ガロア第一論文と乗数イデアル他関連資料スレ8at MATH
ガロア第一論文と乗数イデアル他関連資料スレ8 - 暇つぶし2ch283:132人目の素数さん
24/06/16 14:36:47.00 CQsAqfih.net
つづき
1921 年にエルヴィン・シュレーディンガーが,チューリヒ大学にラウエの後任の数理物理学教授として着任した.チューリヒ大学とETHは隣接していて,スタッフ間も日常的な交流があった.ワイル夫妻とシュレーディンガー夫妻はいろいろな意味で密接な交流をしたようである.またノーベル賞受賞者のピーター・デバイもいて,チューリヒは量子力学も盛んで,それに反対するアインシュタインもいて,ワイルは双方と交流を持っていた.次の3作は,空間と物質について,その物理と数学と哲学を深く考察したものである.[4] “Mathematische Analyse des raumsproblems”(『空間問題の数学解析』), 1923 [5] “Was ist Materie?”(『物質とは何か?』), 1924 [6] “Philosophie der Mathematik und Naturwissenschaft”, 1927. (『数学と自然科学の哲学』(菅原正夫,下村寅太郎,森繁雄訳)岩波書店(1959).著者自身が監修した英訳本(1949) があり,日本語訳はそれを底本にしたもの.)
やがて,チューリヒの理想郷状態が崩れる時が来る.その副産物が次の著書である.[7] “Gruppentheorie und Quantenmechanik” (『群論と量子力学』),H.Hirzel, Leipzig, 1928.原著第2版(1931). (山内恭彦による日本語訳が裳華房(1932)から,ワイル自身の英訳が1950年に出版されている.)[7] の序文で,「1927/28の冬学期にデバイとシュレーディンガーが同時に突然の招聘により他へ去ったので,チューリヒは理論物理の講義の全部を失うことになった.ここに於いて余は既に予告してあった群論の講義を群論及び量子力学の講義に改め,進んでこの欠陥を填補せんことを試みた」と語っている.その直前に,「外的動機において前回Raum, Zeit, Materie の書を著すに至ったのと大差がない」と言っているので,[3]の元となった講義もアインシュタインがするべき講義を代わりに
行ったということなのかもしれない.
やっつけ仕事に見える切っ掛けがどうであれ,著書[7]が与えた影響は[3]が与えたものよりも大きかった.[3]の後,ゲージ不変性を旗印に重力と電磁気との統一理論を作ろうとして,(時期尚早というべきか)失敗しているのだが,後に量子力学が生まれて,特に量子電磁力学が生まれる際には大きな役割を果たしている.さらに,2成分ニュートリノ理論などが,ワイルの死後のことだが,ヤン–ミルズ場の理論にも影響を与えている.[7] の第1章は「ユニタリ幾何」,第2章は「量子理論」,第3章は「群とその表現」,第4章は「群論の量子力学への応用」,第5章は「対称置換群と対称変換の代数」となっている.扱われている群は,一般線形群,回転群,ローレンツ群,対称置換群である.ワイルによれば,1章と3章の数学は物理向けで,2章と4章の物理は数学向けで,5章がその融合を意図したものである.
[7] の理論物理界への影響はすさまじく,Gruppenpest(群のペスト)と呼ばれるほどのものだった.多くの物理学者が感想を述べているが,たとえばジュリアン・シュウィンガーは「繰り返し何度も読」み,「読むたびに少しずつ理解は深まっていったものの,今でも完全には理解していない」と述べている.また,ポール・ディラックの空孔が陽子ではなく,同じ質量の反粒子であるべきという主張が,後にディラックの陽電子発見(1933)に繋がった.
(引用終り)
以上


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