25/11/06 12:10:57.45 9MLt2+C6.net
>>353
>「数学における帰納の例を、3つ上げよ」
>ま、1つも上げられないんじゃね?(笑)
まず 一つ ”5.高木貞治氏の御言葉”下記
“ガウスが進んだ道は即ち数学の進む道である。その道は帰納的である。特殊から一般へ!それが標語である。数学が演繹的であるというが、それは既成数学の修行にのみ通用するのである。自然科学に於ても一つの学説が出来てしまえば、その学説に基づいて演繹をする。しかし論理は当り前なのだから、演繹のみから新しい物は何も出て来ないのが当り前であろう。若しも学問が演繹のみにたよるならば、その学問は小さな環の上を永遠に周期的に廻転する外はないであろう。我々は空虚なる一般論に捉われないで、帰納の一途に精進すべきではあるまいか”
(参考)
URLリンク(www.vrp-p.jp)
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コラム 2024年11月11日 (月)
数学は自然科学か(その2)
この度、約10年前に作成したコラム『数学は自然科学か?(2015年11月24日 (火) )』に対する(初めての)反響をいただけました!
コラム執筆者の一人としては、このような大昔のコラムに真面目に反応くださる方がいらっしゃることに無上の喜びを感じています!!
しかしながら、“数学は自然科学ではないのでは?”という鋭いご指摘に、20年以上前の故・指導教官の「御言葉」を今更ながら懐疑的に回想する必要が出てきた模様です。
5.高木貞治氏の御言葉
恩師の恩師に当たる高木貞治氏の『近世数学史談』からの御言葉を引用します。
“ガウスが進んだ道は即ち数学の進む道である。その道は帰納的である。特殊から一般へ!それが標語である。数学が演繹的であるというが、それは既成数学の修行にのみ通用するのである。自然科学に於ても一つの学説が出来てしまえば、その学説に基づいて演繹をする。しかし論理は当り前なのだから、演繹のみから新しい物は何も出て来ないのが当り前であろう。若しも学問が演繹のみにたよるならば、その学問は小さな環の上を永遠に周期的に廻転する外はないであろう。我々は空虚なる一般論に捉われないで、帰納の一途に精進すべきではあるまいか”
URLリンク(www.kurims.kyoto-u.ac.jp)
URLリンク(www.mathsoc.jp)
数学通信第3巻第3号目次 (1998年度)
URLリンク(www.mathsoc.jp)
高木貞治著「近世数学史談・数学雑談」(復刻版・合本)長谷川浩司(1998年度)
数学の研究もまた帰納というべきであり演繹は手段である、と言い. はするが、その好例はなかなか示しうるところにないように思う。数学において、知りた. いと思う目標が ...
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