25/12/18 11:49:24.23 uAHndCpJ.net
>>59
>アイデアは自由ですが証明は厳密でお願いします
高木貞治先生は、”我々は空虚なる一般論に捉われないで、帰納の一途に精進すべきではあるまいか”と
岡先生の”情緒”も また同じ
その時代の頂点を極めた人は 帰納やアイデアの重要性を説く
(参考)
スレリンク(math板:503番)-505
前スレ2025/12/10より
<一階論理偏重を糾すために>
高木貞治 下記
“ガウスが進んだ道は即ち数学の進む道である。その道は帰納的である。特殊から一般へ!それが標語である。数学が演繹的であるというが、それは既成数学の修行にのみ通用するのである。自然科学に於ても一つの学説が出来てしまえば、その学説に基づいて演繹をする。しかし論理は当り前なのだから、演繹のみから新しい物は何も出て来ないのが当り前であろう。若しも学問が演繹のみにたよるならば、その学問は小さな環の上を永遠に周期的に廻転する外はないであろう。我々は空虚なる一般論に捉われないで、帰納の一途に精進すべきではあるまいか”
数学が演繹的であるとき 一階論理も役に立つだろう
しかし、帰納に目を転じると、そこは 一階論理偏重では どうにもならない世界が広がる
全体として、数学においても 一階論理偏重では だめってことだね
(参考)
URLリンク(www.mathsoc.jp)
数学通信第3巻第3号1998
URLリンク(www.mathsoc.jp)
書評
高木貞治著:近世数学史談・数学雑談 長谷川浩司
実際には一体何をしているのか?というのが、数学科の学生であってもなかなか得心できず、
また伝 えるにも難しいところである。用語をならべても、また絵を書いてみたりしても、なかな か真意は伝わらない。
数学の研究もまた帰納というべきであり演繹は手段である、と言いはするが、その好例はなかなか示しうるところにないように思う。
数学において、知りた いと思う目標がいかにありうるか、それをこの本では初学者の目にもあきらかにしてくれる。
ガウスの驚異的能力を知らしめる算術幾何平均の項、そしてアーベルの明解を味わえる「初発の楕円函数論」の項などである
URLリンク(www.vrp-p.jp)
ACPEDIA コラム 20241111
数学は自然科学か(その2)
5.高木貞治氏の御言葉
恩師の恩師に当たる高木貞治氏の『近世数学史談』からの御言葉
“ガウスが進んだ道は即ち数学の進む道である。その道は帰納的である。特殊から一般へ!それが標語である。数学が演繹的であるというが、それは既成数学の修行にのみ通用するのである。自然科学に於ても一つの学説が出来てしまえば、その学説に基づいて演繹をする。しかし論理は当り前なのだから、演繹のみから新しい物は何も出て来ないのが当り前であろう。若しも学問が演繹のみにたよるならば、その学問は小さな環の上を永遠に周期的に廻転する外はないであろう。我々は空虚なる一般論に捉われないで、帰納の一途に精進すべきではあるまいか”
URLリンク(www.kurims.kyoto-u.ac.jp)