25/08/26 12:55:37.40 TBmJfLlC0.net
徳川夢聲(とくがわむせい、47歳)は「今日の戦果を聴き、ただ呆れる」と記し
、さらに翌9日には「あまり物凄い戦果であるのでピッタリ来ない。
日本海軍は魔法を使ったとしか思えない。いくら万歳を叫んでも追っつかない。万歳なんて言葉では物足りない」
長與善郎(ながよよしろう、53歳)は「生きているうちにまだこんな嬉しい、こんな痛快な、こんなめでたい日に遭えると思わなかった
武者小路実篤
愚かなのはルーズベルト、チャーチル、ハル長官たちである。日本を敵に廻す恐ろしさを英米の国民が知らないのは当然だが、
彼ら責任者がそれを知らなかったのは馬鹿すぎる」
小林秀雄(こばやしひでお、39歳)も語った、「戦争は思想のいろいろな無駄なものを一挙に無くしてくれた。
無駄なものがいろいろあればこそ無駄な口を利かねばならなかった」。
保田與重郎(
わが文化発揚の第一歩にして、絶対条件は開戦と共に行われたのである。剣をとるものは剣により、筆をとるものは筆によって
、今や攘夷の完遂を期するに何の停迷するところはない」
亀井勝一郎
即ち嘗(かつ)てペルリによって武力的に開国を迫られた我が国の、これこそ最初にして最大の苛烈極まる返答であり、復讐だったのである
横光利一
先祖を神だと信じた民族が勝ったのだ。自分は不思議以上のものを感じた。出るものが出たのだ。それはもっとも自然なことだ
自分がパリにいるとき、毎夜念じて伊勢の大廟を拝したことが、ついに顕れてしまったのである
351:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/26 13:07:09.92 TBmJfLlC0.net
小林秀雄
いかにも、成程なあ、といふ強い感じの放送であつた。一種の名文である。日米会談といふ便秘患者が、下剤をかけられた様なあんばいなのだと思つた
「戦闘状態に入れり」のたつた一言で、雲散霧消したのである。それみた事か、とわれとわが心に言ひきかす様な想ひであつた。
戦果発表が、僕を驚かした。僕は、こんな事を考へた。僕等は皆驚いてゐるのだ。まるで馬鹿の様に、子供の様に驚いてゐるのだ。だが、誰が本当に驚くことが出来るだらうか。
何故なら、僕等の経験や知識にとつては、あまり高級な理解の及ばぬ仕事がなし遂げられたといふ事は動かせぬではないか。
名人の至芸と少しも異るところはあるまい。名人の至芸に驚嘆出来るのは、名人の苦心について多かれ少なかれ通じていればこそだ。
処が今は、名人の至芸が突如として何の用意もない僕等の眼前に現はれた様なものである。偉大なる専門家とみぢめな素人、僕は、さういふ印象を得た。
竹内好
<支那事変に何か気まずい、うしろめたい気持ちがあったのも今度は払拭された
民族解放の戦争に導くのが我々の責務である
352:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/26 17:21:18.27 TBmJfLlC0.net
明治初年に起きた攘夷事件は、神戸事件、堺事件、英公使暗殺未遂事件の三つで、わずか二か月間の間にたて続けに起こっている。英国公使の事件の直後に仏公使ロッシュは英公使パークスを訪ねて、
新政府に見切りをつけてともに徳川方を支援しようと説得したのだが、パークスは危いところを後藤象二郎、中井弘蔵によって助けられたことに感謝し、ロッシュの申し出を断ったと記録されている。
これらの事件の対応次第によっては明治政府が瓦解してもおかしくなかった
353:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/26 19:26:35.87 TBmJfLlC0.net
倭寇は官軍と対峙すると、得意の戦法『胡蝶の陣
扇を揮い、幻術を用いて衆を惑わす」という倭寇の猛威
354:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/26 20:40:42.82 TBmJfLlC0.net
亀井 茲矩(かめい これのり
秀吉は「亀井琉球守殿」と書いた扇を茲矩に授けた
台州守 浙江省台州市
(鹿野城)を王舎城(おうしゃじょう)、城下町を鹿野苑(ろくやおん)、
城の背後にそびえる山を鷲峰山(じゅぶせん)、城下を流れる川を抜堤川(ばったいがわ)と名付けている
355:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/27 12:43:41.38 lR+/WffE0.net
インドネシア童話の『ワカナとボルネオの娘』。
美しい刀を持ったワカナ(倭寇)とボルネオのダヤック族の少女の悲劇の恋愛
ボルネオで「ワカナ」と訛化して英雄伝説になったという捏造まで生まれる。ワカナ伝説は、その後、大東亜共栄圏のプロパガンダと. して長く重宝されることとなった ...
岸田國士の戯曲『牛山ホテル』(第一書房、1929)
港近くにある日本人が経営するホテルに集まる日本人たち—男は日本の商社ビジネスマンと彼らに仕える日本人居住者たち、女は九州から出稼ぎのからゆきさん—利害と恋心を秤にかける入り組んだ恋愛模様、
日本を離れ世界を放浪する自由人にとって祖国とは何かという問いを設定することで,まったく新しい視角から日本および日本人の本質をとらえようとした
「この作品を書いたのは、昭和三年(一九二八)の暮れで、私が仏領印度支那に渡つたのが、それより十年前である。
私はほとんど無一物でフランス渡航を企て、幸ひ香港で臨時の職を得てこの未知の土地へひとまづ落ちつくことができた。滞在わづかに三ヶ月であつたけれども、
この東洋の植民地における日本人の生活の印象は、私の脳裡に深く刻みつけられた。
孤独な放浪の旅と、陰鬱な南方の季節と、民族の運命に対する止みがたき不安と、これらが一体となつて、この作品の基調を成してゐるものと思はれる。」
昨今のコンプライアンス、モラルチェック、効率の重視などが無い分、そこには人間の真実が、人間だからこその矛盾が隠すところなく書かれている。
林鳳 - 台湾を根拠地とし、1574年にフィリピンのマニラを襲った倭寇頭目。
フィリピンのスペイン人と中国人の間に深い不信感を生み出した。中国帝国の暗黙の脅威とフィリピンに対するスペインの立場の不安定さのため、
スペイン人はマニラで中国系フィリピン人を「ほぼ世代に1回」虐殺した
356:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/27 12:48:55.92 lR+/WffE0.net
ワカナとは、豪勇無双の武士の事だ。それはおそらくその昔ボルネオ海を横行した倭寇が、
訛って生まれ来たダイヤの言葉であろう。ワカナの歌のメロディーは、我々日本人が昔から持っている、
懐かしい催馬楽や追分の節にどこかよく似ており、余韻嫋々と語り続ける歌謡曲である。
彼等が伝説の人ワカナに対する尊敬は実に想像以上だ。かつてダイヤ族が団結して独立運動を企て
、山中に立籠った時、彼等は口々に「ワカナよ来たれ、来って我等を救え」と天に向かって祈り続けたそうである。
かくの如く、ワカナの名は彼等にとっては極めて神聖なものとされている
357:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/27 14:45:34.78 lR+/WffE0.net
・ヒトラーは、600万人のユダヤ人と370万人のロシア人捕虜を含む1,170万人の殺害で知られている。 対照的に、裕仁天皇の軍隊は3千万人以上の死者を出したが、
その大半は中国人(少なくとも2千万人)であった。 ナチスとは異なり、日本人はガス室、毒薬、火葬場を備えた工業化された死の工場を使わなかった
彼らはナイフ、銃剣、刀剣、銃弾を使用したため、より多くの兵力を必要とした。 大日本帝国陸軍が30万人の市民と捕虜を殺害し、少なくとも8万人の女性と少女をレイプした
「南京大虐殺」(1937年から1938年にかけて上海から南京にかけての作戦)はよく知られた例のひとつだが、これは特別なことではなかった。
1937年から1945年まで、約500万人の日本軍兵士と水兵が、中国と他のアジア地域で無数の大量殺人とレイプ作戦を行った。
358:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/27 14:48:54.46 lR+/WffE0.net
彼は四川省の貧農の出身で、1928年に国民党に捕らえられて兵士にさせられ、1937年の南京陥落前夜に少尉に昇格、
日本軍の猛烈な攻撃に「首都を守れ・国父を守れ」というスローガンで防衛するよう命じられた。しかし日本軍の
進攻を食い止めることなど出来ず、南京城から撤退することとなった。
部隊は列車を何両か手配して、軍用の荷物と食料を積み込んだ。
その時、一般の民衆が老人や子供の手を引きながら列車に乗り込んできた。大勢が列車の屋根にも乗っていた。
日本軍はすぐ近くまで迫っている。このままでは、国民党の兵士たちは逃げることが出来ない。
誰かが「日本軍が来たぞ」と叫び、国民党指揮官は列車に乗り込んだ民衆に列車から降りろと怒鳴った。
誰も従わないので、指揮官は民衆を銃殺しろと命令を出した。兵士たちは民衆を銃殺することなど出来ないので、互いに顔を見合わせていた。
指揮官は兵士たちに、「もうすぐ日本軍が来るのだから、民衆は日本軍に銃殺されたことにしたら良いのだ」と言って、一斉射撃を命じた。
あたりは血の海となり、兵士の足首まで血が溜まった。約1千人の南京市民が、国民党の兵士たちの銃弾を浴びて死んで行った。
国民党の部隊が逃げた後には死体の山が血の海の中に残され、それは日本軍の残虐行為として喧伝された。
外祖父の話では、他の部隊も同様のことをしてきたという。
全ての国民党による民衆大虐殺は、日本軍の残虐行為として転嫁されたのである。外祖父は国民党が貧乏人を虫けらのように
扱うことに抵抗があったという。外祖父は、逃亡する道を選んだ。そして裏切り者といわれることを恐れて、経歴を隠して逃げ回った。
359:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/27 21:09:18.18 lR+/WffE0.net
●1937年(昭和12年)7月7日、盧溝橋事件
最初に不法銃撃を受けてから実に7時間、一発の応射もせず隠忍自重を堅持したがついに反撃
7月9日★現地停戦協議成立。
7月10日★停戦協議が成立したにもかかわらず支那軍が協議で約した撤退をせず挑発
7月11日★停戦協定が成立
7月13日★停戦協定はまたもや支那側によって破られた
7月28日●日本軍(天津軍)は支那第29軍に開戦を通告
7月29日通州事件
●1937年(昭和12年)8月9日、船津和平会談の日だったが、中国軍が日本兵2人を惨殺してぶち壊した。
●1937年8月12日、中国軍3万人が上海国際共同租界の日本人居留区域を包囲。
●1937年(昭和12年)8月13日、第二次上海事変。
日本人居留民はどんどん引き揚げたがそれでも
800名の婦女子が特別陸戦隊の吹き出しに従事し、残った男子は土嚢作りを手伝い、のべ5万個も作った。
●8月14日、中国軍が上海市街のキャセイホテルやパレスホテルなどを爆撃。
中国人や外国人に大量の死傷者を出した。中国はこれを日本軍の仕業だと世界中に宣伝。
日本海軍は台風の中、日本から直接爆撃機を飛ばし、南京などにある中国軍の飛行場や前線基地を爆撃し(世界初の渡洋爆撃)
●10月26日、上海近郊の要所である大場鎮が陥落。10倍近い中国軍は南京方面へ敗走。
上海の英字紙には中国軍の撤退により上海に居住する数百万の非戦闘員に対する危険が
非常に小さくなったとして日本軍に感謝すべきとの論評
●1937年11月2日~、第1次トラウトマン和平交渉
蒋介石(国民党)、南京から逃走。漢口、そして重慶
●1937年12月10日、南京を包囲された中国軍が日本の降伏勧告を無視。
●1937年12月13日、南京陥落。
●1937年(昭和12年)12月21日~、第2次トラウトマン和平交渉
●1938年6月12日、蒋介石軍が黄河の堤防を決壊させる 堤防決壊を日本軍の仕業と世界中に宣伝
360:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/27 21:32:49.45 lR+/WffE0.net
外交問題であるにもかかわらず、軍の中の拡大派に同調し、政治主導で解決する姿勢が欠如していたことは禍根を残すことになった。
また、近衛内閣は派兵目的を従来の居留民の保護という限定的なことではなく「自衛権の発動」
361:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/27 23:31:39.85 lR+/WffE0.net
ODAは制度、JICAは実行部隊。
松下新平はODA特委やJICA議連で推進役を務め、その結果JICAは中国の発展を支え、軍拡と反日を後押ししてきたことは事実です。
アフリカ支援も同じ構造で、日本の資金を受注するのは結局中国企業(ガーナやケニアが典型)。
日本人の血税はアフリカの自立でなく中国依存と典型的な官僚利権を太らせただけ。
中国系団体の顧問も務め、中国秘密警察と繋がる人物を外交秘書に迎えて参院通行証まで渡した松下新平。
362:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/28 09:52:08.84 aGsI82qr0.net
「左翼は勉強してるけど(著しく)偏ってる。右翼は勉強しない馬鹿」
by古田博司
363:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/28 10:28:16.27 aGsI82qr0.net
彼らが最新式を以て誇る近代兵器も多くは欧米諸国より旧式の部分を売りつけられたものに過ぎない。その将兵に至っては、正規兵は常に後陣にあって督戦的立場に立ち、矢面に立つのは常に徴発されて故郷から引き出されて来た、
何もわからない百姓兵であることがしばしばあり、更にまた、地方的に見てもまず第一線に立たされるのは地方軍で、中央軍はいつも後陣にある。
これら徴発された兵士の中には金儲けを目的としていたり、何のために戦うのか分からない連中も随分いるらしい。彼はもとより皇軍の敵ではない。比較するなんてのがそもそもの間違いである。
が昔とは大分ちがう。精神力が強化され兵備も統制されて来たことは確かだ。
殊に今度いよいよ皇軍にたたきつけられた中央軍は相当手ごわい。武器もいいものを持っているし抗日思想もなかなか根強いものがある。
募集された百姓兵が我々から見れば実に不可解な、頓珍漢とんちんかんな挿話を提供したのに対し、中央軍の中には敵ながら天晴あっぱれな勇士もいたという。
彼らの中には単身日本陣地へ切り込んで来たり空襲して来たりして、壮烈な戦死を遂げた若武者もいて、敵ながら天晴れ日本武士の涙をさそったそうである。…中略…
―が何はともあれ、支那兵はやはり支那兵である。写真を見ればどことなく間が抜けていましょう。国民性はどうにもならぬものと見える
364:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/28 11:18:18.39 aGsI82qr0.net
直魯克(チュルク)
365:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/28 12:41:18.03 aGsI82qr0.net
エボラウィルス、ザイール種は感染致死率80%を超える
エボラが拡散しない理由、すぐ重症化して死ぬから
一方インフルやコロナ発症するまで数日
比較的軽症なので拡散する、その内、変異して重症化
アフリカから移民→エボラ拡散→憲法改正(緊急事態条項入り)→ロックダウン→ワクチン強制
林千勝氏「高市早苗さんがエボラ、エボラ、エボラって言ってるんですよ、総裁選の時から、コロナじゃなくてエボラの為に緊急事態条項、エボラの為にロックダウン」
ビルゲイツが来たことに繋がりますね
2025/01/24 — 厚生労働省は国内初、エボラウイルスなどの危険度が最も高い病原体を扱う施設として、長崎大の研究施設
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
実はエボラは空気感染はなくウイルス保持者の血液体液に傷口や粘膜が触れた時のみの感染だから致死率は高いと思うが感染者もすぐに症状が出るので早急に隔離さえすればコロナやインフルのように
感染爆発が起こる事はないだろう
366:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/28 12:45:37.21 aGsI82qr0.net
ネット上でJICA解体に反対する人が湧いてきてますね。
そのだいたいの意見が「解体すれば中国の思う通りになる」とか「JICAはカンボジアなどで貢献した」とかだから笑う。
現実は逆だよ。
JICAがあるから日本の血税は結果的に中国企業に吸われ、利権も支配も中国に握られてきましたよね。
カンボジアでの貢献を誇る声もあるが、その果実をしゃぶったのは中国そのもので、日本には持ち出ししか残らない。
日本の血税で整備したインフラは国際入札で中国企業に握られ、カンボジアではあのビルさえ中国資本に支配され軍港すら中国に開放された。
温存こそ中国の思惑通り
367:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/28 12:53:56.55 aGsI82qr0.net
戦前だと、朝鮮人労働者としての自主渡航だと制限された為、日本の私立学校に入学金を支払い、学生証を入手し身分を偽り、日本へ渡航して働くほどでした
368:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/28 19:17:42.35 aGsI82qr0.net
光人社 イラスト・エッセイシリーズ1巻~93巻
83冊セット 戦争体験よもやま話し
6,999円
369:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/28 23:06:57.35 aGsI82qr0.net
カイロ宣言の原文。
注:英語の「Manchuria」に相当する中国語は取り消し線で消され、「the four northeastern Provinces(東北四省)」に置き換えられている。
満州と台湾は中華民国に属していない。満州の主権国家としての正統性は、清朝、北洋政府、そして民族自決から受け継がれたものであり、重慶・南京政府とは何の関係もない。
台湾は清朝から日本に割譲されたものであり、日本は戦後単に主権を放棄しただけであり、中華民国とは何の関係もない。
この宣言は新聞の声明にすぎず、法的効力はありません。 しかし、この宣言は基本的に戦後、ヤルタ-サンフランシスコ体制の政治的分裂と一致していたため、
満州への犠牲は事実上カイロで決定された。
370:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/29 13:41:12.66 gxDk6rwR0.net
「テニス界で、女子が男性よりも賞金が少ないことについて、どう思われますか?」
ナダル選手
「分かりません。なぜファッション業界では女性が男性よりも多く稼ぐのでしょうか?」
そっちの業界では、一日中、収入差について話しているわけじゃない
私個人としては、偽善を避けるように努めているので答える。そして、私が正しいと考える方法で答えても、
君たちは——これは過剰な批判ではないが——私が実際に言っていることよりも、売れる見出しに興味があるようだ。
だから、この話題についてはもう答えない。
なぜなら、私は通常、論理的で正しい答えをしていると信じているし、時々……まあ、私の言葉が曲解されることがあるからだ
371:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/29 14:36:14.17 gxDk6rwR0.net
JICAがなければ中国の一帯一路が進む」とか言う人がいてしつこい。
いやいや、現実を見ましょうよ。JICAが動いても中国の案件は同時に走ってるし、入札は安さ優先だから国が後押しする中国企業が実際に取っている。
港や道路なんて軍事にも転用できるから、中国の拠点作りを手助けしてるようなもの。しかも日本が整備した分、現地の予算が浮いて、
それが別の中国案件に回っている自然な流れが起きてるでしょうが。要するに「日本はお金だけ出し、中国が実利を持っていく」これが現実。
あと、日本の政治家とODA利権、中国への忖度を直視できない人が多すぎ
「天下泰平」をほざきつつ結局、「徳川泰平」しかせず私欲を貪り日本の金銀希少金属を海外流出させた江戸幕府
372:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/29 16:37:25.97 gxDk6rwR0.net
EU代表部は加盟国以外に、候補国(例:ウクライナ、モルドバ、セルビア)、周辺パートナー国(例:ジョージア、エジプト、アルジェリア)、重要な貿易相手国(例:中国、アメリカ、インドなど)、開発援助や地域安全保障の対象国(例:アフリカ諸国)にも設置されています
373:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/29 16:52:59.84 gxDk6rwR0.net
アジアでイギリスの貿易秩序を崩そうとした玄陽会(黒龍会)
日英同盟を放棄し(918事変で満州を奪取)、大アジア帝国を樹立
日本の汎アジアは本質的に偉大な日本主義
374:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/29 17:47:12.80 gxDk6rwR0.net
秀吉は、本来全州(広西省全州か、福建省泉州か)の人奴であり、あるいは浙江寧波の慈谿県の陸氏であり、
嘉靖の末年、広東の海賊曾一本に従って戦いに負けて日本に亡命したのである。
秀吉は中国の福建人であり、若い頃商売を生業として従事したが、あいにく日本に漂着して日本の軍隊に編入された。
日本兵としての秀吉は戦上手で功績を積み重ねて関白に昇進した
開戦二年目となる一五九三年、明国政府は許豫という人を、諜報活動のため密かに日本に送り込みます。
二千人くらいの中国人が日本にいたとも記録されています。
政府間の国交はなくても、貿易をはじめとした民間レベルでの行き来はあった
こうした日本からの帰国者や貿易商が「豊臣秀吉・中国人説」の発生に関与していると考えています
375:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/29 17:55:09.57 gxDk6rwR0.net
代々中国明朝で要職を務めていたものの政争に敗れたため
1506)年、中国人陳李長(ちん・りちょう)の一族130人が長崎に上陸し、仏像を制作する仏師(ぶっし)として豊後府内(大分市)に移住して
「智元(ちげん)仏師」を名乗ったこ
376:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/29 22:57:41.96 gxDk6rwR0.net
第一次世界大戦の末期、ドイツ革命を起こし「背後からの一突き」でドイツを敗戦に追いやったのもユダヤ人。
このことがドイツ人の恨みを買い、後のユダヤ人迫害に繋がっていく
ドイツ革命で新政府が樹立されると、ドイツ国中央政府もプロイセン内閣も、政権の中枢部に座ったメンバーのほとんどがユダヤ人であったのだ。この点はロシア革命と全く同じであったのだが、そういう重要な史実が戦後の教科書などでは抜け落ちてしまっている。
社会民主主義という仮面をかぶっていたボルシェヴィズム。
『ボルシェヴィズムとは、全世界のキリスト教諸国民から、残らず財力を奪い取り
ナチスやヒットラーはユダヤ人を迫害した人類の敵であるかのように描かれることばかりだが、
ユダヤ人がそれまでドイツに何をしてきたかを一言も書かないのはバランスを欠いていると言わざるを得ない
377:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/29 23:46:55.66 gxDk6rwR0.net
ソ連の指導する中国共産党が現われるにしたがい、大正十二年から少し雲行きが変わってきた。
学生会のリーダーは、英米系の基督(キリスト)教青年会の幹事から、いつの間にか共産主義青年団の幹部となり、排日から反帝国主義運動になった
の北伐には、ソ連と英国との仲の悪い時ではあり、反帝国主義運動の鉾先をまず英国に向け、
武漢に飛び出してきた国民軍は口々に「打倒英国」を叫び、武漢政府は漢口の英租界を武力で占領した。
378:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/30 15:52:58.39 YGMMUlAh0.net
そりゃ毎年のようにテロやってたんだから朝鮮人が疑われる背景があったんよ
なんの前科もないのに疑われたわけじゃない
1919年 三・一独立運動
1920年 尼港虐殺事件
1921年 朝鮮総督府爆弾事件
1922年 田中義一陸軍大将暗殺未遂事件
1923年 鍾路警察署爆弾事件
→★関東大震災
1924年 二重橋爆弾事件
1925年 慶北義烈団事件
1926年 東洋拓殖株式会社爆弾事件
379:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/30 16:12:38.27 YGMMUlAh0.net
どうしたものか日本軍は、バルガスとかラウレルとかアキノといった親米派を比島政府の閣僚として活躍させたのに対し、日本に終始協力し、生死をともにしたリカルテやラモスやジュラン博士やドウラン議員などの
親日派を起用しようとはしなかった。これはフィリピン人からしてみれば奇妙なことであった。
日本は口でこそ、革命とか、独立の達成とか、フィリピン人のフィリピン建設などといっているが、結局は、アメリカの植民地政策の踏襲ではないかという感を抱かせた。同時に親日派に拭いがたい不信と不満をつのらせた。
第三の重大過誤は、軍政を布くと同時に、突如「比国国旗掲揚禁止令」を発布し、独立運動を禁止したことである。この命令はリカルテをはじめとするフィリピンの民族主義者をいたく落胆させ、憤激させた。
日米開戦で触発されて燃え上がったフィリピンのナショナリズムの焔に、冷水三斗をあびせたようなものであった。フィリピンの民心が益々日本から離れていき、
抗日ゲリラがますます勢いをえてはびこっていったのも当然のことであった
アメリカは一九四六年にフィリピンの独立を約束していたのだが、経済利権等は引き続きアメリカが掌握していく方針は変えておらず、そのためにはフィリピン人民を再び反日・親米に傾けて行く必要があった。
380:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/30 16:32:21.38 YGMMUlAh0.net
戦前、戦中においては、食糧を自給できるようにすることの重要性について述べた著作が少なからず存在したのだが、
戦後になってGHQはこのような本のいくつかを焚書処分している
私は、前欧州大戦は食糧に始まり、食糧に終わった戦争だと観察している。つまり、苛烈なる食糧戦争である
食糧は、戦力国力の源泉であって、兵器弾薬に優るとも劣らぬ重要なる国防要素である
ドイツ軍は武力戦には勝ち続けておったが
ドイツの食糧は平時一割強を輸入していたが、開戦とともに食糧封鎖を受けた
イギリスもひどかったようだ。
食糧価格が高騰し、世界の多くの国々が食糧問題で苦労した経験から、第二次世界大戦に参戦した欧米主要国は、食糧生産と備蓄に万全を期すべく準備を怠らなかった
戦後日本の食糧事情の悪化に対して、
アメリカが学校給食用の小麦を無償提供したのは農家の小麦過剰による価格の暴落をふせぐため、慈悲のためではない。
要するにアメリカは、わが国を自国の余剰小麦等の処分場と定め、それによりわが国の農業を弱体化させて食糧自給率を低下させ、
軍事力だけでなく食糧をも、わが国をアメリカに依存させようとした
戦後になってからは特に、食糧自給の重要性が軽視されるようになり、外国から安く輸入すべきだという主張が長きにわたり幅を利かせてきた。
そのために、今や我が国の食糧自給率はカロリーベースで4割を下回る水準となってしまっており
、穀物自給率については3割を大きく下回り主要先進国のなかで突出して低い状態が続いてい
381:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/30 17:03:30.05 YGMMUlAh0.net
西洋諸国がアジア諸国を植民地として支配し住民を屈服させる対象としてしか
見ていなかった時代に、日本だけが大国イギリスと同盟(=対等な関係)を
結ぶという快挙を成し遂げていたという事実
382:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/30 17:23:34.77 YGMMUlAh0.net
大正9年(1920年)3月に起きた尼港事件で、ロシア人、中国人、朝鮮人からなる四千名の共産パルチザンがニコラエフスク市を包囲し、七百数十名いた日本人のほとんど全員が惨殺
大正10年(1921年)に、武力による朝鮮独立を目指していた義烈団の金元鳳(キム・ウォンボン)らが、欧州歴訪に向かう途上の香港にて裕仁皇太子(後の昭和天皇)を拉致暗殺する計画
朝鮮人にかかわる犯罪や暴力沙汰の記事が新聞に載っていない日は少なく、彼らはただ犯罪率が高いだけではなく、義烈団などテロ組織のメンバーが続々わが国に潜入しており、
武器や弾薬を隠し持っていた事実などが明らかになっていたのである。このような記事が何度も何度も新聞の紙面を賑わしていたことを考えると、
関東大震災時に避難者の多くが朝鮮人を警戒したことについては、充分に理解できることなのである。
震災の後に、朝鮮人が掠奪や暴行を行った記録も多く
8月24日に加藤友三郎首相が急逝し、関東大震災が発生した時点(9/1)では内閣総理大臣は不在であった。
9月2日の夕刻に第二次山本権兵衛内閣が組成され、内閣は9月5日に民間人に自重を求める「内閣告諭第二号」を発している
さらに政府は、新聞などで「鮮人暴動」に関する報道を禁じている。事態の鎮静化を図ることと、無辜の朝鮮人や、朝鮮人と誤認された日本人が被害に巻き込まれないように、余計な報道は控える旨の措置であった。
震災後50日以上たった10月21日に、政府はようやく朝鮮人暴動に関する一部の報道差し止めを解除
383:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/30 17:49:52.29 YGMMUlAh0.net
山中峯太郎『敵中横断三百里
樺島勝一:かばしま かついち
挿絵には、夜の場面が多いのは、敵中潜入なので、夜の場面が多くなったようです
物語の進行が幾夜かにわたるうちに月の形が変わってくる。本文にはそこまで詳しく説明がないのに、
月の満ち欠けを正確に追って描いているこの辺の、芸の細かさ
写真を思わせる椛島の画が、やや静止的だったのにくらべて、梁川剛一の画は、立体的で躍動的
384:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/30 20:49:35.81 YGMMUlAh0.net
厳冬のためアレクサンドロフスク港より北に砕氷船が進むことができず、その港から陸を進むとすると雪と氷の上を二百里以上進まなければならず、
結氷期間中に救援軍を派遣することは絶望的な状況にあった。
解氷期を待って、ようやく救援軍が六月三日にニコラエフスクに到着し占領したのだが、
パルチザンは五月二十五日に市街に火を放って全市を焦土として退却
無線通信の設備がパルチザンにより破壊され、次の日には「日本人を鏖殺せよ」との貼紙が市中到る所の電柱に貼られていたそうだ
河口には支那の巡洋艦及駆逐艦二隻碇泊し之がパルチザンに加担して市街に砲火を浴せかけた
赤衛軍の中には約一千の朝鮮人と六百の支那人あり
過激派はわが国が送った救援隊が近づいている情報を知り、五月二十四日以降邦人全員を黒龍河畔に連れて行き、
ことごとく刺殺して河に投じられたのだそうだ。
ロシア人も数百名が殺害
彼等過激派の行動は偶然の突発にあらずして、徹底的画策の下に実行されたもの
老幼男女問わず家人ことごとくを家屋内に押しこめ、外部より各出口を厳重に閉塞し、
これに放火し、容赦なく火中に鏖殺し尽くしたり
馬匹二頭を並べ、同胞男女の嫌ひなく両足を彼この馬鞍に堅く結び付け、馬に一鞭を与えるや、両馬の逸奔すると同時に悲しむべし、同胞は見る見る五体八つ裂きとなり、
至悲至惨の最後を遂ぐるを見て、悪魔は手を挙げ声を放ちて冷笑悪罵を浴びせ、群鬼歓呼
弾はかく込めるものぞ、銃はいかに射つものなるぞと教わりつつも戦線に加わり、無念骨髄に徹する敵に対し勇敢なる最後の抵抗を試み、
ことごとく壮烈なる戦死を遂ぐ
、なんとかハルピンに到着したのは、事件があってから三十六日目のことであった
385:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/30 20:58:45.42 YGMMUlAh0.net
頑として責任を認めないソビエト連邦に対し、謝罪と補償を求めるため北樺太(現在のサハリン北部)を保障占領すらしたのである
日本が数年だけとは言え北樺太を「占領」していたのも、「日ソ外交史」においてはきわめて重大な歴史的事実なのだが、
これも現在多くの日本人が知らない。理由はおわかりだろう、尼港事件を隠蔽しているからだ。
「日本軍、ソビエト領北樺太を保障占領」という歴史的事実の理由を述べるためには、「かつてドイツが清国の膠州湾を占領したのは、
ドイツ人宣教師が殺害されたことが原因としてある」ように、因果関係に言及しなければならない
日本側の視点から言えば、この占領は「当然の行為」だが、ソビエト側から見れば「日本の飽く無き領土的野心の発露」であろう。
そうした対立する視点を踏まえながら裁判官のような公平な視点で歴史上の事象を評価分析するのが、歴史を論ずる者の最低限の心得である。
しかし、左翼の歴史学者は事実を直視せずに「共産国家の悪は暴きたくない」という姿勢を優先させる。だから、当然彼らの下す「判決」は公平性を著しく欠いたものとなる。彼らの指摘する「事実」がすべてデタラメだとは言わない。
これを刑事裁判にたとえれば、彼らの主張は「検察側の論告」である。つまりは被告「日本軍あるいは日本人」が罪を犯したと決めつけ、
有罪の推定」のもとに被告に不利な事実だけをピックアップして糾弾するという「検察側の手法」だ。
これに対して、実際の裁判では弁護人の弁論がある
「シベリア出兵には、日露戦争で犠牲になった人々の死を無駄にしてはならないという強烈な思いがあった。それが最大の動機である」とか「日本軍が最後までソビエト領内にとどまったことによって、
置き去りにされたポーランド孤児たちを救出することができた」などというもので、「シベリアからの撤兵が遅れたのも、日本の民間人が虐殺された尼港事件の責任をソビエトが認めなかったからだ」という弁論も成り立つ。
そうした検察側と弁護側双方の言いぶんを勘案し、最終的な判決を下すのが裁判官の役割だ。考えてみれば、歴史を論ずる者は「検事、弁護人、裁判官」の一人三役をこなさなければならない。
じつに大変だが、それをこなす覚悟が無ければ歴史を論ずるべきでは無い
386:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/30 21:33:05.86 YGMMUlAh0.net
「不法行為」とは、現地の日本軍が赤色パルチザンと休戦協定を結んでいたのに日本側が一方的にそれを破棄して赤色パルチザンに奇襲をかけた、ということのようだ。
しかし、仮に日本軍のほうにそうしたルール違反があったとしても、それは赤色パルチザンが日本人非戦闘員を殺していいという理由にはならないのである。
それが人類の常識なのに、左翼歴史学者はいかにも日本側に責任があるように書く。これも一種の情報操作である。
絶対に自国の責任は認めないソビエト政府(絶対に共産主義国家の悪口を言わない日本の左翼歴史学者と見事に「呼応」している)ですら、
ニコラエフスク(尼港)における虐殺と破壊は「事実」と認め、現地に派遣されていた赤色パルチザンの指揮官ヤーコフ・トリャピーツインら幹部を死刑に処した。
要するに、自国の悪は必ず隠蔽するソビエトですら、トリャピーツインの悪行は見逃せなかったということだ。
387:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/30 22:02:37.80 YGMMUlAh0.net
当時のニコラエフスクは、日本がロシアに置いた4つの公館の一つ(モスクワ、ペテルブルグ、ウラジオストーク、ニコラエフスク)が置かれるほど重要な都市
一般市民などやく730人が居留していました。
そこえへトリャピーッインなる正体不明のリーダーが現れ、パルチザン(非正規軍)を指揮して白軍(非革命派)を攻撃、白軍軍隊のみならず、ロシア人一般市民迄も虐殺しはじめます。
当時、駐屯していた日本軍は攻撃しないと言明していましたが、ロシア人皆殺しの過程で日本軍司令部に対して「武装解除」すれば攻撃しない、と言ってきます。
しかし、武装解除すればどうなるか分かり切っているので、日本軍はこれに応じず、全滅覚悟で撃ってでます。
相手は6000人の無法者たち、ついに日本軍は全滅、指揮官は家族を殺して自殺、一般市民ならびにロシア人6000人は皆殺しにされます。
しかし、生き延びて日本へ逃げかえったものから事件の真相が知られ、世論は紛糾しました。
しかし、日本政府は「交渉すべき相手国(ロシア)に正当な政府がない。」などの理由でロシアに抗議せず。
替わりに、当時ロシア領だった樺太北部(樺太南部は日露戦争により日本領土)に軍隊、一般人などを送り込み永久占領の体制をとります。
ロシアに正当な政府が出来て、尼港事件の賠償に応ずれば樺太北部を返還するという口実でした。
しかし、上記の通り欧米諸国からの非難、国内世論の反対などにより1922年撤兵しています。
勝田銀次郎
大正7年(1918年)、ロシア革命後の内戦から逃れる為、子供たち約800人が難民となり、ウラジオストクでアメリカ赤十字社に保護されていた。
さらに戦火が及ぶことを心配したアメリカ赤十字社からの要請により、日本の貨物船がフィンランドへ送り届けた
1920年の春にはポーランドとソビエト(ロシア)との間で戦端が開かれ、輸送手段としてシベリア鉄道を使うことも不可能となった。
結局、最後にウラジオストク在住の同委員会が頼った先が日本であった
シベリア出兵中の日本陸軍が支援計375人もの孤児がシベリアを脱して東京の地を踏んだ。
第二回となる救済事業が実施され、390名の孤児たちが今度は大阪に到着
全員が無事にポーランドまで送り届けられることになった
388:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/31 01:01:09.23 6IZAsVzT0.net
日本の事実上の占領地であり、赤軍に敗れた白軍の部隊もここへ逃げ込んできていた。日本にとって白軍は友軍だから彼らとは敵対せず、
もちろん武装解除も求めず平和的な共存状態を保っていた。
問題は、この地が戦略上の拠点だったことだ。アムール川のような大陸の川、いや大河を日本の川の常識で考えてはいけない。
戦艦も悠々と航行できる広さと深さがある。
ここを押さえておかないと、日本海軍が大陸への進入路として活用する可能性があったのだ。そこで赤軍は、「尼港奪回」を策した
休戦協定」が成立していたのは事実である。それを日本側が(通告せずに)破って奇襲攻撃をかけたのだから、「不法攻撃」という表現はまったく誤りとは言えない。
しかし問題は、日本がなぜそんな無謀な攻撃に踏み切ったかであろう。
そこのところがきちんと説明されていなければ、いかに簡潔を要とする百科事典の記述とは言え、適切とは言えない。
389:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/31 01:13:56.92 6IZAsVzT0.net
〈両軍は交戦状態に入ったが、二十八日秩序維持協定が成立し、市内に入ったパ軍は、協定を無視して不法暴虐の限りを尽くし、
武装解除を要求してきた〉
「パ軍」とはパルチザン軍の略で赤軍のことだが、要するに先に「不法攻撃」をしたのは赤軍のほうだったというのだ。
「乱妨取り(乱取り)」
他国を侵略した兵士が勝利に乗じて住民から物資を略奪したり女性を強姦したりすることである。しかも多くの場合、
それは虐殺にも繋がった。生かしておいては、あとでなにかと面倒なことになるかもしれないからだ。
日本でも室町時代後半から始まり、戦国時代にはあたり前の常識となった。しかし、織田信長が一方で雑兵にも賃金を支給し占領地住民への略奪暴行を厳しく禁じたことによって、
この悪しき習慣は根絶された。たしかにその後、
豊臣家が滅亡した大坂夏の陣において「乱妨取り」は一時的に復活したが、それ以降はまったく無い。戊辰戦争でも調子に乗った官軍兵士がそういう行為に走ったケースは絶無とは言えないだろうか、
少なくとも軍規においては厳しく禁じられていた。簡単に言えば、日本はそれだけ「文明国」だったということである。
ところが、ロシア、中国(中華民国)、あるいは中国の影響を強く受けた朝鮮はそうでは無い
390:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/31 11:37:57.17 6IZAsVzT0.net
ロシアではどうして日本の一商社が紙幣の発行などできるのですか?」
黒川の社長は答えました。
■「おお、そいつは良い質問だ。昔から貨幣偽造は死罪だからな」
そして、次のように説明しました。
この極東の港町では、人々は夏の間に獲った鮭を売り、そのお金で次の夏まで生活するのだが、政府の紙幣は極端なインフレで信用がない。 またこんな田舎は無政府状態だ。
人々は鮭を島田商会に持ち込み、受取証をもらう。 それが島田商会札だ。 島田商会はこの町で幅広く百貨店や料理店を経営しているから、この札があれば暮してゆける。
この町では、政府の紙幣よりずっと信用のある紙幣として使われているのだ
ロシア革命の混乱のなか、ニコラエフスクで流通していたのはロシア政府の発行するルーブル札ではなく、島田元二郎の島田商会が発行していた通称ピコラエヴィッチという紙幣であった。
より正確にいうと、紙幣というよりも、商品との交換を前提にした商品券や小切手のようなものだったが、信用力のある実質的な通貨として流通し、地域経済を支えていたのであった。
ある意味では、このローカル・カレンシー(=地域通貨)は、競争力をもった実質的な通貨であったというわけだ。
流れ流れて 落ち行く先は 北はシベリア、南はジャワよ~何処の土地を 墓所と定め」というのは、「流浪の旅」
田舎から口減らしに身売りされ、外地を流転した、からゆきさんを歌った哀歌だという
高倉健主演の映画「海峡」
森重久彌が、昔の出来事を回想しながら歌う
391:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/31 13:42:47.08 6IZAsVzT0.net
ナイジェリアには、ボゴハラムという宗教組織があり、女子高を襲撃して少女たちを大量に拉致して、性奴隷にし、赤ちゃんを産む家畜にしたことで有名だ。
これらは「悪いことをしてやるぞ!」と考えてしたのではなく、神様から命じられた善行であると主張しているわけじゃ。
何故ならば、そもそも女性が教育を受けている時点で神への反逆であり、父親などの男性と物理的に距離がある時点で、それは「野良」なわけだ
動物愛護法が施行される前の昭和時代、野良犬を殺したり獣姦しても、特に罪にはならなかったじゃろ?
でも、他人様の飼い犬を獣姦したら器物損壊罪になったわけだ。連中の女性観もこれと似ていて、
「家の中で父親や兄や夫」に飼育されている女性をレイプすることは、その父親らの権利を侵害することで悪いことだが、
その辺の路上を女性だけで歩いていた場合、それは「野良」なわけで、基本的に拉致して解体しても何も問題ないわけだ。
ワシらは国家の下に生きているが、連中は国家の上に宗教があり、宗教法が国家の定めた法律より優先されるわけだ。
実は共産主義も同じで、国家の定めた法律よりも共産主義の教理が優先される
法律とは国家が定めるため、国家が理解出来ない以上、法律も理解できないわけだ
そう、確かに宗教の教義上何も悪いことはしていないんだわ。
そもそも異教徒の女は性奴隷にするのが宗教上の善行だしな
秩序の破壊があれば、共産革命をしやすいよな。
20世紀の共産主義は、貧困や被差別部落を煽っていたが、技術革新と経済発展で貧困でも楽しい生活になり、被差別は補助金で豊かになった。
これでは共産主義革命に必要な混沌とはならない。
そこで、犯罪と病原体に満ち溢れた日本にする方法を21世紀の共産主義はやっているとワシは分析している。
移民推進と共産主義はセットなわけだ
だから、移民労働による経済的利益と、移民による犯罪や地価下落などによる経済的損失を差し引きする計算結果を絶対に公表しないじゃろ?
移民は共産主義を推進するためにある!
392:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/31 19:06:33.66 6IZAsVzT0.net
警察庁から外国人の犯罪検挙数と日本人と比べた場合の比率を示す資料を出してもらいました。
検挙数は増えていますが、比率は下がっていまし
注意書きに小さく書いてあるけど
不起訴になった場合は検挙数から除かれる
外国人が岸田政権の頃からやたら不起訴になってる
全国で希釈すると外国人側の犯罪率が低くでますね。まだ外国人人口の少ない地域が多いので。外国人の多い県単位で取った方が本当のやばさが分かりますよ。
埼玉の場合、トルコ国籍が日本人の約30倍、ベトナム人が約10倍の犯罪率です。茨城でもカンボジア人やタイ人が約5倍と前に計算しました
日本国民として調べた場合、帰化人も含まれるなら帰化人の犯罪比率も必要かと
393:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/31 21:03:27.97 6IZAsVzT0.net
シベリア出兵の歴史は、日本軍部にとっては失敗の記録であり、戦前はその研究はいわばタブー視され、この戦争において日本が対外選択面でおかした誤りや軍事行動の醜悪な一面に研究のメスを入れることは、少なかった。しかしこの戦争は、次の世代にとって学ぶべき教訓を実に多く含んでいる。
たとえば、シベリア出兵の歴史について深い知識を持つ軍人であれば、日中戦争の際、それを活用し、反省の材料にしえたはずである。いったん派兵すると、撤兵がいかに困難な業になるか、
シベリア出兵の際の単独出兵の歴史がこれをよく物語っている。太平洋戦争に突入した1941年、戦争の回避をもとめた日米交渉も、中国からの日本軍の撤兵問題で難航、ついに暗礁に乗り上げ、戦争となった
394:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/31 22:37:49.17 6IZAsVzT0.net
ソ連の共産党政権が当時、日本との間で結んでいた日ソ中立条約のために中国共産党に日本軍への直接の攻撃を避けるよう圧力をかけていたこと
395:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/31 23:24:04.02 6IZAsVzT0.net
この当時日露関係は非常に良好だった。イギリスとは開戦時の地域制限
論争が気持ちのうえで最後までつきまとった。これに対しロシアの要求は日本の実情を考慮し非常に懇切ではあり丁寧(*)なものだった。
朝野では日露同盟論が沸きあがったという。この気分がシベリア出兵に影響したことは確実だ。戦時中の帝政ロシアは自ら総動員によって開戦
原因を作ったためか同盟国にたいして誠意でこたえた。
日本も小銃や野砲の供給でできる限りのことをした。当時全世界で武器供給能力のある国は日本のみだった。アメリカは生産能力は圧倒的だった
がこの時は民生品に限られていた
日本に領土的野心があったのは確かだがそれは2の次で、
反共という全人類共通の正義のためにしたこと
シベリア出兵での死者は2000人、負傷者は2万人、戦費は当時の金で10億円。
それで得たものといえば、日本は領土的野心を持っているという列強からの不信感のみ。
国策上全くの誤りであった。
出兵当時、英仏は領土的野心を持っていたけれど、(+反共産革命)戦線の停滞や厭戦気分によって撤退した。
アメリカは始めから、領土的野心は無かった。ドイツは途中で脱落した。
その中で日本だけが残ったため、孤立していった
アメリカでいえばベトナム
ソ連で言えばアフガン
実質的には日本帝国の初めての敗戦
田中義一が機密費そっくりくすねたのも、この時です。
彼は、その金で政友会を買いましたw
山東問題に端を発する反日暴動の激化、また段祺瑞の直隷派と安徽派の戦争(安直戦争)が始まり、原内閣はあわてて北京親日派に
大規模な梃子入れをせざるをえなくなっていった。南北妥協どころではない、
日本は満蒙権益を守るために汲々とせざるを得なくなっていたのである。
ここで日本が目を付けたのが、安直戦争においてキャスティング・ヴォートを握った奉天軍閥の張作霖である
396:名無しさん@お腹いっぱい。
25/08/31 23:42:10.62 6IZAsVzT0.net
第一次国共合作は破綻したが、国民党内の南京政府と武漢政府の対立も尾を引いていた。南京の蔣介石と武漢の汪兆銘はそれぞれ引退するというポーズを取って妥協を図った
蒋介石が日本を訪れたのは、(昭和2年)9月28日のことである。
蔣介石は日本に対し北伐への軍事支援を要請したが、田中首相は満州では張作霖を支援しているので、蔣介石に対しては北伐を急がず、長江以南にとどまるよう説得したという
397:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/01 00:03:14.84 lNwNPnm40.net
田中義一は長州閥出身の陸軍軍人で陸軍大臣を2期務めた後、立憲政友会総裁へ
と転身する。この立憲政友会というのは今で言う自民党みたいな存在かな。
しかし、彼はクリーンな方法で政友会総裁に登り詰めたわけではないようだ。
彼には「陸軍機密費横領疑惑」があった。この「陸軍機密費横領疑惑」とは、
田中義一が陸軍大臣時代に陸軍の機密費約300万円(現在の約100億円に相当)
で公債を購入、その利子を私物化し、その金を政界にばらまいて政友会総裁に
就任した―と疑われた事件である。この事件は新聞にも大々的に報じられ、
国会でも大審議となった。もう少しかみ砕いて言うと、国にお金を貸すことに
よって発生する利子をあっちこっちにばらまいて政友会のドンになった、つまり金で総裁の座を買った、ということだ。
連合国の列強はソヴィエト政権が帝政時代の債務を放棄し、秘密外交文書を暴露(1917.12)したことに強い反感を持ち、
ソヴィエト政権を打倒するために反革命軍を支援
398:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/01 10:46:46.74 lNwNPnm40.net
学問としての歴史学と国民を育てる歴史教育では目指すところが異なります
しかし、だからと言って歴史学に敬意を表さないところに歴史教育もありえませ
史料から主観的要素や神秘的な要素、非合理な要素などを取り除き、証拠に基づいてあったこととなかったことをより分けます
欠史八代は戦後から後から追加された架空の存在たされ、初代の事績を神武と第10代崇神に二分割してその間に挿入されたものという見方多かった。
しかし、戦後発見された埼玉県稲荷山古墳出土の鉄剣銘には8代の名前が刻まれている。
欠史八代の各天皇の和風諡号は特徴的なものである
欠史八代の和風諡号は、遥か後代の史書編纂時に与えられたものである可能性が高いと見られている
遠い先祖の名前はオホヒコ、その子(の名前)はタカリのスクネ、その子の名前はテヨカリワケ、その子の名前はタカヒシワケ、その子の名前はタサキワケ、その子の名前はハテヒ、
(裏面)その子の名前はカサヒヨ、その子の名前はオワケの臣です。先祖代々杖刀人首(大王の親衛隊長)として今に至るまでお仕えしてぎました
文字を持たなかった遊牧民でも先祖の名前は十数代くらい暗記しているのが普通だったことからも、欠史八代の名前が伝承されていても何ら不思議ではない。
けれど、歴史学者の中には頑なに認めたがらない人がいるんだよね。
銘文なんて文字数が制限されるのに赤の他人の前任者の名前なんかをわざわざ刻むわけない。
一般的に、「児〇〇」はその前の人物の子供であることを示しているとされているが
親子関係ではないとする説も存在する
地位を継承した族長
記紀の編者達からすると推古以降が現代なんだろうな
399:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/01 16:50:45.27 lNwNPnm40.net
中央ソビエト区は江西省と福建省に位置し、存在4年間で人口が国内で最も減少した
これらの地域に住む人々は逃げるのが難しいので、戦闘死者を除けば、この70万人は基本的に死者数であるはずですが、これらの人々はどのように死んだのでしょうか?
1934年冬、中国共産党軍の「長征」が出発する前、逃走の行方を暴露しないために、中国共産党紅軍総政委を務めた周恩来は、
厚かましくも数万人の傷病者と「政治的に信頼できない」分子の殺害を命じ、これが中国と世界を震驚させた「集団墓地事件」だった
400:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/01 17:12:17.26 lNwNPnm40.net
1945年8月25日、日本が降伏を発表した直後、20人の共産党上級将軍を乗せた米国の輸送機が延安から華北共産党の基地地域に飛んだが
しかし、当時の米軍はこれらの人々の正体を知らず、
10月10日、国民党と共産党は重慶で「双十協定」としても知られる「会談議事録」に署名した。
しかし、毛沢東は平和会談直後延安に戻ると、すぐに軍隊に「直ちにチャンジェス行政区域攻撃を開始する」
という命令を下し、「双十協定」を公然と毀損した
全国で多くの人々が餓死したとき、毛沢東と中国共産党当局は、国民の死活に関係なく、それぞれ250万トンと100万トンの穀物を輸出した。
毛沢東がこのようなことをした理由は、これらの人々の生活に関わる穀物と大量の非主食、日用品、鉱物原料を外国為替と交換して
軍需産業(核兵器、ミサイル、核潜水艦など)を輸入して発展させるためだった。 など)と軍需産業の基盤となる重工業に必要な装備、器具、原材料、技術など。
毛沢東は、これらの武器を、世界中で共産主義革命を推進し、
世界共産主義革命運動の「偉大な指導者」になるという夢を実現するための不可欠な物質的基盤と見なしました
中国との交渉におけるアルバニアの主要代表は、「中国ではもちろん飢饉が見られます。
しかし、中国は私たちが望むものは何でも与えてくれるでしょう、私たちは口を開ければいいだけです
401:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/01 17:41:58.79 lNwNPnm40.net
東北抗日連合軍は中国共産党に従属しておらず、ソ連が直接指揮している
東北抗日連合の多くが日本軍に降伏した
降伏しなかった残りは盗賊(東北では赤ひげとして知られている)となり、満州国の「併合」政策も
抗日同盟を根絶した重要な理由であり、以後「屯」という言葉は中国東北部の農村地域で地名となった
国民政府は日本の戦犯合計2,357人の日本軍戦犯を逮捕した
149人が死刑 400人以上の日本軍戦犯が無期懲役
中国共産党は日本軍戦犯起訴されたのは45人だけで1000人を起訴免除し、直ち釈放した
402:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/01 20:03:07.98 lNwNPnm40.net
儒教は中国で「科挙」(官僚登用試験)に用いられたが、国民的には本家の中国よりも、
むしろ朝鮮や日本で深く浸透した。現在の中国でも儒教は学校教育に採り入れられているが
、共産党政権は仁を重んじる「儒家」よりは、人民を法や規則で徹底管理する「法家」的手法で統治しているのが現実だ。
403:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/02 00:36:01.40 TeZsbgNh0.net
国共産党と日本軍の間に「不可侵協定」があったかという問題は、様々な飼料に基づいて客観的に分析する必要がある。 以下は、歴史的根拠、地域の暗黙の理解現象、歴史的紛争の3つの側面から分析されます
1. 核心的な結論:正式な合意はないが、戦術的な暗黙の了解はある
2. 局地戦場における「戦術的暗黙の理解」の本質
山西省の日本軍は鉄道の安全を確保するために、八路軍による特定の村での穀物の徴発を黙認した
冀中平原は「日中は日本軍に属し、夜は八路に戻る」
3. 歴史紛争の焦点分析
404:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/02 12:06:27.97 TeZsbgNh0.net
食料として味噌は欠かせないという話になり、腐りやすいから止めた方が良いと意見を言った人は、
部外者は黙っていなさいと言われてしまう。そして武田信玄以来の(腐らない)万年味噌を知っているという人に騙されて味噌を船に持ち込むも、
ちょうどベトナム沖)で、耐え難い臭いを発して船側からクレームが付き、龍王に献上(海に投棄)
ヨーロッパでは全て鉄道と馬車で移動できると信じられなかった為、徒歩移動用に草鞋(わらじ)1000足分が必要
現地で靴を買って履くという行為は、「神州の大恥辱」という認識だったとあり、香港で使節団のメンバーの1人が洋靴を買って履いたところ、
副使松平石見守(33歳)が大激怒。「国風を乱すものは、日本へ追い返す」
船内の水は鉄の容器に貯蔵されていたため、水は錆びで濃茶色となり、その水で炊いたご飯は茶飯のようになる
このような船上の苦しみは、生涯忘れることは無いと記録に残している。
ベトナム沖)で、南北戦争の影響でアメリカとイギリスが戦争状態になったという噂が流れたため、
これを聞いた使節団一行は、今こそ我らが日本刀の切れ味を試すときだと、酒を飲んで大いに奮い立ったが、シンガポールへ着いて誤報だとわかって一同安堵
405:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/02 13:26:06.88 TeZsbgNh0.net
デリンジャー
私は中西部の田舎に住んでいます。そして、この映画で私がいつも感銘を受けたのは、
実際に中西部の田舎のように見えることです。農場。小さな町。郡裁判所も。
ハリウッドがカリフォルニアにある野外撮影用の場所のように見える中西米を題材にした映画を作るのは嫌いです
他のほとんどの映画は、田舎の何かを描こうとすると、カリフォルニアで撮影されたように見えます。
ギャングが最終的に直面する厳しい現実とはまったく対照的です
曲の名前は「The Old Gospel Ship
祝福されたゴスペルの歌
パブリック・エネミーは、歴史的に半分も正しくないゴミだった。
406:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/02 15:58:37.40 TeZsbgNh0.net
東アジアの国々がなぜ海による交易を嫌がっていたか…
海には倭寇がいて朝鮮に来た使者の船を襲いすべて略奪して行ったからなのです
407:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/02 15:58:37.39 TeZsbgNh0.net
東アジアの国々がなぜ海による交易を嫌がっていたか…
海には倭寇がいて朝鮮に来た使者の船を襲いすべて略奪して行ったからなのです
408:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/02 21:29:21.94 TeZsbgNh0.net
古代日本は曹魏、西晋、東晋、劉宋、蕭斉、蕭梁の藩国だからな。
隋が南朝を滅ぼしたせいで独立した
409:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/03 12:34:50.84 sYXz8s1p0.net
富山】中国籍の公務員ら2人を逮捕 車庫飛ばしの疑い 孫肖容疑者(46)は多文化共生推進室国際課の会計年度任用職員
410:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/03 23:35:14.35 sYXz8s1p0.net
17世紀以降の英国の戦闘(戦争)で、最も大きな影響を及ぼしたのはどの戦いか。
英陸軍博物館が先日、ネット・アンケートとシンポジウムで答えを探った。
アンケートではフランスのナポレオン軍に勝った「ワーテルローの戦い」(1815年、ベルギー)が1位、
シーク教徒との「アリワルの戦い」(1846年、インド)が2位、
ナチス・ドイツとの「ノルマンディーの戦い」(1944年、フランス)が3位。
第二次大戦中にビルマ(現ミャンマー)・インドで旧日本軍を破った「インパール・コヒマの戦い」(44年)は、5位だった。
その後のシンポジウムで、上位5戦闘について参加者が決選の投票をした結果、インパール・コヒマが1位で以下、
ノルマンディー、ワーテルローと続いた。同博物館学芸員のトーマスさん(40)によると、インパール・コヒマに従軍した
連合軍兵士の過半がインド人。「勝利でインド人が自信をつけ、その後の独立につながりました。
英国の帝国主義を終わらせた戦いでした」と説明する。
411:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/03 23:51:35.57 sYXz8s1p0.net
あくまでも当時の日本軍としての相対評価だが結論を言えばインパール作戦は
『補給を考えた確実な作戦』
『当時の日本軍としては、史上最良の作戦。』
牟田口の指示通りに師団が一気に突入すれば、インパール攻略は可能
陸軍悪玉、海軍善玉論の虚しさ、GHQ史観の巧妙さ、色んな事に気づかされます
過去に多くのウソが流布されているので、ざっとまとめると
・渡河時にほとんどの牛が物資と共に流された
※牛ではなく、水牛です
水牛は泳ぎが得意で、おぼれたりしませんし、渡河時は物資を背負っていません
物資や羊などは、ドラム缶のイカダで渡しました
行軍が敵航空機から銃撃された、なんて話もありますが行軍は夜間のみで、まったく察知されず行軍しています
牛が歩くのが遅く、進攻の足かせになった、なんてのもありますが
戦闘部隊は先行し、駄牛部隊や家畜の群れは、その後から追従するので戦闘部隊の進攻には影響ありません。
31師団の進攻経路は険しい山道で道なき道で牛は進めなかった
とも言われてますが、そんなことはありません
最前線まで全てジープ路があり、全行程ジープが進める道がありますから、水牛でも子羊でも進めます
食料の家畜として、羊(ヒツジ)と山羊(ヤギ)の両方記録がありおそらく部隊によって使い分けていたはず。
ヤギ(山羊)は名前通り、崖でも軽く上るほど山岳地帯が得意でおそらく一番険しい31師団は連れて行ったのは、ヤギだと思う。
愚かな指導者は、日本ではなく当時の米国民主党フランクリン•ルーズベルト。真珠湾攻撃前から、日中戦争に介入
アホな米国の指導者に振り回された日本は敗戦、アジアの共産圏台頭
介入しては泥沼化する米国民主党の先駆けとなった。日本は自衛の戦争をしてただけ。
412:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/04 09:38:58.10 Djc9NH8p0.net
日本は戦後すぐまで日本には旧石器時代がなかったというのが通説で発掘品が出ても学者や学会が総出で批判して潰したって過去あるよね。
文化の伝来とか技術の波及なんて歴史見れば当たり前のものであって、韓国みたいに新興国家はルーツというのが気になるんだろうけど
日本や中国とかは正直歴史の中では些末なことで気にしてないと思う
九九の起源にについては、中国より朝鮮半島経由できただろうと前々から言われとるけど
日本で発掘された九九の木簡は、一桁の積には「如」の字が入ってて、これは中国伝来だなと推測されてる。
ちょうせん人の九九の木簡だと一桁の積に「如」が入ってないから、日本の九九はちょうせん由来じゃないのははっきりした
413:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/04 09:47:29.57 Djc9NH8p0.net
韓国は自力で潜水艦を建造できない国だった
「ドイツTKMSが技術をそのまま教えるわけがなかった。
同僚らと役割を分担して技術情報を収集し、夜には宿舎のベッドの下に隠れて技術日誌を整理した」と話した。
ドイツの潜水艦は韓国へ完成品輸出⇒ノックダウン輸出⇒ライセンス生産と まァ造り方を教えている
ンで、部品の強度不足、積立精度不足等でマトモに動いてない
潜水艦なんぞ百年以上前から造られてたんだから、今の途上国でも造れるんよ
ただし、最前線に出せるほどの性能の潜水艦が造れないけど、ソレを売ろうとしているのが韓国
韓国の宇宙飛行士、「問題行動」で交代
ロシアの訓練センターから許可なく本を持ち出し、韓国の自宅に送付して警告を受け、さらに今年2月にも、許可なく書類を入手したという。
自称国産の韓国兵器
戦闘機=米のコピー
ミサイル=ウクライナのコピー
戦車、ロケット=ロシアのコピー
414:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/04 10:11:23.10 Djc9NH8p0.net
日本製は丈夫で長持ちなのがアダになっちゃたのかね
30年前のオーブンレンジやブラウン管テレビが普通に壊れないで動いてるし
民主党政権が「円高で儲けろ」政策で家電や半導体を潰してしまった
先進国の日本は後進国に技術移転しろって言われて家電の技術をあげたら
どの分野もシェアを奪われてグループ会社を切り売りする事になった
最近の日本はイギリスを手本としてるような感じだし、英国病というかそういうのはあって当然なんだよね
日本は金融・観光・医療などに人材をふって、もう製造業は捨てたんだよ
自分はそういう教育を受けていないし、理系に行った人間は医者を除いてレベルの低い人間しかいない
そういう教育、国策だったから
で、捨てたものをもう一回拾うなんてできないの
ITは日本人ほんとに不得意だからソフトウェアの比重が大きくなった時点で負けだった
iPhoneなんて初期に解体しててもパクれてないからな
今、世界トップレベルの投資家が何て言ってるか って言うと
なんで 民主党政権の時にあなたたちは海外の 成長企業をどんどん買収しなかったんですかって言ってるんだよ
あなたたちが 円高で80円とかの時に世界の企業を買収しまくってたら今頃 GDP 800兆円でしたよって言われてるんだよ
買いまくってたのは 孫正義だけだろ
中国経済は不動産部門が爆死しているが製造業部門は絶好調だな。貿易収支見れば分かる。あとペトロチャイナの利益がやばい。
禁輸くらったイランとロシアとの石油や天然ガス貿易でウハウハモードだ
415:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/04 10:36:50.46 Djc9NH8p0.net
日本のソフトウェア産業は、ほとんど8~9割が金融派生だな。NRIとかもうもろに金融システムソリューションだ。それが野良ソフトウェアから生えてきた米国ソフトウェア産業との競争で絶対負ける全体なんだよ。
日本のメーカーブランドに見えてもとっくに中国企業に買収されている
日本メーカーはメイドインジャパンを捨てたから落ちぶれた
みんなが信用していたのはメイドインジャパンなのであって日本メーカーではない
高品質なものが売ってない
メーカーも商社も少しでも利益を出そうと安かろ悪かろうな中国産ばかりにしたから選択肢がなくなった
メイドインチャイナの最大の罪は安かろ悪かろを世界標準にしてしまった事
ハイブランド製品の立ち位置でもないユニクロみたいなもん
ドル決済にしても元決済にしても円高過ぎる結果で輸入品が安い
だから安物が市場に溢れている
電化製品・繊維・家具家財等外国製
円高で茹蛙になった馬鹿はコスパを語り円高待望
日本製は駆逐され産業も空洞化一路
失われた30年の最大理由が分かっていない
円が300円になったらテレビが1/3の価格で売れる!と言ってたけど
実際は円が150円になったら企業が2/3の価格で売れました
経済的な山場と、文化的な山場は世界史を見る限り、30年程度の時差がある。経済的絶頂期から遅れて30年後ぐらいに文化的絶頂期が来る。ウィーンとかそうだね。
だから、今が日本の文化的な絶頂期である可能性があるな
416:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/04 10:54:53.17 Djc9NH8p0.net
アイリスオーヤマ が優秀な技術者をたくさん連れてきて 今家電をやっててエアコンでも何でも結構売れてんだよ
アイリスは株主資本主義に毒されなかったからだろ
非上場だから配当金を上げろ、赤字事業だから潰せなど口出ししてる株主が存在しない、やりたいことが出来る
日本人はアメリカ経由で経済が来たから上場企業=大企業と勘違いしてるからな
ヨーロッパは非上場の方が多いからね
一応、研究論文提出数とかで日本は中国に追い抜かれて入る。実質的な製品ではパクリ製品が目立つがな。
中国国力の実数は正直良くわからん。強いような脆いような・・・。
ただ貿易黒字だけ見れば9921億ドル(146兆円)規模の貿易黒字あっから日本の絶頂期を数倍規模にして超えてるのは間違いないな
超円高で日本の家電メーカーは敗北した
そりゃあアメリカのウォルマートで日本の家電の価格が2倍になったら
売れるわけないので店の棚から日本メーカーが消えて韓国と中国製品に変わった
日本の研究所も工場もみんな閉鎖して滅んだ
なんであんな異常な1ドル75円みたいな円高になったのか
それは鳩山政権の藤井財務大臣が「自国通貨が強くなるのは、目先は貿易面で間違いなくマイナスだが、大きな意味ではいい。
日本は基本的に円高の方がいい」って言って円高容認したから
日本がイノベーションを起こしたことなどないよ
産業革命起こして自動車産業を興したのは欧米だし日本のメーカーはパクってダンピングしただけでしかない
レクサスはどう頑張ってもポルシェにはなれない
セイコーはどう頑張ってもパテックフィリップにはなれない
417:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/04 11:10:34.84 Djc9NH8p0.net
ガストとかファミレスの配膳ロボットは日本メーカーは技術なくて一切作れない
配膳ロボって言うけど配膳なんかしないだろ運搬してるだけで後は客が取れって
あのロボも車輪にゴミがすぐ溜まるわ簡単に不具合起こすわヒデーもんだよ
日本は売上高至上主義から脱却して利益率の高さを重視してるからプロ用や医療用モニターで稼いでる
小売店に並ぶことはないから情弱が知ることはないけど
TVに限らずどのデバイスも今どき何にリチウムイオン電池ねじ込まれてるか分からん
日本のメーカーならまだそこは安全重視設計をまともにやってるイメージはあるが
下手に埋め込まれたのを掴まされて家燃えたとかならなければいいがねぇ
支那って一億の共産党員と一億の大金持ちと八から十二億の奴隷で成り立ってんだよ
価格ではもう勝てんよ
TVをバラしてみろ、簡単すぎて呆れるぞ
小学生でも組み立てられる、人件費の安い国で作るはずだよ
アジア共同体みたいなものを作りたかったのかもしれないけど、
貧乏なアジアの国に肩入れしたら、一蓮托生になるってわからんかったのかね
EUとかとは違うんだわ
とりあえず日本はイギリスより悲惨になるのは確定ですね
北海油田も世界レベルの諜報機関もないし
418:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/04 11:18:23.96 Djc9NH8p0.net
>大半が日本由来なんだよ。
韓国はともかく中国は違うな
鉄道とか車みてもわかるけど、ドイツとかにもちゃんとアプローチしてるし
まあ日本が中国をスルーしてたらドイツとかが市場を全面的に取っただけだったでしょう
419:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/04 13:53:33.64 Djc9NH8p0.net
日本側は「防守都市に非ず」と宣言して開城すれば攻撃しないと中国側に通告したが、期限までに何の回答も無かった、
だから南京は防守都市であり、無差別爆撃も合法であった、にもかかわらず日本側は市民が避難した安全区への爆撃を自重した
日本軍が死体の埋葬費用を支払った紅卍会の処理能力はせいぜい1万程度、報酬を多く貰いたいための水増しもあった模様、
埋葬した遺体の多くは処刑された蒋介石の兵の遺体
420:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/04 15:39:41.28 Djc9NH8p0.net
通州事件のあとも支那兵による挑発行為が続き、日本政府は支那の治安悪化を受けて、日本人居留民約三万人を引き揚げる方針を決め、
上海の港から日本に帰還する予定で八月九日には日本人が上海に集まっていた。しかしながらその日に上海海軍特別陸戦隊の大山中尉とほか一名が支那保安隊に虐殺される事件(大山事件)が起きている。
そもそも租界地周辺は非武装地帯になっており、支那兵の駐留も許されず支那保安隊のライフル所持も許されていなかったのだが、大山中尉らはライフルと銃剣で見るも無残な状態で虐殺されていたのである。
わが国は保安隊の撤退と防備施設の撤去を要請したのだが、南京の軍事委員会は逆に約三万の兵を集めて上海に駐留する日本軍の掃討を準備したという。
十四日には上海上空に支那空軍が飛来し、日本海軍陸戦隊本部、総領事館、軍艦、市街地に爆弾を投下
この空襲の二時間後には、爆撃の状況写真に「日本の飛行機によって爆破された光景」と説明書きされた宣伝ビラが大量に上海で配られていた
通説では支那機が租界地に爆弾を落としたのは誤爆ということになっているのだが、誤爆にしては大きな施設に命中しすぎている。もしかすると、蒋介石は初めから日本軍の仕業とするプロパガンダを世界に広めるつもりで、
故意に外国人の施設や支那人の多い所を爆撃し、世界が日本軍を批難することを期待したのかもしれない
これまでの不拡大政策を見直し、十五日に動員令
南京死守を命令した蒋介石は十二月七日に南京を脱出し、南京防衛軍司令官の唐生智も、十二月十二日の中華門・光華門陥落数時間前に逃亡した。
逃げ遅れた将兵は唯一の脱出口であった南京城西北の挹江門ゆうこうもんに殺到したが、
門は閉じられており、城壁を乗り越えて脱出するしか方法がなかった。唐生智司令官は陣地死守を命じており、揚子江を渡ることを厳禁し、違反者を戦場に向かわせるために督戦隊を置いていた。
しかしながら督戦隊と敗残兵との同士討ちで多くの死傷者がでたことが書かれている。(挹江門事件)
、支那側の情報をもとに南京事件で日本軍による虐殺があったとする記事を書いたのだが、世界の報道機関はこの二紙に追随しなかった。
国際連盟で支那代表の顧維鈞が、米紙の報道があったことを根拠にして二万人の支那人が日本軍に虐殺されたことを演説で述べたのだが、これも世界は反応しなかった。
421:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/04 19:01:53.27 Djc9NH8p0.net
急速に進化した20世紀初頭の金融マーケットであった。未だ二流の日本国債発行を二人はいかに可能にしたのか?
金融取引の中心はロンドン市場にあって」「各国の公債は、その元利支払能力に応じて値付けされ取引されていた。
日本海海戦や奉天会戦など日露戦争における個々の戦闘も金融市場で評価され、
ロシア公債や日本公債も戦いのたびに国家存亡のリスクに応じて冷徹な価格付けがなされていたのである
「ロシア公債は講話が成立すると、結局、改選前の水準に戻ってしまったが、日本はその利回りを大きく下げた。
日本はこの戦争を通じて、国際金融市場における国家としての地位を大きく飛躍させたのである。
クーポン3%が一流国としてのレートであるならば、
日本は国際金融市場において、開戦直後のジャンク債からロシア並みの一・五流国程度には地位が上がった
この本を読むと、国債を発行して海外から資金調達ができるということは国力そのものであることを痛感する
422:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/04 22:37:28.70 Djc9NH8p0.net
左翼活動家はやたらと役所やらNGOがやる謎イベントに呼ばれ、講演会をやってかなり高い謝礼をもらっていたりする。一回50万円とか。宣伝しないから納税者は気が付かない。40年以上前からだよ…保守系はあまりイベントがない
423:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/05 15:31:55.16 HprP968K0.net
ナイルに死す』 アガサ・クリスティー 加島祥造 訳 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
巻末 クリスティーと映画 双葉十三郎
424:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/05 15:31:55.10 HprP968K0.net
ナイルに死す』 アガサ・クリスティー 加島祥造 訳 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
巻末 クリスティーと映画 双葉十三郎
425:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/05 23:50:24.89 HprP968K0.net
1972年 『中国の旅』単行本発行
1974年 4月から使用開始の,帝国書院と自由書房の高校日本史教科書に,初めて南京事件が掲載
1979年 中国の国定教科書に,初めて南京事件が書かれる
1985年 南京大虐殺記念館完成
1950年代の南京には蒋介石に殺された20万人の中共党員のために雨花台烈士記念館が建てられ、
そこでは南京で国民党に虐殺された革命英雄を追悼していた。
70年代の文化大革命の時代にすら、その追悼行事が続いていた
426:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/06 12:53:46.45 Pt4SBqxE0.net
日本の左翼学者や自称平和主義者は二言目には「武力ではなく話し合いを」という。汪兆銘こそまさに「武力ではなく話し合い」を優先させた人である。
ならば、左翼学者は中共詣でで怪しげな南京大虐殺記念館で献花をする前に、
日中友好のシンボルとして「汪兆銘平和記念館」の建設を中共の要人に提案してみるべきではないか。
しかし、その汪兆銘だが現在は墓も残っていない。戦後、政敵だった蒋介石によって墓は爆破され、飛び散った遺体は焼却されて野に打ち捨てられた。
代りに建てられたのは、婦人の陳璧君と共に後ろ手に縛られ膝まづく像であり、与えられたのは漢奸(売国奴)の汚名である。人民はその像の前を通りかかる際には必ず唾を吐きかけ、足蹴にしなくてはいけないという。
「話し合い」で解決しようとする者は永遠に土下座をさせられる、それが中国の常識なのである。こういう国とは元より「話し合い」で解決など無理であるということを知るべきである。
427:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/06 21:40:15.56 Pt4SBqxE0.net
日本が韓国併合(1910~45年)の間に朝鮮半島に残した資産は52億ドル(約6千億円)、現在の価値で数千億ドル(数十兆円)に上ります。
鉄道、港湾など社会資本から私有財産まで膨大な資産
朝鮮半島に残された日本資産は戦後、米国に接収されましたが、これを米軍は米国に帰属するという意味で「帰属財産」と呼びます。
「帰属財産」は当時の朝鮮半島の国富の80~85%を占めました。
そして1948年、韓国政府樹立により韓国に移管されます
428:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/06 22:52:03.72 Pt4SBqxE0.net
先の戦争中には約5万人が捕虜になりましたが、大多数は戦況が絶望的になった終戦間際の時期に生じています。
欧米諸国と異なり、第二次大戦での日本兵は捕虜となることを強く忌避しましたが、
調べてみるとこの独特の観念はあまり古くさかのぼれるものではない。たとえば日露戦争の頃は捕虜を恥じる気持ちは一般に薄かったし、ロシア兵の捕虜も厚遇していた。
ただ、地域によっては帰国した捕虜を蔑視し、村八分にする現象も生じていました。そうした中で「美談」が生まれると、ガラリと考え方が変わる。
転機は昭和7年の第一次上海事変で捕虜になった空閑(くが)少佐の自決事件でしょう。
帰還後に自決したことを世論が大々的に称賛し、以後誰が主導するでもなく、捕虜をタブーとする空気が強まっていった。
「戦陣訓」(昭和16年に東条英機陸相が告示した軍人の行動規範を示す訓令)に「生きて虜囚の辱(はずかしめ)を受けず」の一文があったためとよく言われますが、
因果関係は必ずしもそうではない。それ以前からそうした観念が存在し、この一文はそれを後追いで文章化したにすぎないとも言える
捕虜になることを恥とすると、敵国の捕虜を大事にする考えもなくなっていく。だから第二次大戦中には虐待が増えました。一方で、捕虜になった場合を想定した教育がなされなかった。
結果的に日本兵捕虜は人数では他国よりかなり少なかったものの、何倍もの軍事情報をしゃべる、という事態になりました。
日本人捕虜は最初はかたくなだが、なぜ一旦口を開くとべらべらしゃべるのか。捕虜の尋問記録を読み込んだルース・ベネディクトは「恥と義理の文化」という特異な日本人論を展開しました。
もはや故国へは帰れぬ。しかし傷の治療をしてくれ、不自由なく食わせてもらった義理にさいなまれ…と観察したのです
429:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/07 10:50:46.96 psbLNDQh0.net
肺の構造は小さな肺胞の集合体であって一つの風船ではないのだからナイフで刺したところで空気が抜ける筈が無いし、腐敗ガスが体中に溜まって浮くこともあるから沈める事を目的に肺を例え全摘出したとしても意味が無いです。
腐敗が最も進むのは大腸で、腹部にガスが溜まるので、肺だけでなく腹部(腹膜)を縦方向に割くはずでは?
NYTは、右派のFOXとは真逆の民主党寄りの左派メディア
民主党の関係者の中には、米朝が緊迫していた方が国益になると思っている連中が多い。
430:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/07 12:52:44.04 psbLNDQh0.net
新幹線はJRが欲しくて作るわけじゃない
政府の方針に従って、国交省所轄の独立行政法人が建設・所有し、JRに「作ってやったぞ!お前、運営しろ」とぶん投げてくるもの
JR北海道なんて、北海道まで来ないと踏んで新幹線の札幌駅予定地にビル建てちゃって大騒ぎしてた
「あった方が便利」と「便利だから作れば採算が取れる」は全く別の話
鉄道の黒字は日本ですら以外とハードル高いよ
JR四国なんか岡山と高松を結ぶ瀬戸大橋線以外は全部赤字。四国新幹線とか言っているけど、採算が全く見込めない
工事費が欲しいだけという話。ヤクザが儲けたいんだろ関空とか名古屋の工事で山口組に入ったのは数百億だとさ
高松にしても松山にしても、新幹線つくるのは人口が小さすぎ。100万都市にならんと財務省はOKせんだろな。
在来線補修しろとか、高速バスで頑張れ
高速バスが現実的だから、高速バスがJR四国を圧倒してるわけだよな。
431:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/07 13:45:46.47 psbLNDQh0.net
吉田松陰の一番言いたかったのは、カムチャッカ半島とか具体的な地名にはさほど重要性はなく
争っている中では、国が衰えない為には積極的に周囲を征服しなきゃならんのだ
『ロシアから、千島列島・樺太方面 と、朝鮮(韓)半島方面の、
両面から 挟み撃ちされたら、日本は ひとたまりもない。』みたいな
432:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/07 14:43:26.73 psbLNDQh0.net
英国の歴史学者、チャールズ・マクファーレン(1799―1858年)の著書『日本1852』によると、
「年間300トンにもなる金、銀、銅がポルトガル人に持ち出されている。あふれる金銀でマカオの町は、ソロモン王時代のエルサレムの様相」というほどの繁栄を見せた。
つまり、マカオの繁栄は、日本と中国の間の貿易によりマカオにもたらされた日本の金銀によっていたのである。戦国から江戸初期にかけての日本は、
中国の絹織物などを豊富な金銀で輸入しており、ポルトガルなどの商人は、明と日本の貿易の仲介をすることで巨大な富を築いていた。
同書によると、オランダ東インド会社の1744年の資料に「日本からの金銀の持ち出しは年間84万英ポンド(83万両)にも上り、
1680年に金の持ち出しが禁止されるまでに数千万英ポンドに相当する金が持ち出されている。
ポルトガル人は、1年で58万英ポンドに相当する銀を持ち出していた」と記されている。高品質の銅のインゴットは、オランダ商人の主要な購入品目の一つとなっており、銅の輸出は1800年以降まで続いている。
日本からの金銀の流出は、元禄から徳川吉宗の時代にかけて、中国輸入品目の多くが国産化されることにより減少する。
1701年というと、忠臣蔵の「松の廊下の刃傷」が起こった年で、元禄の繁栄の最中であるが、この1700年の日本と欧米各国のGDPを比較すると、
日本は154億ドル、英国は107億ドル、オランダは40億ドル、スペインは75億ドル、ポルトガルは16億ドル、移民まもない米国は5億ドルとなっている。
この時に日本よりGDPが大きかったのは、康熙・雍正帝時代の強い中国、アウランジィーブ皇帝の強国インド、ベルサイユを建設した絶頂期のフランスだけである。
幕末も近づく1820年には、日本は207億ドル、英国は362億ドル、オランダは43億ドル、スペインは123億ドル、ポルトガルは30億ドル、独立後30年の米国は125億ドル
欧州では、1800年頃から産業革命が各国に浸透し始め、英国、ドイツなどは、急速に経済成長し、日本のGDPを追い越すようになる
433:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/07 14:45:18.33 psbLNDQh0.net
英国東インド会社は、単なる貿易会社ではなく国王から交戦権を特許され、軍隊を持つ会社であった。
1698年にコルカタ周辺3村の徴税権を買い取り拠点をつくると、その軍事力でベンガル24郡の徴税権を戦い取る。
ムガール帝国末期の皇帝は末期の室町将軍家のようで、インドは戦国時代のごとく乱れ、英国東インド会社は戦国大名のようにインドを統一していく。
1858年、ムガール最後の皇帝の軍を破り廃位させると、英国王は東インド会社から統治権を取り上げて直接統治する。
英領インドは150年かけて完成された民間会社の作品なのである。
434:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/07 15:14:10.86 psbLNDQh0.net
1700年代以降の中国の一人当たりGDPの急落の原因は、調べてみると人口の急激な増加によるもので、
実質的に人口が急増したというよりは課税対象になっていない子供が一気に把握されるようになったみたいな感じですかね。
435:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/07 16:04:04.83 psbLNDQh0.net
世界の眼鏡市場では、廉価品・低中級品は中国製、チタン製を中心とした中高級品やハイブランド品は日本製
材料の横流し、金型や図面の持ち出し等により、決して望んだ訳ではありませんが
現在の日本市場に出ている中国製の眼鏡製造技術については、ほぼ100%鯖江からもたらされた
436:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/07 17:04:02.95 psbLNDQh0.net
不法移民とか不法労働者と呼んではいけないのです。彼らは「正規の手続きが済んでいないだけ」の人達で、犯罪者ではありません。
よって犯罪者扱いするのは人権侵害なのです。国や社会は【手続き中】の人々を逮捕したり強制送還するのではなく、受け入れて支援しなければなりません。
私には『人権』の暴走にしか思えない流れですが、人の権利は拡大していくべきものだというのが世界的コンセンサスらしいです
「上からそう言う話が~」って己の頭で考えることの出来ない、アカの手先
権利というものは、それに付随し、切り離す事の出来ない「義務」「責務」を果たす。だからこそ主張出来る
437:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/08 01:35:22.45 /kZw5Qpq0.net
在来馬はポニーだった。古い時代劇見ても、馬だけは明治以降の改良種になっている。
身分のあるお武家や裕福な商人の奥様は、眉を落としてお歯黒を付ける
忠臣蔵も元禄の頃だから、島田はまだ無く髷や裃や女性の着物や着方などが時代劇のそれでよく知るものと全く違っていて、正しい時代考証で作った忠臣蔵は観客に不評だった
あんまりリアルさを求めすぎると歴史マニア以外誰も大河なんて見なくなる。
若手のタレントを起用するのは今に始まった事ではないし、歴史ファンが増えるきっかけになれば良しだと思います
曲がった道路に近い水面の小川、冬も水が抜けない湿田、石橋が数多くかかるやや太い流れ、「畦」が、地形通りに褶曲していく田んぼの群れ
田畑の風景が大きく変わったのは、昭和四十年代後半ですね。「農業構造改善事業」で、水田にブルドーザーが入り、
表土を剥ぎ、その下の地質を押して引いて平にした後、また表土を被せて、直線的な4mもある農道に、コンクリートU字溝、
大きな面積で機械化農業ができる田、に作り替えてしまいました。この事業には、国から予算がついたため、
その後の一定期間、作ってもらった田は売買できず、農家は他の産業が変化していく中、そのままのスタイルを強要されていました。
藁屋根から、トタン屋根に変わった時代でもあります
昔は農家の小屋や蔵は土壁で漆喰塗りでした
山も当時は、下草を丁寧に刈って、家庭の燃料や有機肥料にしていました。だから松林の下の見通しが良いです
永井荷風は江戸の古地図を見るのが趣味で、東京の中にわずかに残る「江戸」を探し歩くのが楽しみだったそうです
当時は着物の生地が分厚く、柔らかく何世代にも渡って使われる。もう作れない
これは縫製、刺繍、仕立てなどを支えていた優秀な下請け業者がいなくなったからです
戦前の映画を見ると、着物を着た女性が疾走しているんですよね。今では着物を着たままで走れる人はいない。
それだけ和服を着こなす人が多くいたということですね
明治以後日本人は西洋風の歩き方を矯正されましたから…西洋風の歩き方では和服は着崩れします
「十三人の刺客」(2010)観たとき、武士役(刀を持ってる役者)が誰一人として「まともに刀を振れてない」のに絶望しましたね。
動くときに上体がフラフラフラフラ、まったく体軸が通ってないのにも唖然としましたね
438:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/08 01:47:05.84 /kZw5Qpq0.net
嵐寛寿朗先生主演の時代劇でお寺の内部の階段が70度はあろうかとする急な階段をアラカン先生が着物を着て軽々登り
ワンカット見ていて アラカン先生の身のこなしが素晴らしかった オマケに片手に刀持ちながら
空襲がなければ相当数の武家屋敷が残っていたはず。
敗戦後の預金封鎖財産税も大きいよ。母方の何百年も居た城下の屋敷を税金の為手放したそうです
立派な武家屋敷でしたが、車が通らないでアッサリ門を壊した
失われたものは沢山ありますが、それ以上に皆さんは利便性、安全性を享受しているんですね。
懐かしむ声はあっても絶対に戻らないんですよ、誰も。
今の時代は圧倒的に優れています、先人の皆さんが取捨選択してくれた世界です。
文化財指定された別の友人宅は家の前の案内看板蹴って要らんモン立てやがって!このボロ屋改築出来んやないかとボヤいてました
439:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/08 13:10:37.61 /kZw5Qpq0.net
太平洋戦争の勝敗を決した最大の鍵は航空機であった
また、ヨーロッパにおけるドイツの敗北も、連合軍の爆撃によるところが大である
そして、この数の差は、燃料生産量の差とともに最終的な勝敗として表われた
三菱の飛行機工場は大正9年に開設されています
当初は離陸速度も遅い上に滑走距離も短い複葉機でしたから、不整地でも何とかなっていましたが、
時代が全金属機に変わり、離陸速度や滑走距離も長くなった頃には周囲は工場で埋め尽くされ、飛行場に転用する土地が無かったのです。
まあ、アメリカと戦争を始めて10,000機もの零戦を製作するハメになる(3/5は中島製ですが)とは、昭和初期の三菱関係者も軍部も想像出来なかったということです
前線に送られる数、時間的遅れがマイナスとなった。
その実態はまったく驚くべきものであり、この事実の前には日本の航空技術がもっていたわずかな優越性など吹き飛んでしまうのである
各工場は、なんと隣接する飛行場を持っていなかったのである。この事実こそ、日本軍の最大の弱点であった。
航空機工場に飛行場がないということは、内陸部に大型船の造船所を建設するのとまったく同様である。
完成した航空機は、試験飛行さえできないのである。
それではどうするかというと、いったん分解し、あるいはバラバラの状態で遠く離れた飛行場まで陸路を運ばれる。
数時間あるいは十数時間をかけて運んだのである
そこで再組立のうえ、ようやく進空(初フライト)に挑むのであった。
そして、またまた衝撃的な事実として、その運搬手段の中心となったものは“牛車”であった。
生まれたばかりの、技術の粋を集めた航空機が、分解されて牛車に載せられる。
牛に引かれた荷車が、時速二、三キロでノロノロと数十キロの道のりを飛行場へ向かうのである。その道も晴天ならほこりが舞い上がり、雨なら泥に変わる非舗装路であった。
トラックや馬車を使わなかった理由は、牛が大人しい動物であり、歩む速度が遅いため機体に振動をあたえないという理由による。
たしかに舗装されていない道路でトラックを使えば、繊細な工作物である積荷の航空機が壊れる恐れがあった。
だったら道路を整備すればよい、いやそれより早急に工場の隣接地に滑走路を建設すればよい、という意見はまったく出なかったのであろうか
440:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/08 13:15:11.14 /kZw5Qpq0.net
胴体、主翼は別々に牛車に積み込まれるが、かなり多くの部分に分解しても、町の狭い通りを抜けられないのである。
そのため町角の電柱を移し、看板を取りはずしてもらい、ようやく這うような速度で運び出すのである。
前方から荷車や自動車がやってきたら、すれ違えないので立ち往生する。「軍需物資を積んでいるから」と先方に頼み込んでいったん下がってもらい、ようやく通過するのであった。
また、一機の航空機の運搬には、零戦のような単発戦闘機なら三台、中攻(中型攻撃機)のような双発の爆撃機なら一三台の牛車が必要であった。
運河を使った平底船による輸送も行なわれたが、いずれも単発機であろうと、いったん分解しなければ積み込めない。
そのうえ昭和一九年以降、飼料不足から全国的に牛の数が減少しはじめた。小麦と芋づるの混合飼料も小麦の率が急速に減って、そのため体力はおとろえ、道の途中で激しく叩いても動かなくなる牛が多くなった。
このため輸送に支障がでて、三菱名古屋の担当者は大金を払って強引に牛の買い付けに乗り出した。
すると、これが物資統制令違反ということになり、三菱は地方裁判所に起訴される。
牛が入手できなければ航空機は前線に送り出せない。しかし強引に導入すれば、法律に触れる。
この矛盾は、正式に裁判で争われることになり、八ヵ月もつづいた。これが激しい戦争の真っ只中の出来事なのである。
この裁判の結果については、起訴した者全員に対し実刑を含む、有罪の判決が下された。
国家への協力を優先すべきか、それとも法律を順守すべきか、平時の知的遊戯としては興味を引く話題かも知れないが、現実には日本の命運がかかっているのである。
なんとも不可解なのは、昭和のはじめに航空機製造工場を建設するとき、誰ひとり隣りに飛行場が必要なことに気づかなかったのか、という点である
441:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/08 13:30:06.15 /kZw5Qpq0.net
「ラインを組んで、効率的に大量生産する」ってのはアメリカがT型フォードで確立したやり方ですが、そういうことをやる「思想」というのが当時の日本にはなかったのです。そもそも「効率」が当時の日本のどこにもそんな思想がないのです。
例えば航空機にしてもエンジンの生産と機体本体の生産を調整するって思想がない。だから、エンジンの生産工場でなにかトラブルがあって(特に大戦後半になって物資不足になってくると)
エンジンの生産数が落ちてもそれに対して機体の生産を調整する考えがないなら、「エンジンがない機体」がじゃんじゃん作られちゃう。
整備のためのエンジン本体や部品をフィリピンの港に運んできても、どこの飛行場でどんな部品が足りないという情報が皆無だから無計画に部品が運ばれるだけ。
だから、前線の基地ではいつも部品が不足していた一方で後方の港では新品のエンジンが行き先がなくて倉庫に山積みになっているなんてことがザラだったのです。
特にひどかったのが陸海軍間の対立で、例えば陸軍の航空機生産工場が空襲されて当分生産できなくなる。一方隣にある海軍の工場は被害を逃れたけど、空襲で資材の補給が滞ってアルミが不足して生産できなくなったとします。陸軍の工場にはアルミがある。
海軍の工場には機械が残っている。こういうときに陸軍側が資材を分けてあげるとか、海軍の機材を陸軍に貸すなんてことは、絶対に、ありえない。
陸海軍は同じメーカーに作らせていたのですけれど、自分たちの敷地に相手の関係者を入れるのはご法度中のご法度だったのです
三菱には「工場近くに自費で長い時間かけてテスト専用の飛行場を作るよりも、40km輸送して既存の軍の飛行場でテストしてもらったほうが安い」という理由が、
陸軍には「海軍に納入する機体のテストのために場所は貸してやるけど、ウチがテスト飛行場建設のためにカネ出したくない」という理由が、
海軍には「ウチは製品を注文してるんであって、テストの費用まで出す気はない」という理由が、それぞれあったんです。
戦前の日本にはブルドーザーがなく、滑走路を整備するのは時間とカネのかかる人海戦術になるからです。
戦時中にフィリピンで鹵獲した米軍のブルドーザーを日本軍が捕虜に運転させて、その作業能力に腰抜かしています。
442:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/08 15:00:28.14 /kZw5Qpq0.net
ある程度名の知られた人間であれば、誰しもが一度は「在日説」を囁かれるのが、今の日本の異様なところです。特にリベラルな思想を持つ人たちの中には、この種の噂を否定しづらい風潮があるとも聞きます。
「在日韓国・朝鮮人であることを否定するのは、彼らに対する差別意識があるからではないか」という内向きの批判を恐れるからです。
しかし、問題の本質はそこではありません。私が韓国人であるか、アメリカ人であるか、火星人であるかは問題ではないのです。問題なのは、私の個人情報について、明白な「嘘」が意図的に流布されているという事実、その一点に尽きます。
私は、仮に誰かから「あなたはアメリカ人ですよね」と事実と異なることを断定的に言われれば、それも嫌です。アイデンティティとは、その人自身が規定するものであり、他人が勝手に決めつけるべきものではないからです。
443:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/08 18:23:32.87 /kZw5Qpq0.net
落語は江戸期や明治期の庶民の世俗を題材に、2人以上の人物の会話の掛け合いで話が進展していくパターンが基本で、お客を笑わせることが目的の芸です。
これに対し講談は筋(プロット)のあるストーリーをお客に聴かせるのが目的で、登場人物の会話部分よりも地の文で説明する部分(「ト書き」という)が多いのが特徴です。
また一般に講談は落語に較べて登場人物や場面の転換が多いので、ボンヤリしていると話の内容が分からなくなってしまうかも知れません。
444:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/08 23:19:19.87 /kZw5Qpq0.net
若山富三郎や萬屋錦之介がやってる子連れ狼では、
浪人でも武士は武家言葉、
渡世人は、渡世言葉、
町人は町人言葉なんですね
城下町系では儲けが多く助け郷も多いのでなんとかなる様子ですが、山間や小さな宿場ではかなり大変だったようですね
本陣を運営するのは経済的に負担だった、ご先祖は辞めたかったが辞められなくて窮乏していた」的な
未だに残る旧街道あとは開発されずに味わいが残っています
道がひろいとこもあれば急に狭くなるところは地主さんが協力してくれたり一所懸命とあけ渡しを拒否したり
次の大磯宿まで1キロちょっとしかなく平塚宿に泊まる旅人が少なくて何とか客を増やそうとした結果、
西側にこんもりと土を盛ったような高さがある高麗山を指さして旅人に言いました
「これからあの山を越えていくのは大変ですし道も悪いので安全にどうぞここでお泊りなさい」
わざわざ山の頂上まで上り下りしなくても脇によけて平地を歩けばいいだけなのにこう嘘を言い客をとっていた
宿屋の客人の草鞋の汚れ具合で値段を決めていた事が現代の価格交渉で金額を上げる場合・足元を見る・の言い草になっています
千住・板橋・新宿・品川の江戸四宿は実際に宿泊する旅人はほとんどおらずやってくるのは遊郭としての利用客
江戸市内では遊郭が禁止されていたし江戸郊外でも浅草吉原しか許可されていなかったので非公認の遊郭として機能
高札場の閲覧義務化 江戸時代の識字率の高さ
シーボルトが旅人でごった返す宿場町を見て、「こんなに旅行の盛んな国は世界中何処にも無い」と言ったとか。
参勤交代時には、藩によっては1000人以上の人間が移動
事前予約なんで本陣から寺院、商家の軒先まで押さえて泊まってた
明治時代に鉄道が導入されたが乗降場はそのままステーションと称したが結局、律令制時代の「駅」と称す
旧中山道」を「いちにちじゅうやまみち
445:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/08 23:43:08.69 /kZw5Qpq0.net
特に島津藩の財政を圧迫するために始めた「参勤交代」
世界的には沖縄の石垣諸島の水牛の馬車が非常に特殊な光景
446:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/09 23:00:16.00 6Pi/ZAxr0.net
シバレンさんは、一応、慶應大學の支那文学科を出ていたから、徴用されても、見習士官の試験を受けるよう、上官から言われた。
でも、下級士官なんて、「突撃ー、突っ込めー」で、真っ先に戦死すると決まっていたから、これを拒否した。
待っていたのは、下士官どものリンチだった。前歯を全部折られ、右目の視力も長いこと失うハメとなった。
当番士官の中尉が、シバレンさんに、「魚雷はケツに当たった。この場合は、ケツから沈む。
慌てて海に飛び込んじゃいかん。どんどん沈んで、海面が同じ高さになったら飛び込め。そうしたら、とにかく、
できるだけ遠くに泳ぐんだぞ。底からものすごい勢いで浮遊物が上がってくるんだ。当たったら御陀仏だぞ!って、
そして、バシー海峡での、死線を彷徨った、数時間。
船内から必死で浮かび上がって来た、まだ幼い顔の少年兵を見たとき、シバレンさんは、悲しさのあまり、一切の感情を忘れ、
むかし覚えた漢詩を詠い、ただただ、波間に浮かんでいたそうだ。
シバレンさんは、慶應の支那文学の出身だ。だから、いちいち漢字、漢語へのこだわりが強い
「殖」という字は、もともとは、死体を打ち捨てておくと、やがて、腐敗溶解し、ずぶずぶになって、流れ出すことを云うのだそうだ。
だから、会社の名前に「殖産住宅」などとつけるのは、極めて不吉で、無学も甚だしい!
日中国交正常化のとき、田中角栄が詠んだ漢詩に対して、幼稚園児ですら詠まないゴミクズを、一国の首相が吐いたと、公然と嘆いたのもシバレンさんだった。
漢詩を成立させる、平仄も押韻も、角栄さんは、無学
眠狂四郎という名前は、実は、中里介山「大菩薩峠」を意識して、考え出されたものだ。大菩薩峠の主人公は、机竜之介。
眠狂四郎とは、ゴロも字数もちゃんと合っている。
主人公の名前を考えるとき、あまりに奇をてらう、読者がピンと来ないものを選んでは、いけないらしい。
できれば、人々の日常生活で、常に接していて、違和感のないものがいい。
「机」はその点、子供がものごころがついてから、毎日お世話になるものだ。机竜之介、竜之介は、芥川からいただいく、すんなりとしたいい名前だ。
だが、ちっともいいアイデアが浮かんで来ない。とうとう疲れ果て、もうあきらめて、眠ろうと思った。
瞬間!電撃のように「眠」という文字が脳裏に浮かんだ!眠り!こいつはいい。誰もが毎日無意識のうちに営んでいる生活そのものだ。
下の名は? 狂気、狂一郎、狂次郎、狂三郎、狂四郎。キョウシロー、語感も鋭角的でエキセントリックで、申し分ない!
団扇太鼓を叩きながら、日蓮宗の修行者の一団が、向うからやってくる
やがて、すれ違って、通り過ぎようとした、その刹那!修行者たちが、狂四郎に襲いかかる!
このシーンは、その後も、刺客が主人公を襲うシーンとして、さまざまな時代劇にも登場する。
これは、シバレンさんのアイデアだった。「あなたの作品が、ずいぶん盗用されていますよ。」そう、忠告してくれた人もいたそうだ
447:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/09 23:13:14.79 6Pi/ZAxr0.net
ほとんどの兵士にとって、戦争の実態とは、敵との華々しい交戦などではなく、
あたかも、ヤクザ、チンピラどもが、暴力で支配する、内務班という、暗黒世界で過す地獄の日々をいうのだと思う。
シバレンさんは、それらを、直接、身をもって体験した。
だから、戦後、例えば、野坂昭如だの三島由紀夫だのが、戦争体験を語ったり、戦争ごっこをやっているのを見て、
「いっぺん内務班でぶん殴られてみろ!」いつも、そう吐き捨てていた。
戦時中、あれほど、鬼畜米英でやっていたのが、戦後、たちまちGIの腕にぶらさがり、チューインガムを噛みながら、
媚びを売り、春をひさいだのも、女どもである。シバレンさんが、小説で、女をすべて「毒婦」とし、
無気味なバケモノとして描いた理由である。
出鱈目話を、たんに勢いだけで書き散らした作品。一方で、学校での専門も手伝って、精魂を込めて描いた作品。
前者が、100万部もばか売れし、後者は、初版の1万5000部だけ、増刷は、なし。
これまでの経験や知識や、トリックや仕掛けを優に凌ぐ、絶対に、大ヒット間違いない!
この意気込みで書いたものが、まったく売れない。ひどい、ショックだった。シバレンさんは、そう語っている。
「(シバレン)三国志、英雄ここにあり」お情けか同情か、一応、吉川英治文学賞も、あとでもらった。
そんな話を聞くと、司馬遼太郎さんの「項羽と劉邦」が、思い浮かぶ。
これもまた、司馬遼作品には珍しく、ほとんど、評価されず、売れない作品だった。
一冊も作品を読んだことがないのが、自分を「先生」と呼ぶ。
そういうときは、シバレンさんは、ブスッとして、ほとんど口もきかなかった。
ところで、ちゃんと作品も読み、心から敬愛して、シバレンさんを、「柴田先生」と呼んでいた人がいる。
ふざけて呼んでいたのではなく、心から敬服して「先生」と呼んでいた。それが、あの、司馬遼太郎さんだ。
448:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/09 23:33:02.90 6Pi/ZAxr0.net
シバレンさんが、必ず見る悪夢があった。いつも決まって見る夢であり、絶望のどん底に陥って、そして、目が覚める。
それは、昭和十九年の夏、またも赤紙が届いたときの夢だった。シバレンさんは、それまで、二度、召集を受けていた。
そして、二度とも、仮病や策略で、召集の解除を受け、命拾いしていた。
昭和十五年の徴兵検査の時は、一ヶ月間絶食し、検査当日は、ほとんど、立っているのもやっとの状態で、召集は免れた。
昭和十七年の召集令状。このときは、一応、相模原の重砲隊に所属し、三ヶ月ほど初年兵教育を受けた。やがて、衛生兵となり、配属先も決まったが、
そこで、シバレンさんは、大量に醤油を飲み、直後に、過激な運動をする、この方法で、まんまと病院にもぐり込んだ。
担当の軍医は、シバレンさんのウソを見破りながらも、除隊の手続きを取ってくれた。シバレンさんと同じ、慶應の出身だったそうだ。
そして、いよいよ、昭和十九年夏の赤紙。その頃はもう、戦局は、極度に悪化し、敗戦の色が濃厚だった。
赤紙は、すなわち、死の宣告書に等しかった。
シバレンさんは、当時の支那文学科の出身だ。すでに、何度も、それは、書いた。
乞食とか女性の白い歯とか、瞳とか、艶めいたしぐさとか、そういう名詞を、中国語の単語を使って、表現したのだが…、
シバレンさんが、もっとも怖れたのは、中島敦。
その男は、シバレンさんが、逆立ちしても、到底及ばない、底の知れない学識や知識を、若造の頃から、完璧にそなえていた。
さらに、現代にも通じる、みずみずしい感性を有していた。
シバレンさんが、ベタボメした作家がいた 久生十蘭という人
449:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/10 12:30:35.29 PYub7gHO0.net
三船プロダクションがアラン・ドロンを招聘した1977年には、映画化が予定されていた『青い目のサムライ』
監督:黒澤明
脚本(ブルーアイ):黒澤明、橋本忍、小国英雄(既に完成していたそうです。)
出演(予定):アラン・ドロン(スティーブ・マックィーンから変更)、三船敏郎
音楽:挿入曲=カラヤン指揮ベートーベンの“交響曲第七番”
内容(予定):
紅毛碧眼の武将の勇猛果敢な戦いを描いた戦国絵巻である。九州の海岸に異人の女性が漂着する。珍しさも手伝って側室にした大名との間に、金髪青い目の子供が生まれる。
いみきらう大名に捨てられたこの毛色の変わった子供を三船敏郎の家老が育てる。やがて、たくましい青年になった青い目のサムライが、姫と恋し合い、家老と共に馬上高く日本刀を振りかざして獅子奮迅の活躍-。
「日本のサムライがやれるなら私が・・・黒澤さんとやれるなら願ってもない。単独出演でも三船プロとの合作でもいい(アラン・ドロン)」
「大合戦の場面は、騎馬戦なので千頭の馬が必要。日本では不可能なのでユーゴかスペインにヨロイ、カブトを持ち込んでロングで撮りたい。
ラストの金髪をなびかせた青い目の武将が大軍勢の中へ突っ込んで討ち死にする場面の音楽は、カラヤン指揮のベートーベンの“交響曲第七番”だ(黒澤明)」
【キネマ旬報1977年6月上旬号「邦画新作情報-A・ドロンは青い目の武将を-」】
450:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/10 17:55:04.47 PYub7gHO0.net
『日比谷公園の鶴の噴水が歌を唄うということですが一体それは真実でしょうか』―昭和九年、銀座のバーで交わされた奇妙な噂話が端緒となって、
帝都・東京を震撼せしめる一大事件の幕が開く。安南国皇帝の失踪と愛妾の墜死、そして皇帝とともに消えたダイヤモンド―
事件に巻き込まれた新聞記者・古市加十と眞名古明警視の運命や如何に。絢爛と狂騒に彩られた帝都の三十時間を活写した、小説の魔術師・久生十蘭
米澤穂信が次のように記しています。
《極めつけはなんと言っても『魔都』(久生十蘭)であり、出会って以来忘れられない、愛する一冊である。
日比谷公園の青銅の鶴が鳴き、銀座の酒場で年を越そうという青年紳士は実は安南の皇帝であり、
一個の宝石が失われたまま戻らねば国難は必至だという。帝都の一晩の物語は複雑怪奇、久生十蘭の語り口は縦横無尽、
この小説はまことに贅沢(ぜいたく)で酔いを招き、魔都の名にふさわしく、不穏である。》
装画は、影山 徹
451:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/10 23:49:17.76 PYub7gHO0.net
東京一極集中の原因は東北からの人口流入です。西日本は城下町を中心に発展し、広島、福岡以外にも
名古屋、岡山、福山、北九州、熊本、鹿児島、高松、松山など人口50万都市が多く、産業も発達していたので、
上方に出稼ぎに行かず地元で職に就くのが主流でしたが、東日本は農村地帯が多く、仙台、札幌以外の人口50万都市は静岡と新潟のみで農業以外の産業がないため、
上京して職に就くのが主流となり、三都の中で東京だけに人口が集中する結果となりました
江戸時代は居住地を捨てて移住することが禁止されていたので「繁栄していた大坂」は各藩の蔵屋敷と御用商人と封建的使用人(と仏教衆)くらいしかおらず、
現在の「大阪市」と比べても極めて狭い区域しか都市化されておらず、この点では江戸と比較してもきわめて小さな「商業特化都市」と考えるのが適切。
大坂、江戸の様に上水道が整備されてなかった為飲水は桜の宮辺りで汲んだ川の水を水売りから買って飲んだらしい。
低地の井戸は飲めない、上町台地の井戸は飲めたでしょうけど
452:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/11 16:49:30.85 DBKwlyya0.net
大化、建武、明治維新、どれも豪族や武家が天皇をないがしろにし政治を私物化して民を苦しめたので、天皇の親政を仰ぎ国を建て直そうという革新の動きです。
よって、天皇中心の国、尊王思想というのは明治政府が創作した明治以降の思想ではありません
453:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/12 16:38:43.10 rOF+HRBP0.net
昭和54年は既に夜行列車は衰退に入っていますよ。この年に運輸大臣が「夜行列車廃止論」を掲げた年です。この時点でビジネス利用客から見限られていて、
博多まで新幹線が開通しています。東北方面はまだ新幹線の恩恵を受けていないのでそれなりに利用はありましたが、もとより需要が少ないので微々たるものです
夜行列車一本運行させるには日中半分車庫で遊ばせる運命の専用車両も必要だし、建造費だけ見ても何年で減価償却できるのやら…
東京~下関間1120㎞強を交代なしで、しかも換算51両持って特通客C2速度で突っ走るから僅かな異常不調も命とり。始業点検のまなざしが真剣なのも頷ける。
454:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/12 18:03:43.45 rOF+HRBP0.net
月に行く利点がなあ
日本はハヤブサみたいに「直接行かなくても取ってこれる」ものをすでに作れるからな
今起きてる月面探査ブームは月探査かぐやの詳細な月面レーダ探査により
月表面近くに洞窟が発見されたことがきっかけで起きた
洞窟が使えれば月での居住に現実性が増す
洞窟の争奪戦が起きている
月で資源確保できると、内惑星探査のコストかなり下がる
どこも詳細なレーダ観測情報を持つ日本と組みたい
なお、それらの国は同じ理由で日本が単独で月面探査することを阻止したい
対日圧力はかなりキツイぽぃ
アポロ計画も連邦予算の10%注ぎ込んだ割に科学的成果はいまいちだったのが後続が誰もいない理由の一つ
月面開拓の主目的は、有毒物質垂れ流しでも問題ない工業地帯を手に入れることだからね。
地球上だと他の生命や生態系に配慮が必要だけど、月面ならその配慮が不要。
ロボットだけ送り込んで資材の採掘・加工させて、出来上がった製造物だけ地球に持地ち帰れれば良しって感じ。
日本はレトルト食品真面目に作ってたら宇宙食にはそれで十分だったり
玩具メーカーの作ったトイカメラが月面で使えちゃったりしてるからな
455:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/12 21:21:54.32 rOF+HRBP0.net
1945年3月、日米の戦いも3年を過ぎ、戦争もいよいよ終盤。敗戦の色が日に日に濃くなっていく中、アメリカ大統領のルーズベルトが死去した。
同じく連合国軍と戦争中だったナチスドイツのヒトラーは声明で『愚かな大統領として歴史に残る人物』とルーズベルトを揶揄したが、当時日本の総理大臣だった鈴木貫太郎はこう声明を出した。
『アメリカ側が今日、優勢であることについては、ルーズベルト大統領の指導力が非常に有効であって、それが原因であることを認めなければならない。
であるから私は、ルーズベルト大統領の逝去がアメリカ国民にとって、非常なる損失であることがよく理解できる。ここに私の深甚なる弔意をアメリカ国民に表明する次第である
456:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/12 22:19:47.95 rOF+HRBP0.net
彼らは、ずっと搾取され続け、ろくに発展すら出来ず、鉱山などでの資源搾取のための労働奴隷であり続けていることを21世紀の今までずっと強いられて来ました。
彼らに金銭的に支援を返さなくてはならないのは欧米であり日本ではありません。
ランスは豊かな国で週休3日が実現できているのか皆様ご存知でしょうか?
フランスには、公には決して言えない「年間5000億ドル(76兆円)とも言われる巨額の副収入」があるのです。
それはアフリカ14カ国への植民地支配と徹底的な搾取。旧植民地を支配する通貨が「CFAフラン」です。
「CFAフラン」とはCFA=ColoniesFranceAfrican(アフリカのフランス植民地)、フランはフランスの旧通貨です。
1945年、フランスはアフリカの旧植民地に対して「CFAフラン」の使用を義務付けました。
表向きの理由は、経済基盤が整っていないアフリカの国が自立できるようにするため通貨を与えてやったんだという名目ですが、こちらが
以下3つの手法により莫大な「ほぼぶん取りとも言える中抜き」の道具となっています。
457:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/12 22:20:42.88 rOF+HRBP0.net
中抜き手法その1
CFA諸国(フランスのアフリカ旧植民地14カ国、以下同様)の外貨準備金の85%は自動的に共同準備金としてフランス中央銀行に預けなかればならない
これ要するに各国の収入のうち15パーを超えた分は自動でフランス中央銀行に預け入れられ
なんと!借金扱いにされ利子を払わねばなりません!
しかもフランス通貨とCFAフラン交換レートは固定でフランスが決めます。
実際に1994年には50%の通貨切り下げが行われ、CFAフラン使用国のフランス・フランに対する債務額は2倍になりました。
中抜き手法その2
CFA諸国が得た外貨はフランス中央銀行が海外金融市場で運用。そこで得た利益は借款などに充当。
これ要するに各国が頑張って外貨を稼いで来た利益はフランス中央銀行に強制預入され運用!
運用益を各国に借款ローンとして貸付て利子も取ります!
稼げば稼ぐほど稼いで来た外貨が頑張りに合わせて借金ローンとして増えます!!
中抜き手法その3
植民地時代にフランス政府が建設したインフラ(道路、橋、ダム、水道、電気など)の代金を独立にあたって支払うこと。
勝手に植民地にして勝手に整備したのに独立したら返してね、借金ローンね!!
各国から産出される全ての天然資源について、最初に購入できる権利を有する。
全ての政府関係の事業は、フランス企業が最初に契約先として検討され、あるいは入札対象とならなければならない。
(高く買ってくれる買い手がいても売れません必ず底値でフランスに買われます。)
各国の軍の兵器についてフランス製を独占的に販売する権利を持ち、軍将校はフランス軍によって訓練を受けなかればならない。
(もちろん訓練費用は諸国の負担)
458:名無しさん@お腹いっぱい。
25/09/12 23:09:46.47 rOF+HRBP0.net
もそも自国通貨を導入して運用できる国家レベルになっているのでしょうか。
現状では西アフリカの各国は政府機能が不十分なため経済的自立がなされていない。この状況ではCFAフランのシステムは
西アフリカ各国にはメリットがあると思うが、この状況を続けていると経済発展はほぼ不可能
クーデターの発生が多い理由としては、フランスに反対することが原因です。
カカオ豆の採取に子供達が働かされてカカオを輸出するにもまずフランスが安い値段で全部買い取ってその後フランスが他の国々に売るシステムになっている
そもそもCFAフラン制度をつくったのがロスチャイルド家の方々で、マスコミをコントロールしているからなのです。
アフリカ共通通貨を発行しようとしたカダフィはNATOの攻撃で殺された
沖縄の経済発展が遅れた理由とも似ていますね
アメリカ統治時代は国際的に価値が高いUSドルをそのまま使っていて、内地やアメリカから製品を安く仕入れたので地域の産業が発展しない要因の一つになりました
アルジェリアの独立戦争中にアルジェリアの国土で核実験やった国だからな。
日本の財務省(米国国際金融資本)の緊縮財政 ≒ 通貨発行権の制限