24/06/10 15:37:04.81 nywRkoxW.net
>>107
>京大だって東大にだって入れたんや!って思いながら阪大の恥を実演してるような
>仮面浪人型の似非努力を国内から排斥し切りたい。
・”人生至る処青山有り”、会社に入社時に京大法学部卒の人事課長がそう訓示していた(下記)
解釈は、いろいろあるだろう
・京大・東大 vs 阪大 という構図は、集合論的には 京大・東大の方が評価は上という世間の評判だろうが
しかしだ、個々人にはどうか?
・東大に入ったが、京大の教養を学びたいと入学しなおした数学者がいるそうな
宮岡礼子氏は、東大入試が無かった年に、東工大へ行った。数理科学に記事があった
もし、大学紛争がなく1969年東大入試があれば、東大へ行ったかも・・ね
しかし、それは全く別の人生で、「夫は同じく数学者の宮岡洋一」とはなってないでしょうね。多分
星 裕一郎氏は、同じ東工大 黒川信重研で学び、京都数理研で修士・博士とも望月新一研
いまや、日本の遠アーベルをけん引する若手数学者 (浪人して東大目指したら別の人生だろう)
・誰もが総理大臣になれるわけではない。昔読んだ小説に”誰もが第一バイオリンを弾くわけではない”というのがあった
第一バイオリンばかりじゃ、オーケストラにならないよね
誰もが大谷翔平と同じことができるわけではない
・要するに、個々人の人生を考えるとき、集合論的な”京大・東大 vs 阪大”という構図は、あまり意味がない
いま自分が置かれた状況下で、次の一手をどうするか?
これは、囲碁では大事な考え方です
”考えれば手はあるのものだ!” これも囲碁格言の一つです
(参考)
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人間到る処青山有り(読み)じんかんいたるところせいざんあり
故事成語を知る辞典 「人間到る処青山有り」の解説
人間到る処青山有り
骨を埋める場所は、どこにでもある。大望を実現するためには、故郷にこだわらず、広い世間に出て活動すべきである、ということ。
[使用例] あなたは、ご自分の故郷にだけ人生があると思い込んでいらっしゃるから、そんなに苦しくおなりになるのよ。人間到るところに青山があるとか書生さんたちがよく歌っているじゃありませんか[太宰治*竹青|1945]
[由来] 幕末の僧月げっ性しょうの詩「将まさに東遊せんとして壁に題す」の末尾の一句。周す防おう(現在の山口県)に生まれた月性は、二七歳のとき、大阪の有名な漢学者、篠崎小しょう竹ちくのもとで勉強をすることになりました。その際、故郷を出るに当たって作ったのが、この漢詩。「男児志を立てて郷きょう関かんを出いず、学の若もし成る無くんば復また還かえらじ(男が決心して故郷を出るのだから、学問が身につかなかったら、帰っては来まい)」と決意を述べたあと、「骨を埋めるに何ぞ期せん墳墓の地、人間到る処青山有り(先祖代々の墓に葬ってもらおうなどと考えてはいない。世の中、どこに行っても墓地になる森はある)」と結んでいます。
つづく