河東泰之「セミナーの準備のしかたについて」は本当に正しいのか?at MATH
河東泰之「セミナーの準備のしかたについて」は本当に正しいのか? - 暇つぶし2ch577:132人目の素数さん
23/12/15 20:53:38.97 EMMGliPR.net
>>531
ありがと。すまんかった。おれが間違っていた
下記だね
君は、"a = { x | x ∉ x }が集合にならない"と言いたかったんだね

(参考)
URLリンク(ja.wikipedia.org)
ツェルメロ=フレンケル集合論
パラドックスの回避
ツェルメロが ZF の元となる公理系を1908年に発表した最大の動機は、実数が整列可能だとする彼の証明を弁護することであった。しかし、同時に彼はその当時すでに知られていたパラドックスを回避しなければいけないこともわかっていた。代表的なものとしては、 ラッセルのパラドックス、リシャールのパラドックス、ブラリ=フォルティのパラドックスがある。 これらのパラドックスは、集合を構成する方法に制限を付けている ZFC の中では展開できない。
例えば、ラッセルのパラドックスで用いられるラッセルのクラス(集まり)
R={x | x ∉ x }
は ZFC の中では構成できないし、 リシャールのパラドックスで用いられる構成は論理式で記述できない。
ラッセルのクラスRが集合でないことから集合全体のなすクラス(「集合」ではなく、ただの集まり)
V={x | x=x }
も集合でないことがわかる。なぜならもしVが集合なら分出公理からRも集合になってしまうためである。
ここまでの議論で使われた公理は外延性公理と分出公理のたった二つだけであるであることを最後に注意しておこう。

URLリンク(ja.wikipedia.org)
ラッセルのパラドックス
概要
自分自身を要素として持たない、集合全体からなる集合を
R={x | x ∉ x} とする。いま R∈ R と仮定すると、
R の定義より
R ∉ R となるから矛盾。一方、R ∉ R と仮定すると、再び
R の定義より
R ∈ R となるから、やはり矛盾する。

集合論が形式化されていないことが矛盾の原因なのではなく、
このパラドックスは、古典述語論理上の理論として形式化された無制限の内包公理を持つ素朴集合論や、
直観主義論理上の素朴集合論においても生じる。
したがって論理を古典論理から直観主義論理に変更してもラッセルのパラドックスは回避できない。
パラドックスの回避については、様々な方法が提案されている。詳細は矛盾の解消を参照

矛盾の解消
公理的集合論によって何をもって集合とするかについての形式的な整備が進められ、素朴(だが超越的)な
R の構成を許容しない体系が構築された。

1.公理的集合論による解消[注 1]

2.単純型理論による解消[注 2]

3.部分構造論理による解消[注 3]


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