち学生達所謂プレッピーの格好が好きだったそうだ。大学を経て、ネクタイのセールスマンから身を起こし、
様々な人との出会いを得て、認められるまでる過程が、赤裸々につづられる。
この人が特殊なのは、デザイナーではなく、あくまでもプランナーというか、コンセプトづくりというか、
ブランドイメージの維持への変質的なまでのこだわりである。無謀な企画で損失を被っても、全く平気で次の企画を打ち出すのである
806:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/24 11:48:24.41 6gE+FvZ40.net
19世紀半ばから第二次世界大戦まで
ドイツ人は700万人、イタリア人は450万人、
アイルランド人は350万人がイギリス人も追加で300万人がアメリカに入植
807:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/24 11:56:42.89 6gE+FvZ40.net
最も大きな影響を与えた国は、間違いなくユナテイッド・キングダム
言語:
英語がアメリカ合衆国の主要言語となりました
政治・法制度:
代議制民主主義、コモンロー、そして多くの社会構造はイギリスのモデルから直接受け継がれて
宗教:
初期の植民地で大きな影響力を持っていたプロテスタントはイングランドとスコットランド
文化全般:
文学、民族音楽、社会伝統、植民地時代の建築物など
しかしながら他の国々からも大きな影響を受けました
フランス:
政治(革命思想)、美食、ルイジアナでは文化に影響を与えました
アフリカ:
音楽(ブルース、ジャズ、ゴスペル、ヒップホップ)、食の伝統、基本的な文化表現に影響を与えました
アイルランド、イタリア:ドイツ
19世紀における大規模な移民、料理、音楽、聖パトリックデー、オクトーバーフェストなど
メキシコとスペイン:
南部と西部では建築、テックス・メックス料理、ボキャブラリー、南西部の伝統
808:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/26 11:14:10.91 LeG3o/Ms0.net
中国でも王朝というか時代ごとに違うように、日本の衣服も奈良や平安はかなり違っていたからな。
現在「和服」と呼ばれているものに比較的ブレがないのは、けっきょく江戸期が安定して長く続いたということが大きい
(ただし、その範囲でも着こなしの仕方はかなり変化している)
和服の特徴は背縫いがあること
一枚の反物を(ほぼ)直線縫いして服に身体を合わせて着る
縫い目をほどくとまた一枚の反物に戻せる(実際はある程度裁ってるから縫い合わせて反物の形に戻すわけだけど)
どちらかというと中国南方の少数民族の系統の衣装だそうな
絵を見てもわかると思うけど韓服も漢服とやらも、そういう意味では系統が全然違う
子供の服には背縫いがなくて、後ろに「(縫い)目」かないから悪いものに襲われるっていうのがあったんだよね。
だから小さい子供の着物には背守りが縫い付けてあった。
大陸でも南方の系譜をひいてるからこそ、「呉服」という呼び方が定着したわけだからね。
もっともこの呼称も「大陸渡来の服」→「絹織の服一般」→「衣服全般」と変遷がある。
日本で綿花生産がはじまったのは鎌倉の頃で、それまで「木綿」というものはなかった。木綿がないということは「綿(わた)」もなく、したがって「綿入れ」も存在しない。
だから防寒のためには、十二単的に薄い布(絹や麻)をひたすら重ね着するか、でなければ「皮衣(かわごろも)」=皮革製品に頼るしかなかった。
呉服=絹に対する太物(ふともの)=木綿が一般的になることで、防寒着として「綿入れ」の丹前(褞袍)や半纏も確立し、
それを前提に日常的・標準的な服装も再編・安定していったと思われる。
中国の服が伝わる以前の日本は葉っぱ着ていたなどと言っている無教養な中国人は『職貢図』の絵図でも真に受けてるんだろう
あれは中国の学者ですら、弥生期の誤った和人イメージが古墳期まで続いた結果と指摘している
実際、古墳期の日本の服装はご存知の通り、靴も履いていた
809:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/26 11:53:07.53 LeG3o/Ms0.net
「生活様式が変わったから」「不景気だから」というのはよく聞きますが、それは検討外れだと思っています。
生活様式が変わっても、良いものは高値でも流通しているし、不景気でも売れるものはあります。
問題なのは、工芸の「時間の掛かり方」が、経済合理性とあまりに乖離してしまったことです。
技術の習得に時間がかかり、制作にも膨大な時間がかかる。 そのコストを価格に転嫁できなければ、作り手は相対的に貧しくなる。
データが示す「市場の縮小」は、そのまま「真面目な物づくりがバカを見る」状況を表しています。
若手が減っているのではなく、若手が“続けられない構造”になっている。僕にはそう見えます。
今の日本の美術・工芸には、こんな構造があります。支援の手が差し伸べられるのは、二箇所。
1、美大・芸大など教育機関による「入り口」の支援 2、人間国宝の認定など、評価が定まった「頂点」への支援
この二つ、「卵」と「ゴール」の間にある、一番脂の乗った「実働部隊(中堅)」への支援はありません。
810:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/26 13:30:12.19 LeG3o/Ms0.net
着物は唐の模倣したに過ぎないとか短絡的すぎるわ
十二単とか打掛、振袖、浴衣、袴、足袋、草履とか日本の様式だし
織、染め、和柄、独自の文化を生み出してる
和柄はどの時代の中国の服にも採用しにくいデザイン
着物って体型変わっても着付け次第ではしょりや着丈などで調整できるしね
だから親からの着物を着たりできるし
アオザイみたいに100か所以上採寸して、他人どころか本人も体型変わったら着られないみたいなものよりは、フレキシブル
着物は前を合わせてるだけだから、すり足歩きだった当時の日本人には歩きやすい構造
日本は江戸時代という比較的平和な時代が長かったから
都市部は生活に余裕があって着物も時代に合わせ洗練されて行ったけど
近代以後に生まれたK服は時代が浅い事もあって継ぎ接ぎ感が強く
なんで向こうの服は絹使って再現しないんだろうな?
化繊だとスゲー安っぽく見えるのに
李朝は自分たちは明朝の後継者だと自負したぐらいに明朝の引き写し国家
李朝は役人服は中華王朝の絹織物を利用しているから自分たちで作ってない
中国は伝統服は王朝直営の工場で作っていたから王朝消滅ともに技術も散逸
両国がやたら伝統を作ろうとするのはナショナリズムを煽るため
呉と言うのは中国から渡来した絹織物ののことで、素材の名前ね
呉から既製品の衣服を輸入してはいたかもしれないが、当時は反物での取引がメイン
811:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/26 16:26:34.94 LeG3o/Ms0.net
>日本は1月末に咲くものだったんだね
近年日本の花見を真似ただけの韓国人は知らんだろうが
日本にはいろいろな桜があって開花時期も違うんだよな
韓国と違って国土が広く南北に長いから同じ種類でも開花時期は差異があるしな
寒桜だろ
熱海でこの時期ならあたみ桜だろう
そろそろ河津桜も開花するし
3月はソメイヨシノを始めいろいろ咲く
812:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/26 17:30:09.24 LeG3o/Ms0.net
地元経済に金を落とさない(日用品を日本から取り寄せていた)こと、
何よりアメリカにおけるマジョリティであった白人種のキリスト教徒とは、文化が異なる
日系移民と職をめぐって競合していたアイルランド系やイタリア系などといった下層階級が
、日系移民への排斥運動に積極的な役割を果たしていたとされる
1882年に制定され、1902年に恒久的な措置となった『中国人排斥法』は、日本人が中国人に取って代わる
日本では長子相続の慣例が、根強く残っているという背景もあって、
海外で大金を稼ぎ「故郷に錦を飾る」事を目的とした、農家の次男以下による移民が、増加するようになった
813:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/26 18:24:06.47 LeG3o/Ms0.net
単一民族って神話よ
神話が残るほど歴史がある国って事ですよね
世界の国々で、住民が殆ど入れ替わっしまっている国って、どれだけあるんでしょう?
814:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/26 21:22:59.57 LeG3o/Ms0.net
日本とロシアの間の海域では、
その暖かい海水が大量の水蒸気を大気中に放出し、
そこへ寒気が流れ込んだことで、今回の大雪が引き起こされてい
815:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/27 22:39:08.57 3Kch3aS+0.net
昔の映画会社所属のスターは映画会社に大切に守られていました。たとえ映画
出演が無くても生活はきちんと保障されてたし、たしかオードリー
が一本辺りの出演料100万ドル(当時は3億6千万位)保証された
最初の女優でなかったか(あとはたぶんエリザベス・テイラーとかも)
ただスターシステムの弊害はスターのイメージを厳然と守ったことで
それはオードリーの様な外見やファッションに重きをおいたスターに
とって役立った反面、体当たりの演技を要求する映画に出られなかった という不満もあったかと思います
今はご存知の様に各スターはそれぞれエージェント(代理人または管理会社)を持っていて、
エージェントが出演料の交渉その他を行います。
その中の30%位をエージェントが受け取るので、当然出演料の高い映画、または興行収入に応じて配分をしてくれる映画が優先となる。
出演が決まればエージェントと俳優が共同で契約書にサインします
816:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/27 23:06:29.12 3Kch3aS+0.net
オードリーは何を着ても似合うよね。
映画界に初めてファッションモデル的な要素を持ち込んだ女優だった。
だからこそ、あれだけ同性にも支持されたんでしょう
それまではハリウッドとパリのファッション界は全くの別世界だったんだけど、
それらの架け橋となり、両者をくっつけてしまったのがオードリー。
新進デザイナーのジバンシーが、あそこまで有名になれたのもオードリーのお陰だけど、
スタイリッシュなオードリー・ファッションを作り上げたジバンシーもまた偉大。
尼僧物語って、大ヒットして、北北西に進路を取れの、公開が伸びた経緯があって、ヒッチコックが少し怒っていたんだよね。
ヒッチとオードリーって因縁があって、ヒッチ作品にでるはずだったんだけど、裁判劇だったか、暴行されるシーンがあって
オードリーが断ったことが合った。おしゃれ泥棒で、ヒッチの研究本読んでいるシーンがあるけど、そのあたりを知っていると
笑える。
噂の二人は、オードリーの映画だと思ってみると、シャーリー・マクレーンの存在感が凄い
昼下りの情事」
ゲーリー・クーパーに「君は完璧だよ」
(オードリー)は、ちょっと顔をしかめ
「私は痩せすぎ、耳も飛び出してるし、歯並び不良。首も長すぎるわ」と、自分のルックスの欠点を挙げていく。
するとフラナガンは「だが、それらがまとまると素敵だ」
817:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/28 13:46:39.78 b33Cxljl0.net
大英帝国を称賛する人たちを見ると、階級がしばしば完全に忘れ去られているのが不思議だ。
労働者階級なのに「帝国は最高だった」と思っている人もいる。
彼らは、自分と同じ階級の人々がどんな扱いを受けていたかを忘れている。
大英帝国を支配し、利益を得ていたのは上流階級と貴族だった。
富と資源の大半は彼らが所有していた。
多くの労働者は、その恩恵をほとんど受けられず、むしろ多くが命を落とし、過酷な労働条件で安価な労働力として使われていた。
工場労働者が背骨を壊すような仕事をしている一方で、工場主は西インド諸島の砂糖を使い、インドの絹で妻を着飾らせ、中国の皿で食事をしていた。
夜通し地下の不潔な倉庫で、翌日の舞踏会用のドレスを縫わされていた七歳の少女たちもいた
貧しい人々が意思に反してオーストラリアへ送られた、なんて例もある
植民地支配の手法が最初に国内で発明・洗練され、その後海外で使われたという点は、だいたい見過ごされがちだ。
かつては多くの人が「白人」ではなく、自分の民族集団で自己認識しており、その民族性ゆえに差別されていた。
たとえばアメリカでは、アイルランド系、南欧系、東欧系は公然と劣った存在として差別されていた。
イタリア人やアイルランド人は第二次世界大戦後まで完全には「白人」と見なされていなかった。
そして多くの、あるいは大半のアイルランド人は、それをむしろ誇りとして捉えている。
「白人が世界を支配したこと」を誇るよりも、アイルランド人が白人性から距離を取り、反植民地主義を明確に支持する姿勢の方がはるかに一般的だ。
もちろん、実際には多くのアイルランド人が植民地支配の加害側に関わっていたのも事実だけどね。
ドイツでは、人々はドイツ全体よりも州、あるいは地区レベルで自分を認識することが多い。
東西や南北の間には強い文化的差異がある。
WW2後、戦勝国は世界を支配してきた悪事を、他国に責任転嫁し自分達は悪の日独から世界を救った正義設定でやりたい放題してきた
818:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/28 14:14:48.87 b33Cxljl0.net
人間社会の多くには相続というシステムがある
相続するものは財産だけでなく、我々を規定し、拘束するすべての価値観、制度、環境も含まれる
共同体の意識を共有していないと文化だろうが産業だろうが太刀打ち出来ないと深層心理で焦っている
白人社会の地は歴史上満遍なく血塗れだから、ある日突然脆い共同体意識が崩れて内輪で攻撃し合う
819:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/28 16:38:41.71 b33Cxljl0.net
人類として同じだけの時間を使ってその時代の競争に勝ったということなんだからイギリスやフランス、
その他頂点極めたことがある国がそれを誇るのは不健全だとは思わない。
負けた連中は道徳的だから負けたわけでもないしな。
820:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/28 22:58:34.07 b33Cxljl0.net
白人にとってのホームグラウンドって近代入るまでは王国ではなく教会なんだよな
グローバルの概念とかも、俺らにとっちゃ意味不明だけど、あっちでは意外と起源が古くて
十字軍の頃の多国籍部隊や土地の垣根を越えた神官の協力にまでさかのぼるらしい
以前グローバリストと反したときに聞いた話で、これは個人的に盲点だった
だから向こうのインターナショナル系の左派は、国への忠誠が薄くて春秋列国の遊説家・縦横家とかの概念がある中国に親近感を持ちがちらしい
逆にアメリカは南部気質が一所懸命と合致するから、南軍側として叩かれがちな層は大日本帝国のことが結構好きだとか
フランスドイツイギリススペインとか王族貴族の血縁関係が入り混じってるから、白人単位で歴史を誇るのはまあ分からんでも無い
エゲレスが誇るべきはやはり立憲君主制では?まぁ王族や皇族の制限付きの特権と引き換えによる生贄的制度ではあるが、
共和政はアメリカやフランスを見ると統合が弱すぎるし、
強権的な政府や独裁体制は中露を見るに幸せにはなれなそうだ。結局のところ何かの象徴を伴った民主制がバランスが良い
821:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/28 23:46:53.53 b33Cxljl0.net
日本は国土の約70%が山地・森林なので実際に住める平地は国土の約3分の1。ニュージーランドにも同様に山岳もあるにはあるが、なだらかな丘陵地や広大な牧草地が多く、国土の約50%が農業・牧畜に使用可能な土地として利用されている
822:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/28 23:57:52.70 b33Cxljl0.net
日本は国土の約70%が山地・森林なので実際に住める平地は国土の約3分の1。
ニュージーランドにも同様に山岳もあるにはあるが、
なだらかな丘陵地や広大な牧草地が多く、国土の約50%が農業・牧畜に使用可能な土地として利用されている
823:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/29 14:10:19.24 I+hZeYTA0.net
江戸開幕の時点で、皇室から離れて都市開発をした東京が、世界的に見ても異質なんだよ。
放射状でもなく格子状でもなく、幾らでも拡大できる巻貝状の江戸の都市計画。
世界的に見てももの凄く特殊
朝鮮建築の工法では二階屋が建てられない、日本建築の工法だと二階屋が当たり前
そもそも大工が殆どいな、その大工も日本で材木をプレカットしたキットを組み立てるだけ
既に朝鮮時代の文化財を修復する技術も失われている
824:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/30 15:38:02.07 29rWk3RG0.net
―「ユダヤ国家」を自任するイスラエルを、ユダヤ人の立場から批判してきました。なぜですか?
ユダヤ教の伝統と相いれないからです。ユダヤ教は約3500年前に現在のイスラエルやパレスチナの地域で生まれた一神教で、追放や移民による離散を経て世界に広がりました。
神からの言葉と戒めである聖典(トーラー)を共有しつつ、様々な人種や言語のユダヤ人が存在します。
伝統的に、離散したユダヤ人は、救世主(メシア)が訪れたときに聖地に受動的に「戻される」のであって、人間の意思で能動的に「戻る」ことは、神に反すると考えます。
対して、1948年に建国したイスラエルは、ユダヤ人が、神からの「約束の地」である聖地シオン(エルサレムの別名)に戻るべきだ、という信念に基づいた政治運動によって生まれました。
政治運動は「シオニズム」と名付けられ、信奉者は「シオニスト」と呼ばれます。
19世紀後半から、主に東欧のシオニストたちが、オスマン帝国下や英国委任統治下だったパレスチナへと移住を進め、自分たちの国家建設をめざします。
しかし、この地域には既に人が住んでいたので、次第に土地をめぐる争いへとつながりました。現在まで続くイスラエルとパレスチナの紛争の根幹です。
イスラエルは「ユダヤ国家」を掲げますが、正確には「シオニスト国家」であり、本来のユダヤ教とは相反するのです。
―なぜユダヤ教の教えに反する形で、シオニズムという運動が生まれたのでしょう。
そもそもシオニズムは、17世紀のキリスト教プロテスタントの間で生まれた考えです。聖書を言葉どおりに解釈する「福音派」が、
キリストの再臨のためにユダヤ人を聖地に戻すことが重要だと主張し始めました。
ユダヤ人がシオニズムに関心を持ち始めたのは、19世紀後半になってからのことです。オーストリア・ハンガリー帝国支配下のチェコやスロバキア人などが
自分たちの国を持ちたいと考え、ナショナリズムが台頭する中で、一部のユダヤ人も動き始めます
主にユダヤ教から離れ、世俗化した人々でした。宗教的でなかったからこそ、神への信仰ではなく、「民族(Nation)」としてのよりどころを求めたのです。
当初はごく少数派でしたが、やがて公然と差別されていたロシア帝国に暮らすユダヤ人たちに広がりました
ロシアでの境遇に改善の見込みがない中、パレスチナに移住しようという考えが受け入れられたのです。
ただし、ロシアから移住したユダヤ人の大半は北米へ向かい、パレスチナへ移ったのは1%以下にすぎませんでした
さらに第2次世界大戦下のナチスによるホロコーストが、多くの人々に、ユダヤ人が国を持つべきだという考えを納得させました。
■「我々にはイスラエルしかない」という意識 ―世俗的なシオニズムが、「聖地」への権利をどう正当化するのですか?
一部にとっては「神から与えられた権利」かもしれませんが、イスラエル人の多くは世俗的です
825:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/30 15:40:37.00 29rWk3RG0.net
神は存在しない。しかし、神がこの土地をユダヤ人に約束した―矛盾があります。
イスラエル人の多数は、ユダヤ人があまりにも多くの迫害に苦しんできたからこそ、
この土地を手に入れる権利があり、パレスチナ人を追放することも許されるのだと信じています
ユダヤ人はイスラエル以外に行くあてがないが、パレスチナ人は周辺に多数あるアラブ諸国で暮らせるじゃないか、と。
理解しがたいかもしれませんが、こうした考え方が建国以来、一般的に語られてきたのです
826:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/30 20:48:48.84 29rWk3RG0.net
オランダは日本と直接契約を結んでおらず、オランダの東インド会社と契約していたため、ペリーの契約は初めてのことでした
827:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/31 14:02:49.06 +6ZW5Gih0.net
東アジアで発生し、毛髪を太くする代わりに体毛を減らし、汗腺を増やすという適応をもたらした。
828:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/31 14:29:21.85 +6ZW5Gih0.net
急激に変わったのは民族としての「古代~現代」期間ではなく
人一人の人生の中での「幼少期~青年期」までのたったの10~20年程の間
本来なら子を残しやすい美形顔に遺伝子は凝縮されていくはず。ところが整形を始めるとその美形への凝縮は起こらない。
整形を称賛する国では美形に擬態するブサイクが多くなる。
整形する方向が
「顔から韓国人的な特徴を消し、日本人的な顔にする」
日本列島に男を中心とする大量の渡来人が押し寄せ、縄文から弥生人に入れ替わったとする歴史学会の説は否定される。
つまり人種的には従来の日本人(縄文人)に渡来人が来ても同化していったということが結論。
朝鮮の乞食と日本の古事記は全く関係ないぞ
日本の縄文時代の晩期から弥生時代に当たるBC1000年~BC300年の半島の様子は、最古の地理書といわれる中国の「山海経」に記されている。
それには、「蓋国(北朝鮮辺りの国)は倭の北にある。倭は燕(南満州辺り)に属している」とあるので、
そのころは半島南側は倭人が住み、燕に朝貢していたと思われる。
そしてこの「山海経」に韓人を書いていないということは、半島には韓人がいなかったと思われる。
829:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/31 15:03:57.30 +6ZW5Gih0.net
経済は多くの面で非常に非効率的です。イギリスには存在しない仕事もあります。
非常に明白で標識のある出口を案内する人々、明確な建設現場の前に立つ作業員たち。
私たちの考え方では不必要で非効率的です。
しかし、これらの職を担う人々は、日本の考え方で賃金を得て家族を養う機会を持つべきです。
作業員もまた、完全なプロ意識と配慮をもって役割を遂行しています。本当にそんなに悪いことなのでしょうか
830:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/31 20:53:48.67 +6ZW5Gih0.net
華北に進出した契丹や女真の国家はかつての五胡と異なり、漢文化に同化せずに独自の民族的性格をそのまま中国に持ち込んできた。
そのような周辺民族の活動を見て、宋には漢民族として自覚が生まれたと言える。
宋は遼や金を対等な交渉相手とせざるを得ず、その交渉は宋の政治に直結した。
和平を実現したが、遼への贈与の負担は財政を圧迫
831:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/01 00:31:02.23 xFqdJ/Ul0.net
スタジオに多くのゲストがいてどうでもいい感想を言わせるのはいつからだったんだろう?
余計な字幕テロップも無いし、ワイプでわざとらしい芸能人の顔も無かったので、画面に集中できました
昔の番組はこんなに輝き、面白い番組ばかりだったのに…
今はどの番組見ても芸能人が食って遊んでるだけですからね
ワイプの芸能人の「うわうわ」「怖ぇ~」などの声が入り、最後は茶化して終わる、最近のTVはなんでこんな作り方しかできないのか
K口浩探検隊とかY追純一のUFOとか、あの真剣そうな雰囲気が少年の冒険心や好奇心を刺激したものです
なんで俺らは、この当時のよかった思い出を自分たちの子供世代にまともに引き継げなかったのか?
おそらくこの時代の子供、若者の多くは、大人になった後に、次の世代の子供たちよりも自分たちの都合のいい無機質で効率重視の社会作りを優先してしまったように思う。
巨額の利益を上げた企業が日本国民の知性を高める投資をし、次世代が新たな日本を造る。
理想的な好循環が成り立っていた頃ですね
この頃は新聞のテレビ欄見るだけでもワクワクできたもんな〜
832:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/01 14:16:52.38 xFqdJ/Ul0.net
オープニングの構成がよく考え抜かれてるのに感心した。
映画の当時における通常のマタギ猟の様相、集団で巻いて、効率的にライフル使って遠距離から比較的安全に仕留める、という様子を観客に提示している。
これが、この映画の主人公の老マタギ(西村晃)がこれから、単独でマタギ犬と時代遅れの村田銃だけで、
凶暴な人食い熊と対峙して狩ろうとすることの異様さの意味を際立たせているように思う。
オープニングの最後に、現代マタギ猟師の、化繊の現代的な服装と対比的に、昔のマタギの装いで登場する西村の場面で、なんとも言えないものを感じた。
833:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/01 15:08:39.51 xFqdJ/Ul0.net
大陸西側の海岸付近の砂漠は熱帯砂漠と呼ばれ、寒流の影響によるものです。
寒流上部の空気は水蒸気が少なく上昇気流が起こりにくい(=雲が出来にくい雨が降りにくい)ことによるものです。
ラスベガスのまわりネバダ砂漠なども同じかと言われるとそうではありません。
東にはロッキー山脈、西にはシエラネバダ山脈という大きな山に挟まれた盆地に広がる砂漠は寒流の影響は受けにくく
一般的には温帯砂漠と呼ばれるものになります。
山脈の方から吹き込む卓越風の風下となるため、下降気流が生じることから雨が降りにくく乾燥しがちとなること、
あるいは単純に海から遠いことから水蒸気の供給量が少ないことによる内陸特有の乾燥状態にあることなどが原因となります。
1.太陽が真上から照らすところ→すごく暑い→空気が軽くなり上昇(低気圧)→
断熱膨張で冷却される→雲ができる→雨が降る、
2.そこから南北へある程度離れたところ→上昇した空気が落ちてくる(高気圧)→
断熱圧縮で温められる→雲はできない→晴れる
834:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/01 15:18:26.11 xFqdJ/Ul0.net
中国国鉄は、フランスと同様、在来線も新幹線も1435mm。在来線の寝台列車も、適宜新幹線経由にできる。
しかも今は、主要都市間の新幹線が、若干経由地が違う複々線になっているので、交互にメンテナンス運休させることもできる。
片や日本は、東海道新幹線に時間13本も無理矢理走らせて動脈を維持。
財務省と左派系が結託してインフラ投資を抑制したため、こんな差がついてしまいました。
目先のお金をもらうことばかりに関心を持つ選挙は、そろそろ止めにしないと、この国、終わっちゃいそうです。
まあ、日本も完全に欺されたね。
本来ならこれだけの路線建設や設備や車両の莫大な入札に参画できたはずなのに。
彼等は資金を国内で回すという意識がある。国内にある莫大な労働力を有効に使うという意識がある。
835:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/01 15:56:21.28 xFqdJ/Ul0.net
映画表現における独創性や先鋭性は間違いなくカサヴェテス
カサヴェテスの映画のスタイルというのは誰にも模倣できないからだよ。
とりあえずリメイクを作ってみるということすら不可能。
それは小津やブレッソンの映画が誰にも模倣できないと同じ。
ヌーヴェルヴァーグに近い「アメリカの影」だって人間の感情の振れ幅(悲しみや痛みといった感情も含めて)
をきちっと映画描いてる時点でゴダールとかの映画とは全然違う。
ベルイマン初期の「不良少女モニカ」とか「夏の遊び」あたりは
ヌーヴェルヴァーグの作家や日本の中平とか清順とか蔵原に任せても同等以上の作品を作るだろう。
「シークレット・オブ・ウーマン」とか「女はそれを待っている」
あたりのコメディなんかはルビッチやキューカー、ホークス、川島あたりの方がよっぽどセンスのある作品に仕上げるだろうし、
「第七の封印」とか神の沈黙三部作あたりはドライヤー、ブレッソン、
ロッセリーニ、ブニュエルらと比較すればどちらの演出の力量が上かは一目瞭然
後期のホラーちっくな人間心理をえぐったような作品はアントニオーニやポランスキーの方が深くて凄みがあるし、
単純な恐怖描写ならスピルバーグやロメロ、フーバー、カーペンターらのほうがよっぽど面白い演出をするだろう。
黒澤の映画の凄さというのはどちらかと言えば演出よりも脚本の出来によるところが
大きいのでそれなりに技術を持った監督なら模倣は容易だと思われる。
黒澤・ベルイマンのようにシネフィルと一般人に万遍なく受けるってのも小津・ブレッソンには無い長所
836:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/01 19:24:12.12 xFqdJ/Ul0.net
王族の子孫で由緒正しい苗字を受け継ぐ国と奴隷たちが好き勝手に苗字を名乗った国との違い
漢字を忘れて読めなくなった族譜が唯一のよりどころ、哀れだね~
日本は明治維新時に平民にも姓を名乗ることになったように、朝鮮でも日本の一部になったことで大量のヌヒが姓を名乗ることになったが、
日本人では多くが新規のオリジナルの姓を名乗ったのに対して、
朝鮮人は名家の姓を勝手に名乗って家系ロンダリングをやった
族譜の売買が頻繁に行われていたんだと
戦前は姓を強制されたというよりも擬態するため、戦後は日本を乗っ取るために通名を名乗る。
有力者にすり寄るか詐称して「他人にマウント取ろうとした」のが韓国人。
分かり易く他者との区別を優先して「自分アピールした」のが日本人
下の名前は日本の影響を受けた英美(ヨンミ)みたいなのも多い
韓国は「姓」
日本でいう所の「氏」に相当、「苗字」は日本だけにしかない
苗字は1000年頃から存在する、最初は公家や武士から始まったが、直ぐに平民にまで広がる
江戸時代には争い防止から平民は苗字を名乗ることが禁止されたが住民票や過去帳などには名字付きで記録されている。
(「苗字が公称できたかどうか」という問題と「苗字を持っていたかどうか」は全くの別問題)
明治からと言うのは、それ以前までの、姓(氏)と、苗字の二重制度が廃止され、一元化され公称出来るようになったから
藤原五摂家が判り易いが「氏」は全て「藤原」。
近衛・一条・九条・鷹司・二条が苗字に相当。
実際はそれより遥かに分家しているが。
貴族階級の藤原の氏族はふえすぎたので、自分たちの屋敷のある京都の地名を家名(九条・近衛・鷹司・二条・一条等)として区別していた、
源氏、平氏、橘氏も増えすぎて住んでる地域の名で区別していた。また武士階級は自分の支配する土地の地名を苗字として名乗った。
さらに室町時代末には平民階層にまで広がっている、
仕事や役職が苗字に成ったパターンもある、大工、笛吹、村主、巫(かんなぎ)等々1500年代には平民も苗字持ち
朝鮮王は中華冊封(植民地)の現地管理者だから
皇帝のように姓を与える権利がなかった
837:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/01 19:26:39.08 xFqdJ/Ul0.net
家紋とセットになるから、そう簡単に偽りの苗字は作れないんだな
838:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/01 19:31:25.94 xFqdJ/Ul0.net
姓・・・一門 →源、平、藤原など
氏・・・家族 →織田、豊臣、徳川など
名・・・個人 →信長、秀吉、家康など
韓国では姓と名で、氏がない。
日本では氏と名で、姓はあるが普段は意識しない。
数で言えば氏>姓なので、当然韓国の苗字は少なくなる
839:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/01 20:02:17.00 xFqdJ/Ul0.net
名探偵コナンが韓国産だったら、適当に「犯人は李さんだ!」って言えば大体当たるんですね
840:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/01 23:30:41.47 xFqdJ/Ul0.net
モンゴルの日本侵攻と紀元前5世紀のペルシャのギリシャ侵攻
ペルシャ艦隊はチャルキディキ近郊の嵐で壊滅
ペルシアの侵攻はギリシャの都市国家の統一をもたらし、「ギリシャ人」という概念の自己認識
アレクサンダーの帝国もモンゴル帝国も似た運命をたどりました。どちらも実質的な後継計画がなく、
次の支配者を巡って争う将軍たちが帝国を分割し、それぞれの将軍が自分の領土を治めるという結果
841:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/02 14:30:43.13 yes8ZwG90.net
シンガポール人はみんなお金持ちみたいなイメージを持たれてますが、実際は9割が庶民で1割が富裕層です。
大半の庶民は国からHDBという最低限の住居は与えられるけど、20代で一人暮らしなんてほぼ不可能
シェアルームでさえ最低家賃30万
.公営住宅に住む場合、建物ごとに人種やルーツで割り当てが決まってい
その富裕層に元日本の芸人も入ってるんだろうな
あれは、文化人VISAなのでよくスシローで見かけるって現地の人が言ってました
無料で出来る娯楽も公園散歩くらいしかない
相続税を逃れるためにシンガポールに移住
日本については、昔シンガポール支店の日本企業で働いた世代がお金を持つようになり、
内部から見た日本の管理体制を心底信用しているから、シンガポール人は日本製にこだわるそうです。
でもやっぱりプライドは高いので日本に憧れている訳ではなく、システムを賞賛していました
結局呼び込んだ富裕層がどのようにお金を地元に落とすかによって、富裕層のための国にもなってしまう。
かつての先進国が押し並べて豊かだったのは、庶民が真面目に働いて庶民がいっぱい消費する。だから会社も庶民が求めるモノやサービスを提供する。
富裕層呼び込み型の成長だとこのサイクルが働かない。
842:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/02 14:54:08.26 yes8ZwG90.net
kiu
843:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/02 15:24:24.28 yes8ZwG90.net
スパイやゲリラは国際法違反ということに左翼は認識がないし
844:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/02 15:38:58.90 yes8ZwG90.net
マダガスカル島を日本軍が占領して戦艦で通商破壊していれば
中東、インドの英軍とシナは息の根を止められていた
だからこそ英軍が先んじてここを占領した
845:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/02 15:41:18.06 yes8ZwG90.net
インドネシア人が独立で一番感謝してたのはアメリカだよ
オランダが再占領に来てインドネシア追い詰められた時アメリカがオランダに経済援助停止を通告したから独立成功した
インドネシア自体が侵略国家で東ティモール問題筆頭に隣国植民地支配しまくっているし数々の虐殺事件起こしているからな
東ティモールは海底ガス資源あるんで豪州が煽って独立させた場所だった
フィリピンで市街地を爆弾で更地にしたものアメリカ軍
日本には当時そんな無駄に使う弾薬もガソリンもなかった。これも全部日本がやったことに今でもなってる
846:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/02 16:19:40.74 yes8ZwG90.net
インドもパキスタンと分離して争ってるうちは英国も安心だけど、手を握ったら絶対に植民地時代の賠償を要求される
パイロットの練度も異常で急降下爆撃で命中率80%叩き出したりしてる
エンジン馬力に対して極端に機体が軽かったゼロの空戦能力が敗退し始めるのは、ヘルキャットのジャイロと呼ばれた自動照準装置だった。
ヘルキャットは、自動照準装置でゼロをロックオンすると、コンピュータが自動計算を行い機体が自動移動して照準を
合わせることが出来た。なおB-29の対空機関銃もコンピュータによる自動照準装置だった。
赤十字(あるいは赤新月)の付いた病院や車両は保護対象だが、航空機は対象になってないはず
重慶は軍事都市だったし各国の大使館もあったから慎重にやりました。
何年も爆撃して死者1万ちょっと ゲルニカも千人ちょっと。
アメリカの全土戦略爆撃は、そんなのとレベルが違う戦争犯罪。
軍事施設は民間人居住地から離すとか、戦時には住民を避難させるとか)は、一義的にその国の軍隊の責任だからね
これを怠ると、「人間の盾」にしていると非難されても仕方がない
シッタン作戦日本兵は意図的にワニのいる沼や川に追い込まれて殺された
ボルネオ島の戦いでも同島の首刈り族をイギリス軍がそそのかして日本兵を狩らせまくってる
賎民の子孫だから、軍人(本来は貴族の職分)の名誉とか解さないのかな
847:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/02 22:50:44.35 yes8ZwG90.net
純血のアメリカ人(じゅんけつのアメリカじん、英語: American ancestry)とは、
自分自身を純粋なアメリカ人だと考え、
先祖の血統に関心を持たない、あるいはそれを否定するアイデンティティを指す。
848:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/03 15:03:00.88 aCcj8ieT0.net
イギリス人は貴族的すぎて日常の雑用をこなさず、単純労働を誇りに思わなかったためドイツ人を招き入れました
1870年から1913年までの10年ルールで市民権を剥奪しました
「多くの人は周囲に溶け込むために名前を英語化したんだ。」
ある意味で、イギリス人でさえドイツ人です。ローマ帝国の崩壊の際、アングル人やサクソン人など多くのゲルマン部族がブリテンに移住し、
その一部はイングランドに編入されました。
また、別のゲルマン部族であるフランク族がガリアに移住し、フランスに変えました。別のドイツ部族であるゴート族はヒスパニアに移住し、
スペイン貴族の中核を形成しました。別のドイツ部族であるヴァンダル族もスペインに移住し、
アンダルシアに定住しました。ヴァンダル族はイタリアや北アフリカにも定住しました。
ゲルマン部族は「(Völkerwanderung)」と呼ばれることを行い、中部ヨーロッパからあらゆる方向に広がり、時を経てさまざまな民族を築きました
特に2‐8世紀のゲルマン諸族の)民族〔大〕移動
Ⅱ戦後逃亡や追放によるドイツ民間人の総死者数、ソ連での強制労働を含む数は50万から60万人
東ヨーロッパには1700万人以上のドイツ人が住んでいました。ドイツに到着したのはわずか1,200万人でした。公式には「わずか」1400万人が追放されたとされています。
連合国は事実上のジェノサイドを隠蔽しました。虐殺が起こり、難民船は冬に沈み、多くは逃げる途中で凍死したり飢え死にしたりしました。
なぜドイツはドイツ系の人々を帰国させる代わりに、100万人から300万人のムスリム難民を好んだのか?
ドイツには依然として帰還権の法律があります
849:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/03 15:16:43.68 aCcj8ieT0.net
北太平洋の中緯度を東流する海流は、北アメリカについてそこで南北に分かれます。
南へ別れた流れた海流はカリフォルニア沿岸を南下します。
北から来た海流ですから冷たい寒流となっています。
夏にカリフォルニア沿岸のサンフランシスコへ吹く風は、寒流に冷やされるので風に含まれる水蒸気が霧になります。
沿岸で霧を吐いた空気は、海岸山地を越えてカリフォルニア盆地に乾いた気候をもたらします。
カリフォルニアが夏乾燥の地中海気候となるのはそのせいです。
サンフランシスコの700km沖合をカリフォルニア海流という「寒流」が流れていて、西から暖かく湿った空気が通過する時に
この寒流によって冷やされるので「層雲(霧雲)」が発生し、これが地上に達すると「霧」となります。
この冷やされた気流と霧による太陽光の減少によって
サンフランシスコでは夏の8月でも、最高気温が20℃程度にしかなりません。
この霧の発生の仕組みは「移流霧」と呼ばれるものです。
盆地などで、放射冷却によって冷えた地面によって
湿った空気が冷やされて発生する「放射霧」とは仕組みが違います
850:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/03 16:09:28.48 aCcj8ieT0.net
西海岸沿いのスペインとロシアの小さな衝突。ある時点でモスクワのスペイン大使がロシアの入植意向を監視しており、
これが特に18世紀半ば以降のスペインの探検遠征を加速させました。
これがスペインがカリフォルニアに入植した主な理由です
サンフランシスコ朝はスキー、午後はウォータースキーをして、その後素敵な夕日を眺めて、どこか素敵な場所に出かけます。
人気があるのも無理はありません。今後もコストはさらに高くなるでしょう
ロサンゼルスは週末の夜に奇妙な雰囲気を醸し出します。私がこれまで訪れたどことも違います。
情熱と死の感覚のようなものだ。貧困と富の混在は衝撃的です。
カリフォルニアが特定のネイティブアメリカンの部族を完全に壊滅させたことを言い忘れていますね。
また、アイルランド人や中国人の奴隷が存在し、特定の倫理集団に対して厳しい抑圧法が存在します。
さらに、戦時中にカリフォルニア州が強制収容所を連邦政府に働きかけ、アメリカの無実の日本人を他州に送るよう働きかけました。
最後に、多くのメキシコの農民がカリフォルニア政府に土地を違法に奪われました
メキシコ政府が著しく無能で虐待的かつ腐敗していた
カリフォルニオ族はあらゆる民族の人々がメキシコに反対し、アメリカ合衆国への加盟を支持していました
851:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/03 16:57:43.17 aCcj8ieT0.net
カリフォルニアには約600万人のアジア人がいます。カリフォルニアの人口は4,000万人です。
多くのフィリピン人人口を持つ唯一の州
ハワイには約100万人の混血のアジア人がいます。人口は200万人未満
ハワイが学業成績で良くない理由は、アジア系のミックスに加え、東アジア系も含めているからです
フィリピン人がアメリカ中のほとんどの病院で働いている
1950年代にはに中国人食料品店がありましたが、今はもうありません。
子どもたちは医師や弁護士になることになる。
ニューメキシコ州をアメリカで最もヒスパニックが多い州
ニューメキシコ州ではヒスパニックが48%で、非白人ヒスパニックは40%
サンフランシスコで津波警報が鳴ると(毎週火曜日の正午にテスト)、英語警報の直後に広東語の翻訳が流れます。スペイン語は使えません。
852:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/03 18:00:03.59 aCcj8ieT0.net
ヨーロッパの国籍起源は白人の間で依然として一般的であり、ほぼ5人中3人の白人が祖先の質問に対して1つ以上のヨーロッパ諸国を挙げています。
...しかし、かなりの割合の白人は単に「アメリカ人」と答え、合衆国の建国に祖先をたどり、その先祖が13植民地に住んでいた人々のことです
2020年の国勢調査で「アメリカ人」カテゴリーを廃止した際に単に「イングリッシュ」と認識
アメリカが独立するのは避けられなかった。それはイギリスのDNAに刻まれている、自己決定権です
現代のアメリカでは国籍があまり重要視されないため、
多くの白人は単純化されたアメリカ化された人種的アイデンティティに満足しています
多くのドイツ人は砂糖大根テンサイ甜菜の栽培方法を知っていたため、中西部や平原に連れて行かれ、
カリブ海産のサトウキビへの依存を減らしました
ドイツ人がこれほど大規模にいるとは思いもしませんでした。アメリカが第二次世界大戦でドイツを支援しなかったのは驚きです。
ドイツが「統一」したのは1870年代になってプロイセン帝国でした。争い合う州々が存在しました。
ドイツ人のアメリカへの大規模な移住は1776年以降に始まりました。多くのドイツ人は南北戦争後、
迫害や戦争から逃れるためにここに来ました。彼らは旧祖国への忠誠心をほとんど持っていませんでした。
ポーランド人の統計にも問題があります。19世紀にはポーランドは地図上に存在しませんでした。
この国はロシア、プロイセン(ドイツ)、オーストリア・ハンガリーの三つの勢力に分割されていました。
そのため、場合によってはポーランドからの移民がロシア人、ドイツ人、オーストリア人として登録されたのです。
アメリカにはノルウェー系の人がノルウェーより多いし、アイルランド系の人がアイルランドよりもはるかに多いです
アイルランド人は明らかに過剰に計数しています。実際のところ、19世紀には、識字率が高くプロテスタントであれば(イギリスのどこから来ても)イングランド人としてカウントされ、
そうでなければアイルランド人とラベル付けされていました
ネイティブアメリカンの人口は、イギリス人が到来するずっと前からおそらく700万人以上存在
853:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/03 18:03:18.88 aCcj8ieT0.net
国勢調査における「アメリカ人」のアイデンティティは、市民権ではなく民族や祖先を指します。人はアメリカ市民であっても、民族的にはアメリカ人ではありません。
アメリカ国民とは、祖先が元の13植民地に住み、イギリスからの独立を支持し、
アメリカ合衆国とその憲法の確立に貢献した人々のことです。世代を経て、彼らは後の移民グループだけでなく、
自分たちのヨーロッパやアフリカの先祖の移民起源とも引き離されていきました。時が経ち、文化的な違いが生まれたことで、彼らは独自の民族集団となりました。
これにはアメリカ独立を支持した自由黒人と奴隷制の黒人の両方が含まれます。ファースト・ネーションズにとっては、
独立戦争時にアメリカ側についた者だけがこの建国の遺産の一部と数えられる。当時、ほとんどの部族はヨーロッパからの独立に反対していた
市民権と民族は同じではありません。一方は合法的で、もう一方は先祖のものです
854:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/03 18:12:07.39 aCcj8ieT0.net
アフリカ系アメリカ人が自分の祖先を知らない
西アフリカのさまざまな地域間で混ざっています
855:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/03 18:21:01.38 ejtwP0i00.net
You.Tubeで大宮公園のピースくん見てからお茶にするかな
856:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/03 18:21:34.54 aCcj8ieT0.net
アフリカの西部海岸、。15~19世紀
穀物海岸(グレインコースト 胡椒海岸が正しい
象牙海岸(アイボリーコースト コートジボワールはフランス語で象牙海岸
黄金海岸(ゴールドコースト
奴隷海岸(スレイブコースト
857:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/03 22:02:30.85 aCcj8ieT0.net
11の国のアメリカ史 岩波
アパラチアン
カウボーイ レッドネック カントリーミュージック
ウエストバージニアから西へ ケンタッキー テネシー ミズリー アーカンソー オクラホマ テキサス
英国の辺境地域から大アパラチア地域への入植がはじまった。この地域への入植者はみずからを生粋アメリカ人と答える場合が多い。
「大アパラチアは、北アイルランド、イングランド北部、スコットランド低地の、
戦争で荒廃した辺境地帯から相次いでやってきた粗野で好戦的な入植者の一団によって18世紀のはじめに創設された。
(中略)ブリテン諸島ではこの文化は、ほとんど絶え間のない戦争と動乱状況の中で形成され、
戦士的倫理観と個人の自由や個人主権を強く重んじる風土を育んだ。
これらのボーダーランド人たちは、貴族や社会改革者についても同じように強い疑念を抱いて、
北東部ヤンキーの教師、中東部の領主、深南部の貴族を軽蔑した
アパラチアの人びとに出身国やエスニシティを尋ねるとき、彼らはたいてい決まって「アメリカ人」あるいは
「生まれつきの(ネイティヴ)アメリカ人」と答えるのである」。
彼らは、南北戦争では北軍に与して戦ったが、
南部再建に当たっては反北東ヤンキーに転じ、中東部や深南部の勢力と同盟を形成したという。
四百年前の清教徒革命前後に、まず英国王の圧政に苦しんだ清教徒たちが国を逃れて北東部ヤンキーの基礎を作り、
革命後には逆に王を支持して破れた貴族たちが国を後にして南部の基礎を作った
殺し合いまでした相入れぬ価値観を持つ二つの勢力が米国の南北それぞれに別のを建設
しかも南北の境界地帯にも個性的な背景を持つ人々が少し遅れて植民地を建設し、その時々にあるいは北にあるいは南に付いてキャスティングボートを握り
ヤンキーピューリタンは、急進的カルヴァン派の系統を引いており、そのため傾向としては民主主義的でリベラルだが、急進的改革主義、自分たちの正しさを前提とした他地域の積極的な啓蒙
ピューリタンのボストンへの入植は理想郷の建設に燃えた
深南部は「生まれながらの序列と身分」、「エリートは尊重されるべき」という身分制
奴隷制こそが真の貴族のみによる民主主義を可能にすると嘯く深南部支配層
プロテスタントでも中庸なクエーカー教徒は 教会」でなく「集会
絶対的平和主義を主張
ペンシルバニアを作った(その後内陸アイオアまで拡張ミッドランドとなる
西海岸はヤンキーの入植によって成立したが、その後の歴史的過程でアパラチアの個人主義が加味された
結果北東部のヤンキーとは違った心性のネーションになった
公的な場でもTシャツ半ズボンでOKな西海岸とネクタイとスーツが欠かせない東部
長年無視されてきたエルノルテ(ヒスパニック)が人口増大して勢力を伸ばしている以上、
事実上の失敗国家であるメキシコで何か起これば、メキシコ北部と西海岸のエルノルテは自立してしまう
858:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/03 22:44:20.92 aCcj8ieT0.net
フランスのケベックへの入植は、インディアンとの融和的
ケベックから五大湖からミシシッピ川南下ルイジアナ
東海岸と南北ミシシッピー川の間にアパラチアン山脈にインディアン移住地
859:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/04 00:43:24.46 VodKC8Wy0.net
寺島実郎
政治を『稼業』とする人間が増え、2世3世議員のように政治を『家業』とする集団と、
知名度で担ぎ出されたタレント議員が代議者として多く存在しています」
「第1の政治の季節に大きな影響を与えた一人が丸山真男でした。
彼は、政治を職業政治家集団の専有物にしてはいけないと訴え、多くの人の心を動かしました」
―今や日本は経済も精彩を欠いています。 「経済の季節が続く中で『埋没する日本』にもがいています
。日本経済が世界GDPに占める割合が最も多かったのは、
政治改革が実現した94年の18%でしたが、今は3%台になっています
残念ながら、経済セクターのリーダーの劣化も指摘しなければなりません。かつては、政治をにらみつける経済人が日本経済を牽引(けんいん)していました。
ところが、いまは国に補助金や助成金、税制での優遇などを期待する姿勢の経営者が増えました」
「世界的な傾向ではありますが、政治家、政党は、選挙での票を集めるためのポピュリズムに傾斜しています
カギになるのは、民主主義を支える『公共』をどう実装するかです」 「まず、提案したいのが、若者の選択的社会貢献制です。
『国家』と『個人』の間にあるのが『公共』で、それなしには社会は成り立ちません。
戦前までの『滅私奉公』への反発もあって、戦後の日本では『公』を忌避する風潮がありました」 「徴兵制がないことは素晴らしいことです。
徴兵制ではなく、国民的意思として、就業する前の青年期に地域貢献、子育てや教育、看護・介護、医療・防災、食と農、国際貢献、
防衛など、主体的な判断で選択させ、1年間それぞれの現場で貢献し、経験を積むことの制度化を提案します
860:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/04 00:48:46.80 VodKC8Wy0.net
そして、経済界、企業にも新次元での公共への貢献を求めたい。日本の法人企業は、
今世紀に入ってから収益性に徹し、配当金と内部留保が大幅に増大しています。
上場企業が行う自社株買いは16兆円規模になっています。内部留保や自社株買いに充てる資金の一部を、
ファンドとして預託し、その運用で公共性の高いプロジェクトを支えるために活用する制度の導入を検討すべきです
「私は政治家や政党の合従連衡といった政治の上部構造には関心がありません
世界がこれまでの秩序や法の支配を失うように見えるいま、日本は非核平和を志向する民主主義国として、
世界からの信頼を得るしか生き残る道はありません。
政治の下部構造での国民的な議論で、そうした真っ当な方向性を出すことです」
861:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/04 01:57:12.18 VodKC8Wy0.net
最も多い先祖はドイツ人であり、ドイツ系の人口が4,284万人と総人口の15.2%を占めている
次に多いのは、アイルランド系であり3,052万人、10.8%、
第3位は、アフリカ系アメリカ人黒人、2,490万人、8.8%となっている。
先祖がイギリス人と認識している米国人は2,451万人、8.7%、第4位
イギリス人を祖先としていても生粋アメリカ人であると考えている米国人2,019万人、7.2%、第5位
次に多いのはヒスパニック系の中心となるメキシコ人を祖先とする人口であり、さらにイタリア、ポーランド、フランス、そしてアメリカ・インディアン
アジア系では、中国系が227万人で最も多く、これに韓国系119万人、日系110万人、ベトナム系103万人
ドイツ系の住民が目立っているのは、イギリス系クエーカー教徒が創設し、
その後多くの国から様々な信条の者を受け入れたミッドランド地域である。
「多元的で中流階級を中心に組織されたミッドランドはアメリカ中西部の文化とハートランドを生んだが、
そこでは民族的な純血や思想の純粋性は決して優先されなかった。
政府は歓迎されざる侵害者とみなされ、政治的見解は穏健
17世紀から18世紀にかけて
プロイセン王国(ドイツ帝国)およびオーストリア帝国(神聖ローマ帝国)の失政続きのため
ミシガン湖西岸のミルウォーキー ビール生産地としても有名であり、ブルワーズという球団名も醸造家を意味
862:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/04 14:30:36.65 VodKC8Wy0.net
なぜ東カリフォルニアに住むアメリカ人は西カリフォルニアに比べて少ないのか
山火事、地震、ガラガラヘビやクマが至る所にいて、夏は極端な暑さ、雨や雪の多い冬
シエラ山脈の東側の谷はかつて多くの牧場、農場、果樹園の拠点でした。彼らは砂漠ではなく、今も砂漠ではありません。
雪の中からもたっぷり水を得た。その水の少なくとも15%は東側に流れています。オーウェンズ湖(110平方マイル)とモノ湖(70平方マイル)、その他多くの高山湖がありました。
しかし、マホランドが牧場主や農民を騙して「鉱物権」を売らせ、その中に水の権利もこっそり含めて売らせたことで状況が一変しました。
このことを知った彼らは裁判を試みましたが、裁判所はすべて彼に支払われており、法的費用を支払う余裕がありませんでした。
その谷はかつて美しく生産的な牧場や農地でした。今では彼らの水はすべてロサンゼルスとサンディエゴに送られています
北部と南部、または沿岸部と中央の谷の対立です。北カリフォルニアには南カリフォルニアのような砂漠がありません。
863:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/04 14:41:58.55 VodKC8Wy0.net
カリフォルニア(サンディエゴ)は1542年に発見されました。当時は決して定住されていませんでした。
なぜなら、メキシコから陸路でカリフォルニアへ向かう途中、広大な砂漠に遭遇したからです。
ロシア人がカリフォルニアの土地を主張し始め
864:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/04 17:19:28.60 VodKC8Wy0.net
アパラチア山脈の先端にあるノバスコシアはかつてベタスコシア(つまり実際のスコットランド)と繋がっていました。
スコットランド高地はアパラチア山脈の一部です
ジョン・デンバーが「生命は古く、木より古く、山より若い」と言ったとき、彼は科学的に正しかったです
スコットランド北部ハイランド地方にあるネス湖
多くのスコットランド人入植者が新世界に来た際、
アパラチアのブルーリッジ山脈ジョージア州からペンシルベニア州に定住したのです。
青い色合いが故郷の山々を思い出させたからです。
テネシー州スコットランド系の血筋を多く持っている
アパラチアテネシー州のベン・ローモンド
スコットランドの同名の山
タスマニア島やニュージランドにもある
865:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/04 17:55:36.25 VodKC8Wy0.net
ケルト人たちはクラン(=氏族)と呼ばれる、血縁で結びついた一種の原始共同体を営んでいました。
それが中世の封建制度の発展とともに、氏族よりも領主への忠誠と義務が重んじられるようになります
同じ色のタータンを着ることを命じまし
度重なる衝突が頂点に達したのが、1745に起きたカロデン・ムーアの戦い
イングランド人からすると野蛮人とみなされていたスコットランド人のタータンは、軍隊と植民地の奴隷用衣装とされ
この敗戦を契機にアメリカやカナダへの移民となる者も少なくなく、皮肉にもタータンが海外へ広まるのです
866:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/05 13:33:55.24 lds7ELwg0.net
17世紀末から繰り返された、英仏植民地戦争(
1754年~63年イギリスとフランスインディアン戦争
イギリスが勝利し北米大陸植民地東ルイジアナを拡大したものの
イギリスでは戦争でふくらんだ支出は植民地から回収すべきだという考えから、アメリカ植民地に対する課税を増大させた
ついにアメリカ独立戦争勃発
またフランスにおいても対英戦争による支出の増大はブルボン朝の財政を苦しめることとなり、フランス革命の勃発となる。
867:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/05 13:45:52.89 lds7ELwg0.net
原慎太郎氏が、
都知事辞職の記者会見(2012年)で
「南鳥島沖でレアアースを発見したが、通産省がやらせてくれない」と悔しそうに話されてました。
高市政権発足4ヶ月で一気に採掘まで辿り着けた
868:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/05 22:43:54.83 lds7ELwg0.net
砂糖が普及する前の甘味料としては蜂蜜
イスラーム圏で用いられていた砂糖がヨーロッパに知られるようになったのは、十字軍運動を通じてであった
ポルトガルは1500年にブラジルを獲得すると、サトウキビをマデイラ島など大西洋東岸の島々から移植し、砂糖プランテーションの経営を始めた。当初は、
インディオを強制労働させるインディオ奴隷制を行っていたが、徐々にアフリカからもたらされる黒人奴隷労働を使った
ブラジルは砂糖が衰退した代わりに金鉱が発見されたため、息を吹き返し、次にコーヒーを主力
茶・コーヒー・チョコレート
歴史上、「砂糖革命」と呼ばれる現象がありました。17世紀から19世紀にかけて、新世界にサトウキビ栽培が導入され、砂糖の生産量が大きく増えた現象を指す言葉です。
最初はブラジルにサトウキビのプランテーションが形成され砂糖が生産されるようになり、
それがブラジルに移住していたイベリア系ユダヤ人(いわゆるセファルディム)によって、カリブ海にも伝えられます。
このようにして新世界が一気に砂糖生産の中心地になっていきました。17世紀から19世紀にかけてカリブ海地域一帯の砂糖プランテーションに向けて、
大勢の黒人奴隷が西アフリカから連れてこられ、
彼らがサトウキビを栽培し砂糖を生産、製糖された砂糖を輸出するようになります。
砂糖の需要が激増した背景には、18世紀にイギリスで大流行した紅茶の存在があります。東インドから大量の茶が輸入されるようになり、
その茶に入れられたのが、カリブ海地方、とくにジャマイカ産の砂糖でした
1776年にアメリカがイギリスから独立し、イギリスは北米大陸の植民地を失いました。これはイギリスにとって政治的には大きな痛手となりましたが、しかし経済面から見れば、
新世界でより重要だったのは、北米大陸ではなく西インド諸島でした。それはもちろん西インド諸島が砂糖の生産拠点だからです。
そして、これらの島々がいくつかが後のタックスヘイブンになっていくのです
869:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/06 13:45:26.41 LZR1LGJh0.net
中国の文化大革命や大躍進により中国人が大量に香港に不法入国した「大逃港」が起きて
当時の香港人は彼たちを同情し香港英国政府が彼たちを送還しようとした時多くの香港人がそれを阻害した
結局香港にいる中国難民が一気に増え香港の福祉がだんだん中国難民に奪われて香港人の生活が苦しんだ中で
中国共産党は香港左派や中国難民を利用して
香港のストライキしてる労働者を利用して「六七暴動」と言う赤色テロが起きてしまい
中国共産党に利用された難民たちは、土製爆弾を使い無実な香港の児童まで殺した
最後は六七暴動は鎮圧されたが多くの香港人が中国共産党の侵攻に恐れて
香港を後にし、世界に逃したその後香港の親中勢力が壮大し
「香港独立」を謳う香港本土派が抹殺され
更に六四天安門事件は多くの香港人が哀悼することにより
香港は「中国の内政」に陥れた
香港はあの頃から「中国領」となることに決められた
中国に統制された後、自主権が失われて中国政府に毎日150人の中国人を受け入れさせられ
香港反送中でも、香港本土派が声が上がらなく「中国民主化」を謳う「中国民主派」だけの舞台になった
870:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/06 15:31:53.49 LZR1LGJh0.net
1イースト・アングリア、ロンドン北東の港からピューリタン(清教徒)が、主に新大陸東北部のマサチューセッツなどニューイングランド
2ロンドン南部と南西部から、チャールズ1世時代の王党員や年季奉公人が、南部のヴァージニアに
3ウェールズ人のクェーカー教徒が、デラウェア渓谷やペンシルヴェニアに移住
4北イングランド、アイルランド、スコットランドの国境地帯の人々は、現在のワシントン西部やアレゲニー台地といった辺境
ニューイングランドのピューリタン入植者集団は中流階級の出身者であったが、クェーカーは
中の下に位置していた。ピューリタンは自分たちより貧しい階級の者を共同体から排除したが、クェーカー教徒は貧困階級を受け入れた。
平等主義
地位を持った人に出会った際に、帽子を脱いで敬意を表すといったことも拒絶。そのかわりに、日常的な握手は誰とでも交わした
ドイツやオランダ、スコットランドなどからプロテスタント系の移民、インディアンに対しても同等の人間として接し
ペンシルヴェニア州フィラデルフィア「友愛」は独立革命の原点であり、1776年、で独立宣言
871:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/06 20:40:33.82 LZR1LGJh0.net
ウィリアム・フォークナーが1955年に来日して述べた言葉。
「百年前、私の国アメリカ合衆国は経済的にも文化的にも一つではなく、二つに分かれた国がお互いに激しく対立し、
九十五年前どちらの側が勝っているかを試すために戦争になりました。私の側、南部はその戦争に負けました
我々の土地も家も征服者によって侵入され、私たちが負けた後も彼らは居残りました。
私たちは負けた戦争によって打ちのめされたばかりではありません。
征服者は私たちの敗北と降伏の後十年も南部に滞まり、戦争が残した僅かなものまで略奪していきました。
戦争の勝利者たちは、人々のコミュニティとしても、
また民族のコミュニティとしても、南部を復興し再建するための、どんな努力もしませんでした。」
「私は、戦争や災いというものは、それに遇したほとんどの人間に忍耐と強さをもたらすと信じています。
私たち南部では故郷を喪失するという災いの後に、優れた作家が復活しました。(中略)私は信じています。
ここ日本でもよく似通ったことが、数十年間のうちに起こることを。あなたがたの災いや喪失から、
世界の人たちが話を聞きたいと思うような新進文学者が次々と誕生するでしょう」
872:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/07 00:41:03.98 UKpJTKr50.net
ラ・サールはヌーベルフランスに到着した
当時のヨーロッパ人は、自分たちは、アジアの香辛料の原産地からそう遠くないところにいると思っており、
ラサールは、その経路はインドに通じているのだろうと考えた
873:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/07 01:06:10.77 UKpJTKr50.net
ゲルマン人は、大きく分けて
東ゲルマン人(ゴート族など)
西ゲルマン人(フランク族など)
北ゲルマン人「ノルマン=ヴァイキング」
の3つに分けられます
日本人って言うグループに北方系があれば大陸系もあり,南方系があるみたいなもんです。
ゲルマン人の移動とスラヴ人の移動はほぼ同時期(4世紀~)。
移動して出て行ったゲルマン人の代わりにスラヴ人が移動するという感じ。
フランス・ノルマンディーあたりに定着し
時代とともにフランスと同化し、ノルマン・コンクェストの頃は、ほとんどフランス人です。
その後、イギリスにやってきノルマン朝を開きます。
874:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/07 11:00:11.46 LdHLAR/V0.net
You.Tubeで大宮公園のピースくん見てからお茶にするかな
875:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/07 18:04:00.62 UKpJTKr50.net
スペイン継承戦争 重要 宗教的対立ではない
16~17世紀のヨーロッパの戦争は、カトリック国対プロテスタント国(諸侯)という宗教対立が軸となった宗教戦争を基本的な性格としていたのに対し、
18世紀からの戦争は王位継承問題に伴う主権国家の領土をめぐる争いであり宗教は対立軸ではなくなっている
プロテスタントであるプロイセン公国はこのときカトリック国オーストリアを支援し、その功績で神聖ローマ皇帝からプロイセン王国となることを認められている
フランス・スペイン軍が劣勢となり結果としてフランスブルボン家のスペイン王位は認められたが、
表面的な勝利者はオーストリアのハプスブルク家であったが、
実質的には最も大きな利益を得たのはイギリスであり、アシエント(奴隷供給権)の獲得などで繁栄の足場を築いた
876:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/07 18:28:40.54 UKpJTKr50.net
オーストリア継承戦争
神聖ローマ皇帝位 ハプスブルク家の家督継承
オーストリアとプロイセンの対立を軸として
イギリスが前者を、反ハプスブルク家のブルボン家フランススペインなどがプロイセンを支援
オーストリアの弱体化を図ったフランスの企ては見事に失敗し
オーストリアはハプスブルク領の一体性を保持し、神聖ローマ皇帝位も確保した。
877:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/07 19:11:40.05 UKpJTKr50.net
二陣営の中で対立軸の中心となったのはオーストリア領をプロイセンが奪取しようとした領土問題
878:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/08 00:47:59.27 G0C55fzB0.net
イギリスの場合、宗教的圧迫を逃れた植民という側面があるが、スペインなどの場合、国王主導の宗教十字軍的な側面がある
南米の独立運動はクリオーリョ(植民地生まれのスペイン人)が中心。本国の搾取に対する反抗。
革命家ボリーバル(ボリビアの語源にもなった)は大農園の息子。共和主義も自由もスローガンにすぎず、
インディアンや黒人を搾取する封建的大地主制度は残った。
ラテン・アメリカが発展しなかったのはこういう事情がある。
南部では農業生産が中心で本国との取引が多い。大農園農業。一方、北部は生産性が悪く、
あまりいい農産物もなかったので生活必需品も自分で作るような自営農民社会。独立独歩精神が涵養され、工業が発展
領地が西へひろがっていくと、南部の発言権は落ちていく
イギリスは、大帝国として発展するが戦費など財政負担も大きい。植民地に税
独立戦争のあと、6万人の王党派がカナダに逃亡
パナマ運河を必要としていたアメリカは、パナマを領有するコロンビアとの交渉が難航。そこでパナマ住民に反乱を起こさせ、パナマ独立。
879:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/08 11:42:01.34 G0C55fzB0.net
神聖ローマ帝国はローマ教皇に支持された皇帝を認めた国家、あるいは地域であり
西暦800年のカール大帝の戴冠まで遡る。フランク王カールは当時のカトリック社会をほぼ統一したため、
東方のギリシャ(正教会)にいる東ローマ皇帝の代わりとしてローマ教皇に担ぎ出されたのである。
ここにローマ、ゲルマン、カトリックが融合した独自の文化圏が政体として成立し、帝国はこの伝統を1,000年に渡って受け継いだ
。一方で東方からはローマ帝国と認められず、中世を通して「フランク」と呼ばれ続けた。
神聖ローマ皇帝は最高権威をローマ教皇と二分し
その実権は封建制の下で制限され、
880:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/09 09:28:36.51 63laIwdw0.net
古代ギリシャ・ローマ: 捕虜や奴隷、犯罪者にスティグマ(stigma)と呼ばれる印を刻み、その地位を固定しました。
古代中国(黥刑): 犯罪者の顔などに文字(「囚」など)を彫り、社会から追放・排除する刑罰として用いられました。
19世紀のフランス: 1832年、それまで行われていた熱い鉄による焼印に代わり、タトゥー(針による刺青)が犯罪者の識別コードとして導入されました。
旧ソ連: ソ連の収容所(グラーグ)では、タトゥーが受刑者の階級や犯歴、権威を示す「通貨」のような役割を果たしました。例えば、「星」は権力への屈服を拒むこと、「猫」は熟練の泥棒を意味します。
アメリカのギャング文化: 1930年代以降、アメリカの刑務所やストリートギャングの間でタトゥーが一般化しました。
881:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/09 09:48:51.29 63laIwdw0.net
封建社会の頂点に立つ皇帝が支配するという意味での神聖ローマ帝国は
枠組みだけはかろうじて残っていたが
中世的封建制帝国から近世的領邦国家連合体へと長い時間をかけて変わっていく。
イタリアは小勢力同士が衝突しつつもルネサンスが花開き、ドイツの影響から離れていった
神聖ローマ帝国はイタリアに宗主権を主張し続けたものの、帝国秩序の中に置くことは殆ど諦めてしまった。
政略結婚と買収によって
フランス王国では神聖ローマ帝国とは逆に中央集権化が進み、王権が強化されていた
百年戦争の勃発により一時衰えたが、終戦後に盛り返して
882:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/09 11:12:53.23 63laIwdw0.net
神聖ローマ帝国は「ローマ」の名を冠しながら、ドイツを中心とした国家であった。
そして、その名称故に常に皇帝はイタリア経営を目指したため、
ドイツは分裂が続き、また皇帝はローマ教皇との度重なる抗争を続けることとなった。
これがヨーロッパ中世史の軸の一つである皇帝と教皇の対立である。
883:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/09 11:35:31.98 63laIwdw0.net
分割相続のため西フランク、東フランク、中部フランクの三つに分裂
第1回十字軍はイェルサレム占領に成功したこともあってローマ教皇の権威が一段と高まり、
同時にイベリア半島ではレコンキスタが展開
「ドイツ人の東方植民」の動きは、地中海方面での十字軍運動、イベリア半島でのレコンキスタなどと並んで、
西ヨーロッパの三圃制農業の普及などの農業生産力の向上、人口の増加に伴う、開拓・開墾の進行という、
ハプスブルグ家など有力なドイツ諸侯が登場した。
また、バルト海沿岸では、十字軍運動のなかから生まれた宗教騎士団の一つであるドイツ騎士団が皇帝と教皇の勅許を得て植民活動を行い、
原住民のプロイセン人 バルト・スラブ人やフィン系民族の居住地に対しキリスト教化
改宗してドイツ人化するか、隷属または逃亡するか、さもなくば追放されるかせざるをえなかった
キリスト教世界の膨張運動の一環と見ることが出来る
キリスト教教会は中世においては一定の平和維持機能の役割も果たしていたことは、
「神の休戦」が呼びかけて領主間の争いを調停することも行われた。
884:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/09 18:35:47.64 63laIwdw0.net
地方の封建領主の力が強く、王権は弱体であったが、12世紀頃から次第に強大なものになっていった。
その背景には
カペー朝の歴代の王は比較的長命で個人的資質もあり、そのうえ、すべて男子後継者に恵まれていたため、
生前中に後継者を決めることができた、というのである。これは単純な要因ではあるが、
王位の継承問題は諸侯がつけ込む最大のチャンスであるから、たしかに重要な点である。
しかし、理由はそればかりではない。カペー家の本拠地であるイル-ドゥ-フランスが経済的に豊かなため、
都市から貨幣を調達することが容易なこと、また経済力があるからこそ可能なのだが、
法律の専門訓練をうけ「レジスト」(法曹家)と呼ばれる新しい知識人を王の側近として登用
法を楯に結婚、相続、領地の交換などあらゆる手段に訴えて、勢力の拡大につとめた
こうしてカペー朝は絶対主義への道筋を開いた
885:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/10 11:09:54.83 q3Mw5C2q0.net
旭日旗は天照大神という日本の神話を天皇家が取り込んでるわけだ。
天照大神ー日巫女(卑弥呼)ー天皇家。
国造りの根本的な問題で、日本人の宗教観でもある
天照大神と岩隠れの神話に基づく太陽信仰なんだよね。
旭日旗は戦前からある
海軍旗になる前から祭とか祝い事で紅白の縁起の良いデザインとして使われてたんだよ大漁旗
とかに描かれてるのもそっちが先で縁起の良いデザインを海軍が後から採用しただけ
70年代の俺んちは共産党支持だったんだが祝日になったら日章旗を玄関に立ててたのを覚えてる
銃口からではなく嘘から始まるアカのプロパガンダw
騙されるかは貴方の知能次第
韓国だけ狂ったように文句を言い貶めてくる。中国は政治的圧力をかけれる時に乗っかってくる印象かな
886:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/10 13:36:51.63 q3Mw5C2q0.net
当初は旧教徒と新教徒との対立軸で、最後にして最大の宗教戦争であった。
第2段階からオーストリアハプスブルク家とフランスブルボン家という国際的な対立軸に転換
封建領主層は没落し、ドイツには神聖ローマ帝国という中世が解体され、プロイセンとオーストリアという主権国家が形成
ただし、17世紀のウェストファリア条約の段階は、主権国家が成立していたが、
それは各国の君主が絶対的な国家主権を行使する「絶対主義」(絶対王政)であり、
明確な国民意識や国境線で区切られた領土、国民軍、さらに国民主権という概念やその政治機構などを特質とする
「国民国家」が形成されるのは18世紀後半のフランス革命に代表される市民革命の時期を待たなければならない
また、欧州の範囲にとどまっていればこの体制は有効だったが、19世紀後半から植民地問題が加わり、
帝国主義段階となると国家の暴走を止められなくなり、
また非ヨーロッパ諸国が台頭してくると、この体制は機能しなくなる
887:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/10 14:41:27.48 q3Mw5C2q0.net
重金主義
重商主義の初期の形態で、金銀の蓄積を国力の中心とする思想。金銀貨幣の蓄積をはかるため、
国内の鉱山の開発に努めたり、海外からの金銀の獲得につとめ、
またその国外流出を抑える政策。16世紀のスペインに典型的に見られる。
重商主義
国家の冨の源泉を貨幣の量に求められると考え、貨幣獲得を経済政策の主眼とする
商業を重視して国家統制を加え、あるいは特権的な商人を保護することによって富を得ようとした
888:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/10 19:40:59.78 q3Mw5C2q0.net
近代的な主権国家間の戦争ではないので、国家間の戦争ととらえると本当の姿を見誤ることになるので注意を要する。
端的に言えばこれはプランタジネット家とヴァロワ家のフランス王位をめぐる争いに、封建諸侯の領地争いが重なったものである。
イギリスとフランスという二つの国家の国民が戦争をしたのではない。
封建領主が没落し王権が強化されることになった。国王のもとで統一的な国家機構がつくられ、
いわゆる絶対王政を出現させ、領土と国民を明確にした主権国家が形成される契機となった
イギリスでも百年戦争に続くバラ戦争によって封建領主の没落が進んだことによってテューダー朝の絶対王政
封建社会とキリスト教教会という中世ヨーロッパを支えた二本の柱が揺らぎ始め、次の大航海時代・主権国家の時代へと移行していくこととなる。
当時のヨーロッパ情勢も要因としてあげられる。中世のヨーロッパでは国王間で王位継承や領土問題で対立が生じた場合、
ローマ教皇に仲介を依頼するのが通例であった。ところがローマ教皇が国王間の対立を調停する能力を失っていたことが、
この戦争が起こり、長期化した背景にあげられる。
ドイツでは神聖ローマ皇帝が1356年に金印勅書を出して帝国の分裂状態は固定化
百年戦争の終わった年、1453年には、東ヨーロッパでは、オスマン帝国によるコンスタンチノープル陥落によってビザンツ帝国が滅亡した年である。
また、この時代は北部イタリアでルネサンスが展開されていた時期であって、ビザンツ帝国が滅亡したことによって
多くのギリシア人の古典学者が、イタリアに逃れたことによって、フィレンツェなどの
イタリアの都市文明がビザンツ・イスラーム文化と接触し、ルネサンスの興隆に大きな役割を果たしたことも忘れてはならない。
いざ作(1339)戦
一夜でゴミ(1453)
889:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/10 19:47:36.99 q3Mw5C2q0.net
ドイツ王と神聖ローマ皇帝は事実上、同一
ドイツ王がローマに赴き、ローマ教皇からの戴冠を受けて
初めて神聖ローマ皇帝となるとされていた(そのためイタリア経営に熱心だった
890:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/10 20:28:36.03 q3Mw5C2q0.net
ノルマンディ公ウィリアムの征服によってノルマン朝が成立したことであり
つまりイギリス王は国王であると同時にそのフランス領はフランス国王から与えられた形式になっているので、
フランス王に臣従しなければならなかった
フランスで王朝が断絶したことで血縁関係からイングランドの王がフランス王位継承を主張しましたが、
フランス側がその要求を退けたことで両者に対立が生じた
近年の研究では、百年戦争をイングランドとフランスという二つの国家間の戦争と捉えていない。
むしろ戦争の結果として、国境と愛国心を持った二つの国家が誕生したとされている。現在の「国境」に近い、
ある土地では一人の王の支配権しか行使されないという概念は、13世紀末以降の英仏で誕生したものである
ジャンヌ・ダルク
ヘンリー五世 (シェイクスピア)
891:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/10 21:40:06.31 q3Mw5C2q0.net
4~6世紀のゲルマン人の民族大移動の時期には北ヨーロッパに止まっていたが、8世紀ごろから人口増加は始まり、
9世紀になるとさかんに海上に進出して海賊を兼ねながら交易に従事するようになった。
ゲルマン人の一部のノルマン人が、9~11世紀に北ヨーロッパから各地に移動を行い、中世社会に大きな変化をもたらした
彼らは、フランク王国の分裂に乗じて、海岸を荒らし回り、さらに底の平らな船で川を遡り、内陸深く侵入
戦士として優れていた彼らは封建諸侯の傭兵として重宝されるようになり
ノルマン人は征服活動を展開したが、その地の先住民の文化と同化し、ノルマン人としての個性を維持することは少なかった
南イタリア及びシチリア島は地中海の中央部に位置するので、地中海世界の最も政治的に重要な地域だった
ローマ帝国崩壊以後、南イタリアは、さまざまな民族の支配を受け、小国が分立する状態が長く続いていた
文化を輸出輸入するための窓口の役割を果たすのである
このような異文化集団の共存を可能にしたのは、この地に住む人々の宗教的・文化的寛容性ではない。
強力な王権が、彼らに対する攻撃や排斥を抑制していたからである。
したがって、戦争や争乱のときには必ずと言ってもよいほど、異文化集団に対する略奪や攻撃が行われた
892:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/10 22:12:16.91 q3Mw5C2q0.net
日本だと、皇位は血統によって継承されるが、中華の皇帝は武力で奪い取れる
893:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/11 12:42:38.73 9i5SHJEx0.net
ポエニとは、北アフリカに住んでいたベルベル人と、フェニキア人の融合した民族
894:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/11 14:16:33.12 9i5SHJEx0.net
他の多くの国は『独立記念日』がありますが、日本は『建国記念の日』なんです
895:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/11 15:33:09.19 9i5SHJEx0.net
イタリアのポー川などアルプスの水が流れ込んでいるのが、冷たい理由です。
地中海のヨーロッパ側はアルプス水源の水が流れ込むので冷たい が温かい所(スペイン)もあります。
アフリカ側は水は温かいです。
サハラ砂漠を通り抜けたナイル川は蒸発してしまって、暖かいですがしょぼい川になっています。
水温29度はエジプトの紅海の平均水温
ロシアのドン川、ドニエプル川など黒海が水源になっているから冷たい
黒海と名付けられた黒い色が、なぜギリシャではあんなに透明になるかというと、イスタンブールのボスポラス海峡に、
フィルターが設置されていて透明にしているからです。日本の鹿島建設の技術が大きく貢献
896:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/11 15:52:16.13 9i5SHJEx0.net
国旗がアレクサンダー大王がシンボルとして用いた「ベルギナの星」だったため、ギリシアの歴史を盗んでいると非難し、
マケドニアに国名と国旗の変更を要求するとともに、国際連合への加盟を阻止しました。
ギリシアはまた、民族的な面からも意義を唱えました。
現在のマケドニア人は6~7世紀に入植したスラブ人の系統で
つまり、古代のマケドニア人とは民族的につながりがありません。スラブ人国家がマケドニアと名のることに反発を覚えるギリシア人は少なくないのです。
マケドニアは結局、国旗を変更し、国連への加盟の際には「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」という、暫定名称を用いなければなりませんでした。
「北マケドニア共和国」に国名変更することで合意しました
897:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/11 21:59:17.02 9i5SHJEx0.net
始めはインディオを奴隷として使役したが、かれらは過酷な労働と白人がもたらした感染症で人口が激減し、労働力不足が起こった。
それを補うものとして、17世紀中頃からアフリカから多数の黒人奴隷がもたらされた。
フランス革命の影響がおよんだことと、本国スペインがナポレオンに征服されたことを機に中南米地域の独立運動が活発となり
その動きはヨーロッパのウィーン体制を揺るがすこととなった。
アメリカ合衆国にせよ、あるいはスペインの元植民地にせよ、言語はこれらの国々を本国から分化する要因ではなかったことである。
叛旗を翻した当の相手と言語、出自を共通にする人びとによって指導された
突然に18の別々の国家に分裂したのかという問を立て
ラテンアメリカ諸国が、共通のスペイン語という言語を使用しているにもかかわらず、一つの国家として独立しなかった理由は、
これらの新生共和国が16~18世紀の行政上の単位であった事をその理由として上げている
898:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/11 22:22:00.73 9i5SHJEx0.net
ポルトガルが支配した国はブラジルとして一つにまとまってるけど、
スペインが支配した国はみんなバラバラに分裂
スペイン時代4つの副王領だった
そして世界的に見ても山脈がある場所には統一国家が出来にくい
中央アメリカは一つの国になる予定でしたが、
メキシコ政府は超大国が隣国になることを恐れ、それを実現しようとしていた人物の計画を潰しました。
分割統治する英国を参考にして、分裂させたのだろう
899:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/12 15:02:08.69 dNIIaeSM0.net
アルゼンチン人は自国を選良であると思ってきたが、こうした優越感と劣等感はその選良意識の裏返しであり、
強い愛国心の称揚の一方で行われる自国への強烈な批判は、
国家が自分に十分な誇りをもたせてくれるには足りない存在であることの裏返しである。
こうしたことの起きる原因としては、19世紀半ば以来の自由主義化、
ヨーロッパ化がアルゼンチン国民全体に受け入れられるような国民文化を育てることができなかったためだといわれている。
ただしガウチョのような例外もあり、アルゼンチン人はガウチョであることを誇る
900:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/12 19:24:08.46 dNIIaeSM0.net
教会に、聖母マリアを飾られているのは、カトリックで、
十字架だけを飾られているのは、プロテスタントだ。
キリスト教は、基本的には、厳しい父性の宗教だが、
カトリックは、聖母マリアを始め、母性の要素を入れている
901:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/12 22:58:52.03 dNIIaeSM0.net
中国の巻物の一つである『魏の歴史』は、
日本から遠く離れた国が存在し、たどり着くまでに丸一年かかるという日本の証言を記しています
902:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/13 15:05:25.81 tALi4UX+0.net
共産主義者に支配されるアジアへの危惧を共有していた二大国が、やがて衝突する軌道の上に乗ったのである。
いったい、どちらが責められるべきか-アメリカか日本か?
アメリカはまた、ハル四原則のような道義的立場を固持することの偽善性をつとに感知し、認めるべきであった。
アメリカの同盟国であるイギリスは、インドやビルマにおいてそんな道徳を実行していなかったのだし、
当のアメリカも、中央アメリカにおいてモンロー主義を維持するための「砲艦外交」を行うなど、自らの要求に背反する行為をあえてしていたのである。
・そのうえ、アメリカは、自己の基本的な利害に重大な関係を持たないもの-中国の安全保障-を最後の瞬間に当たって外交政策の基調としたため、非常な外交的ミスを犯すことになってしまった。
(中略) アメリカの主要な敵はヒトラーだったはずである。このことを率直に蔣介石に通告しさえすれば事はすんだのに、
逆に彼の要請に屈して、極東に戦争をひき起こすような政策に自らを導いていった-そして事実上は、かえって、中国を捨てることになったのだ。
・もっと重要なことは、日本をナチス・ドイツと同類視してしまったために、アメリカの外交官たちは祖国を完全に性格の異なる二つの戦争に巻き込んでしまった。
一つはヨーロッパにおけるファシズムとの戦争だったが、もう一つの東洋の戦争は、白人の支配から自由になろうと望む、東洋人の願望とつながるものだったのだ。
「日本人のあいだに被害者意識が根を張り、この戦争の最大の犠牲者は自分たちだと多くの者が思ったとしても驚くにはあたらなかった。
皇軍が遠い異国で見知らぬ民を襲って町や村を廃墟にした話などよりも、
自分自身の惨めさのほうがはるかに身近で感覚的にわかりやすかった」
903:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/13 19:08:25.01 tALi4UX+0.net
これまで日本で語られてきたのは、ニューイングランド的な"洗練されたアメリカ"でした。明治に渡米した内村鑑三
リベラリズムに基づいている。GHQがもたらした日本国憲法しかり、革新主義から出てくるアメリカと言い換えてもいい。
過去の白人キリスト教ナショナリズムは、支配的多数者としての自信に基づき、少数者を差別する形態を取っていた。
対して、今日のそれは、社会的影響力の喪失への危機感と、既得権益を奪われつつあるという被害者意識に基づいている。
福音派にはもともと黒人差別や女性蔑視といった傾向が内在しています。とりわけ南部にはそんな意識も含め、
キリスト教を根幹にした「古き良き文化」やそれに基づく生き方を守りたいと考え、近代化・世俗化に反対する人たちがいる
イラク侵攻の目的はイラクの「民主化」とアメリカは言いますが、「イスラエルを敵対視するイラクや他のアラブ諸国を民主化し、
キリスト教化することで、イスラエルを守る。
これは福音派にとって、神の終末の約束に忠実であることを意味した
イラク侵攻の目的はイラクの「民主化」とアメリカは言いますが、「イスラエルを敵対視するイラクや他のアラブ諸国を民主化し、
キリスト教化することで、イスラエルを守る。これは福音派にとって、神の終末の約束に忠実であることを意味した
リベラリズムが機能するためには、言論活動を通して合意や妥協点が見出せるという前提が必要だが、基本的に現在の福音派はこの前提を共有していないからだ。むしろ福音派は、
終末論的な世界観のなかで、対立する相手をサタンや悪魔の支配下にあるとみなす傾向があり、妥協が困難になる」
904:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/13 19:11:19.78 tALi4UX+0.net
福音派のイスラエルの熱意は、実はユダヤ民族の繫栄や福祉を求めるものではないとわかる。
彼らにとってイスラエルは・・・イエスの再臨をもたらす重要な鍵の一つでしかない
905:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/13 22:00:42.25 tALi4UX+0.net
イギリスの200年間にわたる植民地支配下で引き起こした人工的な飢饉で、1億人以上のインド人が命を落としました。これが、19世紀初頭から20世紀半ばまでの200年間、インドの人口増加がほぼ停滞していた理由がわかります。
インドは1947年に独立し、その直後1950年代から急速に人口増加が始まりました
906:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/14 12:12:09.16 6XAU4/uh0.net
オリエント、インド、中国が文化圏を成し、その周りをトルコ系、チベット系、蒙古系の遊牧民が取り囲んでいて、
文化圏交流の回廊となっているだけでなく、それら遊牧民は文化圏に侵略し時として政権を簒奪
ペルシャ湾あるいは紅海からインド洋、マラッカ海峡を、インドシナ沿岸を経て日本及び中国華南にいたる海路が徐々に優越し、
これに伴って経済の中心が移っていく。さらには、その海路によって西欧列強のアジア侵略が為され
ローマ帝国が崩壊し封建的割拠の時代に入るやいなや隣地西アジアにおいてイスラム帝国による統一がなり、貧窮化する欧州を後目に繁栄を謳歌する。
中国で宋が出現し商業を大発展させ繁栄し始めたタイミングで隣地日本では鎌倉幕府が創設され、商業化を忌避する自給自足経済に閉じ籠ろうとする
宮崎博士はそうした隣接地域間の時代変化のタイミングのリンクは偶然ではなく因果関係が明確にあるとし、それは金銀の流出入の関係だという。
つまり、イスラム帝国の繁栄と欧州の貧窮化は表裏一体で、それは欧州から金銀が西アジアへと流出し続けた結果なのだと。
宋と日本も同様で、日本の金銀が中国へと流出していたとする。
喜望峰回りの航路が開拓されることで中東を交易が通過しなくなり、それによってオスマントルコは文化的にじりじり衰退
マホメット時代のイスラム王国統一によって、旧宗教の信奉者が中国に逃れた
907:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/14 12:13:39.21 6XAU4/uh0.net
宮崎の際立った特色は、その景気史観にある。宮崎はアジア諸民族の栄枯盛衰を叙するにあたり、貨幣の流通量に注目する。例えば
古代秦漢帝国の繁栄は周囲から金塊が流入した結果であったが、中国における金の相対的低価格が金の流出を招き、三国以降の中世は貨幣不足によって不景気な物々
交換時代に逆行、自給自足の荘園が普及した。ところが絹、茶、陶磁器などの西方輸出が増えると大量の銀塊が流入し、大唐帝国の隆盛に貢献した。
宮崎によると、世界には三回のルネサンス現象があった。第一は西アジアのアッバス朝治世下におけるイスラム都市の繁栄である。第二は中国の宋王朝の下で西アジ
アから伝わった自然科学が飛躍的に進歩し、中国社会が近世化した。最も遅れたのは欧州である。中世の欧州はローマ帝国末期から起こった銀塊の東方流出によって
深刻な不景気に長く苦しんだ。欧州が一気に近世を駆け抜け最近世を迎えたのは新大陸で発見された膨大な金銀が流入して空前の好景気をもたらしたからにほかなら
ない。好景気で沸く欧州では産業革命が起こり、軍事力が飛躍的に増強され、欧州列強によるアジアの植民地化が始まった。
908:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/14 20:11:18.97 6XAU4/uh0.net
秦が六国を滅ぼし、書物を焼き捨て、儒教を葬ったことで、中国文化と正統的な儒教は断絶されました。
彼らの本当の目的は中国文明を奪い、インドに似たカースト制度を導入
秦が成立した当初、墨家は幻滅し、徐福は薬を求め、中国の血と職人技を守るために五百人の墨家の子孫を扶桑に連れて行った
満州清朝が良くなく、漢化を回復する必要があると思うなら、
ロシア化した共産党を排除し、漢化を回復すべきです
最大の問題は、20世紀に中国共産党が中国人を疎外したことを批判する勇気がない点
トルファン近郊の炎山にある千仏洞の壁画は、ロシア、イギリス、ドイツなどからの強欲な商人によって盗まれ、
西洋に売られたが、海外に運ばれた壁画は結局博物館に大切にされ破壊されなかった。
一方、残った壁画は「壊れた四古」で破壊された。
909:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/14 21:56:21.08 6XAU4/uh0.net
民間人を標的にして敵の降伏を誘発するというドクトリンは、
第二次世界大戦前、世界中の航空関係者の間で広く受け入れられた概念
910:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/15 00:05:36.90 cKQnCvGU0.net
◇新羅本紀
弥生後期〜古墳時代
295年
春 王が臣下に向かって
『倭人が、しばしばわが城邑を侵して来るので、百姓が安じて生活することができない。
私は百済と共に謀って、一時海を渡って行って、その国(倭)を討ちたいが、皆の意見はいかがか?」ときいた。
これに対して、舒弗邯、弘権が
「われわれは海戦に不慣れでございます。冒険的な遠征をすれば、不測の危険があることを恐れます。
いわんや百済は偽りが多く、常にわが国を呑み込もうと野心をもっておりますから、かれらと共に謀ることは困難だと思います」と答えた。
王はこれを聞いて「それもそうだ」といった。
911:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/15 01:01:18.98 cKQnCvGU0.net
金印は贈答品じゃない
日本から届いた書類の印を見て本物かどうか確認できるようにするためのもの
だから、たまに回収して新しいのを渡した
912:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/15 12:49:17.03 cKQnCvGU0.net
多神教(インド・中国・日本等のアジアは奴隷制がなくここで停滞
奴隷制における奴隷救済の意識(ここで宗教意識
奴隷制を可能にした生産力の高い地中海地域近辺(ギリシャ・ローマ文明
中世の三圃制地域から資本主義が発生
三圃式農業
ルマン諸族の原初共同体が「略奪戦争を生業とし、(遊牧民ではないが)放浪しつつ、それに三圃式農業と牧畜を組み合わせていた
ミラノで城砦内の人口集中がいちじるしくなったのは十世紀後半以降だった。城砦内の家屋の価格や賃貸料が急激に上昇しだした。
賃貸契約には、商人、両替商、手工業者などが盛んに登場する…けれども、市民とも呼ばれるこれらの商工業者は市政のなかで正当な位置づけをもっていなかった。
ミラノの場合、市政を法的に牛耳っているのは大司教および上・下級騎士だった。
市民と騎士層の対立が激しくなった。一時は武力対決もあったが、1067年に両者の和解が成立
《精神のない専門人》
《心情のない享楽人》
《数字のロマンチシズム》
913:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/15 12:49:47.71 cKQnCvGU0.net
動物裁判とはなにか(被告席の動物たち;処刑される家畜たち;破門される昆虫と小動物;なぜ動物を裁くのか)
法廷に立つブタ、破門されるミミズ、モグラの安全通行権、ネズミに退去命令
第2部 動物裁判の風景―ヨーロッパ中世の自然と文化(自然の征服;異教とキリスト教の葛藤;
自然にたいする感受性の変容;自然の観念とイメージ;
914:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/15 13:28:54.96 cKQnCvGU0.net
ヨーロッパ中世の荘園制下の農村では、個々の農民の耕地が個別に存在するのではなく、
村落全体で耕地を何分割かし、それをさらに帯状の耕地に細分して農民が耕作するという開放耕地制
円滑に実施するためには、土地利用の複雑なコントロールが必要となり、領主権力増大に影響
中世末期のイギリスで、三圃制農業の普及などを背景に生産力が向上
農業生産力の向上は、余剰生産物の商品化を通じて貨幣経済
中間層の独立自営農民がヨーマン yeoman
を成長させ、イギリス革命の原動力となっていく。
915:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/15 18:28:27.60 cKQnCvGU0.net
ユダヤ人総人口1,517万人のうちイスラエルに687.1万人、米国に600.0万人と合わせて85%
916:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/15 22:17:36.70 cKQnCvGU0.net
ハプスブルク家の力が弱まれば、辺境国のプロイセンが台頭し
プロイセンといえば、プルシャンブルーの発見、日本で広重ブルー、葛飾北斎のブルー
七年戦争当時はプロイセンの歩兵と砲兵とはこの染料で染めた青い制服
ベルリンブルーと呼ばれることも多い
スペインで弾圧を恐れてキリスト教に改宗したユダヤ系の人たちが、金融資産管理の能力を買われて王家に仕え、
そのあたりからポルトガル、スペインの大航海時代の覇権が始まり、彼らがまたオランダへ流出し商業が盛んになりインドネシアに進出、
イギリスがスペインに対抗してオランダ独立を援助し今度はイギリスが台頭という大きな流れになってますね
後からドイツ、ロシアにいたユダヤ人とロンドンのThe Cityからもユダヤ資本がアメリカに集合してパンアメリカの時代
917:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/16 00:51:39.67 lntLDeRo0.net
唐の太宗も高句麗を二度征服したのでしょうか? その理由は、
当時高句麗が貧しい朝鮮よりも豊かな中原への拡大を望んでいたからです。
高句麗は朝鮮半島の政権ではなく、遼寧
高句麗と高麗は全く異なり、三韓族の戦闘力はひどいです。一つは技術の不足で良い武器を作れず
もう一つは馬が少なく、遊牧民のように乗馬や射撃ができないため、歴史上の朝鮮人の戦闘力は非常に低いです。
存在できる理由は完全に、少数、貧しい、あまりにも貧しい人々のせいです。
漢人は農耕民族であり、東北アジアで農業に適した土地をすべて併合していました。
北朝鮮は基本的に丘陵地帯で農業には適していないため、保存されています
北から始まったすべての王朝は必然的に半島の内政に介入し、南から始まった王朝は半島に関心がなく
モンゴル人は大陸に元朝を樹立し、漢民族を支配しました。第一級市民はモンゴル人、二級市民は朝鮮人(現在の朝鮮人)、三級市民は漢民族でした。
当時、元代では高麗様式が流行していました。
元末期には、「高麗スタイル」と呼ばれる「高麗スタイル」が多くの地域(現在の北京)で流行し
高麗の朝貢女性や宦官が元朝に入った文化交流
今や偉大な土地を持つ国々は侵略なしに偉大な国になったと言われています
918:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/16 01:50:58.98 lntLDeRo0.net
高句麗は中国人が北方に設立した地方自治体でした。 高句麗の創始者である朱蒙は中国語の発音です
中国文化では、家族の葬儀で純白の服を着るという意味です。 だから純白の服は縁起が悪い
古代朝鮮人はいつも白い服を着ることにこだわってきました
半島の胸なし衣服が完全に姿を消したのは1960年になってからでした
儒教を実践する中原や朝鮮は、権力と政治闘争を極端に行使した。
神を崇拝する西ヨーロッパは、神を信じるビザンツ帝国を略奪し、再び植民地時代を開いた。
共産主義を叫んだソ連の役人たちは最終的に腐敗し、多くの社会資源を占拠した
919:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/16 02:01:32.57 lntLDeRo0.net
清朝統一史」には「花瓶島、綿花島、尖閣諸島は清朝の領土ではない」と記されています。
1885年から1945年の間に、
248人の日本人が工場を開き、60年間尖閣諸島に住みました。当時、どの国も抗議しませんでした
第二次世界大戦後、人民日報は「中国共産党は『尖閣諸島は日本の領土であり、アメリカの領土ではない』
と主張しています。
尖閣諸島の米軍は日本領を離れるべきです! !
920:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/16 11:15:35.60 lntLDeRo0.net
一神教はユダヤ教から始まり、キリスト教となり、イスラム教となった。 一神教は造物主を唯一神として神との契約を結び収入の1割を教会に寄付する。
だからユダヤのラビが国際金融資本家となった
一神教に対抗し唯物史観を信仰するゼロ神教で一神教の呪縛を絶った。
資本論の嘘は、資本家でも労働者でもあり生産者でも消費者でもある人という存在を、
悲惨な労働者を救済するという名目でプロパガンダ(嘘)で分断したこと
社会という言葉は、福沢諭吉の作った言葉だそうです。
元は、ソサエティですので、階級のはっきりしていない日本には、当てはまる言葉がなかったのです。
日本文明には階級が無いと、福沢諭吉は見ていたのでしょう。
そして、日本にあるのは「世間」です。世間は、助け合い譲り合うものです。
近代西洋哲学などを好む人がいます。
しかし、西洋人の生活様式の中にはキリスト教がガッツリ入っていますので、全体を見る事は出来ません
その欧米中心主義から抜け出したのは、レヴィ=ストロースがほぼ初めてなのです。
921:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/16 12:40:44.74 lntLDeRo0.net
シーア派は血統を重視し、スンニ派は実際の言行を重視すると言う意味で、
キリスト教において伝統とローマ教皇の権威を重視するカトリックと、
形式にこだわらず聖書を重んじるプロテスタント
922:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/16 17:34:17.42 lntLDeRo0.net
1972年の裏取引 中国が賠償を捨てた“本命”
日本政府には苦しくても「賠償」できちんとケジメをつけてほしかった。「数京円」は明らかにふっかけですが。
そもそも1979年に開始された対中ODAは、1965年に締結された日韓基本条約の「経済援助方式」を踏襲しています。
「日本は経済協力、相手は実質的な賠償と見做す」というものです。
しかし中共は、「自分達は賠償を放棄してやった」と、国内向けに宣伝してきています。今や中共は、日本の3兆円、
輸出信用を含めれば6兆円に及ぶ対中ODAなど、まるでなかったことにしています。
そして学校では、「自力更生」により現在の経済成長を成し遂げたかのように教育しています。
他方で日本に対しては、「ODAは日本経済にとってもメリットの大きい互恵的なもので、賠償とは別」と強弁する始末です
。満州や遼東半島に置いてきた国家インフラ、個人、民間の資産の方が賠償できる金額より多かったって
923:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/16 17:37:35.65 lntLDeRo0.net
せめて日本政府は、対中ODAが如何に現在の中国の礎を築いたかについての強力なメッセージの発信をしてほしい。
それに口をつぐむ媚中派議員や経済三団体の政商たち
924:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/16 18:01:42.54 lntLDeRo0.net
稲作と言っても弥生時代からは気候的に寒くコメは弱い植物なんで
五穀って言って冷涼な気候でも育つ稗や粟とかも等しく神から生まれた植物として価値が高かった
朝鮮半島の場合、華北や東北地区(満州)の畑作、遊牧の民が流入したが肉食の民だから稲作が起こる可能性は
なく、気候的にも稲種や稲作が華中から北上することもない。
しかし、である。朝鮮半島にはタロイモ栽培がない。
日本の縄文時代後期からの中心的な農耕は(陸)水稲とタロイモのセットである。そしてそれはラオスから
ベトナムからフィリピンから環太平洋文明圏では普通の農耕と食料である。
長江文明人(南人)は黄河文明人(漢人)
白米食で起きる脚気が江戸患いと言われた理由は武士の給与は米で支払われ、日常的に食べていたと同時に
米を現金に替えてたから、一般に出回ってたから蕎麦を食べる事で脚気対策となった
楽浪帯方郡滅亡時の遺民はガチで当時最先端の技術を備えていたから優遇されたが、
それから数世紀後の、百済や高句麗滅亡時の難民は命からがら日本にたどり着いた連中だから、
当時、未開の東国に集団で強制移住させられて開墾等、労苦に従事させられたらしいね。
925:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/16 19:58:35.62 lntLDeRo0.net
始皇帝の先祖は周王家に仕えてた馬飼い周王家はチベットの遊牧民と手を組んでた
つまり始皇帝の先祖はチベットの略奪遊牧民
縄文人と混交して倭人を形成しすることになる呉の遺民(紀元前5世紀半ば
百越系民族 呉は南方系が強くてパッチリ二重で蒙古襞を持たない
だが日本人は寒冷地適応を受けた蒙古襞持ちの目が小さい人がかなりいる
技術の輸入は別に日本が下だとか言う話じゃ全然ないからね
帰化人は大和朝廷に管理されて技術を利用される立場だからね
古代の大和朝廷は古墳時代にしっかり溜め池掘削や古墳造成の労働力を朝鮮半島で確保してた
287年 夏四月に倭人が一礼部を襲う。1千人を捕虜にして立ち去った。
朝鮮文字)がパスパ文字、契丹小字をもとにしたものであり、 しかもカナより600年遅れて作られた
焼肉メニューはモンゴル語ばかり
朝貢」は、仁徳 南宋との交流を反映したものと思われるが、返使の派遣を「朝貢」と表すのは、誇大表現
雄略 新羅は歴代臣を称し朝貢してきた
926:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/16 20:26:21.86 lntLDeRo0.net
呉服は中国から絹が流通するようになって
中国の漢民族の服を参考に日本人がデザインした物です
稲作文化の長江文明で最河口に呉と越って国があって
そこは「呉越同舟」の語源にもなってるようにどっちも海洋国家
日本には呉(くれ)という街
日本人に北方系が多かったらこんなんl低身長にならん
日本人は世界的に見てインドネシアやボリビア系の南方に次低身長の遺伝子
日本に建築技術を伝えた金剛組は、梁から百済を経由して日本に渡来
5世紀に中国の史書に書いてあったように倭人が攻めてきて特に半島南西部に根付いた
彼等が韓人女性に産ませた子供は韓腹倭人と呼ばれてた
なおこの地は継体天皇の時に行われた任那四県割譲の地と一致している
927:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/16 20:34:18.16 lntLDeRo0.net
文字としての漢字は中国が作った。それは単語であり意味を含む。
日本で漢字を取り入れた時、日本語の言葉に近い漢字に「当て字」して訓読みし送り仮名をつけて使うようになった。
よく「漢字の意味はこうだからこういう意味」みたいにいうやつがいるけど、漢字が来る前に日本語は存在していた。
漢字ありきの日本語と思い違いしてる人が結構いるからな。
近代用語は、欧州の概念を翻訳するにあたって漢字に「新しい意味」もしくは「ちょっと違う意味を付け加えて」
漢字で熟語を作ったんだよ。
「漢字を当てただけ」という言い方は、もとから漢字に欧州の概念があったと信じてるようだが、もしもそうなら
日本人が新しい熟語を作って新語を作ったりしなくてもいいはずなんだよ。
今の中国人は日本人が漢字に付け加えた新しい意味を通じて欧州の概念を理解するようになったわけさ
日本語を表す為に、漢字に訓読みというシステムを作った
中国やその為漢字を使った国で読み方を作って、言葉に合わせたのは日本だけだよ
やま なのか サン なのか?
やま と読むことで、日本語の読み方を中国語のサンという字に宛てている
それを文字一つ一つにあてていった
ある種訓読み漢字で、漢字の再発見をしてる
928:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/16 20:50:08.06 lntLDeRo0.net
東シナ海の海流は回流になっていて、長江沖の海流に乗ると九州西部に自然と流れ着く
入れ墨はポリネシアと日本の漁民文化だよ
欧米人がやるタトゥーは18世紀にポリネシア人がやっているのを見て真似して始めたもの
929:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/16 21:29:54.72 lntLDeRo0.net
ゲルマン民族は大移動のはるか以前から、ローマと密接な関係を持ち、対立あるいは融和の兆しをすでに見せていました。
大移動による混乱という、よく知られる流れだけでは、正確な経緯を理解できません。
バラバラになったローマ帝国の破片を、かろうじて紐でつなげたのがキリスト教ローマンカソリックだった
普が内乱で遊牧傭兵使ったら国家転覆されて大虐殺と農民大量死亡で華北の農業生産と人口は半減
これで北部農業経済が衰弱したことで五湖は中原南下政策をやめ故郷に帰った
しかし遊牧モンゴル経済圏は始皇帝の統一以前から中華の米と工芸品の転売で成り立ってたが華北壊滅で米の入手と生計困難になった
よって4世紀のフン族の西進の原因になった
イタリア語が話せるようになるとスペイン語やポルトガル語の習得が楽になります。逆の場合も同じです。
母音の数がほぼ同じ、ほぼローマ字読みできるのに対して
フランス語だけ特有の母音の数の多さ、複雑さ。ほかのどの欧州語とも似てないですね。
似てる単語はあるけど、発音からなるまで別の言語です。
その理由は、ガリヤ人が最後までローマ帝国に抵抗したからです
スペイン人、ポルトガル人はもちろんラテン人なのですが、支配層にはフランス・イタリアのように金髪・青目系が見られます
征服者のゲルマン人の特徴ですね
930:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/17 13:59:32.81 dIxAjvbY0.net
都内では長年、耐震性向上や近代化を目的としたスクラップ・アンド・ビルドが繰り返されてきた。それでも東京は、世界最大級の「メガシティ」でありながら、意外なほど歩行者に優しく、
ヒューマンスケール(人間の感覚や行動に適合した空間作り)を保ってきたのも事実だ。狭い路地や緩やかな建築規制が小さな商店やバーの活気を支え、一等地であっても手頃な住宅が点在してきた。
だが近年、その風景は一変しつつある。高級ブランド店やオフィス、高級マンションが入ったガラス張りの造形美あふれるビルが次々と建設されている。
山本氏は日本外国特派員協会(FCCJ)で1月に講演。東京を「富裕層というか、『新自由主義』信奉者の植民地みたいだ」と英語で表現した。
「再開発は、地域の人たちに対して全く役に立たないものを作っている。地域のコミュニティーを壊している」と日本語で付け加えた。
山本氏は「デベロッパーが悪いわけではない」とし、東京にはある程度の再開発が常に必要だと認めた上で、近年の大型プロジェクトの問題として、富裕層でなければ購入できないような居住区を構えた高層ビルに言及。
具体例として、六本木から麻布一帯に広がる森ビルの「ヒルズ」シリーズを挙げた。
洗練された商業区画や手入れの行き届いた緑地を特徴とするこうした施設は店舗を含め、著名建築家が設計を手掛ける例が多い。
山本氏は「最近の建築家に対して本当に怒っている」と語り、「みんな森ビルとか、そういうところにばかり向いてしまっている。なぜかというと、仕事をくれるから」だと続けた。
さらに隈研吾氏や安藤忠雄氏を名指しし、「彼らは本当にコミュニティーのことを考えて設計しているのか」
山本氏は、鉄道会社や東京都が主導する渋谷駅の長期的な再開発計画も批判。通勤・通学者の動線改善や商業機能の強化を目的とする同計画について、鉄道会社の優先事項に偏りすぎていると指摘する。
また、築地市場の再開発にも異議を唱え、「東京にとって心臓のような、最も重要なコミュニティーのための場所を壊してしまった」と述べた。
総事業費9000億円に上る築地再開発では、歴史ある卸売市場が最近開発された豊洲へ移転した。
山本氏は、場内市場の解体は伝統的な活気を消し去り、近隣の銀座の食文化との結びつきを断絶させたと主張している。
「未来の東京はどうあるべきかというようなプランを作って、それを実現するためにどうしたらいいかっていうことは、
専門家がやらなくてはいけない」と訴えた。
931:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/17 18:31:41.83 dIxAjvbY0.net
ロシアは帝国と切り離して国民国家を定義できなかった国」
つまり、自国の歴史的国境と植民地的実体の境界を区別できないということだ。
これって中国にも当てはまるんじゃないかと時々思う。
中国は拡張志向の大国だから、内政と外交の区別がつかない。
大陸のいわゆるピンキーは、国連を神聖な評議会みたいに持ち出すのが好きだ。
まるで中共が本気でそれに従っているかのように
台湾はもはや中国大陸に攻め込んで中共を倒すなんて主張もしていない