25/11/06 10:53:53.92 9MLt2+C6.net
>>341 タイポ訂正
もし、肯定しても 同じ姓の人がいると、「お前だろう」などとその名前の人が迷惑だからd
↓
もし、肯定しても 同じ姓の人がいると、「お前だろう」などとその名前の人が迷惑だから
さて
>>329
>要するに、ラッセルパラドックスとは
>「一階述語論理における、基本的な定理の否定文」
>なので、一階述語論理が確立された現在では
>その気になれば誰でも分かって当然なのである
この場合の重要キーワードは”自己言及のパラドックス”、”嘘つきのパラドックス”だな(下記)
高校時代に ゲーデルの不完全性定理の本を読んだときに、”嘘つきのパラドックス”があったのを覚えている
(参考)
URLリンク(ja.wikipedia.org)
自己言及のパラドックス
哲学および論理学における自己言及のパラドックス(じこげんきゅうのパラドックス)または嘘つきのパラドックスとは、「この文は偽である」という構造の文を指し、自己を含めて言及しようとすると発生するパラドックスのことである。この文に古典的な二値の真理値をあてはめようとすると矛盾が生じる(パラドックス参照)。
「この文は偽である」が真なら、それは偽だということになり、偽ならばその内容は真ということになり……というように無限に連鎖する。同様に「この文は偽である」が偽なら、それは真ということになり、真ならば内容から偽ということになり……と、この場合も無限に連鎖する。
歴史
嘘つきのパラドックスの一例として、エピメニデスのパラドックス(紀元前600年ごろ)が示された。エピメニデスは伝説的哲学者でクレタ島出身(クレタ人)とされており、「クレタ人はいつも嘘をつく」と言ったとされている。この言葉の出典は、新約聖書中の「テトスへの手紙」(1章12-15節)である[1]。
パラドックスの詳細と派生
嘘つきのパラドックスの問題は、真と偽に関する一般通念を適用すると矛盾が導かれる点である。文法や意味論の上では規則を守りつつ、真理値を割り当てられない文を構築することができる。
集合論におけるパラドックス (ラッセルのパラドックス)
→詳細は「ラッセルのパラドックス」を参照
様々な解決案
言語階層
アルフレト・タルスキ
アルフレト・タルスキは、「意味論的に閉じた」言語でのみこのパラドックスが生じるとした。
アーサー・プライアー
アーサー・プライアーは、嘘つきのパラドックスには逆説的なところは何もないとした[4]。
ソール・クリプキ
ソール・クリプキは、ある文が逆説的か否かは、経験的事実に依存すると主張した[8]。
バーワイズとエチェメンディ
ジョン・バーワイズ(英: Jon Barwise)とジョン・エチェメンディは、(強化した)嘘つきのパラドックスの文は曖昧だと主張した。
真矛盾主義
嘘つきのパラドックスの論理構造