25/12/23 10:12:12.94 ya0yG+tC0.net
中国に対しての賠償は日本は在外資産で支払い済み。
中国は賠償”金”を放棄 それが請求権相互放棄
サンフランシスコ講和条約の戦時賠償請求権相互放棄にのっとり日華日中条約でも請求権相互放棄している。
日本は誠意を示すとしてODAをした。因みに中国は1980年代から日本のODA資金をアフリカ援助に回して恩着せしている。
なにより1979年のベトナム侵攻の推計戦費がその年の対中ODA額てほぼ一致とされ中国は日本の資金で戦争と長年のアフリカ援助したことになる
751:名無しさん@お腹いっぱい。
25/12/23 14:01:25.62 ya0yG+tC0.net
義持は、能のパトロンだった。その義持の対明外交を賛美するために、世阿弥が書いたのが能《白楽天》である。
西暦1419(応永26)年は、日本にとって危機の年になった。対外拡張政策を続ける永楽帝は、使者呂淵(りょえん)を日本に派遣した。
軍事侵攻を示唆して我が国を脅し、北京に挨拶に来させるためである
まず日本人の禅僧元容収頌(げんようしゅうじゅ)を兵庫の港に派遣し、永楽帝からの国書の内容を確認させた。
その高圧的な内容に激怒した将軍は、呂淵を追い返す決断を下した。
使節には会わない。京都にも入れない。兵庫の港からそのまま北京に帰れ
3代義満は親明派、4代義持は嫌明派、6代義教は経済的利益を重視した妥協派
第1章 《白楽天》―華夷秩序を拒絶
第2章 《放生川》―朝鮮撃退の祝賀能
第3章 《唐船》―遣明船再開の予祝
第4章 《呉服》―外交方針転換を賛美
第5章 《善界》―混血二世の葛藤
第6章 《岩船》―日本中心型華夷観
第7章 《春日龍神》―最高聖地としての日本
第8章 狂言《唐相撲》―異国趣味の政治学
752:名無しさん@お腹いっぱい。
25/12/23 16:01:44.93 ya0yG+tC0.net
「日本民族の文化に育まれてきた」という意識は、
わたし自身にはありません。
海外に出ると、日本語話者であり、日本語の作家であることは、強く意識します。
けれど同時に、
文化とは本源的に混じり合い、境界を越えていくものだ、とも実感します。
文化を民族という枠に回収する考え方とは、ものを書きはじめた18歳の時から40年間、一貫して、注意深く、距離を置いています
753:名無しさん@お腹いっぱい。
25/12/23 19:57:05.57 ya0yG+tC0.net
韓国のGDPって借金だしwww 急に国が潰れて韓国人ビックリするんだろうなwww
借金すればするほど一人当たりGDP上がるからねw そういう指標w
日本人は貯蓄はするけど借金しないから
754:名無しさん@お腹いっぱい。
25/12/23 22:50:29.32 ya0yG+tC0.net
最近、Windows Update が原因で、いざという時の Windows 回復環境(WinRE)
でマウスやキーボードが全く反応しなくなるという致命的な不具合が発生しています
レジストリに追加したキーや値、
Bコマンドは、Windows Update によりリセットされる場合があります。
定期的に確認を行うことをおすすめします。
755:名無しさん@お腹いっぱい。
25/12/24 13:52:42.14 YDk3jSZf0.net
港湾の100年間租借地で対応だろう
ただの実効支配が目的だから
採算不可能な立地、返済不可能な利率
最初から資金を回収する気は無い。
破綻させて乗っ取るのが目的。
政府保証を求めないのも、むしろ返されると困るから。
政府保証が無いと言う事は完全な独立会社であり乗っ取っても政府は阻止できない。
日本は都市計画も含めてやったから都会にできたわけで
日本だと私鉄は沿線の都市計画まで入れて開発進めるけどインドネシアは引いたら終わり
距離が短い上に中国が敷設した郊外to郊外で利便性も悪い
直線上等で真っ直ぐならスピードでるって車両だから広い中共本土ならいいんだけどねw
時間通りに来るのって日本くらい
本当は日本も昔はいつ来るのかっていうくらい不正確だったけど
有るときに時間通りに進まないのは損など捉えられ時間通りに定時運行すること目標に掲げられ
当時は高価といえる携帯できる時計も支給されたという
電車メインは日本の発想だな
インドネシアの人間輸送は長距離でも乗り合いバスが便利で安価、数も多くて主流なんよ
家の前まで乗りつけてくれるし荷物は積み込んでくれるし
インドネシアの長距離バスは客が満員になったら出発するんだよね
満員になるまで街をぐるぐる回るんだ笑
756:名無しさん@お腹いっぱい。
25/12/24 13:55:43.39 YDk3jSZf0.net
成田紛争以前は国土のためと言い張ればまだ愛国心が通じたのか不当に安い売却額でも応じざるを得なかったそうな
成田紛争以降は大規模開発は同額の地元助成金を投下しなきゃいけなくなった
日本が提案したいくつかの候補とそれの元となる調査データ
をパクったけど、中国には技術的や交渉の都合で採用できないものだらけ、という置きトラップ
特許の仕組みとして、「方法や手順を公表してしまう」
というのがあるけど、日本の先進的な特許は「マネできるならしてみな」 という状態なってるからね
中国が日本からの輸入依存なってる図式
日本は貿易の規制がゆるゆるだから、中国は売ってもらえなくなる前提を無視してる
757:名無しさん@お腹いっぱい。
25/12/24 20:12:20.23 YDk3jSZf0.net
資金援助がすごかったのは間違いない。日本はアメリカだけで22億ドル(今の価値で150億ドル)を受け取っている。第二次世界大戦前、
敗戦国が戦後に受け取ったものといえば、終わりのない請求書くらいだったはずだ。
アメリカがもっと多額の資金を投じた他の場所と比べて、これが大きな助けになったんだ。
アフガニスタンのようなさらに小さな国に10倍の予算を投じても、いまだに貧困から抜け出せないのには理由がある。
結局、アメリカの支援も助けにはなったが、日本人の努力次第だったところもある。
がれきしかない状態だと、建設反対運動なんて起こりようがない。完全な破壊ほど再建のチャンスになるものはないんだ。
758:名無しさん@お腹いっぱい。
25/12/25 15:29:37.78 SE3OSDWf0.net
大阪難波宮で日本という国号が発せられた時には新潟から北は日本ではなかったからな
征夷大将軍を任命し北伐して日本国に組み込んでいった歴史や
北海道とかまだ日本になって150年程度しかたってないアメリカより歴史がない領土
アイヌも和人の砂金掘りと混血したりしてたからなあ
千島アイヌあたりは弥生人の血入ってなかった可能性あるけど
全員色丹島に強制移住させられて農業やらされた結果疫病や栄養失調で全滅してしまった
殷(商)は遼河文明の北狄の王朝で匈奴の系統
周は西戎の王朝
秦も西戎の騎馬民族の王朝
漢になってやっと中原に漢民族の国が出来上がる
琉球政府主席だった大田政作は辞任後東京に来て
1965年の参議院選挙に出馬してる
日本国籍で戸籍はあったから可能
琉球在住だったら無理だろうが住民票を移せば出馬投票出来た
取り敢えず、沖縄県の人が東京に不満あるのは事実だと思うよ
ただその不満は、「他の地方と比べて扱いが悪いだろ不公平だ」という意味合い
親に、他の兄弟と比べて扱いが悪いと言う意味でのね
中国に編入されたがる訳ないじゃん
759:名無しさん@お腹いっぱい。
25/12/25 22:42:33.63 SE3OSDWf0.net
中国の秩序は実際には強力者の秩序であり、ロシアの寡頭制と一致し、アメリカ主導の秩序は多数派に利益をもたらします
760:名無しさん@お腹いっぱい。
25/12/26 16:22:21.02 APneoZ9E0.net
決定的なのはDNA分析すると弥生時代のイネからは朝鮮半島には全くない遺伝子を持つイネが発見されている。
稲って自生できるんです。
稲作の始まりは縄文後期に遡るんだが、水田稲作と分けましょう。
はい、稲作渡来説は否定されました。
苗代で栽培期間を伸ばすことを、教えたのは日本人
761:名無しさん@お腹いっぱい。
25/12/26 17:35:56.02 APneoZ9E0.net
インダス文明崩壊のあと紀元前1500年以前に分散したドラヴィダ族系の
東へ移動した流が中国を経て列島へ列島に住み始める。
762:名無しさん@お腹いっぱい。
25/12/27 11:30:30.33 2J6XTbdq0.net
聖書の中に、奴隷のことがよく出て来る。奴隷への待遇なども詳しく書かれている。
それで、自然に、自由の概念が生まれてきたと、考えられる。
それで、自由と民主主義の概念も聖書から、生まれてきた
763:名無しさん@お腹いっぱい。
25/12/27 14:48:09.04 2J6XTbdq0.net
ニューヨークに対抗する超高層ビル街は香港。超高層建築の集積率はニューヨークが世界1位、香港が2位。
ニューヨークの高層ビルは大半がオフィスビル。香港のはほとんどマンション。経済力の差がモロに出てる。
そもそも香港の通貨である香港ドルはアメリカドルに連動しており、香港自体がアメリカと中国への依存体質にある。
764:名無しさん@お腹いっぱい。
25/12/27 18:11:51.75 2J6XTbdq0.net
【1700年代 世界10大都市 推計ランキング】
北京(清):約65万~100万人(当時世界最大の都市)
イスタンブール(オスマン帝国):約70万~80万人
江戸(現在の東京、日本):約50万~100万人
パリ(フランス):約50万~60万人
ロンドン(イギリス):約50万~70万人
大阪(日本):約40万人
京都(日本):約35万~40万人
杭州 または 広州(清):約30万~50万人
アーメダバード(インド)または カイロ(エジプト):約30万人
名古屋(日本)または リスボン(ポルトガル):約20万~30万人
上水道自体は、古代ローマやクレタ島でもしっかりしたのがあったっぽいけどな
網の目の様な上水道を設けていたのは世界中見回しても江戸しかなかった。
驚く事に同時代の税収の記録が判る国は日本くらいしかない
税金とはいうが、中世欧州だと自由・自治都市なんかも多かったよ
商人と国家との力関係が逆転すると、借金なしにするかわりに政治の自由、納税無しの権利なんかを買っていた
自由都市同士が軍事同盟まで結んで国軍と争うこともよくあったしそうなると税収の正確な記録は残らない
日本でも、戦国の福岡・堺なんかは実質的にこれだったな
7世紀からの唐と、イスラム教できてしばらくたった8世紀のアッバース朝時代のバグダッドが2大都市だったんだっけ
どちらも人口は軽く200万超えていたはず 東の唐、西のバグダッド
ヨーロッパが世界史で、文化的に躍り出てくるのってなんだかんだで大航海時代以降だよな。
羅針盤なんかは、十字軍のおかげで東から盗んできたもんのおかげで成し遂げたわけだし。
十字軍のころはただの暴れん坊って感じだし、そのちょっと前はバイキングに蹂躙されているしで。
唐って国だから都市とはちょっと違うのかもしれんけど、最初期は数百万で8世紀には2000万超えてるぞ。
9世紀には5000万超えてたんじゃなかったっけ?一
ヨーロッパの都市は人口が増えるとペストなどが数十年おきに流行して人口が減ってたからなあ。
なぜか毎回ペストの影響すくなかったのがポーランド
765:名無しさん@お腹いっぱい。
25/12/28 11:10:48.98 /bc78THl0.net
「人間は誰でも罪人だ」ということが、私は信じている。立場は逆だったら、インデッア人は、同じことをやらないのかと、誰も保証できない。
違うのは、スペインがそれを直視できることだ。これはなかなかできないことだ。
また、例えば、反日の在日達は、「関東大震災の時に、日本人は朝鮮人を虐殺した」と、毎年騒いでいる。私は、例えば、それがあっても、「虐殺すべきな時に、それをやっただけだ」と、思うけど、だって、戦後でも、韓国も何回かを暴動が起こった。
最も大事なのは、戦後の日本では、虐殺のようなことが一つもないし、とても安定して、平和だ。
しかし、戦後の韓国、北朝鮮では、虐殺のことがいっぱいあったし、これからも、起こりうる。
在日だから、そちらになんとかしてしてくれないかと、真っ直ぐに思う。
他人ばかりを責める人達は、悪人だ
766:名無しさん@お腹いっぱい。
25/12/28 12:57:22.98 /bc78THl0.net
プラトンの洞窟の寓意を映画的に転換
彫刻の高さを手で示そうとしますが、影が本当の意図を裏切っています。
ベルトルッチによれば、1960年代の若い監督たちは人工光源を安っぽいキッチュと見なしてあまり好ましく思っていなかったのです。
『コンフォーミスト』は彼が初めて人工光を使った作品であり、それが映画の言語を大いに豊かにできることを発見
767:名無しさん@お腹いっぱい。
25/12/28 14:36:34.15 /bc78THl0.net
韓国が水稲栽培を日本に教えた大嘘は漢字で分かる
中国では田は単に栽培地を意味する字で日本ではこれに焼畑農業を意味する畑という漢字が作られたが
韓国では逆に畓という水田を意味する漢字がわざわざ作られてる
温帯ジャポニカ種を南方に持っていくと、なぜ結実しないか。
発芽からの積算温度を満たさない内に出穂温度に達してしまい、十分に成長しない内に穂が出てしまい、
十分な光合成ができないから
768:名無しさん@お腹いっぱい。
25/12/28 19:05:58.79 /bc78THl0.net
ロシアのダーチャって、関東で言うところの、千葉とかさいたまに住んでる兼業農家みたいなもんだからな
祖父母が田畑を耕して、若いもんは都内に働きに出る感じ
769:名無しさん@お腹いっぱい。
25/12/28 23:46:05.61 /bc78THl0.net
主人公がNYから「文化の違うメキシコ」に移動したという事実を容易に理解させるために、画面の温度感、強い光を感じさせるためのコントラストなどを変化させるのは当然の技術と言っていい
。ただそこに、「文化的に劣等である」というような典型的差別表現ができあがっているのではないか、というのが「メキシカン・フィルター」という問題。
アメリカ映画に日本の風景が映ったときに、ジャーンと銅鑼の音が効果音として使われるのと似ている。あれはどちらかと言えば
中国のイメージだけど、そんなことは彼らにはお構いなしだ。オリエンタルな雰囲気が出ればいい。かく言う日本でも、テレビでアフリカの映像が映し出されれば打楽器のBGMを使うよね。
つまり、典型的な表現で「ここ、アフリカね」とわからせようとする無知とサボりがあるということ。確かに俺がメキシコとテキサスがわかれている国境地帯で見たのは、アメリカ側はLEDや蛍光灯の青緑の光、メキシコは白熱灯の暖色で照らされている夜景だった
770:名無しさん@お腹いっぱい。
25/12/29 13:08:54.12 bpMs5JR80.net
戦争を始めたのは左派軍人。戦争を望まなかった右派軍人・政治家は左派軍人に暗殺された
771:名無しさん@お腹いっぱい。
25/12/29 13:27:00.63 bpMs5JR80.net
ダライラマ13世死亡後、摂政となったリンポチェという男は、私腹を肥やし軍事費を削りまくった。結果、軍の近代化が遅れ、これがまず致命傷に。
一番の裏切者は、アボ・ジグメ(添付写真)という売国奴。1950年10月に東チベットに中共軍が急襲してきた際、
とにかく中共と妥協ばかりしようとし遂には「降伏降伏」と合唱した。その「功績」が認められ、以後、中共との橋渡し役を。
結果として、中共の「17箇条要求」をダライ・ラマ14世に内緒で勝手に調印した。その際、中共は偽の国璽まで持ち出し、強引に調印。
その後もこの売国奴は「自分は買収などされていない!中共最高!毛主席の厚意を受けないとはなんという悲劇だ」等と演説
772:名無しさん@お腹いっぱい。
25/12/29 16:57:44.56 bpMs5JR80.net
映像の色調を意図的に調整することを「カラーグレーディング」と呼んだりしますが、これはデジタル映像の技術が進化し、
階調や色調のデータを豊富に表現できるようになってきたことで、
より多くの映像クリエイターが行うようになった(行いやすくなった)のだと思います。
こうした緑がかった色調の映画で先駆的な存在といえば、ソ連(当時)の映画監督、アンドレイ・タルコフスキーの映画が挙げられるのではないでしょうか。
中でも「ノスタルジア」(1983)の映像表現は画期的なもので、色調だけでなく、カメラワーク、構図、編集など、後の映像人たちに多大な影響を与えた作品だと思います。
実写部分は、実写とCGを合成するために「ブルーバック」と呼ばれる、背景が真っ青のスタジオで撮影されたりします。
背景や周囲が「真っ青」な為、どうしても、被写体に周囲の青が写り込み、被写体が青っぽく写ってしまいます。
青が使われたのは「フィルムで合成する時に都合が良かった」からで、今は、デジタル撮影されフィルムを使わないので、
被写体への写り込みの影響が少ない緑を使います(こっちは「グリーンバック」と言います。
メイキング映像で背景が真っ青だったり真っ緑だったりしているのを見た事はありませんか?
例えば、宇宙船の窓の外が緑一色だったり、ワイヤーで吊るされて落下していく演技をしている俳優の後ろが緑一色だったりとか。
773:名無しさん@お腹いっぱい。
25/12/29 17:09:16.60 bpMs5JR80.net
アンドレイは私に言ってました。映画は時間を物語の要素として扱うのだと。通常、映画の照明はあるシークエンスの間では一定したものです。
「臨場感溢れる撮影」とは、正確なタイミングの取り方によって映画に別のリズムを与えるものです。
自然の環境を例にとってみましょう。曇りがちな日のある瞬間に太陽が顔を出すと光の加減は変わってしまいます。
屋内であれば暗い部屋に登場人物が入ってきて電気をつけるとやはり光の加減は変わる。
しかし、これらは全部、動きと正確に対応しています。こうしたことが『ノスタルジア』においては増幅されているんです。
自然光のバリエーションに加えて、論理的な意味づけよりも、感情的な動機に一致するような光のバリエーションも用いられている。
774:名無しさん@お腹いっぱい。
25/12/29 20:47:05.96 bpMs5JR80.net
亀甲船がそんな優秀な船だったら宗主国の明軍が採用してるよ。
明軍は日本と戦って日本刀の優秀さを知り、日本刀の模造に力を入れて軍刀に採用してる。
当時の技術では装甲艦は木津川口の戦いみたいに狭い場所を塞ぐという用途でしか使えないでしょう。
海流の速い対馬海峡では使い物にならない
李舜臣の『乱中日記』には、亀甲船の大砲を、合計10回試射したことが記されている。
また、李舜臣の甥である李芬が著した『李舜臣行録』にも、その外観的な特徴が説明されている。
したがって、亀甲船そのものは、実際にあったのであろう
韓国には、白将軍という本物の救国の英雄がいるのに、なぜ白将軍を褒め称えない?
白将軍は、北朝鮮軍を決死の戦いで食い止め、韓国を守った救国の英雄だぞ
敗戦するととんでもない悪役に仕立てあげられるのが人類史です。これは敗戦した国でないと分からないのでしょう。
韓国も次の戦争(恐らく中国との)で負けたらきっと残虐な悪役に仕立て上げられます。
そのときに後悔しないように発言した方が良いと思います。
775:名無しさん@お腹いっぱい。
25/12/29 21:10:19.31 bpMs5JR80.net
フランスは主に社会保障費(特に年金)のせいで世界で最も給与税が高いからねぇ
ケベック州とオンタリオ州でフランス出身のエンジニアに何人か会ったことがあるわ。皆揃って税金のせいでフランスを離れたと言ってたっけ)
フランスでは税金の大部分は『国民の大多数を占める退職者』に使われる。さらにフランスの年金制度は資金を投資に回す『積立方式』ではなく、
現役世代が支払う税金を直接年金受給者へと分配する『賦課方式(ふかほうしき)』を採用
当然『国民の大多数を占める退職者』はこの既得権益を奪おうとする政治家には投票しないのでこの制度を変更しようとする政党は存在しない。
なので現役世代は給与は上がらない一方で税金は上がり続けることになる
『賦課方式(ふかほうしき)』は現役世代が多く高齢者世代が少ない場合にのみ経済的に成り立つ年金制度だ)
フランスの国民負担率(国民全体の所得に占める国税・地方税と社会保障費の合計額の割合)は主要国の中でもトップクラス
で2020年時点で約7割(69.9%)、日本は46.2%
776:名無しさん@お腹いっぱい。
25/12/29 21:34:11.49 bpMs5JR80.net
そもそも皇国史観すら、江戸時代、1600年中期に当時の支那明の時代に亡命してきた朱舜水が吹き込んだものがもとになっている。
それは正統性とは何かのもとずくものです。其のもとは朱子学です。伊達千尋の大勢三転考をよむといい。
今昔物語に出てくる天皇からは明治天皇や昭和天皇のような姿はない
777:名無しさん@お腹いっぱい。
25/12/29 22:07:57.36 bpMs5JR80.net
輸入品買える両班(貴族)は絹着てたしカラフルだ。ただまあ両家の娘や主婦が買い物に出歩くことはない。
客呼んでも妻子に面会させることはない。
日本に写真残る乳出し衣装も屋内向けで実際は外出しないから写真は捏造と言える
李舜臣の絵で持っているのが「日本刀」だから笑うしかない
中国も半島も「鋼」を作る技術を持たなかったため
韓国の“歴史ドラマ”は 三国時代(百済・新羅・高句麗)も 李朝 時代も、服装に変化が有りませんね
778:名無しさん@お腹いっぱい。
25/12/29 22:25:43.57 bpMs5JR80.net
1. 1949-1979:戦いたいが勝てない
この時期、海峡両岸の軍隊は深刻な非対称性を有していました。 国民党軍は台湾を支配し、台湾海峡の封鎖はアメリカに依存している。また、本土には海空戦力の面で海を越えた戦闘能力がない。
当時、本土の民間船は広州から青島へ直行できず、フィリピンを迂回して台湾東の海から北へ進むことを余儀なくされていた。これは台湾海峡が実際には国軍の支配下にあることを示していた。
このような状況下では、たとえ本土に統一の意志があったとしても、実質的な軍事力は持っていません。
2. 1979-1991年:戦いたくなければ戦う必要はありません
中国とアメリカの外交関係樹立後、中国本土は事実上のアメリカの同盟国となり、「西側陣営」システムに属しました。
現時点では、島内外に実質的な「台湾独立」政治勢力は存在せず、統一に対する緊急の政治的障害もありません。
外部からの封鎖も内部の分裂もなく、大陸が戦争を仕掛ける必要もなかった。
3. 1991-1999年:戦いたいけど、まだ勝てない
冷戦終結後、台湾内の国民党内で「台湾独立」の傾向が高まり、本土軍はまだ近代化を完了していません。
1995年から1996年にかけて、アメリカの航空母艦戦闘群が台湾海峡に進入し、本土に戦略的な衝撃を与えました。
この刺激策の下で、本土は「武力による統一を決して放棄しない」という戦略的最終方針を明確にし、長期的な軍事建設を開始した。
779:名無しさん@お腹いっぱい。
25/12/29 22:26:11.29 bpMs5JR80.net
4. 1999-2012:戦いたくない、平和的再統一を優先
この期間、大陸は経済発展と国際統合に戦略的焦点を当て、経済・貿易・人材交流を通じて平和的な統一を促進することを目指しました。
この段階でDPPの「台湾独立」勢力は急速に拡大している。
しかし、本土経済が急速な成長期にあるため、台湾海峡でのいかなる戦争も国家力の発展に大きな打撃を与えるため、本土は戦略的自制を選びます。
5. 2012年から現在まで:プレイしたいけれど、遅ければ早いほどいい
一方で、習近平は江・胡時代の「平和統一」の誠意を受け継ぎ、他方で体系的に軍事準備を進め始めた。
大陸軍の戦力はこの段階で飛躍的な発展に入り、多くの分野で台湾軍を凌駕し、徐々にアメリカや日本に追いつくか追いつきつつあります。
この傾向では時間は本土に有利であり、台湾海峡での対立が長引くほど本土にとって有利になる。
たとえ台湾が一方的に憲法を改正し、「中華民国」を「台湾共和国」に変えたとしても、本土は自制を行使する可能性があります。
戦争の真の引き金は、アメリカによる台湾の正式な国承認です。
このレッドラインが破られれば、本土はそれを国際法と主権の根本的な否定とみなし、戦争はほぼ避けられず、非常に短期間で勃発する可能性があります。
したがって、実際の権力構造の観点から見ると、台湾海峡での戦争を開始する権利は台北ではなくワシントンにある
780:名無しさん@お腹いっぱい。
25/12/29 23:30:09.11 bpMs5JR80.net
K-Popはもっと「ライトな一般層」に受けるように設計されているんだと思ってる。
基本的には「勝てる法則」に忠実。
一方で日本の音楽の最大の強みは、その「型にはまることを拒む独創性」にある。
この数十年で、熱狂的な音楽ファンの間で、日本の音楽への敬意が雪だるま式に膨らんだこと自体、
実はものすごく成功したマーケティングの形なんじゃないかな
欧米では「大衆受け」が評価されるけど、
日本では「才能」が正当に評価されるんだと思う。
欧米のバンドは「ポップじゃないこと」にこだわりすぎだと思う。
ポップ=偽物で作り物っていう悪いイメージがあるからね。
そのせいでオルタナ系のジャンルは極端な方向に走っちゃって、
「キャッチーでメロディック」なことが悪いことみたいに思われてる
欧米の音楽が停滞し、ミニマルで予測可能になりがちなのに対し、日本の音楽には常にジャンルの融合や新しい試みがあり、
聴くたびにワクワクさせてくれるんだ。
日本の楽曲には非常に高いディテールへのこだわりがある。
西洋の楽曲は1番と2番のAメロがほぼ同じ構成であることが多いが、日本のJ-ROCKなどは2番でリズムなどを大幅に変えることが多く、
何度聴いても新しい発見がある。
781:名無しさん@お腹いっぱい。
25/12/30 12:18:54.19 m3Et7d4C0.net
ロシアの南下に日清朝共同して対抗しよう、そのために一番弱い朝鮮の近代化を日清で共同してやろうって日本が提案して、
清が拒絶して始まったのが日清戦争
朝鮮は1回独立しただろ
1902年にロシア帝国(ロマノフ)が15万人で朝鮮半島に攻め込んで中国軍が敗北、大韓帝国はロシア領有になったんだったな、(ロシア側名称→ロバノフ協定)
独り立ちできなかったから日本が併合した流れ理解できてないのか?
朝,鮮,人が一進会(李容九会長)と名乗る団体を作り100万人署名を集め,朝,鮮.人が自分達から日本に併合されることを望み現実化したものである。
「一進会」が合邦を希望し、日本へその合邦希望の電報を大量に打ったことが始まり。その電報の冒頭は「弊会が日韓合邦の議を提出したのは、決して独断的に出したのでなく、
各階級との連絡を通し、一般人民の不同意が少ないことを確かめ・・・」と大韓帝国の総意であると言っている
ロシア(ソ連)の防壁となる満州国に繋がる満鉄のために必要だっただけだから、半島だけ領有していて意味ない
独立というのは現地民が望んでないと出来ない
当時の朝鮮で独立なんて考えてたのは以前の既得権益を取り戻したい旧両班くらい
欧米の劣悪な植民地支配受けさせておけば良かったわ
朝鮮は欧米の植民地支配経験ないからな
本当の植民地とは何なのか理解できるやろ
782:名無しさん@お腹いっぱい。
25/12/30 15:16:45.15 m3Et7d4C0.net
アジア人差別って黒人への差別とはまた別で、日本でいうオタクや陰キャへのイジメみたいな感覚が強い気がする
783:名無しさん@お腹いっぱい。
25/12/30 15:49:08.36 m3Et7d4C0.net
インド人は嘘つき」でしたね。 ただこれは他人を落とし入れるための嘘ではなく、自分が失敗をしたりした時に日本人なら普通に非を認めたり謝罪するところをインド人は自分を正当化する為に平気で嘘をついて誤魔化そうとします。
でもそれはインドでは当然の行為であり、悪意はないという文化
784:名無しさん@お腹いっぱい。
25/12/30 22:37:34.24 m3Et7d4C0.net
ナポリはイタリアではない、と、よく言われています。ナポリ人の気性、習慣など、コテコテのラテン系という感じです(
南イタリアでは、公共事業、産業などにマフィアが介入してきて、
自治体内部でも不正が跋扈していて、それが理由で発展が遅れている
南イタリアからの移住してこられた方を見かけることがありますが、皆さん実直で勤勉ですね。
向上心のある人は故郷を諦めて北へ出るのでしょうね。
北部・ナポレオンの統治遺産フランス風
北イタリアはアルプスの水を利用した糸紡ぎ、紡績産業が発達した地らしいですね。それが工業化に繋がったとか。日本も繊維産業から
紀元前から15世紀ぐらいまで南イタリアの方が有名だったし、文化的にも発展して
日独伊はいずれも遅れてきた帝国、持たざる列強として先の大戦で敗戦し、戦後復興を生きてきましたが、道はそれぞれ若干違うのかもしれません。
昭和時代の高度成長期に地方の均衡ある発展をスローガンに日本列島のインフラを整備できました。
それは今でも時々話題となる一票の格差を背景に当時の自民党が地方の支持で安定した政権運営ができた為、現在の姿となりました。
『ローマはギリシアを征服したが、ギリシアは芸術でローマを征服した』という言葉があります
ローマが南伊に南下したことがきっかけで、初めてギリシアの高度な文明に触れたのでした
『ナポリはイタリアでない』と云われる所以は、1400年という長きに亘り諸外国の支配下にあり
特にスペイン封建時代が長かった それがどういうことか? かつてスペインに植民化された国々を見れば よくわかります
そして近代イタリア統一の際、 ナポリ・シチリア王国財 全てが 北伊に奪われたのです
南伊の人々の気質も、マフィア組織も、長い歴史がそうさせてしまったのです
785:名無しさん@お腹いっぱい。
25/12/31 01:05:34.84 Rn4k3zCx0.net
オランダ、ドイツ、北ヨーロッパの人々が英語に堪能な主な理由は、彼ら全員がゲルマン系の民族だからです...フランス語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語のラテン語のアクセントは異なる
786:名無しさん@お腹いっぱい。
25/12/31 19:05:35.71 Rn4k3zCx0.net
平安時代の初期にあたる西暦812年から現代に至るまで、歴代の記録者たちによって書き継がれてきたものです。
千年以上もの間、日本人がどれほど桜の開花と散りゆく時期を大切に記録してきたかが分かります。
古い方は彼岸桜だから、開花時期が一定しません
787:名無しさん@お腹いっぱい。
25/12/31 20:02:51.33 Rn4k3zCx0.net
在外同胞は、韓国国民のうち外国の永住権を取得した人や永住目的で外国に居住する人、韓国籍を持っていた人やその子孫で、現在は外国籍を取得している人などを指す。
在外同胞が最も多いのは米国(255万7047人)で、次いで中国(184万8241人)、日本(96万970人)、カナダ(26万3153人)、
788:名無しさん@お腹いっぱい。
25/12/31 21:20:41.75 Rn4k3zCx0.net
朝鮮は父系の血統重視のため「夫婦別姓」だった。その「姓」はそのまま戸籍に残して、当時の欧米や日本のように夫婦で一つの「氏=ファミリーネーム」を設ける政策を行なったのです。
朝鮮名の「家長の姓」が、そのまま「氏」になる「法定創氏」がデフォルトでした。
一方、1940/2/11〜8/10の半年間を「設定創氏」届出期間とし。
ここが大事なのですが。「氏」は今までの姓を「氏」として定めても良いし、日本名に変えても良いというものでした。そして創氏届出せずに置けば、自動的に朝鮮名のまま「家長の姓が氏」になりました。
全く、日本名への改名を強制するものではありませんでした。
留意すべきは、当時名字の無い人(賎民とされた人達)が国民の30~40%もいたことで、差別を払拭する契機でもあったのです。
すると朝鮮では「日本名への創氏」の届出が殺到する地域が出て、あまりの事に勘違いされているのではないかと朝鮮総督府がたびたび注意喚起した事などが朝鮮地方版新聞記事から分かります。
結局、朝鮮全体で79%が「設定創氏」し、残りの20%程度が「法定創氏」で家長の姓をファミリーネームにしました。台湾では論功行賞として日本名に改名しても良いという、対象を限定した施策をした時期が3年ほどありましたが(日本名にした人たった1.6%)。
朝鮮では条件が無く誰でもOKで、日本名にする事で出世に有利とか朝鮮名だと不利という事もなかったそうです。
789:名無しさん@お腹いっぱい。
25/12/31 21:20:41.93 Rn4k3zCx0.net
朝鮮は父系の血統重視のため「夫婦別姓」だった。その「姓」はそのまま戸籍に残して、当時の欧米や日本のように夫婦で一つの「氏=ファミリーネーム」を設ける政策を行なったのです。
朝鮮名の「家長の姓」が、そのまま「氏」になる「法定創氏」がデフォルトでした。
一方、1940/2/11〜8/10の半年間を「設定創氏」届出期間とし。
ここが大事なのですが。「氏」は今までの姓を「氏」として定めても良いし、日本名に変えても良いというものでした。そして創氏届出せずに置けば、自動的に朝鮮名のまま「家長の姓が氏」になりました。
全く、日本名への改名を強制するものではありませんでした。
留意すべきは、当時名字の無い人(賎民とされた人達)が国民の30~40%もいたことで、差別を払拭する契機でもあったのです。
すると朝鮮では「日本名への創氏」の届出が殺到する地域が出て、あまりの事に勘違いされているのではないかと朝鮮総督府がたびたび注意喚起した事などが朝鮮地方版新聞記事から分かります。
結局、朝鮮全体で79%が「設定創氏」し、残りの20%程度が「法定創氏」で家長の姓をファミリーネームにしました。台湾では論功行賞として日本名に改名しても良いという、対象を限定した施策をした時期が3年ほどありましたが(日本名にした人たった1.6%)。
朝鮮では条件が無く誰でもOKで、日本名にする事で出世に有利とか朝鮮名だと不利という事もなかったそうです。
790:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/01 13:26:09.21 vSLpMBJ20.net
共産党が女性天皇と女系天皇に賛成するのは、
それによって皇統が滅びるから。
天皇制反対と叫ぶと日本人の反発を招くが、
この言い方ならあ〇な日本人が騙されるのです。
791:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/01 22:23:11.49 vSLpMBJ20.net
17世紀オランダのチューリップ・バブルしかり、ポトシ銀山開発で潤ったスペインのバブルしかり、
18世紀フランスのミシシッピ・バブルも、イギリスの南海泡沫事件(サウス・シー・バブル)もすべて崩壊してます。
工業化が進んで以降の、イギリスの1840年代鉄道バブルも、1890年代自転車バブルも崩壊していますし、
20世紀に入るとアメリカの株が弾けて1907年金融恐慌が起きています。
―歴史を振り返るとバブルを繰り返していますね。
エミン 近いところを見ても、1970年代の半導体バブルがあり、80年代の日本のバブルがあり、2000年頃にはITバブル、そして近年中国の不動産バブルも崩壊してます
。ポイントはAIがバブルかどうかというよりは、少なくとも株価は確実にバブルだということ
792:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/04 01:38:54.61 wNi0hITs0.net
秀吉軍が撤収後に、半島には明軍が数年駐留する事になるが、明軍兵士の横暴が酷くて、食糧や女性を収奪されまくる事になり、困った朝鮮は『もう攻めて来ないですよね?』と、敵国日本にお伺いするという恥もプライドもない接近をしてきた話。
税制もそれまでの農作の物納では悪政と戦乱で税収が激減していたので、銭納に100年かけて移行する事になる。
100年もかかった理由は、物納で一部食糧を収奪して生活していた両班の官使が反対していた為。
この税制の転換は当初は劇的に財政改善に至るが、やがて既得権や造営費用等で余剰金は無くなり、結局は両班による収奪社会に戻る事になる。
そして明国が滅んだ事で『李氏朝鮮は自国が中華文明の継承国』と自負し、日本や清国を野蛮と蔑み隣国から何も学ばなくなり、さらに元々の派閥争いから西洋に学ぼうとした実学派を弾圧
793:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/04 11:31:00.14 wNi0hITs0.net
ベネズエラの防空ネットワークの中心には、中国電子科技集団企業(CETC)が製造するレーダーアレイがあります。
ベネズエラ軍はJYL-1三座標長距離監視レーダーと「ステルスキラー」として知られるJY-27メートル波レーダーを装備しています。
同国の軍は、JY-27が数百キロメートル離れた米国のF-22およびF-35ステルス戦闘機をロックオンし、
ロシア製S-300ミサイルを誘導して迎撃できると大々的に主張している。
しかし実際の戦闘結果は、作戦開始から数時間以内に米軍が強力な電子戦(EW)攻勢を開始したことを示しています。
現地の評価によると、ベネズエラのレーダー画面は即座に強力なノイズ(ジャミング)で覆われ、その後、対放射線ミサイルで正確に砲撃された
794:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/07 17:20:37.86 hJtYXxTU0.net
龍体文字は、漢字が中国から伝来する遥か以前、縄文時代に使用されていたとされる神秘的な文字
龍体文字は推定5,600年前(5,500年前という説もある)に宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコジ)という
13代目(12代目という説もある)の神様が作ったといわれている
神代文字(じんだいもじ・かみよもじ)
ウマシアシカビヒコジという神様は『古事記』に登場する神様で、島根県の出雲大社に祀られている
龍体文字は伊勢神宮に保存されていたものを書道家の安藤妍雪先生という方が、
昭和天皇より記録するよう託された文字で、1976年に昭和天皇より公開するお許しが出た
795:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/08 16:31:46.17 h9bdHs2U0.net
第二次世界大戦は1945年に終わり、韓国の建国は1948年、中華人民共和国の建国は1949年じゃ。
「そこに人が住んでいたら国だ」というなら縄文時代から日本は2万年の歴史か?
韓国はアメリカの傀儡国家として生まれたし、中華人民共和国はソ連の傀儡国家として生まれた
日本は韓国と日韓基本条約、中華人民共和国と「日中平和友好条約」をそれぞれ締結した。
しかし、これらの条約に「講和」とか「戦争状態からの回復」などの文言は一切ない
国家の継承とは「借金と条約」の継承を含むこと
江戸幕府は「安政の五ヶ国条約」といい、欧米列強と不平等条約を締結した。
明治維新が起きて江戸幕府が崩壊しても、「日本」であることには変わりないため、明治政府もこの不平等条約を継承
日露戦争の戦費(国債償還)を返済できたのは1989年
日本はな、大日本帝国憲法を第90回帝国議会で「改正決議」をして、日本国憲法に改正して現在に至るわけだ。
だから、刑法とかいろんな「大日本帝国議会で制定された法律」が現在も有効
中華民国は大日本帝国と戦うため、色々と借金をしていてな(桐油借款)、それを中華人民共和国が返したなんて話は存在しない。
そもそも、中華民国が現在も存立しているのに「継承」も何もあったもんじゃない。
単に国連常任理事国の地位を「獲得」しただけで、継承したものは何一つない
蒋介石は大日本帝国に降伏するため、繆斌(みょうひん)という使者を東京に派遣した。
当時の小磯國昭総理は、この降伏を受け入れるべきだとしたが、陸軍が大反対。
小磯内閣は、これを承服できず内閣総辞職し、鈴木貫太郎内閣となった。
教科書だと「なぜ、小磯から鈴木に内閣が変わったのか」という説明が一切書かれていないじゃろ。
「真実を隠蔽」するためだな。
796:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/09 22:15:50.95 MuRVWWrr0.net
イギリスの夏が温かいのはメキシコ湾からの暖流が流れ込んでくるから。
もしそれがなくなったらイギリスの天気はカナダと同じくらい寒くなると思う。
海が気候に与える影響の大きさは驚くしかない。
黒海が北にあるトルコのイスタンブールの方がロンドンやパリよりも雪が降る
積雪量の多い首都ランキング(年間平均積雪量)
1.オタワ:カナダ(223cm)
2.オスロ:ノルウェー(220cm)
3.モスクワ:ロシア(150~200cm)
4.ヘルシンキ:フィンランド(160cm)
5.レイキャビク:アイスランド(150cm)
6.ストックホルム:スウェーデン(100~120cm)
7.アスタナ:カザフスタン(90cm)
8.ビシュケク:キルギス(60~80cm)
9.ワルシャワ:ポーランド(70~80cm)
10.プラハ:チェコ(60~80cm)
797:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/10 14:34:23.79 RluxLkzP0.net
野生力とは直観力と判断力である。その回復を目指ざそうとするとき、Zen15の設計者である故横山晃は言う。
身に危険を感じること・・・。
セールという巨大な触角で、大気の流れを触感として感じ続けること・・・
現代人にとって最も大切な能力は、過保護や情報過多に流されず、心のバランスを保つことだ。ストレスの中で、忍耐力を維持することが大切となる。そして適切な判断を継続させることで、自信を深めることが出来る。
そして運命すら選択できる・・・、その究極の自信は、ディンギーによる長時間帆走から、自ずと生まれる。チンしない帆走法を身につけ、荒天と戦える人間となったとき、あなたは実感するであろう。
慢心ではない、バランスのとれた自信を。そのためには、ガソリンや軽油で走るのではなく、風だけで走る、ディンギーによる長時間帆走が助けとなる。
長時間帆走という練習は、生活習慣とセンスを開発する練習であって、筋肉や神経のトレーニングではない。
その習慣とセンスのお手本は、昆虫や野鳥であって、人間ではない。すなわち、その生活革命に、本来の人間が持っていた野性を奪い続けて退化させた物質文明に、背を向けることから始まる。
昆虫や野鳥は、物事を頭で論理的に判断するのでなく、体中のセンスで判断しているに違いない。たぶん彼らは、行きたい方向へ行くだけ、やりたくないことはやらないだけ
798:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/12 12:39:24.85 DlcNcVO60.net
河北省農村部では「石炭からガスへの」政策により石炭暖房が禁止されています。
ドローンで24時間監視中に煙を見つけた場合、500元から2000元(約11,200円から44,800円)の罰金が科されます。
天然ガスは高価で、100世帯中10世帯未満しか使えません
中国のガソリンスタンドでは灯油は販売されておらず、石炭を除けば、中国の唯一の選択肢は高価な天然ガスと電力です
799:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/14 13:41:18.19 /BOsMdzK0.net
日本の養子の制度は、血縁関係が重要視されてない。
中華圏では、絶対的に考えられない制度だ。
日本の家族文化が、血統より家の存続が優先されていることだ。
これは間違いなく、日本社会に大きな恩恵をもたらしている。例えば、世界でも、珍しい日本の千年、何百年の間に存続している多くの企業は、
何代もお婿さんによって、支えられている。これは凄い。この日本の誇りは、実に、血縁関係ない赤の他人によって、守られている。
外国人にはびっくりしかない。
だから、私からどう考えても、日本の「家」を重視する夫婦同姓は日本文化の宝だと思う。
次、日本ほどではないが、血縁社会じゃない欧米社会も、夫婦同姓が存在している。
例えば、ドイツは、つい、1993年に夫婦別姓が認められて、旧姓の通称使用も可能だが、原則は同姓だ。
他の国は夫婦別姓もあるが、また、両方からの複合姓もある。聖書でも、家族の一体感が強調するように、教えられている。
しかし、中国、韓国のような血縁社会では、姓がそれぞれの家族の血統を表しているので、夫婦別姓以外には、絶対的に不可能だ
800:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/14 14:07:12.61 /BOsMdzK0.net
一神教は自然が豊かではない中東で生まれた。それが人工的にインドと東南アジアまで伝播した。
統治するのには都合が良かった点には、全く同意する。
自然豊かな日本が自然崇拝の多神教なのは当然である。
一神教が入り込む隙間がない以上、統治は確かに緩やかにならざるを得ない
801:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/21 12:57:45.81 y9YBSWSC0.net
カトリックの教会の中心は聖壇。
正教会の中心は聖画。
プロテスタント教会の中心は講壇。
聖壇は聖なる道具を置く机。
聖画は正教でイコンとも呼ばれます。キリストとマリアなどが描かれている、宗教的な絵画です。
講壇は聖職者による説教が行われる場所。
モーセの石版で有名な旧約聖書の十戒に「如何なる偶像も作ってはならない」とある。
この考えが浸透していったことで次第に教会内の宗教的アートが破壊されるようになり、
ついに説教者フリードリッヒ・ツヴィングリによって絵画、聖壇、装飾の組織的撤廃が決定されました
講壇は説教をする場、つまり聖書にある神の言葉を、聖職者が時代向けにわかりやすく翻訳する場所です。
プロテスタントでは「聖書は信仰生活のすべての基準であり規範である」とされ、
法王をトップに据える教会組織よりも聖書そのものに重きをおくため、聖書と向き合う場を重要視しているのです
802:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/21 14:03:08.72 y9YBSWSC0.net
キリスト教流入以前のヨーロッパ世界を鮮やかに語り伝える北欧神話
北欧神話の重要性について以下のように解説している…
「近代ヨーロッパを形作って来たゲルマン民族の神話として、ヨーロッパ神話の母胎である
天地創造から始まるのは何れの神話にも共通しているが、北欧神話では人間が誕生する前に小人(妖精)が登場したり
、神様の特技がスキーであったり、氷に閉ざされた世界が表現されたりする
神々と巨人達との最終決戦である。
ヴァーグナーの『神々の黄昏』は正しくこの場面を描いている訳だが、
実際には“黄昏”というような静かな終末ではなく、それは壮絶な戦い
北の民の精神を語るエッダ、サガ、神話、伝説を読む
ヨーロッパ北部周縁の民=ゲルマン人は、キリスト教とは異なる独自の北方的世界観を有していた。
古の神々と英雄を謳い伝える『エッダ』と『サガ』。善悪二元の対立抗争、
馬への強い信仰、バイキングに受け継がれた復讐の義務……。荒涼にして寒貧な世界で育まれた峻厳偉大なる精神
803:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/23 08:34:18.67 5W6+1QH10.net
日本が最も親しく交流した国が渤海だった。一方で新羅は日本侵略が甚だしく平安時代にはついに国交断絶したほどだった
URLリンク(youtu.be)
804:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/23 15:58:42.40 np/JGs0v0.net
アカデミー衣装デザイン賞を取った映画の衣装を全面的に手掛けたのは
若き日のラルフローレンです。
映画の衣装担当自体はレディースの衣裳を担当したセオニ・V・アルドリッジなのですが
メンズのデザインや製作のほとんどをラルフローレンが行いました。
彼はこの作品で知名度を一気に広げ、世界的なデザイナーに名乗りを上げていくのですね。
805:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/23 16:03:05.47 np/JGs0v0.net
ラルフ・ローレンの伝記である。彼は、1934年、ニューヨークの下町ブロンクスでユダヤ系ブルーカラー家庭の4人兄弟の末っ子として生まれた。
子供の頃から、IVYルックというか、東部の大学の金持ち学生達所謂プレッピーの格好が好きだったそうだ。大学を経て、ネクタイのセールスマンから身を起こし、
様々な人との出会いを得て、認められるまでる過程が、赤裸々につづられる。
この人が特殊なのは、デザイナーではなく、あくまでもプランナーというか、コンセプトづくりというか、
ブランドイメージの維持への変質的なまでのこだわりである。無謀な企画で損失を被っても、全く平気で次の企画を打ち出すのである
806:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/24 11:48:24.41 6gE+FvZ40.net
19世紀半ばから第二次世界大戦まで
ドイツ人は700万人、イタリア人は450万人、
アイルランド人は350万人がイギリス人も追加で300万人がアメリカに入植
807:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/24 11:56:42.89 6gE+FvZ40.net
最も大きな影響を与えた国は、間違いなくユナテイッド・キングダム
言語:
英語がアメリカ合衆国の主要言語となりました
政治・法制度:
代議制民主主義、コモンロー、そして多くの社会構造はイギリスのモデルから直接受け継がれて
宗教:
初期の植民地で大きな影響力を持っていたプロテスタントはイングランドとスコットランド
文化全般:
文学、民族音楽、社会伝統、植民地時代の建築物など
しかしながら他の国々からも大きな影響を受けました
フランス:
政治(革命思想)、美食、ルイジアナでは文化に影響を与えました
アフリカ:
音楽(ブルース、ジャズ、ゴスペル、ヒップホップ)、食の伝統、基本的な文化表現に影響を与えました
アイルランド、イタリア:ドイツ
19世紀における大規模な移民、料理、音楽、聖パトリックデー、オクトーバーフェストなど
メキシコとスペイン:
南部と西部では建築、テックス・メックス料理、ボキャブラリー、南西部の伝統
808:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/26 11:14:10.91 LeG3o/Ms0.net
中国でも王朝というか時代ごとに違うように、日本の衣服も奈良や平安はかなり違っていたからな。
現在「和服」と呼ばれているものに比較的ブレがないのは、けっきょく江戸期が安定して長く続いたということが大きい
(ただし、その範囲でも着こなしの仕方はかなり変化している)
和服の特徴は背縫いがあること
一枚の反物を(ほぼ)直線縫いして服に身体を合わせて着る
縫い目をほどくとまた一枚の反物に戻せる(実際はある程度裁ってるから縫い合わせて反物の形に戻すわけだけど)
どちらかというと中国南方の少数民族の系統の衣装だそうな
絵を見てもわかると思うけど韓服も漢服とやらも、そういう意味では系統が全然違う
子供の服には背縫いがなくて、後ろに「(縫い)目」かないから悪いものに襲われるっていうのがあったんだよね。
だから小さい子供の着物には背守りが縫い付けてあった。
大陸でも南方の系譜をひいてるからこそ、「呉服」という呼び方が定着したわけだからね。
もっともこの呼称も「大陸渡来の服」→「絹織の服一般」→「衣服全般」と変遷がある。
日本で綿花生産がはじまったのは鎌倉の頃で、それまで「木綿」というものはなかった。木綿がないということは「綿(わた)」もなく、したがって「綿入れ」も存在しない。
だから防寒のためには、十二単的に薄い布(絹や麻)をひたすら重ね着するか、でなければ「皮衣(かわごろも)」=皮革製品に頼るしかなかった。
呉服=絹に対する太物(ふともの)=木綿が一般的になることで、防寒着として「綿入れ」の丹前(褞袍)や半纏も確立し、
それを前提に日常的・標準的な服装も再編・安定していったと思われる。
中国の服が伝わる以前の日本は葉っぱ着ていたなどと言っている無教養な中国人は『職貢図』の絵図でも真に受けてるんだろう
あれは中国の学者ですら、弥生期の誤った和人イメージが古墳期まで続いた結果と指摘している
実際、古墳期の日本の服装はご存知の通り、靴も履いていた
809:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/26 11:53:07.53 LeG3o/Ms0.net
「生活様式が変わったから」「不景気だから」というのはよく聞きますが、それは検討外れだと思っています。
生活様式が変わっても、良いものは高値でも流通しているし、不景気でも売れるものはあります。
問題なのは、工芸の「時間の掛かり方」が、経済合理性とあまりに乖離してしまったことです。
技術の習得に時間がかかり、制作にも膨大な時間がかかる。 そのコストを価格に転嫁できなければ、作り手は相対的に貧しくなる。
データが示す「市場の縮小」は、そのまま「真面目な物づくりがバカを見る」状況を表しています。
若手が減っているのではなく、若手が“続けられない構造”になっている。僕にはそう見えます。
今の日本の美術・工芸には、こんな構造があります。支援の手が差し伸べられるのは、二箇所。
1、美大・芸大など教育機関による「入り口」の支援 2、人間国宝の認定など、評価が定まった「頂点」への支援
この二つ、「卵」と「ゴール」の間にある、一番脂の乗った「実働部隊(中堅)」への支援はありません。
810:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/26 13:30:12.19 LeG3o/Ms0.net
着物は唐の模倣したに過ぎないとか短絡的すぎるわ
十二単とか打掛、振袖、浴衣、袴、足袋、草履とか日本の様式だし
織、染め、和柄、独自の文化を生み出してる
和柄はどの時代の中国の服にも採用しにくいデザイン
着物って体型変わっても着付け次第ではしょりや着丈などで調整できるしね
だから親からの着物を着たりできるし
アオザイみたいに100か所以上採寸して、他人どころか本人も体型変わったら着られないみたいなものよりは、フレキシブル
着物は前を合わせてるだけだから、すり足歩きだった当時の日本人には歩きやすい構造
日本は江戸時代という比較的平和な時代が長かったから
都市部は生活に余裕があって着物も時代に合わせ洗練されて行ったけど
近代以後に生まれたK服は時代が浅い事もあって継ぎ接ぎ感が強く
なんで向こうの服は絹使って再現しないんだろうな?
化繊だとスゲー安っぽく見えるのに
李朝は自分たちは明朝の後継者だと自負したぐらいに明朝の引き写し国家
李朝は役人服は中華王朝の絹織物を利用しているから自分たちで作ってない
中国は伝統服は王朝直営の工場で作っていたから王朝消滅ともに技術も散逸
両国がやたら伝統を作ろうとするのはナショナリズムを煽るため
呉と言うのは中国から渡来した絹織物ののことで、素材の名前ね
呉から既製品の衣服を輸入してはいたかもしれないが、当時は反物での取引がメイン
811:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/26 16:26:34.94 LeG3o/Ms0.net
>日本は1月末に咲くものだったんだね
近年日本の花見を真似ただけの韓国人は知らんだろうが
日本にはいろいろな桜があって開花時期も違うんだよな
韓国と違って国土が広く南北に長いから同じ種類でも開花時期は差異があるしな
寒桜だろ
熱海でこの時期ならあたみ桜だろう
そろそろ河津桜も開花するし
3月はソメイヨシノを始めいろいろ咲く
812:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/26 17:30:09.24 LeG3o/Ms0.net
地元経済に金を落とさない(日用品を日本から取り寄せていた)こと、
何よりアメリカにおけるマジョリティであった白人種のキリスト教徒とは、文化が異なる
日系移民と職をめぐって競合していたアイルランド系やイタリア系などといった下層階級が
、日系移民への排斥運動に積極的な役割を果たしていたとされる
1882年に制定され、1902年に恒久的な措置となった『中国人排斥法』は、日本人が中国人に取って代わる
日本では長子相続の慣例が、根強く残っているという背景もあって、
海外で大金を稼ぎ「故郷に錦を飾る」事を目的とした、農家の次男以下による移民が、増加するようになった
813:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/26 18:24:06.47 LeG3o/Ms0.net
単一民族って神話よ
神話が残るほど歴史がある国って事ですよね
世界の国々で、住民が殆ど入れ替わっしまっている国って、どれだけあるんでしょう?
814:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/26 21:22:59.57 LeG3o/Ms0.net
日本とロシアの間の海域では、
その暖かい海水が大量の水蒸気を大気中に放出し、
そこへ寒気が流れ込んだことで、今回の大雪が引き起こされてい
815:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/27 22:39:08.57 3Kch3aS+0.net
昔の映画会社所属のスターは映画会社に大切に守られていました。たとえ映画
出演が無くても生活はきちんと保障されてたし、たしかオードリー
が一本辺りの出演料100万ドル(当時は3億6千万位)保証された
最初の女優でなかったか(あとはたぶんエリザベス・テイラーとかも)
ただスターシステムの弊害はスターのイメージを厳然と守ったことで
それはオードリーの様な外見やファッションに重きをおいたスターに
とって役立った反面、体当たりの演技を要求する映画に出られなかった という不満もあったかと思います
今はご存知の様に各スターはそれぞれエージェント(代理人または管理会社)を持っていて、
エージェントが出演料の交渉その他を行います。
その中の30%位をエージェントが受け取るので、当然出演料の高い映画、または興行収入に応じて配分をしてくれる映画が優先となる。
出演が決まればエージェントと俳優が共同で契約書にサインします
816:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/27 23:06:29.12 3Kch3aS+0.net
オードリーは何を着ても似合うよね。
映画界に初めてファッションモデル的な要素を持ち込んだ女優だった。
だからこそ、あれだけ同性にも支持されたんでしょう
それまではハリウッドとパリのファッション界は全くの別世界だったんだけど、
それらの架け橋となり、両者をくっつけてしまったのがオードリー。
新進デザイナーのジバンシーが、あそこまで有名になれたのもオードリーのお陰だけど、
スタイリッシュなオードリー・ファッションを作り上げたジバンシーもまた偉大。
尼僧物語って、大ヒットして、北北西に進路を取れの、公開が伸びた経緯があって、ヒッチコックが少し怒っていたんだよね。
ヒッチとオードリーって因縁があって、ヒッチ作品にでるはずだったんだけど、裁判劇だったか、暴行されるシーンがあって
オードリーが断ったことが合った。おしゃれ泥棒で、ヒッチの研究本読んでいるシーンがあるけど、そのあたりを知っていると
笑える。
噂の二人は、オードリーの映画だと思ってみると、シャーリー・マクレーンの存在感が凄い
昼下りの情事」
ゲーリー・クーパーに「君は完璧だよ」
(オードリー)は、ちょっと顔をしかめ
「私は痩せすぎ、耳も飛び出してるし、歯並び不良。首も長すぎるわ」と、自分のルックスの欠点を挙げていく。
するとフラナガンは「だが、それらがまとまると素敵だ」
817:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/28 13:46:39.78 b33Cxljl0.net
大英帝国を称賛する人たちを見ると、階級がしばしば完全に忘れ去られているのが不思議だ。
労働者階級なのに「帝国は最高だった」と思っている人もいる。
彼らは、自分と同じ階級の人々がどんな扱いを受けていたかを忘れている。
大英帝国を支配し、利益を得ていたのは上流階級と貴族だった。
富と資源の大半は彼らが所有していた。
多くの労働者は、その恩恵をほとんど受けられず、むしろ多くが命を落とし、過酷な労働条件で安価な労働力として使われていた。
工場労働者が背骨を壊すような仕事をしている一方で、工場主は西インド諸島の砂糖を使い、インドの絹で妻を着飾らせ、中国の皿で食事をしていた。
夜通し地下の不潔な倉庫で、翌日の舞踏会用のドレスを縫わされていた七歳の少女たちもいた
貧しい人々が意思に反してオーストラリアへ送られた、なんて例もある
植民地支配の手法が最初に国内で発明・洗練され、その後海外で使われたという点は、だいたい見過ごされがちだ。
かつては多くの人が「白人」ではなく、自分の民族集団で自己認識しており、その民族性ゆえに差別されていた。
たとえばアメリカでは、アイルランド系、南欧系、東欧系は公然と劣った存在として差別されていた。
イタリア人やアイルランド人は第二次世界大戦後まで完全には「白人」と見なされていなかった。
そして多くの、あるいは大半のアイルランド人は、それをむしろ誇りとして捉えている。
「白人が世界を支配したこと」を誇るよりも、アイルランド人が白人性から距離を取り、反植民地主義を明確に支持する姿勢の方がはるかに一般的だ。
もちろん、実際には多くのアイルランド人が植民地支配の加害側に関わっていたのも事実だけどね。
ドイツでは、人々はドイツ全体よりも州、あるいは地区レベルで自分を認識することが多い。
東西や南北の間には強い文化的差異がある。
WW2後、戦勝国は世界を支配してきた悪事を、他国に責任転嫁し自分達は悪の日独から世界を救った正義設定でやりたい放題してきた
818:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/28 14:14:48.87 b33Cxljl0.net
人間社会の多くには相続というシステムがある
相続するものは財産だけでなく、我々を規定し、拘束するすべての価値観、制度、環境も含まれる
共同体の意識を共有していないと文化だろうが産業だろうが太刀打ち出来ないと深層心理で焦っている
白人社会の地は歴史上満遍なく血塗れだから、ある日突然脆い共同体意識が崩れて内輪で攻撃し合う
819:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/28 16:38:41.71 b33Cxljl0.net
人類として同じだけの時間を使ってその時代の競争に勝ったということなんだからイギリスやフランス、
その他頂点極めたことがある国がそれを誇るのは不健全だとは思わない。
負けた連中は道徳的だから負けたわけでもないしな。
820:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/28 22:58:34.07 b33Cxljl0.net
白人にとってのホームグラウンドって近代入るまでは王国ではなく教会なんだよな
グローバルの概念とかも、俺らにとっちゃ意味不明だけど、あっちでは意外と起源が古くて
十字軍の頃の多国籍部隊や土地の垣根を越えた神官の協力にまでさかのぼるらしい
以前グローバリストと反したときに聞いた話で、これは個人的に盲点だった
だから向こうのインターナショナル系の左派は、国への忠誠が薄くて春秋列国の遊説家・縦横家とかの概念がある中国に親近感を持ちがちらしい
逆にアメリカは南部気質が一所懸命と合致するから、南軍側として叩かれがちな層は大日本帝国のことが結構好きだとか
フランスドイツイギリススペインとか王族貴族の血縁関係が入り混じってるから、白人単位で歴史を誇るのはまあ分からんでも無い
エゲレスが誇るべきはやはり立憲君主制では?まぁ王族や皇族の制限付きの特権と引き換えによる生贄的制度ではあるが、
共和政はアメリカやフランスを見ると統合が弱すぎるし、
強権的な政府や独裁体制は中露を見るに幸せにはなれなそうだ。結局のところ何かの象徴を伴った民主制がバランスが良い
821:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/28 23:46:53.53 b33Cxljl0.net
日本は国土の約70%が山地・森林なので実際に住める平地は国土の約3分の1。ニュージーランドにも同様に山岳もあるにはあるが、なだらかな丘陵地や広大な牧草地が多く、国土の約50%が農業・牧畜に使用可能な土地として利用されている
822:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/28 23:57:52.70 b33Cxljl0.net
日本は国土の約70%が山地・森林なので実際に住める平地は国土の約3分の1。
ニュージーランドにも同様に山岳もあるにはあるが、
なだらかな丘陵地や広大な牧草地が多く、国土の約50%が農業・牧畜に使用可能な土地として利用されている
823:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/29 14:10:19.24 I+hZeYTA0.net
江戸開幕の時点で、皇室から離れて都市開発をした東京が、世界的に見ても異質なんだよ。
放射状でもなく格子状でもなく、幾らでも拡大できる巻貝状の江戸の都市計画。
世界的に見てももの凄く特殊
朝鮮建築の工法では二階屋が建てられない、日本建築の工法だと二階屋が当たり前
そもそも大工が殆どいな、その大工も日本で材木をプレカットしたキットを組み立てるだけ
既に朝鮮時代の文化財を修復する技術も失われている
824:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/30 15:38:02.07 29rWk3RG0.net
―「ユダヤ国家」を自任するイスラエルを、ユダヤ人の立場から批判してきました。なぜですか?
ユダヤ教の伝統と相いれないからです。ユダヤ教は約3500年前に現在のイスラエルやパレスチナの地域で生まれた一神教で、追放や移民による離散を経て世界に広がりました。
神からの言葉と戒めである聖典(トーラー)を共有しつつ、様々な人種や言語のユダヤ人が存在します。
伝統的に、離散したユダヤ人は、救世主(メシア)が訪れたときに聖地に受動的に「戻される」のであって、人間の意思で能動的に「戻る」ことは、神に反すると考えます。
対して、1948年に建国したイスラエルは、ユダヤ人が、神からの「約束の地」である聖地シオン(エルサレムの別名)に戻るべきだ、という信念に基づいた政治運動によって生まれました。
政治運動は「シオニズム」と名付けられ、信奉者は「シオニスト」と呼ばれます。
19世紀後半から、主に東欧のシオニストたちが、オスマン帝国下や英国委任統治下だったパレスチナへと移住を進め、自分たちの国家建設をめざします。
しかし、この地域には既に人が住んでいたので、次第に土地をめぐる争いへとつながりました。現在まで続くイスラエルとパレスチナの紛争の根幹です。
イスラエルは「ユダヤ国家」を掲げますが、正確には「シオニスト国家」であり、本来のユダヤ教とは相反するのです。
―なぜユダヤ教の教えに反する形で、シオニズムという運動が生まれたのでしょう。
そもそもシオニズムは、17世紀のキリスト教プロテスタントの間で生まれた考えです。聖書を言葉どおりに解釈する「福音派」が、
キリストの再臨のためにユダヤ人を聖地に戻すことが重要だと主張し始めました。
ユダヤ人がシオニズムに関心を持ち始めたのは、19世紀後半になってからのことです。オーストリア・ハンガリー帝国支配下のチェコやスロバキア人などが
自分たちの国を持ちたいと考え、ナショナリズムが台頭する中で、一部のユダヤ人も動き始めます
主にユダヤ教から離れ、世俗化した人々でした。宗教的でなかったからこそ、神への信仰ではなく、「民族(Nation)」としてのよりどころを求めたのです。
当初はごく少数派でしたが、やがて公然と差別されていたロシア帝国に暮らすユダヤ人たちに広がりました
ロシアでの境遇に改善の見込みがない中、パレスチナに移住しようという考えが受け入れられたのです。
ただし、ロシアから移住したユダヤ人の大半は北米へ向かい、パレスチナへ移ったのは1%以下にすぎませんでした
さらに第2次世界大戦下のナチスによるホロコーストが、多くの人々に、ユダヤ人が国を持つべきだという考えを納得させました。
■「我々にはイスラエルしかない」という意識 ―世俗的なシオニズムが、「聖地」への権利をどう正当化するのですか?
一部にとっては「神から与えられた権利」かもしれませんが、イスラエル人の多くは世俗的です
825:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/30 15:40:37.00 29rWk3RG0.net
神は存在しない。しかし、神がこの土地をユダヤ人に約束した―矛盾があります。
イスラエル人の多数は、ユダヤ人があまりにも多くの迫害に苦しんできたからこそ、
この土地を手に入れる権利があり、パレスチナ人を追放することも許されるのだと信じています
ユダヤ人はイスラエル以外に行くあてがないが、パレスチナ人は周辺に多数あるアラブ諸国で暮らせるじゃないか、と。
理解しがたいかもしれませんが、こうした考え方が建国以来、一般的に語られてきたのです
826:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/30 20:48:48.84 29rWk3RG0.net
オランダは日本と直接契約を結んでおらず、オランダの東インド会社と契約していたため、ペリーの契約は初めてのことでした
827:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/31 14:02:49.06 +6ZW5Gih0.net
東アジアで発生し、毛髪を太くする代わりに体毛を減らし、汗腺を増やすという適応をもたらした。
828:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/31 14:29:21.85 +6ZW5Gih0.net
急激に変わったのは民族としての「古代~現代」期間ではなく
人一人の人生の中での「幼少期~青年期」までのたったの10~20年程の間
本来なら子を残しやすい美形顔に遺伝子は凝縮されていくはず。ところが整形を始めるとその美形への凝縮は起こらない。
整形を称賛する国では美形に擬態するブサイクが多くなる。
整形する方向が
「顔から韓国人的な特徴を消し、日本人的な顔にする」
日本列島に男を中心とする大量の渡来人が押し寄せ、縄文から弥生人に入れ替わったとする歴史学会の説は否定される。
つまり人種的には従来の日本人(縄文人)に渡来人が来ても同化していったということが結論。
朝鮮の乞食と日本の古事記は全く関係ないぞ
日本の縄文時代の晩期から弥生時代に当たるBC1000年~BC300年の半島の様子は、最古の地理書といわれる中国の「山海経」に記されている。
それには、「蓋国(北朝鮮辺りの国)は倭の北にある。倭は燕(南満州辺り)に属している」とあるので、
そのころは半島南側は倭人が住み、燕に朝貢していたと思われる。
そしてこの「山海経」に韓人を書いていないということは、半島には韓人がいなかったと思われる。
829:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/31 15:03:57.30 +6ZW5Gih0.net
経済は多くの面で非常に非効率的です。イギリスには存在しない仕事もあります。
非常に明白で標識のある出口を案内する人々、明確な建設現場の前に立つ作業員たち。
私たちの考え方では不必要で非効率的です。
しかし、これらの職を担う人々は、日本の考え方で賃金を得て家族を養う機会を持つべきです。
作業員もまた、完全なプロ意識と配慮をもって役割を遂行しています。本当にそんなに悪いことなのでしょうか
830:名無しさん@お腹いっぱい。
26/01/31 20:53:48.67 +6ZW5Gih0.net
華北に進出した契丹や女真の国家はかつての五胡と異なり、漢文化に同化せずに独自の民族的性格をそのまま中国に持ち込んできた。
そのような周辺民族の活動を見て、宋には漢民族として自覚が生まれたと言える。
宋は遼や金を対等な交渉相手とせざるを得ず、その交渉は宋の政治に直結した。
和平を実現したが、遼への贈与の負担は財政を圧迫
831:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/01 00:31:02.23 xFqdJ/Ul0.net
スタジオに多くのゲストがいてどうでもいい感想を言わせるのはいつからだったんだろう?
余計な字幕テロップも無いし、ワイプでわざとらしい芸能人の顔も無かったので、画面に集中できました
昔の番組はこんなに輝き、面白い番組ばかりだったのに…
今はどの番組見ても芸能人が食って遊んでるだけですからね
ワイプの芸能人の「うわうわ」「怖ぇ~」などの声が入り、最後は茶化して終わる、最近のTVはなんでこんな作り方しかできないのか
K口浩探検隊とかY追純一のUFOとか、あの真剣そうな雰囲気が少年の冒険心や好奇心を刺激したものです
なんで俺らは、この当時のよかった思い出を自分たちの子供世代にまともに引き継げなかったのか?
おそらくこの時代の子供、若者の多くは、大人になった後に、次の世代の子供たちよりも自分たちの都合のいい無機質で効率重視の社会作りを優先してしまったように思う。
巨額の利益を上げた企業が日本国民の知性を高める投資をし、次世代が新たな日本を造る。
理想的な好循環が成り立っていた頃ですね
この頃は新聞のテレビ欄見るだけでもワクワクできたもんな〜
832:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/01 14:16:52.38 xFqdJ/Ul0.net
オープニングの構成がよく考え抜かれてるのに感心した。
映画の当時における通常のマタギ猟の様相、集団で巻いて、効率的にライフル使って遠距離から比較的安全に仕留める、という様子を観客に提示している。
これが、この映画の主人公の老マタギ(西村晃)がこれから、単独でマタギ犬と時代遅れの村田銃だけで、
凶暴な人食い熊と対峙して狩ろうとすることの異様さの意味を際立たせているように思う。
オープニングの最後に、現代マタギ猟師の、化繊の現代的な服装と対比的に、昔のマタギの装いで登場する西村の場面で、なんとも言えないものを感じた。
833:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/01 15:08:39.51 xFqdJ/Ul0.net
大陸西側の海岸付近の砂漠は熱帯砂漠と呼ばれ、寒流の影響によるものです。
寒流上部の空気は水蒸気が少なく上昇気流が起こりにくい(=雲が出来にくい雨が降りにくい)ことによるものです。
ラスベガスのまわりネバダ砂漠なども同じかと言われるとそうではありません。
東にはロッキー山脈、西にはシエラネバダ山脈という大きな山に挟まれた盆地に広がる砂漠は寒流の影響は受けにくく
一般的には温帯砂漠と呼ばれるものになります。
山脈の方から吹き込む卓越風の風下となるため、下降気流が生じることから雨が降りにくく乾燥しがちとなること、
あるいは単純に海から遠いことから水蒸気の供給量が少ないことによる内陸特有の乾燥状態にあることなどが原因となります。
1.太陽が真上から照らすところ→すごく暑い→空気が軽くなり上昇(低気圧)→
断熱膨張で冷却される→雲ができる→雨が降る、
2.そこから南北へある程度離れたところ→上昇した空気が落ちてくる(高気圧)→
断熱圧縮で温められる→雲はできない→晴れる
834:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/01 15:18:26.11 xFqdJ/Ul0.net
中国国鉄は、フランスと同様、在来線も新幹線も1435mm。在来線の寝台列車も、適宜新幹線経由にできる。
しかも今は、主要都市間の新幹線が、若干経由地が違う複々線になっているので、交互にメンテナンス運休させることもできる。
片や日本は、東海道新幹線に時間13本も無理矢理走らせて動脈を維持。
財務省と左派系が結託してインフラ投資を抑制したため、こんな差がついてしまいました。
目先のお金をもらうことばかりに関心を持つ選挙は、そろそろ止めにしないと、この国、終わっちゃいそうです。
まあ、日本も完全に欺されたね。
本来ならこれだけの路線建設や設備や車両の莫大な入札に参画できたはずなのに。
彼等は資金を国内で回すという意識がある。国内にある莫大な労働力を有効に使うという意識がある。
835:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/01 15:56:21.28 xFqdJ/Ul0.net
映画表現における独創性や先鋭性は間違いなくカサヴェテス
カサヴェテスの映画のスタイルというのは誰にも模倣できないからだよ。
とりあえずリメイクを作ってみるということすら不可能。
それは小津やブレッソンの映画が誰にも模倣できないと同じ。
ヌーヴェルヴァーグに近い「アメリカの影」だって人間の感情の振れ幅(悲しみや痛みといった感情も含めて)
をきちっと映画描いてる時点でゴダールとかの映画とは全然違う。
ベルイマン初期の「不良少女モニカ」とか「夏の遊び」あたりは
ヌーヴェルヴァーグの作家や日本の中平とか清順とか蔵原に任せても同等以上の作品を作るだろう。
「シークレット・オブ・ウーマン」とか「女はそれを待っている」
あたりのコメディなんかはルビッチやキューカー、ホークス、川島あたりの方がよっぽどセンスのある作品に仕上げるだろうし、
「第七の封印」とか神の沈黙三部作あたりはドライヤー、ブレッソン、
ロッセリーニ、ブニュエルらと比較すればどちらの演出の力量が上かは一目瞭然
後期のホラーちっくな人間心理をえぐったような作品はアントニオーニやポランスキーの方が深くて凄みがあるし、
単純な恐怖描写ならスピルバーグやロメロ、フーバー、カーペンターらのほうがよっぽど面白い演出をするだろう。
黒澤の映画の凄さというのはどちらかと言えば演出よりも脚本の出来によるところが
大きいのでそれなりに技術を持った監督なら模倣は容易だと思われる。
黒澤・ベルイマンのようにシネフィルと一般人に万遍なく受けるってのも小津・ブレッソンには無い長所
836:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/01 19:24:12.12 xFqdJ/Ul0.net
王族の子孫で由緒正しい苗字を受け継ぐ国と奴隷たちが好き勝手に苗字を名乗った国との違い
漢字を忘れて読めなくなった族譜が唯一のよりどころ、哀れだね~
日本は明治維新時に平民にも姓を名乗ることになったように、朝鮮でも日本の一部になったことで大量のヌヒが姓を名乗ることになったが、
日本人では多くが新規のオリジナルの姓を名乗ったのに対して、
朝鮮人は名家の姓を勝手に名乗って家系ロンダリングをやった
族譜の売買が頻繁に行われていたんだと
戦前は姓を強制されたというよりも擬態するため、戦後は日本を乗っ取るために通名を名乗る。
有力者にすり寄るか詐称して「他人にマウント取ろうとした」のが韓国人。
分かり易く他者との区別を優先して「自分アピールした」のが日本人
下の名前は日本の影響を受けた英美(ヨンミ)みたいなのも多い
韓国は「姓」
日本でいう所の「氏」に相当、「苗字」は日本だけにしかない
苗字は1000年頃から存在する、最初は公家や武士から始まったが、直ぐに平民にまで広がる
江戸時代には争い防止から平民は苗字を名乗ることが禁止されたが住民票や過去帳などには名字付きで記録されている。
(「苗字が公称できたかどうか」という問題と「苗字を持っていたかどうか」は全くの別問題)
明治からと言うのは、それ以前までの、姓(氏)と、苗字の二重制度が廃止され、一元化され公称出来るようになったから
藤原五摂家が判り易いが「氏」は全て「藤原」。
近衛・一条・九条・鷹司・二条が苗字に相当。
実際はそれより遥かに分家しているが。
貴族階級の藤原の氏族はふえすぎたので、自分たちの屋敷のある京都の地名を家名(九条・近衛・鷹司・二条・一条等)として区別していた、
源氏、平氏、橘氏も増えすぎて住んでる地域の名で区別していた。また武士階級は自分の支配する土地の地名を苗字として名乗った。
さらに室町時代末には平民階層にまで広がっている、
仕事や役職が苗字に成ったパターンもある、大工、笛吹、村主、巫(かんなぎ)等々1500年代には平民も苗字持ち
朝鮮王は中華冊封(植民地)の現地管理者だから
皇帝のように姓を与える権利がなかった
837:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/01 19:26:39.08 xFqdJ/Ul0.net
家紋とセットになるから、そう簡単に偽りの苗字は作れないんだな
838:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/01 19:31:25.94 xFqdJ/Ul0.net
姓・・・一門 →源、平、藤原など
氏・・・家族 →織田、豊臣、徳川など
名・・・個人 →信長、秀吉、家康など
韓国では姓と名で、氏がない。
日本では氏と名で、姓はあるが普段は意識しない。
数で言えば氏>姓なので、当然韓国の苗字は少なくなる
839:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/01 20:02:17.00 xFqdJ/Ul0.net
名探偵コナンが韓国産だったら、適当に「犯人は李さんだ!」って言えば大体当たるんですね
840:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/01 23:30:41.47 xFqdJ/Ul0.net
モンゴルの日本侵攻と紀元前5世紀のペルシャのギリシャ侵攻
ペルシャ艦隊はチャルキディキ近郊の嵐で壊滅
ペルシアの侵攻はギリシャの都市国家の統一をもたらし、「ギリシャ人」という概念の自己認識
アレクサンダーの帝国もモンゴル帝国も似た運命をたどりました。どちらも実質的な後継計画がなく、
次の支配者を巡って争う将軍たちが帝国を分割し、それぞれの将軍が自分の領土を治めるという結果
841:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/02 14:30:43.13 yes8ZwG90.net
シンガポール人はみんなお金持ちみたいなイメージを持たれてますが、実際は9割が庶民で1割が富裕層です。
大半の庶民は国からHDBという最低限の住居は与えられるけど、20代で一人暮らしなんてほぼ不可能
シェアルームでさえ最低家賃30万
.公営住宅に住む場合、建物ごとに人種やルーツで割り当てが決まってい
その富裕層に元日本の芸人も入ってるんだろうな
あれは、文化人VISAなのでよくスシローで見かけるって現地の人が言ってました
無料で出来る娯楽も公園散歩くらいしかない
相続税を逃れるためにシンガポールに移住
日本については、昔シンガポール支店の日本企業で働いた世代がお金を持つようになり、
内部から見た日本の管理体制を心底信用しているから、シンガポール人は日本製にこだわるそうです。
でもやっぱりプライドは高いので日本に憧れている訳ではなく、システムを賞賛していました
結局呼び込んだ富裕層がどのようにお金を地元に落とすかによって、富裕層のための国にもなってしまう。
かつての先進国が押し並べて豊かだったのは、庶民が真面目に働いて庶民がいっぱい消費する。だから会社も庶民が求めるモノやサービスを提供する。
富裕層呼び込み型の成長だとこのサイクルが働かない。
842:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/02 14:54:08.26 yes8ZwG90.net
kiu
843:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/02 15:24:24.28 yes8ZwG90.net
スパイやゲリラは国際法違反ということに左翼は認識がないし
844:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/02 15:38:58.90 yes8ZwG90.net
マダガスカル島を日本軍が占領して戦艦で通商破壊していれば
中東、インドの英軍とシナは息の根を止められていた
だからこそ英軍が先んじてここを占領した
845:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/02 15:41:18.06 yes8ZwG90.net
インドネシア人が独立で一番感謝してたのはアメリカだよ
オランダが再占領に来てインドネシア追い詰められた時アメリカがオランダに経済援助停止を通告したから独立成功した
インドネシア自体が侵略国家で東ティモール問題筆頭に隣国植民地支配しまくっているし数々の虐殺事件起こしているからな
東ティモールは海底ガス資源あるんで豪州が煽って独立させた場所だった
フィリピンで市街地を爆弾で更地にしたものアメリカ軍
日本には当時そんな無駄に使う弾薬もガソリンもなかった。これも全部日本がやったことに今でもなってる
846:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/02 16:19:40.74 yes8ZwG90.net
インドもパキスタンと分離して争ってるうちは英国も安心だけど、手を握ったら絶対に植民地時代の賠償を要求される
パイロットの練度も異常で急降下爆撃で命中率80%叩き出したりしてる
エンジン馬力に対して極端に機体が軽かったゼロの空戦能力が敗退し始めるのは、ヘルキャットのジャイロと呼ばれた自動照準装置だった。
ヘルキャットは、自動照準装置でゼロをロックオンすると、コンピュータが自動計算を行い機体が自動移動して照準を
合わせることが出来た。なおB-29の対空機関銃もコンピュータによる自動照準装置だった。
赤十字(あるいは赤新月)の付いた病院や車両は保護対象だが、航空機は対象になってないはず
重慶は軍事都市だったし各国の大使館もあったから慎重にやりました。
何年も爆撃して死者1万ちょっと ゲルニカも千人ちょっと。
アメリカの全土戦略爆撃は、そんなのとレベルが違う戦争犯罪。
軍事施設は民間人居住地から離すとか、戦時には住民を避難させるとか)は、一義的にその国の軍隊の責任だからね
これを怠ると、「人間の盾」にしていると非難されても仕方がない
シッタン作戦日本兵は意図的にワニのいる沼や川に追い込まれて殺された
ボルネオ島の戦いでも同島の首刈り族をイギリス軍がそそのかして日本兵を狩らせまくってる
賎民の子孫だから、軍人(本来は貴族の職分)の名誉とか解さないのかな
847:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/02 22:50:44.35 yes8ZwG90.net
純血のアメリカ人(じゅんけつのアメリカじん、英語: American ancestry)とは、
自分自身を純粋なアメリカ人だと考え、
先祖の血統に関心を持たない、あるいはそれを否定するアイデンティティを指す。
848:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/03 15:03:00.88 aCcj8ieT0.net
イギリス人は貴族的すぎて日常の雑用をこなさず、単純労働を誇りに思わなかったためドイツ人を招き入れました
1870年から1913年までの10年ルールで市民権を剥奪しました
「多くの人は周囲に溶け込むために名前を英語化したんだ。」
ある意味で、イギリス人でさえドイツ人です。ローマ帝国の崩壊の際、アングル人やサクソン人など多くのゲルマン部族がブリテンに移住し、
その一部はイングランドに編入されました。
また、別のゲルマン部族であるフランク族がガリアに移住し、フランスに変えました。別のドイツ部族であるゴート族はヒスパニアに移住し、
スペイン貴族の中核を形成しました。別のドイツ部族であるヴァンダル族もスペインに移住し、
アンダルシアに定住しました。ヴァンダル族はイタリアや北アフリカにも定住しました。
ゲルマン部族は「(Völkerwanderung)」と呼ばれることを行い、中部ヨーロッパからあらゆる方向に広がり、時を経てさまざまな民族を築きました
特に2‐8世紀のゲルマン諸族の)民族〔大〕移動
Ⅱ戦後逃亡や追放によるドイツ民間人の総死者数、ソ連での強制労働を含む数は50万から60万人
東ヨーロッパには1700万人以上のドイツ人が住んでいました。ドイツに到着したのはわずか1,200万人でした。公式には「わずか」1400万人が追放されたとされています。
連合国は事実上のジェノサイドを隠蔽しました。虐殺が起こり、難民船は冬に沈み、多くは逃げる途中で凍死したり飢え死にしたりしました。
なぜドイツはドイツ系の人々を帰国させる代わりに、100万人から300万人のムスリム難民を好んだのか?
ドイツには依然として帰還権の法律があります
849:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/03 15:16:43.68 aCcj8ieT0.net
北太平洋の中緯度を東流する海流は、北アメリカについてそこで南北に分かれます。
南へ別れた流れた海流はカリフォルニア沿岸を南下します。
北から来た海流ですから冷たい寒流となっています。
夏にカリフォルニア沿岸のサンフランシスコへ吹く風は、寒流に冷やされるので風に含まれる水蒸気が霧になります。
沿岸で霧を吐いた空気は、海岸山地を越えてカリフォルニア盆地に乾いた気候をもたらします。
カリフォルニアが夏乾燥の地中海気候となるのはそのせいです。
サンフランシスコの700km沖合をカリフォルニア海流という「寒流」が流れていて、西から暖かく湿った空気が通過する時に
この寒流によって冷やされるので「層雲(霧雲)」が発生し、これが地上に達すると「霧」となります。
この冷やされた気流と霧による太陽光の減少によって
サンフランシスコでは夏の8月でも、最高気温が20℃程度にしかなりません。
この霧の発生の仕組みは「移流霧」と呼ばれるものです。
盆地などで、放射冷却によって冷えた地面によって
湿った空気が冷やされて発生する「放射霧」とは仕組みが違います
850:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/03 16:09:28.48 aCcj8ieT0.net
西海岸沿いのスペインとロシアの小さな衝突。ある時点でモスクワのスペイン大使がロシアの入植意向を監視しており、
これが特に18世紀半ば以降のスペインの探検遠征を加速させました。
これがスペインがカリフォルニアに入植した主な理由です
サンフランシスコ朝はスキー、午後はウォータースキーをして、その後素敵な夕日を眺めて、どこか素敵な場所に出かけます。
人気があるのも無理はありません。今後もコストはさらに高くなるでしょう
ロサンゼルスは週末の夜に奇妙な雰囲気を醸し出します。私がこれまで訪れたどことも違います。
情熱と死の感覚のようなものだ。貧困と富の混在は衝撃的です。
カリフォルニアが特定のネイティブアメリカンの部族を完全に壊滅させたことを言い忘れていますね。
また、アイルランド人や中国人の奴隷が存在し、特定の倫理集団に対して厳しい抑圧法が存在します。
さらに、戦時中にカリフォルニア州が強制収容所を連邦政府に働きかけ、アメリカの無実の日本人を他州に送るよう働きかけました。
最後に、多くのメキシコの農民がカリフォルニア政府に土地を違法に奪われました
メキシコ政府が著しく無能で虐待的かつ腐敗していた
カリフォルニオ族はあらゆる民族の人々がメキシコに反対し、アメリカ合衆国への加盟を支持していました
851:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/03 16:57:43.17 aCcj8ieT0.net
カリフォルニアには約600万人のアジア人がいます。カリフォルニアの人口は4,000万人です。
多くのフィリピン人人口を持つ唯一の州
ハワイには約100万人の混血のアジア人がいます。人口は200万人未満
ハワイが学業成績で良くない理由は、アジア系のミックスに加え、東アジア系も含めているからです
フィリピン人がアメリカ中のほとんどの病院で働いている
1950年代にはに中国人食料品店がありましたが、今はもうありません。
子どもたちは医師や弁護士になることになる。
ニューメキシコ州をアメリカで最もヒスパニックが多い州
ニューメキシコ州ではヒスパニックが48%で、非白人ヒスパニックは40%
サンフランシスコで津波警報が鳴ると(毎週火曜日の正午にテスト)、英語警報の直後に広東語の翻訳が流れます。スペイン語は使えません。
852:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/03 18:00:03.59 aCcj8ieT0.net
ヨーロッパの国籍起源は白人の間で依然として一般的であり、ほぼ5人中3人の白人が祖先の質問に対して1つ以上のヨーロッパ諸国を挙げています。
...しかし、かなりの割合の白人は単に「アメリカ人」と答え、合衆国の建国に祖先をたどり、その先祖が13植民地に住んでいた人々のことです
2020年の国勢調査で「アメリカ人」カテゴリーを廃止した際に単に「イングリッシュ」と認識
アメリカが独立するのは避けられなかった。それはイギリスのDNAに刻まれている、自己決定権です
現代のアメリカでは国籍があまり重要視されないため、
多くの白人は単純化されたアメリカ化された人種的アイデンティティに満足しています
多くのドイツ人は砂糖大根テンサイ甜菜の栽培方法を知っていたため、中西部や平原に連れて行かれ、
カリブ海産のサトウキビへの依存を減らしました
ドイツ人がこれほど大規模にいるとは思いもしませんでした。アメリカが第二次世界大戦でドイツを支援しなかったのは驚きです。
ドイツが「統一」したのは1870年代になってプロイセン帝国でした。争い合う州々が存在しました。
ドイツ人のアメリカへの大規模な移住は1776年以降に始まりました。多くのドイツ人は南北戦争後、
迫害や戦争から逃れるためにここに来ました。彼らは旧祖国への忠誠心をほとんど持っていませんでした。
ポーランド人の統計にも問題があります。19世紀にはポーランドは地図上に存在しませんでした。
この国はロシア、プロイセン(ドイツ)、オーストリア・ハンガリーの三つの勢力に分割されていました。
そのため、場合によってはポーランドからの移民がロシア人、ドイツ人、オーストリア人として登録されたのです。
アメリカにはノルウェー系の人がノルウェーより多いし、アイルランド系の人がアイルランドよりもはるかに多いです
アイルランド人は明らかに過剰に計数しています。実際のところ、19世紀には、識字率が高くプロテスタントであれば(イギリスのどこから来ても)イングランド人としてカウントされ、
そうでなければアイルランド人とラベル付けされていました
ネイティブアメリカンの人口は、イギリス人が到来するずっと前からおそらく700万人以上存在
853:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/03 18:03:18.88 aCcj8ieT0.net
国勢調査における「アメリカ人」のアイデンティティは、市民権ではなく民族や祖先を指します。人はアメリカ市民であっても、民族的にはアメリカ人ではありません。
アメリカ国民とは、祖先が元の13植民地に住み、イギリスからの独立を支持し、
アメリカ合衆国とその憲法の確立に貢献した人々のことです。世代を経て、彼らは後の移民グループだけでなく、
自分たちのヨーロッパやアフリカの先祖の移民起源とも引き離されていきました。時が経ち、文化的な違いが生まれたことで、彼らは独自の民族集団となりました。
これにはアメリカ独立を支持した自由黒人と奴隷制の黒人の両方が含まれます。ファースト・ネーションズにとっては、
独立戦争時にアメリカ側についた者だけがこの建国の遺産の一部と数えられる。当時、ほとんどの部族はヨーロッパからの独立に反対していた
市民権と民族は同じではありません。一方は合法的で、もう一方は先祖のものです
854:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/03 18:12:07.39 aCcj8ieT0.net
アフリカ系アメリカ人が自分の祖先を知らない
西アフリカのさまざまな地域間で混ざっています
855:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/03 18:21:01.38 ejtwP0i00.net
You.Tubeで大宮公園のピースくん見てからお茶にするかな
856:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/03 18:21:34.54 aCcj8ieT0.net
アフリカの西部海岸、。15~19世紀
穀物海岸(グレインコースト 胡椒海岸が正しい
象牙海岸(アイボリーコースト コートジボワールはフランス語で象牙海岸
黄金海岸(ゴールドコースト
奴隷海岸(スレイブコースト
857:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/03 22:02:30.85 aCcj8ieT0.net
11の国のアメリカ史 岩波
アパラチアン
カウボーイ レッドネック カントリーミュージック
ウエストバージニアから西へ ケンタッキー テネシー ミズリー アーカンソー オクラホマ テキサス
英国の辺境地域から大アパラチア地域への入植がはじまった。この地域への入植者はみずからを生粋アメリカ人と答える場合が多い。
「大アパラチアは、北アイルランド、イングランド北部、スコットランド低地の、
戦争で荒廃した辺境地帯から相次いでやってきた粗野で好戦的な入植者の一団によって18世紀のはじめに創設された。
(中略)ブリテン諸島ではこの文化は、ほとんど絶え間のない戦争と動乱状況の中で形成され、
戦士的倫理観と個人の自由や個人主権を強く重んじる風土を育んだ。
これらのボーダーランド人たちは、貴族や社会改革者についても同じように強い疑念を抱いて、
北東部ヤンキーの教師、中東部の領主、深南部の貴族を軽蔑した
アパラチアの人びとに出身国やエスニシティを尋ねるとき、彼らはたいてい決まって「アメリカ人」あるいは
「生まれつきの(ネイティヴ)アメリカ人」と答えるのである」。
彼らは、南北戦争では北軍に与して戦ったが、
南部再建に当たっては反北東ヤンキーに転じ、中東部や深南部の勢力と同盟を形成したという。
四百年前の清教徒革命前後に、まず英国王の圧政に苦しんだ清教徒たちが国を逃れて北東部ヤンキーの基礎を作り、
革命後には逆に王を支持して破れた貴族たちが国を後にして南部の基礎を作った
殺し合いまでした相入れぬ価値観を持つ二つの勢力が米国の南北それぞれに別のを建設
しかも南北の境界地帯にも個性的な背景を持つ人々が少し遅れて植民地を建設し、その時々にあるいは北にあるいは南に付いてキャスティングボートを握り
ヤンキーピューリタンは、急進的カルヴァン派の系統を引いており、そのため傾向としては民主主義的でリベラルだが、急進的改革主義、自分たちの正しさを前提とした他地域の積極的な啓蒙
ピューリタンのボストンへの入植は理想郷の建設に燃えた
深南部は「生まれながらの序列と身分」、「エリートは尊重されるべき」という身分制
奴隷制こそが真の貴族のみによる民主主義を可能にすると嘯く深南部支配層
プロテスタントでも中庸なクエーカー教徒は 教会」でなく「集会
絶対的平和主義を主張
ペンシルバニアを作った(その後内陸アイオアまで拡張ミッドランドとなる
西海岸はヤンキーの入植によって成立したが、その後の歴史的過程でアパラチアの個人主義が加味された
結果北東部のヤンキーとは違った心性のネーションになった
公的な場でもTシャツ半ズボンでOKな西海岸とネクタイとスーツが欠かせない東部
長年無視されてきたエルノルテ(ヒスパニック)が人口増大して勢力を伸ばしている以上、
事実上の失敗国家であるメキシコで何か起これば、メキシコ北部と西海岸のエルノルテは自立してしまう
858:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/03 22:44:20.92 aCcj8ieT0.net
フランスのケベックへの入植は、インディアンとの融和的
ケベックから五大湖からミシシッピ川南下ルイジアナ
東海岸と南北ミシシッピー川の間にアパラチアン山脈にインディアン移住地
859:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/04 00:43:24.46 VodKC8Wy0.net
寺島実郎
政治を『稼業』とする人間が増え、2世3世議員のように政治を『家業』とする集団と、
知名度で担ぎ出されたタレント議員が代議者として多く存在しています」
「第1の政治の季節に大きな影響を与えた一人が丸山真男でした。
彼は、政治を職業政治家集団の専有物にしてはいけないと訴え、多くの人の心を動かしました」
―今や日本は経済も精彩を欠いています。 「経済の季節が続く中で『埋没する日本』にもがいています
。日本経済が世界GDPに占める割合が最も多かったのは、
政治改革が実現した94年の18%でしたが、今は3%台になっています
残念ながら、経済セクターのリーダーの劣化も指摘しなければなりません。かつては、政治をにらみつける経済人が日本経済を牽引(けんいん)していました。
ところが、いまは国に補助金や助成金、税制での優遇などを期待する姿勢の経営者が増えました」
「世界的な傾向ではありますが、政治家、政党は、選挙での票を集めるためのポピュリズムに傾斜しています
カギになるのは、民主主義を支える『公共』をどう実装するかです」 「まず、提案したいのが、若者の選択的社会貢献制です。
『国家』と『個人』の間にあるのが『公共』で、それなしには社会は成り立ちません。
戦前までの『滅私奉公』への反発もあって、戦後の日本では『公』を忌避する風潮がありました」 「徴兵制がないことは素晴らしいことです。
徴兵制ではなく、国民的意思として、就業する前の青年期に地域貢献、子育てや教育、看護・介護、医療・防災、食と農、国際貢献、
防衛など、主体的な判断で選択させ、1年間それぞれの現場で貢献し、経験を積むことの制度化を提案します
860:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/04 00:48:46.80 VodKC8Wy0.net
そして、経済界、企業にも新次元での公共への貢献を求めたい。日本の法人企業は、
今世紀に入ってから収益性に徹し、配当金と内部留保が大幅に増大しています。
上場企業が行う自社株買いは16兆円規模になっています。内部留保や自社株買いに充てる資金の一部を、
ファンドとして預託し、その運用で公共性の高いプロジェクトを支えるために活用する制度の導入を検討すべきです
「私は政治家や政党の合従連衡といった政治の上部構造には関心がありません
世界がこれまでの秩序や法の支配を失うように見えるいま、日本は非核平和を志向する民主主義国として、
世界からの信頼を得るしか生き残る道はありません。
政治の下部構造での国民的な議論で、そうした真っ当な方向性を出すことです」
861:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/04 01:57:12.18 VodKC8Wy0.net
最も多い先祖はドイツ人であり、ドイツ系の人口が4,284万人と総人口の15.2%を占めている
次に多いのは、アイルランド系であり3,052万人、10.8%、
第3位は、アフリカ系アメリカ人黒人、2,490万人、8.8%となっている。
先祖がイギリス人と認識している米国人は2,451万人、8.7%、第4位
イギリス人を祖先としていても生粋アメリカ人であると考えている米国人2,019万人、7.2%、第5位
次に多いのはヒスパニック系の中心となるメキシコ人を祖先とする人口であり、さらにイタリア、ポーランド、フランス、そしてアメリカ・インディアン
アジア系では、中国系が227万人で最も多く、これに韓国系119万人、日系110万人、ベトナム系103万人
ドイツ系の住民が目立っているのは、イギリス系クエーカー教徒が創設し、
その後多くの国から様々な信条の者を受け入れたミッドランド地域である。
「多元的で中流階級を中心に組織されたミッドランドはアメリカ中西部の文化とハートランドを生んだが、
そこでは民族的な純血や思想の純粋性は決して優先されなかった。
政府は歓迎されざる侵害者とみなされ、政治的見解は穏健
17世紀から18世紀にかけて
プロイセン王国(ドイツ帝国)およびオーストリア帝国(神聖ローマ帝国)の失政続きのため
ミシガン湖西岸のミルウォーキー ビール生産地としても有名であり、ブルワーズという球団名も醸造家を意味
862:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/04 14:30:36.65 VodKC8Wy0.net
なぜ東カリフォルニアに住むアメリカ人は西カリフォルニアに比べて少ないのか
山火事、地震、ガラガラヘビやクマが至る所にいて、夏は極端な暑さ、雨や雪の多い冬
シエラ山脈の東側の谷はかつて多くの牧場、農場、果樹園の拠点でした。彼らは砂漠ではなく、今も砂漠ではありません。
雪の中からもたっぷり水を得た。その水の少なくとも15%は東側に流れています。オーウェンズ湖(110平方マイル)とモノ湖(70平方マイル)、その他多くの高山湖がありました。
しかし、マホランドが牧場主や農民を騙して「鉱物権」を売らせ、その中に水の権利もこっそり含めて売らせたことで状況が一変しました。
このことを知った彼らは裁判を試みましたが、裁判所はすべて彼に支払われており、法的費用を支払う余裕がありませんでした。
その谷はかつて美しく生産的な牧場や農地でした。今では彼らの水はすべてロサンゼルスとサンディエゴに送られています
北部と南部、または沿岸部と中央の谷の対立です。北カリフォルニアには南カリフォルニアのような砂漠がありません。
863:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/04 14:41:58.55 VodKC8Wy0.net
カリフォルニア(サンディエゴ)は1542年に発見されました。当時は決して定住されていませんでした。
なぜなら、メキシコから陸路でカリフォルニアへ向かう途中、広大な砂漠に遭遇したからです。
ロシア人がカリフォルニアの土地を主張し始め
864:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/04 17:19:28.60 VodKC8Wy0.net
アパラチア山脈の先端にあるノバスコシアはかつてベタスコシア(つまり実際のスコットランド)と繋がっていました。
スコットランド高地はアパラチア山脈の一部です
ジョン・デンバーが「生命は古く、木より古く、山より若い」と言ったとき、彼は科学的に正しかったです
スコットランド北部ハイランド地方にあるネス湖
多くのスコットランド人入植者が新世界に来た際、
アパラチアのブルーリッジ山脈ジョージア州からペンシルベニア州に定住したのです。
青い色合いが故郷の山々を思い出させたからです。
テネシー州スコットランド系の血筋を多く持っている
アパラチアテネシー州のベン・ローモンド
スコットランドの同名の山
タスマニア島やニュージランドにもある
865:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/04 17:55:36.25 VodKC8Wy0.net
ケルト人たちはクラン(=氏族)と呼ばれる、血縁で結びついた一種の原始共同体を営んでいました。
それが中世の封建制度の発展とともに、氏族よりも領主への忠誠と義務が重んじられるようになります
同じ色のタータンを着ることを命じまし
度重なる衝突が頂点に達したのが、1745に起きたカロデン・ムーアの戦い
イングランド人からすると野蛮人とみなされていたスコットランド人のタータンは、軍隊と植民地の奴隷用衣装とされ
この敗戦を契機にアメリカやカナダへの移民となる者も少なくなく、皮肉にもタータンが海外へ広まるのです
866:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/05 13:33:55.24 lds7ELwg0.net
17世紀末から繰り返された、英仏植民地戦争(
1754年~63年イギリスとフランスインディアン戦争
イギリスが勝利し北米大陸植民地東ルイジアナを拡大したものの
イギリスでは戦争でふくらんだ支出は植民地から回収すべきだという考えから、アメリカ植民地に対する課税を増大させた
ついにアメリカ独立戦争勃発
またフランスにおいても対英戦争による支出の増大はブルボン朝の財政を苦しめることとなり、フランス革命の勃発となる。
867:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/05 13:45:52.89 lds7ELwg0.net
原慎太郎氏が、
都知事辞職の記者会見(2012年)で
「南鳥島沖でレアアースを発見したが、通産省がやらせてくれない」と悔しそうに話されてました。
高市政権発足4ヶ月で一気に採掘まで辿り着けた
868:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/05 22:43:54.83 lds7ELwg0.net
砂糖が普及する前の甘味料としては蜂蜜
イスラーム圏で用いられていた砂糖がヨーロッパに知られるようになったのは、十字軍運動を通じてであった
ポルトガルは1500年にブラジルを獲得すると、サトウキビをマデイラ島など大西洋東岸の島々から移植し、砂糖プランテーションの経営を始めた。当初は、
インディオを強制労働させるインディオ奴隷制を行っていたが、徐々にアフリカからもたらされる黒人奴隷労働を使った
ブラジルは砂糖が衰退した代わりに金鉱が発見されたため、息を吹き返し、次にコーヒーを主力
茶・コーヒー・チョコレート
歴史上、「砂糖革命」と呼ばれる現象がありました。17世紀から19世紀にかけて、新世界にサトウキビ栽培が導入され、砂糖の生産量が大きく増えた現象を指す言葉です。
最初はブラジルにサトウキビのプランテーションが形成され砂糖が生産されるようになり、
それがブラジルに移住していたイベリア系ユダヤ人(いわゆるセファルディム)によって、カリブ海にも伝えられます。
このようにして新世界が一気に砂糖生産の中心地になっていきました。17世紀から19世紀にかけてカリブ海地域一帯の砂糖プランテーションに向けて、
大勢の黒人奴隷が西アフリカから連れてこられ、
彼らがサトウキビを栽培し砂糖を生産、製糖された砂糖を輸出するようになります。
砂糖の需要が激増した背景には、18世紀にイギリスで大流行した紅茶の存在があります。東インドから大量の茶が輸入されるようになり、
その茶に入れられたのが、カリブ海地方、とくにジャマイカ産の砂糖でした
1776年にアメリカがイギリスから独立し、イギリスは北米大陸の植民地を失いました。これはイギリスにとって政治的には大きな痛手となりましたが、しかし経済面から見れば、
新世界でより重要だったのは、北米大陸ではなく西インド諸島でした。それはもちろん西インド諸島が砂糖の生産拠点だからです。
そして、これらの島々がいくつかが後のタックスヘイブンになっていくのです
869:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/06 13:45:26.41 LZR1LGJh0.net
中国の文化大革命や大躍進により中国人が大量に香港に不法入国した「大逃港」が起きて
当時の香港人は彼たちを同情し香港英国政府が彼たちを送還しようとした時多くの香港人がそれを阻害した
結局香港にいる中国難民が一気に増え香港の福祉がだんだん中国難民に奪われて香港人の生活が苦しんだ中で
中国共産党は香港左派や中国難民を利用して
香港のストライキしてる労働者を利用して「六七暴動」と言う赤色テロが起きてしまい
中国共産党に利用された難民たちは、土製爆弾を使い無実な香港の児童まで殺した
最後は六七暴動は鎮圧されたが多くの香港人が中国共産党の侵攻に恐れて
香港を後にし、世界に逃したその後香港の親中勢力が壮大し
「香港独立」を謳う香港本土派が抹殺され
更に六四天安門事件は多くの香港人が哀悼することにより
香港は「中国の内政」に陥れた
香港はあの頃から「中国領」となることに決められた
中国に統制された後、自主権が失われて中国政府に毎日150人の中国人を受け入れさせられ
香港反送中でも、香港本土派が声が上がらなく「中国民主化」を謳う「中国民主派」だけの舞台になった
870:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/06 15:31:53.49 LZR1LGJh0.net
1イースト・アングリア、ロンドン北東の港からピューリタン(清教徒)が、主に新大陸東北部のマサチューセッツなどニューイングランド
2ロンドン南部と南西部から、チャールズ1世時代の王党員や年季奉公人が、南部のヴァージニアに
3ウェールズ人のクェーカー教徒が、デラウェア渓谷やペンシルヴェニアに移住
4北イングランド、アイルランド、スコットランドの国境地帯の人々は、現在のワシントン西部やアレゲニー台地といった辺境
ニューイングランドのピューリタン入植者集団は中流階級の出身者であったが、クェーカーは
中の下に位置していた。ピューリタンは自分たちより貧しい階級の者を共同体から排除したが、クェーカー教徒は貧困階級を受け入れた。
平等主義
地位を持った人に出会った際に、帽子を脱いで敬意を表すといったことも拒絶。そのかわりに、日常的な握手は誰とでも交わした
ドイツやオランダ、スコットランドなどからプロテスタント系の移民、インディアンに対しても同等の人間として接し
ペンシルヴェニア州フィラデルフィア「友愛」は独立革命の原点であり、1776年、で独立宣言
871:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/06 20:40:33.82 LZR1LGJh0.net
ウィリアム・フォークナーが1955年に来日して述べた言葉。
「百年前、私の国アメリカ合衆国は経済的にも文化的にも一つではなく、二つに分かれた国がお互いに激しく対立し、
九十五年前どちらの側が勝っているかを試すために戦争になりました。私の側、南部はその戦争に負けました
我々の土地も家も征服者によって侵入され、私たちが負けた後も彼らは居残りました。
私たちは負けた戦争によって打ちのめされたばかりではありません。
征服者は私たちの敗北と降伏の後十年も南部に滞まり、戦争が残した僅かなものまで略奪していきました。
戦争の勝利者たちは、人々のコミュニティとしても、
また民族のコミュニティとしても、南部を復興し再建するための、どんな努力もしませんでした。」
「私は、戦争や災いというものは、それに遇したほとんどの人間に忍耐と強さをもたらすと信じています。
私たち南部では故郷を喪失するという災いの後に、優れた作家が復活しました。(中略)私は信じています。
ここ日本でもよく似通ったことが、数十年間のうちに起こることを。あなたがたの災いや喪失から、
世界の人たちが話を聞きたいと思うような新進文学者が次々と誕生するでしょう」
872:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/07 00:41:03.98 UKpJTKr50.net
ラ・サールはヌーベルフランスに到着した
当時のヨーロッパ人は、自分たちは、アジアの香辛料の原産地からそう遠くないところにいると思っており、
ラサールは、その経路はインドに通じているのだろうと考えた
873:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/07 01:06:10.77 UKpJTKr50.net
ゲルマン人は、大きく分けて
東ゲルマン人(ゴート族など)
西ゲルマン人(フランク族など)
北ゲルマン人「ノルマン=ヴァイキング」
の3つに分けられます
日本人って言うグループに北方系があれば大陸系もあり,南方系があるみたいなもんです。
ゲルマン人の移動とスラヴ人の移動はほぼ同時期(4世紀~)。
移動して出て行ったゲルマン人の代わりにスラヴ人が移動するという感じ。
フランス・ノルマンディーあたりに定着し
時代とともにフランスと同化し、ノルマン・コンクェストの頃は、ほとんどフランス人です。
その後、イギリスにやってきノルマン朝を開きます。
874:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/07 11:00:11.46 LdHLAR/V0.net
You.Tubeで大宮公園のピースくん見てからお茶にするかな
875:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/07 18:04:00.62 UKpJTKr50.net
スペイン継承戦争 重要 宗教的対立ではない
16~17世紀のヨーロッパの戦争は、カトリック国対プロテスタント国(諸侯)という宗教対立が軸となった宗教戦争を基本的な性格としていたのに対し、
18世紀からの戦争は王位継承問題に伴う主権国家の領土をめぐる争いであり宗教は対立軸ではなくなっている
プロテスタントであるプロイセン公国はこのときカトリック国オーストリアを支援し、その功績で神聖ローマ皇帝からプロイセン王国となることを認められている
フランス・スペイン軍が劣勢となり結果としてフランスブルボン家のスペイン王位は認められたが、
表面的な勝利者はオーストリアのハプスブルク家であったが、
実質的には最も大きな利益を得たのはイギリスであり、アシエント(奴隷供給権)の獲得などで繁栄の足場を築いた
876:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/07 18:28:40.54 UKpJTKr50.net
オーストリア継承戦争
神聖ローマ皇帝位 ハプスブルク家の家督継承
オーストリアとプロイセンの対立を軸として
イギリスが前者を、反ハプスブルク家のブルボン家フランススペインなどがプロイセンを支援
オーストリアの弱体化を図ったフランスの企ては見事に失敗し
オーストリアはハプスブルク領の一体性を保持し、神聖ローマ皇帝位も確保した。
877:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/07 19:11:40.05 UKpJTKr50.net
二陣営の中で対立軸の中心となったのはオーストリア領をプロイセンが奪取しようとした領土問題
878:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/08 00:47:59.27 G0C55fzB0.net
イギリスの場合、宗教的圧迫を逃れた植民という側面があるが、スペインなどの場合、国王主導の宗教十字軍的な側面がある
南米の独立運動はクリオーリョ(植民地生まれのスペイン人)が中心。本国の搾取に対する反抗。
革命家ボリーバル(ボリビアの語源にもなった)は大農園の息子。共和主義も自由もスローガンにすぎず、
インディアンや黒人を搾取する封建的大地主制度は残った。
ラテン・アメリカが発展しなかったのはこういう事情がある。
南部では農業生産が中心で本国との取引が多い。大農園農業。一方、北部は生産性が悪く、
あまりいい農産物もなかったので生活必需品も自分で作るような自営農民社会。独立独歩精神が涵養され、工業が発展
領地が西へひろがっていくと、南部の発言権は落ちていく
イギリスは、大帝国として発展するが戦費など財政負担も大きい。植民地に税
独立戦争のあと、6万人の王党派がカナダに逃亡
パナマ運河を必要としていたアメリカは、パナマを領有するコロンビアとの交渉が難航。そこでパナマ住民に反乱を起こさせ、パナマ独立。
879:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/08 11:42:01.34 G0C55fzB0.net
神聖ローマ帝国はローマ教皇に支持された皇帝を認めた国家、あるいは地域であり
西暦800年のカール大帝の戴冠まで遡る。フランク王カールは当時のカトリック社会をほぼ統一したため、
東方のギリシャ(正教会)にいる東ローマ皇帝の代わりとしてローマ教皇に担ぎ出されたのである。
ここにローマ、ゲルマン、カトリックが融合した独自の文化圏が政体として成立し、帝国はこの伝統を1,000年に渡って受け継いだ
。一方で東方からはローマ帝国と認められず、中世を通して「フランク」と呼ばれ続けた。
神聖ローマ皇帝は最高権威をローマ教皇と二分し
その実権は封建制の下で制限され、
880:名無しさん@お腹いっぱい。
26/02/09 09:28:36.51 63laIwdw0.net
古代ギリシャ・ローマ: 捕虜や奴隷、犯罪者にスティグマ(stigma)と呼ばれる印を刻み、その地位を固定しました。
古代中国(黥刑): 犯罪者の顔などに文字(「囚」など)を彫り、社会から追放・排除する刑罰として用いられました。
19世紀のフランス: 1832年、それまで行われていた熱い鉄による焼印に代わり、タトゥー(針による刺青)が犯罪者の識別コードとして導入されました。
旧ソ連: ソ連の収容所(グラーグ)では、タトゥーが受刑者の階級や犯歴、権威を示す「通貨」のような役割を果たしました。例えば、「星」は権力への屈服を拒むこと、「猫」は熟練の泥棒を意味します。
アメリカのギャング文化: 1930年代以降、アメリカの刑務所やストリートギャングの間でタトゥーが一般化しました。