河東泰之「セミナーの準備のしかたについて」は本当に正しいのか?at MATH
河東泰之「セミナーの準備のしかたについて」は本当に正しいのか?
- 暇つぶし2ch463:motion 2017-07-23 ZFCの圏論での「代替」には意味があるのか? ご存知のように、数学の「基礎」はカントールによって危機に陥れられた。つまり、(素朴)集合論によって。あらゆる集合を含む集合は、自分自身を含むだろうか? この答えは含むと言っても矛盾だし、含まないと言っても矛盾。正解は「それ」は「集合ではない」というものであった。では、なにが集合なのだろう? そこから、公理的集合論は始まる。 バートランドラッセルが提案した「プリンキピア・マセマティカ」は、上記のパラドックスに「直接」、パッチを当てる、という意味では、素直な発想だったと言えるであろう。コンピュータの世界では今では一般的になった「型」という考えを使ってこの問題にアプローチする方法であったわけだが、興味深いのは、この頃の「哲学者」はまだ、真面目に「数学」をやっていた、ということであろう。 しかし、この問題はそれ以降はより、エレガントに議論されるようになる。つまり、数学基礎論(=論理学)と、公理的集合論として。しかし、そこで問題となったのは「後者」であった。なぜ、公理的集合論が問題なのか? それは、一言で言えば、この「公理系」が「直感的」ではないことなのだ。 昔から知られている結果ではあるが、おもしろいアプローチが知られている。それが、 カテゴリー(圏論) である。つい最近、以下の本を読んでいたら、第3章が「集合論について」となっている。 ベーシック圏論 普遍性からの速習コース 作者: Tom Leinster,斎藤恭司,土岡俊介 出版社/メーカー: 丸善出版 発売日: 2017/01/29 ちなみに、最後のZFCとの相等性については、以下の論文で議論されていて、 Gerhard Osius. Categorical set theory: A characterization of the category of sets. (1974) Categorical set theory: A characterization of the category of sets - ScienceDirect http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/0022404974900322 また、以下の教科書では、上記の圏論的な枠組みの中で、実数の構成まで記述されている。 S. Mac Lane and I. Moerdijk. Sheaves in Geometry and Logic. (1994) Sheaves in Geometry and Logic http://atondwal.org/Sheaves_in_Geometry_and_Logic__MacLane_Moerdijk.pdf つまり、この公理系が魅力的なのは実際にその主張内容が、「私たちに直感的に理解可能なもの」しかないが、他方において、ZFCの弱い主張と解釈できるとするなら、これを 数学の「基礎」 とすることは、どこまで可能なのか、ということになる
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