25/08/25 17:30:19.46 NbOUr+U1.net
>>168
>>無限集合は認めるが、操作は有限に限るとね
>カントールは、無限集合を「要素を空集合から1つずつ加える操作を無限回実行したもの」と定義していない
ふっふ、ほっほ
下記の 「<特別寄稿>スコーレムの有限主義 出⼝, 康夫. 哲学論叢. 2002」
で、有限 or 無限操作に関する記述があったので、少し引用しよう
君たち二人の主張は、哲学的には 構成主義?w
だが、21世紀数学は 実無限を認める人多数だろうさ ;p)
>>165より再録
URLリンク(repository.kulib.kyoto-u.ac.jp)
<特別寄稿>スコーレムの有限主義
出⼝, 康夫. 哲学論叢. 2002, 29: 81-104.
P83
2.2 「構成」とは何か 古典主義と構成主義の違いを理解するための第二の準備作業として、次に構成主義の名の由来ともなっている「構成(construction)」とは何かを大まかに見ておこう。 現代数学おいて、構成とは、一般的に言って、アルゴリズムに従った一連の操作であると理解されている。(9) 「アルゴリズムに従った操作」については、それを帰納性(recursiveness)と同一視する「チャーチのテーゼ」による数学的な定義が今日広く受け入れられている。しかし、ここでは以下の非形式的な特徴づけで十分であろう。
即ち、それは、離散的なステップを一つ一つ踏み、予め決められていた規則に従って、つまり決定論的に遂行される、有限回の一連の操作である。(10)
例えば超越数 n = 1~∞ 10^- n !は、
このような意味で、リューヴィルによって「構成」された対象であると言えるが、それには若干の解説を要する。
というのも、この超越数の代数的表現に無限和という無限回操作が含まれている以上、その数を有限回の操作で構成することが一見して不可能であるように思えるからである。
しかし、その超越数を求める操作は、n「各々のnに対して n =1~n 10^ - n !を求めよ」という有限個のステップからなる計算規則を、無限回適用したものである。
このことは、この有限回ステップとしての規則を定めるだけで、それを無限回繰り返したら得られる極限値として、上の超越数を一意的に特定することが可能であることを意味する。ここで、極限値としての超越数と、それを特定する有限回の操作規則を同一視するという概念操作が施される。このような概念操作によって始めて、超越数の有限回操作による構成可能性が確保されるのである。(11)
有限回操作の規則と、その無限回繰り返しによって得られる極限値とを同一視するという構成主義の方針を踏まえれば、それが実無限としての可算無限や、非可算無限の導入に反対する理由も明らかとなる。
構成主義が受け入れる「無限」とは、結局、「無限回繰り返し可能な有限回操作」に他ならない。
他方、実無限は「その無限回繰り返しが完了した」ことまでも意味する。
また非可算無限に対しては、無限回の繰り返しによってそれを生み出す有限回操作自体が設定できないのである。