河東泰之「セミナーの準備のしかたについて」は本当に正しいのか?at MATH
河東泰之「セミナーの準備のしかたについて」は本当に正しいのか? - 暇つぶし2ch427:132人目の素数さん
23/12/13 06:53:43.77 s62ezuyd.net
>>411
>グロタンディーク関連で、”「圏論」をベースに数学原論を書き直すべき”だって

 どうぞ、ご随意に
 数学原論は数学の本 数理論理学の本ではないから
 ちなみに数理論理学の圏論によるアプローチはすでに行われまくってます
 まあ、素人さんは全く知らんでしょうがね 
 あ、ググらんでいいよ 知ってる人はみな知ってるからコピペされても鬱陶しいだけ

428:132人目の素数さん
23/12/13 06:59:30.79 s62ezuyd.net
>>412
>・ネーミングで、中身がすぐ変わるはずもない
> 「数理論理学」の定義は?
> 「数学基礎論」の定義は?

 誰に尋ねてんの?
 「ゲーデルの不完全性定理で数学基礎論は死んだ」と言ってる人は
 数学基礎論を「数学の基礎づけのための行為」といってますよね
 日本語読めてない?
 で、ゲーデル以後は数学を用いた論理学の研究としての
 「数理論理学」だということですよね
 で、それを完全に決定づけたのがコーエンのフォーシングによる
 一般連続体仮説と選択公理の決定不能姓
 要するに集合論のモデルは一つではなく、無数にあるということ
 群のモデルが無数にあるのと同じだよね そういう意味で
 集合論は群論同様只の数学に成り果てた

 エポックになる発見の時期の前後で分野の中身はがらっと変わるんだよ
 君は素人のままだから死ぬまで理解できないだろうけど

429:132人目の素数さん
23/12/13 07:02:16.96 s62ezuyd.net
マックレーンは数学者としては有能だが、集合論(というか無限)には理解がない
圏論がでてこようが、無限基数の研究の意義が失われるわけではない
・・・という意味で、頭の固いジジイ

430:132人目の素数さん
23/12/13 07:40:00.38 b464xS7y.net
>>416
>なるほど、碁は手順が大事という
>数学も、どういう順番で書くかで
>分かり易くもなり、分かりにくくもなり
>手順前後に気をつけましょうってことか
数学書の読み方、勉強法にも、手順前後はありそう
早く、全体像を掴むこと
下記を再録しておきます
ある定義、定理が、ストンと腹に落ちるように分かるには
その定義、定理が、どう使われていて、全体の理論の中での位置づけが分からないとそうならない
そうしないと、下記の”わんこら”さんになってしまうのです
全体像を掴むには、部分の理解が進まないとダメなのだが
この矛盾を突破するには、とにかく一度はその本を全部読まないと
途中で止まってしまってはいけないと思う
もちろん、写経や要点をノートに纏めることは、否定するものではありません
(参考)
 >>131より再録
URLリンク(researchmap.jp)
竹山 美宏
数学書の読み方について
(4) 命題などの証明も、一文一文、ていねいに写し、一文ごとに「なぜそうなのか?」を確認する。
ここで絶対にやってはいけないことは、
自分をごまかして「なんとなく正しそうだし良いか」と納得してしまうことです。
もし議論の展開が理解できないのなら、まず、命題の仮定をもう一度見直してみます。
そして、前の方を読み直したり、ちょっと先の方を読んでみたりして、じっくり考えましょう。
こういう読み方をしてると、本を読むのにとてつもない時間がかかると思うでしょう。
それで良いのです。普通の数学者であれば誰でも、
「何時間も本と格闘して数行しか進まなかった」という経験をしていると思います。
(引用終り)
・この勉強法の危険なところは、下記 わんこらさんのようになってしまうところ
・そもそも、その数学書一冊が それほど時間を掛ける価値があるのかどうか? その見極めをするのが先決
・次に、自分のレベルに合っているかどうか? あまりに本のレベルが高いと、この勉強法では届かず泥沼の可能性がある
・下記のわんこらチャンネルにある通りで、先に進まないと分からないところが多々あるはず。その視点も抜けているのが危険
(参考)
URLリンク(www.youtube.com)
僕がたどり着いた数学の勉強の仕方…わんこら式数学の勉強法はこうやって生まれた
わんこらチャンネル 2020/05/30
留年繰り返して7年で大学卒業した後
ニートになった僕ですが
そんな僕が挫折を繰り返してきた歴史と、たどり着いた数学の勉強の仕方について動画にしました
この勉強法がわんこら式と呼ばれるようになりました
大学の数学の専門書、解析入門1を使って
数学の勉強法について話します
色々な人の参考になれば嬉しいです
@user-up1tm3hq1x
2 年前
自分も元数学科生で同じような経験したのでめっちゃわかります笑!自分は厳密性に拘りすぎて数学基礎論の沼にハマって1回生の単位が壊滅的でした笑!2回生以降はすべての拘りを捨ててひたすら単位のためだけの勉強をし続けた結果なんとか卒業出来ましたがかなり苦労しました!

431:132人目の素数さん
23/12/13 07:48:42.71 b464xS7y.net
>>420
>マックレーンは数学者としては有能だが、集合論(というか無限)には理解がない
>圏論がでてこようが
下記の”圏論と集合論 渕野昌 23年1月”のご一読を、きみに勧める
なお、私は”現代思想2020年現代思想7月号「特集=圏論」”を買って読んだ
(参考)
URLリンク(fuchino.ddo.jp)
圏論と集合論 渕野昌 23年1月
以下の文章は、現代思想2020年現代思想7月号「特集=圏論」に寄稿した論説の拡張版である。
雑誌掲載版では紙数の制限などのために削除した部分も復活させている。
また、投稿後/校正後の加筆訂正も含まれる。
このテキストの最新版は、URLリンク(fuchino.ddo.jp)としてdownloadすることができる

432:132人目の素数さん
23/12/13 07:52:56.02 KH7+KBnt.net
>>421
全く数学理解出来てない奴のおすすめとかwww
何の理解も出来ない能無しコピペ野郎は自分で専用スレ一つだけ立ててそこから出てくんなよ

433:132人目の素数さん
23/12/13 08:04:24.27 b464xS7y.net
>>419
> 「ゲーデルの不完全性定理で数学基礎論は死んだ」と言ってる人は
> 数学基礎論を「数学の基礎づけのための行為」といってますよね
> で、ゲーデル以後は数学を用いた論理学の研究としての
> 「数理論理学」だということですよね
そんなことは、ないと思うよ
ゲーデルの研究は、当時1階述語論理ベースだった
しかし、人間は1階述語論理ベースでは数学を考えていない
高階述語論理ベースの基礎論は、まだまだ研究余地あるだろう
例えば、下記逆数学(2階述語論理)
あるいは、高階述語論理の一つの候補が、圏論です
(参考)
URLリンク(ja.wikipedia.org)
逆数学とは、数学の定理の証明に必要な公理を決定しようとする数理論理学のプログラムである。簡単に言えば、通常の数学が公理から定理を導くのとは逆に、「定理から公理を証明する」手法を用いることが特徴である。
逆数学は大抵の場合、2階算術について実行され、定理が構成的解析と証明論に動機付けられた2階算術の部分体系のうち、どれに対応するのかを研究する。 2階算術を使うことで、再帰理論からの多くの技術も利用できる。実際、逆数学の結果の多くは、計算可能性解析学の結果を反映している。
逆数学は、Harvey Friedman (1975, 1976)によってはじめて言及された。基本文献は(Simpson 2009)を参照。
URLリンク(www.)アマゾン
圏論による論理学―高階論理とトポス 単行本 – 2007/12/18
清水 義夫 (著)


434:



435:132人目の素数さん
23/12/13 08:13:58.57 b464xS7y.net
>>423
>全く数学理解出来てない奴のおすすめとかwww
>何の理解も出来ない能無しコピペ野郎は自分で専用スレ一つだけ立ててそこから出てくんなよ
出ましたね、得意の論点ずらし、ストローマン
ロジックで不利になると、すぐ個人攻撃に走る
それやっていると、ロジックの貫徹の耐力が落ちて、数学の能力落ちるよ

436:132人目の素数さん
23/12/13 08:17:56.55 lJrt93oO.net
>>421
>早く、全体像を掴むこと
>ストンと腹に落ちるように分かるには
>どう使われていて、全体の中での位置づけが分からないとそうならない
>そうしないと、”わんこら”さんになってしまうのです
使い方だけ分かればいい
位置づけだけ分かればいい
早く分かればいい
そういう人は数学科じゃなく工学部にいったらいい、ってことか
”わんこら”は入る学科を間違った さっさと気づいて転科しろってことね
>時間を掛ける価値があるのかどうか?
>その見極めをするのが先決
>自分のレベルに合っているかどうか?
>あまりに本のレベルが高いと、泥沼の可能性がある
要するに自分のレベルを心得て
「マセマ」レベルの本を探して読め
ってことですな
ガロア理論でいうと矢ヶ部か石井俊全か
うん、枯れた理論ならそういう本が出る筈だからね
「わかるガロア理論」みたいな
そのうち「わかるコホモロジー」も出るかもね
期は熟している

437:132人目の素数さん
23/12/13 08:24:16.75 idXlNJQT.net
>>422
>”圏論と集合論 渕野昌 23年1月”のご一読を、きみに勧める
その文章では
「数学の基礎は集合論でなく、カテゴリー論である」
という発言が「痛い」と書いてあるが、君、意味わかってるか?

438:132人目の素数さん
23/12/13 08:37:35.51 lJrt93oO.net
>>424
>そんなことは、ないと思うよ
 の「そんなこと」はどんなこと?まさか
 「ゲーデルの不完全性定理で数学基礎論は死んだ」
 のこと?
 つまり「数学の基礎付け問題はまだ生きている!」と?
 おやおや、Before Cohenどころか、Before Goedelな人ですか?
>ゲーデルの研究は、当時1階述語論理ベースだった
>しかし、人間は1階述語論理ベースでは数学を考えていない
 どこから一階論理が出てきた?
 ゲーデルの不完全性定理は自然数論の定理だよ 分かってる? 
>高階述語論理ベースの基礎論は、まだまだ研究余地あるだろう
>例えば、下記逆数学(2階述語論理)
>あるいは、高階述語論理の一つの候補が、圏論です
 高階論理に何を期待している?
 もしかして「唯一無二のモデルを持つ完全な理論」かい?
 まいったな、defeat Skolemな人ですか?
レーヴェンハイム–スコーレムの定理
URLリンク(ja.wikipedia.org)
「レーヴェンハイム–スコーレムの定理(英: Löwenheim–Skolem theorem)とは、
 可算な一階の理論が無限モデルを持つとき、
 全ての無限濃度 κ について大きさ κ のモデルを持つ、
 という数理論理学の定理である。
 そこから、一階の理論はその無限モデルの濃度を制御できない、
 そして無限モデルを持つ一階の理論は
 ”同型の違いを除いてちょうど1つのモデルを持つ”
 ようなことはない、という結論が得られる。」

439:132人目の素数さん
23/12/13 08:45:38.77 hjPsllD5.net
世の中には
「相対論は間違ってる」(相ま)
「非ユークリッド幾何は間違ってる」(非ユま)
な人がいるのは知ってたが、今度は
「ゲーデルの不完全性定理は間違ってる」(ゲーま)
ですか
「不完全性定理は一階論理上の体系だから成立するのであって高階論理上では成立しない」(ドヤぁ)
いやあのね一階とか高階とかじゃなく、一階論理上の自然数論を含む公理系でも完全にはできますよ
ただそのような公理系では、何が公理であるかを人が分かるように明確に定義することは不可能ですけどね
(つまり「帰納的公理化可能」ではない)
やっぱり前提をうっかり読み落とす粗雑な人に数学は無理ですね

440:132人目の素数さん
23/12/13 08:52:48.65 Wk0uTNeF.net
もしかしてガロア理論に食いついた理由と高階論理に食いついた理由は同じ?
「ぐぬぬ、たしかに任意の代数方程式はべき根だけでは解けぬ・・・
 しかし、今やガロア理論がある!(ガロア群を使えば解けるかもしれない)」
「ぐぬぬ、確かに一階論理上の自然数論では証明も反証もできない命題がある 特に自身の無矛盾性はそうだ
 しかし、今や高階論理がある!(高階論理を使えばどんな命題も決定可能で、当然自身の無矛盾性も証明できるかもしれない)」
「角の三等分屋」「円積屋」「現代のトマス・ホッブス」でしたか
ジョン・ウォリス役を買って出る人がわらわら出てきそうな悪寒

441:132人目の素数さん
23/12/13 10:59:24.23 BJtZkva3.net
>>428-430
> どこから一階論理が出てきた?
> ゲーデルの不完全性定理は自然数論の定理だよ 分かってる? 

いい質問ですね
その答えは下記です
1)一階述語論理は、単純で扱いやすい。基礎論向きだが、表現力に問題あり
2)「近年、二階述語論理は一種の回復の途上にある」下記
 (二階述語論理の問題点をおさえて、使える論理を作ろうと。「計算複雑性理論への応用」があるらしい)

なお、私見だが普通人は数学を、一階述語論理そのものでは考えていないと思う
ただ、論文を書くときは、一階述語論理を主に使うのだが、しかし厳密な一階述語論理に縛られない
グロタンディークは、それじゃない? 「おれ、一階述語論理には縛られないぞ」じゃないかな?

(参考)
URLリンク(ja.wikipedia.org)
一階述語論理(英: first-order predicate logic)
本項では主に一階述語論理について解説する。二階述語論理や高階述語論理についての詳細はそれぞれの記事を参照。

一階述語論理の表現力
一階述語論理は、数学のほぼ全領域を形式化するのに十分な表現力を持っている。実際、現代の標準的な集合論の公理系 ZFC は一階述語論理を用いて形式化されており、数学の大部分はそのように形式化された ZFC の中で行うことができる。すなわち、数学の命題は一階述語論理の論理式によって記述することができ、そのように論理式で記述された数学の定理には ZFC の公理からの形式的証明 (formal proof) が存在する。このことが一階述語論理が重要視される理由の一つである。この他にペアノ算術のように単独で形式化する理論もある。

形式的証明
命題論理においては、論理公理 (logical axiom) と呼ぶ論理式の集合と、ある論理式たちから新たな論理式を導出する規則(推論規則)を導入し、論理公理から推論規則の有限回の適用によって得られる論理式全体とトートロジー全体が一致するようにすることができる(命題論理の健全性と完全性)。一階述語論理においても、適切に論理公理と推論規則を導入することで、論理公理から推論規則を使って導出される論理式全体と恒真論理式全体が一致するようにできる。

健全性と完全性
古典一階述語論理は健全かつ完全である

つづく

442:132人目の素数さん
23/12/13 11:00:46.58 BJtZkva3.net
つづき
他の論理との比較
・型つき一階述語論理は変項や項に型または種を導入したものである。型の個数が有限個であれば普通の一階述語論理と大きな違いはなく、有限個の単項述語で型を記述し、いくつかの公理を追加すればよい。真理値として Ω という特殊な型を持つ場合があるが、その場合の論理式は Ω 型の項となる。
・二階述語論理は部分集合および関係、すなわち全ての述語の量化を許すものである。
・高階述語論理は述語を引数とする述語など、さらに一般化したものの量化を許す。
こうした論理の多くは、一階述語論理の何らかの拡張と言える。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
二階述語論理(英: second-order predicate logic)
二階論理の表現能力
二階述語論理は一階述語論理よりも表現能力が高い。
歴史と論争
フレーゲは量化の種によって異なる変項を使っていたが、彼には2種類の異なる論理を扱っているという認識はなかった。ラッセルのパラドックスによって、その体系に問題があることが明らかとなった。論理学者らは問題を解決すべく、フレーゲの論理に制限を加える各種方法を検討し、それが一階述語論理となった。一階述語論理では、集合や属性は量化できないことになった。このような論理の階層化がこのころ初めてなされるようになった。
一階述語論理を使うと、集合論を公理的体系として形式化できることがわかり(完全性の問題はあるが、ラッセルのパラドックスほど悪いことではない)、公理的集合論が生まれ、集合は数学の基盤となった。算術、メレオロジー、その他の様々な論理的理論が一階述語論理の範囲内で公理的に定式化でき、ゲーデルやスコーレムが一階述語論理に固執したこともあって、二階や高階の述語論理はほとんど省みられなかった。
近年、二階述語論理は一種の回復の途上にある。この傾向をもたらしたのは George Boolos による二階の量化の解釈であり、彼は一階の量化と同じドメインでの複数形の量化として二階の量化を解釈した。Boolos はさらに一階述語論理では記述できない文を例に挙げ、完全な二階述語論理の量化でのみそれらを表現可能であるとした。しかし、その一部は二階述語論理を持ち出すまでもなく、一階述語論理に若干の拡張を加えるだけで表現可能である。
計算複雑性理論への応用
有限な構造についての二階述語論理の各種形式の表現能力は、計算複雑性理論と密接に関係している。記述計算量の研究では、複雑性クラスを説明するのにそれに属する言語を表現できる論理体系の能力で表す。そのため、二階述語論理を前提として次のような複雑性クラスを説明できる
(引用終り)
以上

443:132人目の素数さん
23/12/13 11:22:07.20 BJtZkva3.net
>>427
>>”圏論と集合論 渕野昌 23年1月”のご一読を、きみに勧める
>その文章では
>「数学の基礎は集合論でなく、カテゴリー論である」
>という発言が「痛い」と書いてあるが、君、意味わかってるか?
良いところに気づいたね(そうなのです、渕野先生は集合論養護派です)
それに対する答えは、下記がよく纏まっていると思う
(参考)
URLリンク(martbm.)<)
また、以下の教科書では、上記の圏論的な枠組みの中で、実数の構成まで記述されている。
S. Mac Lane and I. Moerdijk. Sheaves in Geometry and Logic. (1994)
Sheaves in Geometry and Logic
URLリンク(atondwal.org)
つまり、この公理系が魅力的なのは実際にその主張内容が、「私たちに直感的に理解可能なもの」しかないが、他方において、ZFCの弱い主張と解釈できるとするなら、これを
数学の「基礎」
とすることは、どこまで可能なのか、ということになる

444:132人目の素数さん
23/12/13 12:00:22.65 Wk0uTNeF.net
>>431
>>どこから一階論理が出てきた?
>>ゲーデルの不完全性定理は自然数論の定理だよ 分かってる?
>その答えは下記です
>一階述語論理は、単純で扱いやすい。基礎論向きだが、表現力に問題あり
>「近年、二階述語論理は一種の回復の途上にある」
>(二階述語論理の問題点をおさえて、使える論理を作ろうと。「計算複雑性理論への応用」があるらしい)

上記の答えは
「どこから一階論理が出てきた?」に対するもので、
「ゲーデルの不完全性定理は自然数論の定理だよ 分かってる?」に対しては沈黙してるので
「全く分かってませんでしたが、悔しいので認めたくありません!」ということでいいかい?

いい加減、口を慎むことを覚えたほうがいいんじゃない?
なんでもかんでも知ったかぶってしゃべれば他人にマウントできるなんて
ひろゆきみたいな甘っちょろい精神は通用しないって気づいたほうがいいよ

445:132人目の素数さん
23/12/13 12:07:18.50 FhmmBUk/.net
>>433
なんか全然答えになってないものを「纏まってる」といってる時点で
君、なんもわかってないよね?

たとえばラッセルのパラドックスを圏論でどう解決するの?
少なくともその質問の答えがここにない時点で、
君がそのHPをコピペしたというチョイスは大失敗だね

446:132人目の素数さん
23/12/13 12:17:33.21 BJtZkva3.net
>>420
>マックレーンは数学者としては有能だが、集合論(というか無限)には理解がない
>圏論がでてこようが、無限基数の研究の意義が失われるわけではない

・集合論が必要とされた背景に、カントールの無限集合論があるのは事実だが
・一方で、デデキントに代表される 抽象代数学の集合論がある
(例 理想数をイデアルと考える(環の部分集合)。他にも、ガロア理論を拡大体とガロア群との対応と解するなど)

ちなみに、デデキントの切断も、実数を有理数の集合を使って定義する思想
(それはコーシー列によるのと同値)
が、先進的だと足立先生は、どこかで書いていた

要するに、抽象代数学からの要請としても
集合論は簡単に捨てられないのです

(参考)
URLリンク(www2.tsuda.ac.jp)
デデキントの算術と再帰性定理 足立恒雄 第22回数学史シンポジウム(2011.10.29〜30)  所報 33

デデキントは算術を厳密に構成するために集合論を創始した.本稿では名著『数とは何
か,そしてまた何であるべきか』 (1887) における算術の基礎付けを現代的な見地から整
理して紹介する

URLリンク(repository.kulib.kyoto-u.ac.jp)
デデキントの数学思想 (数学史の研究)
足立, 恒雄 2014 数理解析研究所 講究録

447:132人目の素数さん
23/12/13 13:16:25.77 Oe8E14n4.net
>>436
なんか意味ありげなこといおうとしたが
結局意味不明な戯言しかいえなかった
って感じだな

448:132人目の素数さん
23/12/13 13:49:48.68 BJtZkva3.net
>>435
>たとえばラッセルのパラドックスを圏論でどう解決するの?
それは、下記ですね
1)パラドックスをめぐる立場は、大きく論理主義、直観主義、形式主義の3つに分けられる
2)ブラウワー 直観主義 排中律や二重否定除去、数学的構成主義
3)圏論「圏論的論理学は、直観主義的論理のために型理論に基づいて定義された」
です
圏論 Steve Awodeyにも、ちょっと書いてあったよ
(参考)
URLリンク(ja.wikipedia.org)
数学基礎論
歴史
19世紀末に、ゲオルク・カントルにより、集合が考えられた。集合にもとづいた数学の再整理は大きな成果を生み、数学において欠くべからざる道具となってきた。一方、バートランド・ラッセルは、素朴な集合の取り扱い(内包公理)により「自分自身を要素としない集合全体の”集まり”」も集合とされるが、左記の集合は、それ自身を要素としない時、その時に限り自身を要素とするという矛盾を引き起こすことをラッセルのパラドックスとして指摘した。ここに、数学の基礎付けの問題が発生した。
パラドックスをめぐる立場は、大きく論理主義、直観主義、形式主義の3つに分けられる。
直観主義は、数学的な対象や真理が、精神活動によって直接とらえられるものとする立場で、ブラウワーが提唱した。彼は数学における構成的方法を重視したが、そのため排中律の無制限な使用が不当であると非難した。
URLリンク(ja.wikipedia.org)(%E6%95%B0%E5%AD%A6%E3%81%AE%E5%93%B2%E5%AD%A6)
直観主義 (数学の哲学)
来歴と評価
これに類する主張は、カントールの集合論に対抗する形でクロネッカーやポアンカレによってもなされていたが、最も明確に表明したのはオランダの位相幾何学者ブラウワーである。ブラウワーの立場に対してポアンカレらの立場は前直観主義と言われることがある。
ブラウワーの主張は感覚的で分かりにくかったが、その後ハイティング等によって整備され、結果的には古典論理から排中律を除いた形で形式化されたものが今日、直観主義論理として受け入れられている。 現代では直観主義論理は、数学の証明は全て構成的に為されなければならないという主張(数学的構成主義)と関連が深いと考えられている
つづく

449:132人目の素数さん
23/12/13 13:50:21.06 BJtZkva3.net
つづき
URLリンク(ja.wikipedia.org)
直観主義論理
証明論的な視点から見ると、直観主義論理は古典論理の制限であって排中律や二重否定除去が公理として許容されないものである。排中律や二重否定除去はいくつかの論理式に対しては個別に証明できることがあるけれども、古典論理のように普遍的に成立することはない。
ラムダ計算
カリー=ハワード対応はIPCと直和と直積を持つ単純型付きラムダ計算との間に拡張できる。[6]
URLリンク(ja.wikipedia.org)
圏論
歴史
集合論に基づく定式化では不十分だった代数幾何学の公理化を与える言葉として進展した。さらに一般的な圏論、つまり、意味論的な柔軟性をもち高階論理との親和性があるようなより現代的な普遍的代数が発展し、現在では数学全体を通して応用されている。
トポスと呼ばれる特別な種類の圏は、数学基礎論としての公理的集合論に取って代わることすら可能である。圏論をこのように数学の全体的な基礎付けとして用いる考え方には疑義も呈されているが、実際構成的数学を記述する手段としても、トポスは非常に精緻に機能することが示されている。
他の分野への影響
圏論的論理学は、直観主義的論理のために型理論に基づいて定義された。この分野はさらに関数型プログラミングの理論および領域理論に応用されている。これらは全て、ラムダ計算の非構文的な記述として適用されたデカルト閉圏を背景としている。圏論的言語を用いることで、関連する分野が厳密に、(抽象的な意味で)何を共有しているのかを明らかにすることができる。
つづく

450:132人目の素数さん
23/12/13 13:50:50.17 BJtZkva3.net
つづき
URLリンク(www.)<)
自己言及のパラドックス
自己言及のパラドックス
自己言及のパラドックスまたは嘘つきのパラドックスとは、「この文は偽である」という構造の文を指し、自己を含めて言及しようとすると発生するパラドックスのことである。この文に古典的な二値の真理値をあてはめようとすると矛盾が生じる(パラドックス参照)。
集合論におけるパラドックス (ラッセルのパラドックス)
詳細は「ラッセルのパラドックス」を参照
集合論における典型的なパラドックスは次のようなものである。これは特に、バートランド・ラッセルが議論の対象としたことで知られる(ラッセルは述語論理における同様のパラドックスについても議論している)。
(引用終り)
以上

451:132人目の素数さん
23/12/13 14:49:15.13 lJrt93oO.net
>>438-440
>>たとえばラッセルのパラドックスを圏論でどう解決するの?
>それは、下記ですね
>パラドックスをめぐる立場は、大きく論理主義、直観主義、形式主義の3つに分けられる
 ワンストライク
>ブラウワー 直観主義 排中律や二重否定除去、数学的構成主義
 ツーストライク
>圏論「圏論的論理学は、直観主義的論理のために型理論に基づいて定義された」
 スリーストライク
 バッターアウト
 いやぁ、かすりもしませんでしたね
 デイナ・スコットって人、知ってますか?
URLリンク(ja.wikipedia.org)
 まあ、どうせ全然知らないでしょう
 そのスコットさんが領域理論ってのを考えたんですがね
 領域理論
URLリンク(ja.wikipedia.org)
 要するにラッセルパラドックスっていうのは、例えば集合{0,1}からそれ自身への写像で
 不動点を持たないものが存在する(例えば0→1、1→0という写像)ので、起きるわけですが
 これを、写像が必ず不動点をもつような領域を考えることによって解決するというものです
 もちろん、圏論における解釈も可能です その筋の人ならみんな知ってる有名なことですがね
 カタギの一般人はまったくといっていいほど知らないですね ああ残念
 
 カタギの一般人はスコットも知らないし、P/NP問題のクックも知らないし、ホーア論理のホーアも知らないんですよね
 もしかしてチューリング賞とかいうACMの賞があるのも知らないんじゃないかな 日本人は誰も取ってないし
 ノーベル賞がーとかフィールズ賞がーとか騒ぐけどチューリング賞がーとはいわないですもんね
 まあ、別に賞とったから偉いとか賞とれないからだめとか🐎🦌なこというつもりはまったくないですけどね
 

452:132人目の素数さん
23/12/13 16:08:19.81 BJtZkva3.net
>>441
> デイナ・スコットって人、知ってますか?

圏論 Steve Awodeyに、書いてあったと思う>>438
というか、それでデイナ・スコットを知った

> 領域理論
>URLリンク(ja.wikipedia.org)

いつも指摘しているが、英語版を併読するのが正解ですよ
URLリンク(en.wikipedia.org)

すると、”See also Category theory”とある
Category theory には、下記引用の通りで
”数学の基礎として公理的な集合論の代替として機能する”
”カテゴリ論理は現在、直観主義論理の型理論に基づいて明確に定義された分野”です

(参考)
URLリンク(en.wikipedia.org)
Category theory (google訳添付)
Certain categories called topoi (singular topos) can even serve as an alternative to axiomatic set theory as a foundation of mathematics. A topos can also be considered as a specific type of category with two additional topos axioms. These foundational applications of category theory have been worked out in fair detail as a basis for, and justification of, constructive mathematics. Topos theory is a form of abstract sheaf theory, with geometric origins, and leads to ideas such as pointless topology.

トポイ(単数形トポス)と呼ばれる特定のカテゴリーは、数学の基礎として公理的な集合論の代替として機能することもあります。トポスは、2 つの追加のトポス公理を備えた特定のタイプのカテゴリーと考えることもできます。圏論のこれらの基礎的な応用は、構成的数学の基礎および正当化として、かなり詳細に研究されてきました。トポス理論は抽象層理論の一形態であり、幾何学的な起源を持ち、pointlessトポロジーなどのアイデアにつながります。

Categorical logic is now a well-defined field based on type theory for intuitionistic logics, with applications in functional programming and domain theory, where a cartesian closed category is taken as a non-syntactic description of a lambda calculus. At the very least, category theoretic language clarifies what exactly these related areas have in common (in some abstract sense).

カテゴリ論理は現在、直観主義論理の型理論に基づいて明確に定義された分野であり、関数プログラミングやドメイン理論に応用されており、デカルト閉カテゴリがラムダ計算の非構文記述として扱われます。少なくとも、圏論言語は、これらの関連領域に(抽象的な意味で)正確に何が共通しているのかを明らかにします。

453:132人目の素数さん
23/12/13 17:04:20.06 BJtZkva3.net
>>378
>〈アタマ切れすぎ??橋洋一さん〉
>植田氏と同じ「東京大学理学部数学科卒業、東京大学経済学部学士入学」といえば、同氏より4年ほど後輩に当たる??橋洋一氏がいる。
>10年以上も前の話だが、警察のミステイクで「ドロボー扱い」され、(元政府要人だけに)大きく報道された。ちょうどまだそのほとぼりが冷めない頃、蟄居中の??橋さんに、(「今だったらヒマで答えてくれるかもしれない」と思い)当時数検1級の壁に苦しんで何時間考えてもわからない数学の問題をメールで教えを請うたことがある。驚いたことに、あっという間にその解答をメールで返答してくれたのだ。まさに脱帽。彼の異次元のアタマのよさに感服した次第

戻る
・これ、>>312の「2)勉強のコツは、1ランク上の勉強をしておくことだ
 つまり、高校までの数学を使うなら、その上の大学数学を
 大学数学を使うならば、その上の院レベルの勉強を。そうすれば楽だ」
 の事例に当てはまる気がする
・要するに、??橋洋一氏は「幼少期から数学者となることを志し[10]、東大数学科を卒業」なので
 プロ数学者の修行はしたわけで
 将棋では元奨励会、囲碁では元院生クラスで
 「数検1級」問題は、囲碁雑誌の誌上段位認定問題みたいなものでしょうか?(1級の人にはとけるはず?)
・なので、プロあるいはプロの修行した人には
「数検1級」は”一目”で解けてもおかしくないかも

(参考)
URLリンク(ja.wikipedia.org)(%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%AD%A6%E8%80%85)
??橋洋一(たかはし よういち、1955年〈昭和30年〉9月12日 - )

経歴
1978年(昭和53年)、東京大学理学部数学科卒業。幼少期から数学者となることを志し[10]、東大数学科を卒業後、同大学経済学部経済学科に学士編入学して籍を置きつつ、文部省統計数理研究所に非常勤研究員として勤めるが、諸事情により退職[11]。

454:132人目の素数さん
23/12/13 17:08:07.56 uQAlB2iJ.net
めちゃくちゃwwwww

455:132人目の素数さん
23/12/13 17:14:25.79 RiabRY1l.net
>>442
>いつも指摘しているが、英語版を併読するのが正解ですよ
 ・・・とイキってみても日本語も読めないのに英語が読めるわけもなく
 やっぱり圏論のページに逃げてトンチンカンな引用でごまかす
>”数学の基礎として公理的な集合論の代替として機能する”
>”カテゴリ論理は現在、直観主義論理の型理論に基づいて明確に定義された分野”
 上の二行には、ラッセルパラドックスを解決するって書いてないですよね 幻視?

456:132人目の素数さん
23/12/13 17:53:19.40 vYS4S2SE.net
なんか数学スレにしてはえらく伸びてると思ったら基礎論連中が乱入してきたのか
河東セミナー理論はどうなった

457:132人目の素数さん
23/12/13 18:26:12.65 iB9NEBuP.net
>>446
わいが横から基礎論スレでも歴史から入るやつはろくでもないって書いたせいで、基礎論の話になっちまったけど、元々ガロアでスレ伸ばしてた人たちが話題を基礎論に変えて言い争ってるだけやで

458:132人目の素数さん
23/12/13 18:35:51.00 s62ezuyd.net
>>443
>勉強のコツは、1ランク上の勉強をしておくことだ つまり
>高校迄の数学を使うなら、その上の大学数学を
>大学数学を使うなら、その上の院レベルの勉強を
>そうすれば楽だ
さて、ここで
 大学数学=大学理系の数学(一般教養)
 院レベル=大学数学科の数学(専門科目)
としておきましょう
確かに大学一般教養の微分積分学・線形代数がわかっていれば
高校の数学はハナクソレベルでしょう
し・か・し、高校の数学も分からん人に
大学一般教養の微分積分学・線形代数がわかるでしょうか?
まあ、無理でしょう
また、大学数学科の数学では、
大学一般教養の数学はわかっているもの
として話を進めます
したがって、微分積分学も線形代数もわかってないなら
はっきりいってチンプンカンプンでしょう
したがって
「一般教養の数学を使うなら、その上の数学科の勉強を」
は完全に無理です
つまり上記の「勉強のコツ」は完全に不可能といってよく
実際、そのようなことをやろうとして失敗したのが
ID:BJtZkva3 といっていい
ちなみに数検1級は、せいぜい大学一般教養レベル
出題範囲を見れば明らか
群論・環論・体論・多様体論・ルベーグ積分・関数解析etc
なんてものは一切必要ない
【解析】 微分法、積分法、基本的な微分方程式、多変数関数(偏微分・重積分)、基本的な複素解析
【線形代数】 線形方程式、行列、行列式、線形変換、線形空間、計量線形空間、曲線と曲面、線形計画法、二次形式、固有値、多項式、代数方程式、初等整数論
【確率統計】 確率、確率分布、回帰分析、相関係数
【コンピュータ】 数値解析、アルゴリズムの基礎
【その他】 自然科学への数学の応用 など

459:132人目の素数さん
23/12/13 19:19:51.18 s62ezuyd.net
まあ、連続体力学が数学最高峰の人なら
ベクトル解析使うところを微分形式で置き換えて
「数学者」気分味わっとけばいいでしょ

460:132人目の素数さん
23/12/13 20:59:29.64 b464xS7y.net
>>446
>ベクトル解析使うところを微分形式で置き換えて
>「数学者」気分味わっとけばいいでしょ

・ベクトル解析は、例えは下記だね
・微分形式も勉強しましたよ
・いま思うに、ベクトル解析と微分形式とそれぞれ良いところがあるよ
・適材適所かな

(参考)
URLリンク(www.ims.tsukuba.ac.jp)
筑波大学数理物質系物質工学域 鈴木修吾
授業資料
線形代数のポイント
線形代数入門
ディラック記法による線形代数
ベクトル解析入門
ベクトル解析
URLリンク(www.ims.tsukuba.ac.jp)
ベクトル解析入門 平成21年2月26日
URLリンク(www.ims.tsukuba.ac.jp)
ベクトル解析 平成20年4月20日

461:132人目の素数さん
23/12/13 21:09:55.60 b464xS7y.net
>>448

・時代が変われば、使う数学も変わる
・個人でFEM(有限要素法)や、数式処理Mathematica、Pythonが使える時代
・時代時代で勉強法は変えていくべきと思う
(昔、シャンクスが、πを707桁まで計算しますが、528桁目に間違いがありました)

(参考)
URLリンク(dic.pixiv.net)
ピクシブ百科事典
シャンクス(SHANKS)

URLリンク(gendai.media)
2021.07.15
どこまでも終わらない挑戦…コンピュータによる円周率計算の歴史
『円周率πの世界』4
柳谷 晃

円周率を手計算した人物としては、イギリスの在野の数学者、ウィリアム・シャンクス(1812~1882)が有名ですが、彼もまたマチンの公式を使っていました。シャンクスは1873年、πを707桁まで計算しますが、528桁目に間違いがありました。この誤りは1944年、D・F・ファーガソンという人物が卓上計算機を使って計算し、間違いを見つけています。

ENIACは、シャンクスが生涯をかけた計算の約4倍もの桁数を、わずか70時間で達成したことになります。

ちなみに、シャンクスの計算の間違いを指摘したファーガソンは、手動の計算機で540桁まで計算をしていました。ファーガソンが達成したこの桁数までが、手計算による円周率の近似値の到達点といっていいと思います。

462:132人目の素数さん
23/12/13 21:14:41.45 74yiDkAc.net
>>449 「わかるBRS(T)コホモロジー」ぐらいな水準だよもん俺



464:132人目の素数さん
23/12/13 21:16:41.43 b464xS7y.net
>>446
>なんか数学スレにしてはえらく伸びてると思ったら基礎論連中が乱入してきたのか
>河東セミナー理論はどうなった

ありがと
・私も、河東先生のゼミの方針はありと思うが
・それを数学全般に広げて、とにかく全部一歩一歩完璧にというから、なんだかねと言った
・そもそも、それを主張する人は、数学勉強法で失敗しているだろう?と言ったんだw
・そしたら、攻撃してくるんだよねww

そこから、バトルに発展しましたwww ;p)

465:132人目の素数さん
23/12/13 21:31:28.08 b464xS7y.net
>>442
>>”数学の基礎として公理的な集合論の代替として機能する”
>>”カテゴリ論理は現在、直観主義論理の型理論に基づいて明確に定義された分野”
> 上の二行には、ラッセルパラドックスを解決するって書いてないですよね 幻視?

"ラッセルのパラドックス"は、下記いわゆる
”自己言及のパラドックスまたは嘘つきのパラドックスとは、「この文は偽である」という構造の文を指し、自己を含めて言及しようとすると発生するパラドックスのことである”で

これは、直観主義論理の二重否定の法則を認めないことで
"ラッセルのパラドックス"は回避できるのです(常識ですよ)

(参考)
URLリンク(www.ne.jp)
直観主義論理 (intuitionistic logic )

直観主義においては、「ある命題かその命題の否定かのどちらかが必ず真である」という排中律(A∨¬A)は認められない。
また、Aではないことが真ではないからといって、Aが真であるとは言えないから、二重否定の法則(¬¬A⊃A)も認められない。
(したがって背理法の使用も制限される。)

URLリンク(ja.wikipedia.org)
二重否定の除去
二重否定の除去は古典論理では定理だが、直観主義論理ではそうではない。

URLリンク(math.artet.net)
直観主義論理の公理系

(参考)再録>>404
URLリンク(ja.wikipedia.org)
自己言及のパラドックス
自己言及のパラドックスまたは嘘つきのパラドックスとは、「この文は偽である」という構造の文を指し、自己を含めて言及しようとすると発生するパラドックスのことである。この文に古典的な二値の真理値をあてはめようとすると矛盾が生じる(パラドックス参照)。

「この文は偽である」が真なら、それは偽だということになり、偽ならばその内容は真ということになり……というように無限に連鎖する。同様に「この文は偽である」が偽なら、それは真ということになり、真ならば内容から偽ということになり……と、この場合も無限に連鎖する。

集合論におけるパラドックス (ラッセルのパラドックス)
詳細は「ラッセルのパラドックス」を参照

466:132人目の素数さん
23/12/13 21:36:09.49 b464xS7y.net
>>442
>圏論 Steve Awodeyに、書いてあったと思う>>438
>というか、それでデイナ・スコットを知った

いま手元の圏論 Steve Awodeyを見ているが
序(まえがき)に
「Dana Scottには有益な指摘と支援に対して感謝する」とあるけど
本文中での記述は、見つけられなかった
ひょっとして、別の本だったかもね

467:132人目の素数さん
23/12/13 21:45:33.59 iB9NEBuP.net
直観主義でラッセルのパラドックスが回避できるってなんだよ
a = { x | x ∉ x }という集合の存在から矛盾が証明できないってこと?わいはできるぞ

468:132人目の素数さん
23/12/13 21:51:22.03 b464xS7y.net
>>311
>URLリンク(www.nippyo.co.jp)
>ガロア理論講義 1996.12

このp163~170 "6.5 歴史覚書"がいい
矢ヶ部、倉田、彌永のガロア本が挙げられている
また、ガロア理論が簡潔に纏められている
(ラグランジュ分解式は、ここには出てこないw)

ガロア理論講義ではP128 円分体で
円の17等分 1の17乗根を具体的に導いている
しかし、ラグランジュの分解式は明示的には使っていない
あくまで、ガロア群と中間体の対応を使って
冪根(いまの場合平方根)表示を導いているのですww

469:132人目の素数さん
23/12/13 22:04:43.97 b464xS7y.net
>>456
>a = { x | x ∉ x }という集合の存在から矛盾が

下記、渕野先生「基礎の公理」より
”この公理により,∈-列のループ(特に長さが 1 のループ x ∈ x)”が存在しないことなどが帰結されます
”x ∉ x”は、「基礎の公理」の通りでは?

(参考)
URLリンク(fuchino.ddo.jp)
基礎の公理の成り立たない集合論 (non well-founded set theory) について
渕野 昌(Sakaé Fuchino)
Last modified: Sat Aug 13 14:44:46 +0900 2016

(この文章はまだ書きかけです)

基礎の公理 (Axiom of Foundation) は,

(1)
すべての集合 x に対し,x の要素で, ∈ (の transitive closure として得られる(前)順序)に関して極小なものが存在する
ことを主張するものです.この公理により,∈-列のループ(特に長さが 1 のループ x ∈ x)や, ∈ に関する無限下降列 x1 ∋ x2 ∋ x3 ∋ ・・・ が存在しないことなどが帰結されます.

470:132人目の素数さん
23/12/13 22:16:06.46 iB9NEBuP.net
>>458
頭おかしいんじゃないか?病院行ったほうがいいぞ

471:132人目の素数さん
23/12/13 23:02:46.21 b464xS7y.net
>>458 追加

(参考)
URLリンク(masou.blogspot.com)
Masou
2008-04-06
正則性公理- x∈x の排除
基礎の公理とは,
2. x∈x を排除できる。
  (もし、x∈x とすると、x∈x∈x∈x.. 無限降下列ができてしまう)

URLリンク(www.math.nagoya-u.ac.jp)
集合論の覚書
松尾信一郎の雑記帳 2023年07月31日 #数学基礎論

正則性公理や正礎性公理とも呼ばれる. さて,基礎の公理から,∀x[x∉x] である.

472:132人目の素数さん
23/12/13 23:10:07.13 iB9NEBuP.net
どうやったらこんなキチガイが生まれるんだよ…

473:132人目の素数さん
23/12/13 23:10:42.88 b464xS7y.net
>>458 追加
>下記、渕野先生「基礎の公理」より
>”この公理により,∈-列のループ(特に長さが 1 のループ x ∈ x)”が存在しないことなどが帰結されます

1)”x ∉ x”が、「基礎の公理」(正則性公理)での標準です(”x ∈ x”はダメ)
2)しかし、わざわざ「基礎の公理」(正則性公理)を定めないならば、”x ∈ x”は矛盾でもなんでもない
 (もし、”x ∈ x”が矛盾ならば、正則性公理の必要なし!)
3)だから、”x ∉ x”も、”x ∈ x”も、ZFCの正則性公理以外とは、なんら矛盾せず存在しうるのです
 しかし、”x ∈ x”は公理を設けてでも、排除した方がすっきりするのです(真の無限降下列の排除につながる)

474:132人目の素数さん
23/12/13 23:17:41.69 iB9NEBuP.net
むっちゃ早口で言ってそう

475:132人目の素数さん
23/12/13 23:34:46.88 b464xS7y.net
追加
URLリンク(jp.quora.com)
Quora
正則性公理は必要ですか?これは何に応用できますか?

回答
Masaki Saito
会社員 (2020–現在)1年前
集合論以外の数学にとって正則性公理は必要ではないので勿論応用もないのですが、集合論にとって正則性公理は技術的にかなり好都合な上に、導入することによる害もないので、今更正則性公理不要論を唱える集合論者はいないと思います。

正則性公理の導入がいかに好都合かというのを実感したければキューネン集合論(主に3章4章)を読んでください、と言いたいところですが端的にいうと、順序数に関するさまざまな述語、関数が推移的モデルに対して絶対的になることや、超限再帰の可用性が広がることがかなり好都合です。

正則性公理はx={x}のような集合の存在を否定するという意味では数学の世界を狭める公理とも考えられますが、集合論以外の数学でx={x}のような集合に遭遇することはなく基礎の公理のもとでも通常の数学を展開できるので、正則性公理の導入は害にはなりません。普通に数学やっててx={x}のような集合に遭遇することがないからこそ、集合論以外の数学にとって正則性公理は必要ではないし応用もありません。

参考までに、正則性公理に関してこんな記事がありました:
基礎の公理の成り立たない集合論について
URLリンク(fuchino.ddo.jp)

476:132人目の素数さん
23/12/14 00:07:39.90 KwBYRePE.net
この人特定のキーワードに反応してランダムに文献を貼り付ける人工無能かなんかなの?

477:East Enders
23/12/14 05:46:40.35 g3rVwl37.net
>>451
>個人でFEM(有限要素法)や、数式処理Mathematica、Pythonが使える時代
 でも大阪の同業者には使えなさそう 電卓使える?

478:East Enders
23/12/14 05:54:49.03 g3rVwl37.net
>>453
>全部一歩一歩完璧に
 それ幻聴 ストローマン
>それを主張する人は、数学勉強法で失敗しているだろう?
 といってる大阪の同業者が、数学の勉強失敗してるという
>そしたら、攻撃してくるんだよね
 そもそも論理を理解しようという主旨の発言に
 論理が理解できてないと内心思ってる大阪の同業者がカチンときて
 「そんなのやったら発狂する」とか言ってイチャモンつけてきた
 いやいや悪いけど大阪の同業者あんたもう溢れ出る自己愛で●いまくってるって
 君の数学は20歳まで(大学一般教養まで)で終わる数学だから
 しかも18歳から20歳まで(つまり大学一般教養)の分が抜けてるから
 マセマでもなんでもいいから、本きっちり読んで勉強してな ゼミはしなくていいよ

479:East Enders
23/12/14 06:03:15.43 g3rVwl37.net
>>454
>"ラッセルのパラドックス"
>これは、直観主義論理の二重否定の法則を認めないことで
>"ラッセルのパラドックス"は回避できるのです(常識ですよ)

大阪の同業者君、またトンデモ「常識」語っちゃったか

排中律なくせばラッセルのパラドックス回避、なんて
いつどこでだれがいったの?ブラウワー?そんなの、初耳だよ

別の”規則”をなくせば、パラドックスは回避できるけどね
縮約規則を除いた線形論理とかね
ちなみに線形論理で排中律を残してもパラドックスは起きない

480:East Enders
23/12/14 06:06:25.08 g3rVwl37.net
>>456
大阪の同業者West Wannabe氏は、論理を理解する能力がなくて
それ以外の記述のみから憶測するので、実にしばしば
”トンデモ不規則発言”をしてしまうんですわ
これでもう何度も失敗して恥かいてるはずなんですがねえ
ひろゆき同様、反省能力がないみたいです 困りましたなあ・・・

481:East Enders
23/12/14 06:10:56.08 g3rVwl37.net
>>457
>ガロア理論講義では 円分体で、円の17等分 1の17乗根を具体的に導いている
>しかし、ラグランジュの分解式は明示的には使っていない
>あくまで、ガロア群と中間体の対応を使って
>冪根(いまの場合平方根)表示を導いているのです
 ”明示的には”ね 明示されてないからわからない、と
 でも、それ、やっぱり、大阪の同業者君が
 ラグランジュの分解式分かってないってことじゃん
 だって分かってたら明示してなくても「ああ、これこれ」って気づくから

 ということで、どこでどう使ってるか探してみてね
 僕はいちいちつきあってられないから 自分でどうぞ

482:East Enders
23/12/14 06:15:45.37 g3rVwl37.net
>>458
おやおや、大阪の同業者君、
「排中律やめれば、ラッセルのパラドックスは防げる」
の誤りの次は
「正則性公理で、ラッセルのパラドックスは防げる」
かい? 

いっとくけど矛盾を導く公理系に新たな公理を追加しても矛盾は防げないよ
公理的集合論の場合は、内包公理を諦めて、分出公理を用いる
これこそ常識な

注)これが唯一無二の解決策ではありません、
  解決方法は他にいくらでもあります
  ただしその結果もたらされる体系は全然異なりますが

483:East Enders
23/12/14 06:45:06.71 g3rVwl37.net
>>459 >●おかしいんじゃないか?○○行ったほうがいいぞ
>>461 >どうやったらこんな●チガイが生まれるんだよ…
>>463 >むっちゃ早口で言ってそう

ID:b464xS7yことWest Wannabeの同業者です。
このたびは私の仲間が度々トンデモ発言を繰り返して
読者の皆さんに大変な迷惑をかけてしまい申し訳ありませんでした。
同業者として、非常に恥ずかしいとともに、
何故こんな残念なことになってしまったのだろう
という後悔の気持ちで一杯です。

元々根気のない子で、社会ではいつも苛められて、
いつの頃からか精神的にも異変が出てきたので
何とかしなければいけないと心配していたのですが、
まさかこんなことになってしまうとは.....
同業者として何とお詫びすればよろしいのやら...
でも、来週から●●工場に勤務することが決まりました。
多分、一生ここに書く暇はないと思います。

トンデモであるWest Wannabeを一生この板に出さないことが、
同業者の私にできる、皆様への精一杯のお詫びだと考えています。
このたびは本当に申し訳ありませんでした。

・・・なんてこと自分にはちょっと言えないわ
West Wannabeは自分でなんとか始末して

484:East Enders
23/12/14 06:53:48.97 g3rVwl37.net
>>465
>この人特定のキーワードに反応してランダムに文献を貼り付ける人工無能かなんかなの?

West Wannabeの「ツボ」はいくつかあるようです

1つは「5次以上の代数方程式の一般的な代数解法は存在しない」
どうもこれが不満のようです 
任意次数の代数方程式の一般的な(代数的でなくてもいいが厳密な)解法
を知りたいようです 幼児的全能感の維持ですかね?

もう一つは「公理系において証明も反証もできない命題が存在する」
どうもこれも不満なようです
いかなる命題の真偽も決定可能な究極の公理系
を欲しているようです これまた幼児的全能感の維持ですかね?

ほかに幼児的全能感を達成したがる人を刺激する「数学的事実」ってありますかね?

485:132人目の素数さん
23/12/14 06:58:06.29 KwBYRePE.net
ちょっとこれ思い出しちゃった

我々は1が何故このようなスレッドを立てたのかという
疑問を解決するため、1の故郷である群馬県に向かった。
「まだ日本にこんなところがあったのか…」
思わず口に出てしまった言葉を同行した上司に失礼だと咎められた。

486:132人目の素数さん
23/12/14 08:31:04.22 PbloHO1D.net
この人が文脈不明のテクストを無意味かつ大量にコピペするのは、
数学の実質がぜんぜん理解できておらず、それが数学について
何か語っているつもりになれる自慰行為だからなのでしょう

487:132人目の素数さん
23/12/14 11:35:21.18 E/mU8Dp5.net
フィールズ賞数学者のストローマン
”involve certain radical simplifications”をすると、”Corollary 3.12 is not a proof”だという(下記)
「Corollary 3.12 を、ノックアウトしたのだ」
望月氏「フィールズ賞数学者よ、君がノックアウトしたのは藁人形ですw」
知る限り、20世紀以降の数学界で公式の議論でストローマンを使ったのを見るのは初めてだw
5chでは、頻出ですけどね
非公式な議論などで、「あなたの言いたいことは、要するにこうですね」と要約することは必要だよ
議論を進めるためにね
しかし、公式の論文レビューで、ストローマンを使ってダメ出しするとはねw
ストローマン論法は、一つ間違うと詭弁に堕するのです
マネするやついるかもねw
教育上良くないから、だれか注意してやってほしいですww
(参考)
URLリンク(www.math.uni-bonn.de)
Why abc is still a conjecture
PETER SCHOLZE AND JAKOB STIX Date: July 16, 2018
2.1. Glossary: IUTT-terminology and how we may think of these objects.
To facilitate the discussion, we will describe (only) the notions that are strictly relevant to explain what we regard as the error.
This will involve certain radical simplifications, and it might be argued that such simplifications strip away all the interesting mathematics that forms the core of Mochizuki’s proof.
URLリンク(zbmath.org)
zbMATH Open
Inter-universal Teichmüller theory. I: Construction of Hodge theaters. (English) Zbl 1465.14002
Publ. Res. Inst. Math. Sci. 57, No. 1-2, 3-207 (2021).Reviewer: Peter Scholze (Bonn)
More formally, the central claim in this series of papers is Corollary 3.12 in part III.
In the fourth part, this somewhat abstract statement is shown to imply the ABC conjecture over general number fields.
Unfortunately, the argument given for Corollary 3.12 is not a proof, and the theory built in these papers is clearly insufficient to prove the ABC conjecture.
Together with J. Stix, the reviewer has spent a week in Kyoto to discuss these issues with the author, and has detailed the findings in a manuscript entitled “Why ABC is still a conjecture” [URLリンク(www.math.uni-bonn.de) (opens in new tab)] that discusses the issues in slightly more detail.

488:132人目の素数さん
23/12/14 12:11:53.36 E/mU8Dp5.net
>>465
>この人特定のキーワードに反応してランダムに文献を貼り付ける人工無能かなんかなの?
さて、典型的なストローマン
>>456 「直観主義でラッセルのパラドックスが回避できるってなんだよ
 a = { x | x ∉ x }という集合の存在から矛盾が証明できないってこと?わいはできるぞ」
 と言ったでしょ?w
・”a = { x | x ∉ x }という集合の存在から矛盾が証明できる”という主張に対して
 少なくとも、”x ∉ x”は矛盾でもなんでもないぞ
 ということを、典拠とともに示した
・ところが、それにまともに答えず
 ”特定のキーワードに反応してランダムに文献を貼り付ける人工無能”
 とストローマン
やれやれ
フィールズ賞数学者のストローマンの真似かよ

489:132人目の素数さん
23/12/14 13:08:55.44 jUgdOWZc.net
>>477
>少なくとも、”x ∉ x”は矛盾でもなんでもないぞ
 それ、ストローマン
 内包公理、知ってますか?
 
 任意の述語Pについて
 P(x) ⇔ x∈{y|P(y)}
 これが、内包公理の「スキーム」
 Pに具体的な述語を入れれば公理になる
 P(y)をy ∉ yとする
 そしてxに{z | z ∉ z}を入れる
 このとき
 P(x) は {z | z ∉ z} ∉ {z | z ∉ z}
 であるから
 {z | z ∉ z} ∉ {z | z ∉ z} ⇔ {z | z ∉ z} ∈ {z | z ∉ z}
 となる
 これ矛盾 古典論理を直観主義論理に変えても同じ
>やれやれ フィールズ賞数学者のストローマンの真似かよ
 おやおや フィールズ賞数学者のショルツ氏を
 RCS(“redundant copies school” 冗長コピー学派)
 とかいってストローマン論法でいちゃもんつけた
 日本人なら知ってますが
 あれは実にみっともなかったですね
 ICM2022では黙殺されましたね 当然でしょう

490:132人目の素数さん
23/12/14 13:15:35.08 jUgdOWZc.net
ところで、線形論理では X⇔¬Xは矛盾ではない
X⇔¬X とは X⇒¬X かつ ¬X⇒X のこと
XとX⇒¬Xから¬Xは導けるが、
線形論理の場合 Xは使ってしまうとなくなるので
もはやXでなくなる したがってXと¬Xは同時に成立しない
同様に
¬Xと¬X⇒XからXが導けるが
これまた¬Xは使ってしまうとなくなるので
もはや¬Xでなくなり、やはり、Xと¬Xは同時に成立しない
このような論理で 排中律が成り立ってもとくに上記に変更はない

491:132人目の素数さん
23/12/14 13:48:26.72 E/mU8Dp5.net
>>468
>>"ラッセルのパラドックス"
>>これは、直観主義論理の二重否定の法則を認めないことで
>>"ラッセルのパラドックス"は回避できるのです(常識ですよ)
>大阪の同業者君、またトンデモ「常識」語っちゃったか
>排中律なくせばラッセルのパラドックス回避、なんて
>いつどこでだれがいったの?ブラウワー?そんなの、初耳だよ

・必死のストローマン、論点ずらしの詭弁丸出し
・やれやれ、フィールズ賞数学者のストローマンの真似かよ

(参考)
URLリンク(ja.wikipedia.org)
二重否定とは、否定の意を持つ語や、否定作用素を二度使用したりすることである。

・言語学における二重否定については、二重否定 (言語学)を参照。
・論理学における二重否定の除去については、二重否定の除去を参照。

URLリンク(ja.wikipedia.org)(%E8%A8%80%E8%AA%9E%E5%AD%A6)
二重否定とは、否定の意味を持つ語を二度使用する用法である。下述するように正反対の意味を持つ言語現象をあらわすのに用いられる
概要
肯定の意味で二重否定を用いる修辞技法は緩叙法と呼ばれる。本項では主に、単純否定を意味するのに二重否定を用いる用法、すなわち二つの否定語が対応してひとつの否定表現を作る否定呼応を中心に述べる。

緩叙法を用いる言語はひとつの否定表現をひとつの否定語と対応させるため、否定語を重ねることは否定を否定(-×-は+という論理)して肯定を意味することになるためであり、逆に否定呼応を用いる言語では、否定語を複数用いることは否定の否定(-×-)ではなく、否定の強調または否定の成立条件(-+-)であるとされるからである。両者をひとつの言語の中で認めると、論理的な混乱を招くことになる。

つづく

492:132人目の素数さん
23/12/14 13:48:43.03 E/mU8Dp5.net
つづき

英語
このような用法は、特に英語で問題になる。たとえば、Nobody don't like me. (誰も僕を好いてくれない)や I don't know nothing. (僕は何も知らない) などがこれにあたる。

このような言い方は2つの否定を意味する語句が対応しあって1つの否定表現を形作るもので、英語は本来はこのように否定文では否定形の語を一貫して使う否定呼応を用いる言語であった。
すなわち、否定呼応を用いる言語では、二重に否定語を用いても単純にひとつの否定表現を作るだけであり、論理学的に見た場合は単なる否定である。
しかし、否定呼応を用いない言語では、二重に否定語を用いることは論理学的に見るところの「否定」の否定であり、肯定である

しかし18世紀にきわめて人工的・作為的性質の強い規範文法が整備された際、否定呼応という言語現象に無理解な学者たちは、論理学規範を言語という特殊条件を考慮せずに適応し、「否定語を2回使うということは否定の否定を意味し、論理的に肯定である」と主張し、英語の否定呼応を抹殺した。
とりわけ聖職者ロバート・ラウスが 1762 年に出版した文法書 A Short Introduction to English Grammar with Critical Notes は否定呼応を否定の否定であるとみなし(今日の言語学的観点からすれば『誤解』し)、この表現を非文法的な言い方の最たるものとしている。
これにより英語は否定呼応を用いる言語から緩叙法を用いる言語へと半ば強制的に変換させられた。

現在各国の標準英語でも上記の見解が踏襲されており、否定語を二回使用することは肯定であるとされている

URLリンク(ja.wikipedia.org)
論理学、特に命題論理において、二重否定の除去(英: double negation elimination)および二重否定の導入(にじゅうひていのどうにゅう、英: double negation introduction)は、いずれも推論の種類の一つである。形式的には、いわゆる二重否定に相当する「連続した2つの否定作用素」を追加(二重否定の導入)したり削除(二重否定の除去)したりする操作を論理式に施すことである。古典論理においてはいずれも妥当な推論であるが、直観主義論理において二重否定を除去できない場合があるように、他の論理体系の下では妥当とは限らない。
(引用終り)
以上

493:132人目の素数さん
23/12/14 13:59:44.89 E/mU8Dp5.net
>>467
>>それを主張する人は、数学勉強法で失敗しているだろう?
> といってる大阪の同業者が、数学の勉強失敗してるという
>>そしたら、攻撃してくるんだよね
> そもそも論理を理解しようという主旨の発言に
> 論理が理解できてないと内心思ってる大阪の同業者がカチンときて
・ほら、ストローマン丸出し
(まるで、フィールズ賞数学者のストローマンの真似かよw)
・「そもそも論理を理解しようという主旨の発言」と言っておきながら
 自分はストローマンの詭弁で、全く発言が論理的ではない
やれやれですwww

494:132人目の素数さん
23/12/14 14:03:42.47 jUgdOWZc.net
>>480
>・必死のストローマン、論点ずらしの詭弁丸出し
 それあなた
 
 >>478読んでください
 
 あなたに論駁の余地は全くありませんからぁ 残念!

495:132人目の素数さん
23/12/14 14:09:58.19 W2u9g0jA.net
>>482
>自分はストローマンの詭弁で、全く発言が論理的ではない
 ええ、あなたが
 
 >>478読んでください
 
 あなたに論駁の余地は全くありませんからぁ 残念!

496:132人目の素数さん
23/12/14 15:42:05.11 KwBYRePE.net
>>477
> x ∉ xが矛盾でもなんでもない
これと私の発言になんの関係があるんだよ
単に特定の単語に反応してランダムに文献貼り付けてるだけじゃねーか

497:132人目の素数さん
23/12/14 15:58:01.56 KwBYRePE.net
>>477
お前は { x | 0 = 1 }なんて集合の存在が矛盾してるとか思ってるのかよ

498:132人目の素数さん
23/12/14 16:04:48.59 BDnLg41u.net
>>486 
>{ x | 0 = 1 }
 空集合ですね
 ところで、
 ラッセル集合{x | x∉x} の上位版で、
 カリー集合 {x | x∈x⇒P} ってのもありますね
 これ使うと、どんなPも証明できるスグレモノです
 URLリンク(ja.wikipedia.org)

499:132人目の素数さん
23/12/14 16:14:24.36 KwBYRePE.net
>>487
じゃあ、x ∉ x が矛盾してると誰が困るんだよ

500:East Enders
23/12/14 18:04:25.09 g3rVwl37.net
>>474
私は彼が何故無意味なコピペをつづけるのかという
疑問を解決するため、彼の故郷である大阪市西●区に向かった。
「大阪にこんなところがあったのか…」
思わず口に出てしまった言葉を同行者に咎められた。
鼻をつく異臭、油でべた付いた服を着る労働者たち、
そして彼らは余所者で身なりのいい我々を監視する様に見詰めている。
オリンピックだの、万博だので浮かれていた
我々は改めてこの現状を噛み締めていた。
廃屋のような建物に居たのはいかついジイサン
一瞬、不穏な空気が張り詰めた
しかし、我々を見るなり全てを悟ったのか、
いきなりジャンピング土下座で
「この度は息子が申し訳ありませんでしたぁぁぁぁ」
と額をガンガン床に叩きつけて詫びてきた
額にはなにやら血が滲んでいた
我々はこの時初めて彼を許そうと思った。
誰が悪い訳ではない、ここの暮らしが彼をそういう人にしてしまったのだ。
我々はジイサンから貰った○○を手に、
東京都●田区への帰路についた。
「これうちでもつくってる、っていいそびれたな」と思いながら

501:132人目の素数さん
23/12/14 21:12:05.23 mRppcUyI.net
>>485
>> x ∉ xが矛盾でもなんでもない
>これと私の発言になんの関係があるんだよ
>単に特定の単語に反応してランダムに文献貼り付けてるだけじゃねーか
・下記の渕野昌先生の受け売りだが、説明しよう
・下記の通り「二項関係の一つとして,集合の要素関係“∈”を考える」ことができる
・”集合xが推移的とは,すべてのy∈xとz∈yに対しz∈xが成り立つこと”
 つまり、二項関係“∈”を、全順序“<” という記号だと考えることができる
・くどいが、半順序“≤ ”(“x<yまたは x = y”)ではないってこと
・正則性公理の意味は、「二項関係“∈”が、全順序“<” という記号だ」と規定しているってことだよ
 こうすると、x = x であって、”x < x”とは書けない(”x < x”の否定)。つまり、”x ∉ x”(正則性公理の通り)
・さて、くどいが正則性公理のもとでは、x = x であって ”x ∉ x”で、これは公理の通りで、ZFCの全ての集合xで成立
 なので、”x ∉ x”は書く必要がない事項です
>>456 a = { x | x ∉ x } だった。”x ∉ x”は記載不要なので、 a = { x } となる
 つまり、”ある集合xを元とする集合a”と読める。単に a = { x }から矛盾が出る? 出ないと思うよ
(参考)
URLリンク(fuchino.ddo.jp)
この文章は「ゲーデルと20世紀の論理学 第4巻」 (東京大学出版会,2007)の,渕野 昌の執筆した第I部の第2章からの抜粋です.ただし,2009年の後期に神戸大学で大学院の講義でテキストとして用いたときに見つけた typos などの訂正などの update が施されているため,本とは多少異なるものになっています.
P31
“y は x より真に大きい” という解釈を強調するため,文字 R のかわりに “<” という記号を使うことにする.
< が X 上の半順序であるとき,“x ≤ y” で “x<yまたは x = y” という関係を表わす.
後で二項関係の一つとして,集合の要素関係“∈”を考えることになる.
P40
集合xが推移的とは,すべてのy∈xとz∈yに対しz∈xが成り立つことだった.
例2.14 ∅,{∅},{∅,{∅}}は推移的である.{{∅}}は推移的でない.{∅,{∅},{{∅}}}は推移的である.
補題2.15
(1) tが推移的ならt∪{t}も推移的である.
(2)集合Fの元がすべて推移的なら,∪Fも推移的である.
補題2.16 Tを推移的として,∈はT上の全順序となっているとする.このとき,

定理2.17(モストフスキーの同型定理)
X,<を,整列順序集合とする.このとき,推移的な集合Tと同型写像π: X,< ∼ = →T,∈がとれる.
とくに∈はT上の整列順序となっている.
さらに,ここでのπとTは一意に決まる.TはX,<のモストフスキー像とよばれ,πはモストフスキー同型写像とよばれる
(参考)追加
URLリンク(fuchino.ddo.jp)
この文章は「ゲーデルと20世紀の論理学 第4巻」 (東京大学出版会,2007)の,渕野 昌の執筆した第I部です.

502:132人目の素数さん
23/12/14 21:33:50.58 KwBYRePE.net
完全に人工無能だな…

503:132人目の素数さん
23/12/14 22:18:17.48 KwBYRePE.net
直観主義ではラッセルのパラドックスが起きないって主張からなんでこんな話になるのか意味不明すぎる
だいたい、a = { x | 1=1 }が集合なら、分出して b = { x ∈ a | x ∉ x } も集合なんだから結局矛盾するだろ

504:132人目の素数さん
23/12/15 00:03:39.59 EMMGliPR.net
>>491-492
>だいたい、a = { x | 1=1 }が集合なら、分出して b = { x ∈ a | x ∉ x } も集合なんだから結局矛盾するだろ

なんだ、それ言いたかったの?
命題:P→Q
P:a = { x | 1=1 }が集合
Q:直観主義ではラッセルのパラドックスが起きて、結局矛盾する <


505:br> かな? さて、仮定”P:a = { x | 1=1 }が集合”が真ならば、P→Qが導けて”命題:P→Q”真?って、証明としてどうか? そも、仮定”P:a = { x | 1=1 }が集合”が真の証明がない つまり、「”P:a = { x | 1=1 }が集合”が偽」で、「命題:P→Qが真」と主張しても、全く面白くない 例えば、 P:私が数学の神なら Q:数学フィールズ賞が取れる 「命題:P→Qが真」 P:宝くじ当たったら Q:大金持ちになれる 「命題:P→Qが真」 (仮定Pが偽なら”命題:P→Q”は常に真) 仮定Pにデタラメ書いて Q:直観主義ではラッセルのパラドックスが起きて、結局矛盾する という 直観主義が、分かってない? 直観主義は、下記でもどぞ (参考) https://lkozima.はてなブログ.com/entry/2013/01/04/231525 論理とか計算機とか数学とか lkozima 2013-01-04 直観主義と選択公理の話 下記の講義ノートを読んでいたら選択公理のことが書いてあって,それがおもしろかったのでこの記事を書こうとしています。 http://math.andrej.com/2005/08/23/realizability-as-the-connection-between-computable-and-constructive-mathematics/ 直観主義と選択公理の関係って相性がよさそうな悪そうなよくわからないものなのですが,そのあたりの事情がちょっと整理できました。 BHK interpretation と選択公理 BHK (Brower-Heyting-Kolmogorov) interpretation というものがあります (http://en.wikipedia.org/wiki/Brouwer%E2%80%93Heyting%E2%80%93Kolmogorov_interpretation)。大雑把にいうと,証明とはその具体的証拠の構成のことである,というような立場から論理式あるいは数学的主張の意味を解釈することだとぼくは思っていますが,BHK interpretation を解説する記事ではないので詳しい説明は省きます。*1 選択公理 ⇒ 排中律 実は,集合論のいくつかの公理と選択公理を認めると排中律が証明できます。 やってみましょう。(http://plato.stanford.edu/entries/axiom-choice/#AxiChoLog にあるのと同じ方針です) ということで,選択公理(といくつかの集合論の公理)から排中律が証明できました。 排中律というのは構成的立場からは認められない公理ですから,選択公理を認めるということは何か構成的でないことを認めるということのはずです。一方で,選択公理は BHK interpretation の自然な帰結であるようにも思われることは既に述べた通りです。これはいったいどういうことでしょうか。 やっぱり選択関数は作れない



506:132人目の素数さん
23/12/15 00:18:28.68 EMMGliPR.net
”直観主義ではラッセルのパラドックスが起きて、結局矛盾する”?
竹内 外史さんなど、だれもそんなこと言ってないぞ

URLリンク(sagaweb.csse.muroran-it.ac.jp)
直観主義論理 室蘭工業大学

URLリンク(iso.2022.jp)
直観主義論理入門y.∗ 2019年7月15日最終更新日: 2020年1月3日 URLリンク(iso.2022.jp)

URLリンク(www.kurims.kyoto-u.ac.jp)
直観主義論理への招待数学基礎論サマースクール2013講義資料照井一成(京都大学)

URLリンク(www.jstage.jst.go.jp)
直観主義的解析学の諸原理山本新* 科学基礎論研究 1983

URLリンク(www.)アマゾン
直観主義的集合論 (紀伊國屋数学叢書 20) 単行本 – 1980/12/1
竹内 外史 (著)

507:132人目の素数さん
23/12/15 00:20:48.74 HhvfGJhk.net
>>493
だからお前が言い出した直観主義ならばラッセルのパラドックスが起きないってのを説明しろって言ってんだよ
脳味噌腐ってるのかよ

508:East Enders
23/12/15 04:25:52.45 QAKDogeI.net
直観主義でも縮約規則があるので
XとX⇒XとX⇒¬Xから
Xと¬Xが同時に導けて矛盾します

縮約規則がない線形論理だと
XとX⇒XとX⇒¬Xから
Xも¬Xもそれぞれ導けますが
Xが一個なので両方同時は無理ですね

\120で缶コーヒーもお茶も買えるけど
両方同時は無理、みたいな

509:East Enders
23/12/15 04:31:25.31 QAKDogeI.net
大阪の同業者は勝手に
「直観主義はラッセルパラドックスを解決するため提案された筈!」(ドヤぁ)
と思い込んでるみたいだけど、ぜんぜん違うよ
数学的にも数学史的にも

数学 「直観主義論理でもラッセルパラドックスは起きる」
数学史「ブラウアーは直観主義でラッセルパラドックスが解決するなんて言ってない」

510:East Enders
23/12/15 04:38:38.15 QAKDogeI.net
>>490
>正則性公理は、
>「二項関係“∈”が、全順序“<” という記号だ」
>と規定している

全順序だというだけでなく
整列順序だと規定してるけどね

URLリンク(ja.wikipedia.org)

511:East Enders
23/12/15 04:45:15.89 QAKDogeI.net
大阪の同業者君がいったことを聞いてると
ほんとひろゆきとそっくりだなって思う

ひろゆき
「実数は実在するが虚数は実在しない。これがわからない人はバカ!」

ひろゆき
「現実には虚数は存在しないんですけど、」
「要は虚数は現実には存在しないんですけど、」
「「幻の数 虚数」って書くんですけど、
 なので虚数自体は現実に存在しないんですけど、」
「実数って例えば指が1本2本3本4本5本って説明できるじゃないすか。
 なので実際に現実に存在するんですけど、」
「虚数は存在しないって言ってるんですけど、これも理解できない人は…」

ツッコミ
「虚数は幻じゃねぇよ」

ひろゆき
「だから虚数は実在しないでしょ?wって話なの(笑)
 これそんなに難しい話?(笑)」

再ツッコミ
「それを言うと実数も存在しない」

ひろゆき
「この人達はバカなのかな?wwwww
 (コップを指差し)例えばこれが1っていうのは、存在してるじゃないすかw
 なので、実数というのは存在するんですけど、
 虚数というのは存在しないけどって話なんですけどーw
 これそんなに難しい話なの?(笑)」

512:East Enders
23/12/15 04:49:24.57 QAKDogeI.net
ひろゆきにいれたいツッコミ

「ん?じゃ0は存在しない?-1は存在しない?
 1/2は存在しない?√2は存在しない?
 0個のコップ、-1個のコップ、
 1/2個のコップ、√2個のコップ
 あるなら示して で、それないから存在しない、と?
 じゃ、0も負数も有理数も無理数も「虚数」じゃん!」

513:132人目の素数さん
23/12/15 08:05:09.87 EMMGliPR.net
>>495
>だからお前が言い出した直観主義ならばラッセルのパラドックスが起きないってのを説明しろって言ってんだよ
脳味噌腐ってるのかよ
・出ました ストローマンw
>>456 「直観主義でラッセルのパラドックスが回避できるってなんだよ
 a = { x | x ∉ x }という集合の存在から矛盾が証明できないってこと?わいはできるぞ」
 だった
・命題:P→Q
 P:a = { x | x ∉ x }が集合
 Q:直観主義ではラッセルのパラドックスが起きて、結局矛盾する
 と言いたいんだね
・ここで、ラッセルのパラドックスの古典的回避策は
 P:a = { x | x ∉ x }が全ての集合を意味するならば、それはクラスで集合とは認めないってことだ(下記)
・さて、>>454 直観主義では、二重否定の法則を認めないことでも
 "ラッセルのパラドックス"は回避できるのです(常識ですよ)
(参考)
URLリンク(ja.wikipedia.org)(%E9%9B%86%E5%90%88%E8%AB%96)
集合論及びその応用としての数学におけるクラスまたは類(るい、英: class)は、集合(または、しばしば別の数学的対象)の集まりで、それに属する全ての元が共通にもつ性質によって紛れなく定義されるものである。「クラス」の正確な定義は、議論の基礎となる文脈に依存する。例えば、ツェルメロ=フレンケル集合論 (ZF) ではクラスは厳密には存在しないが、他の集合論(たとえば、フォン・ノイマン=ベルナイス=ゲーデル集合論 (NBG))では、「クラス」の概念は公理化されている(NBG の例だと、別の量 (entity) の要素にならないような量としてクラスが定義される)。
(どのような定式化を選んだとしても)「全ての集合の集まり」はクラスである。(ZF では厳密な言い方ではないが)このクラスだが集合でないようなものは真のクラス (proper class) と呼ばれ、集合となるようなクラス(つまり集合)は小さいクラス (small class) とも呼ばれる。例えば、全ての順序数からなるクラスや全ての集合からなるクラスは、多くの形式体系において真のクラスである。
集合論以外の文脈では「クラス」を「集合」の同義語として使うこともある。この用法はクラスと集合が現代的な集合論の用語法に基づく区別をされていなかった時代からある。19世紀以前の多くの"クラス"に関する議論は集合のことを指していた、もしくはもっと曖昧な概念をさしていた。

514:132人目の素数さん
23/12/15 08:19:18.49 EMMGliPR.net
>>495
>だからお前が言い出した直観主義ならばラッセルのパラドックスが起きないってのを説明しろって言ってんだよ
>脳味噌腐ってるのかよ
手元に、有名な 竹内外史 「層・圏・トポス」がある
今見ると、あんまり読んでないw(きれいなまま)
が、いま見ると ”はじめに”の章で P8から2頁ほどで
直観論理について、概要をまとめている
読んでみな
それで足りなければ、全部読みな
それで足りなければ、>>494に上げた文献を全部よめ
URLリンク(www.)アマゾン
層・圏・トポス―現代的集合像を求めて 単行本 – 1978/1/20
竹内 外史 (著)日本評論社
書評
目玉焼き
5つ星のうち4.0 後でちゃんとしたレビューを書くかもしれない
2021年8月31日に日本でレビュー済み
Amazon_太郎
5つ星のうち1.0 適切なトポス 入門書とは呼べない。
2021年8月21日に日本でレビュー済み
Lawvere の Elementary Topos のみに焦点をあて、
グロタンディークトポスを除外しており、
適切なトポス 理論が本書から得られない。

515:132人目の素数さん
23/12/15 10:00:56.26 rOxxKUUg.net
相変わらずメッチャクチャwwwwwww

516:132人目の素数さん
23/12/15 11:03:19.49 NkEr3tnM.net
>>503
>相変わらずメッチャクチャwwwwwww

出ました ストローマン
論点ずらし

1)そもそも、>>456 「直観主義でラッセルのパラドックスが回避できるってなんだよ
 a = { x | x ∉ x }という集合の存在から矛盾が証明できないってこと?わいはできるぞ」
 だった
2)>>454 ”数学の基礎として公理的な集合論の代替として機能する”
 ”カテゴリ論理は現在、直観主義論理の型理論に基づいて明確に定義された分野”
 ”これは、直観主義論理の二重否定の法則を認めないことで
 "ラッセルのパラドックス"は回避できるのです(常識ですよ)”
 の直後に、上記は投稿されたのです
3)そもそも、いま圏論ロジック→直観主義論理 がいろいろ議論されているのに
 そこに対して、”直観主義ではラッセルのパラドックスが回避できていないぞ”と 突っかかってくる
 それって、「あんた 何考えているの?」レベルの暴挙でしょ? (確立されている数学に対して、岩にぶつかっていくみたいなこと)

で、河東氏ゼミの話だった
すべての疑問点を解消して一歩一歩進むべし

それを、全数学勉強に広げて、一歩一歩だという人がいた
しかし、いまの直観主義がいい例で

直観主義とラッセルのパラドックスの関係
それを、自分で調べるべしでしょ?

それは、一歩一歩でなく、探索的に読まないとね
そういう勉強もできないと、結局数学落ちこぼれじゃないの?

517:132人目の素数さん
23/12/15 11:19:21.22 ZO3fCt9z.net
レス乞食の通称set Aはトンデモ!
0426 132人目の素数さん
2023/10/29(日) 14:22:15.63
IUTは、ガリレオ天動説です
だんだん、理解され受け入れられてきたよ

518:132人目の素数さん
23/12/15 11:51:44.81 NkEr3tnM.net
>>505
>レス乞食
勝手に
横から飛び入りで
レスかいてりゃ
世話がないw
>IUTは
>だんだん、理解され受け入れられてきたよ
事実だよ
もし大学で、IUTに詳しそうな先生がいたら
聞いてみなよ

519:132人目の素数さん
23/12/15 12:33:04.37 SGv1Q1ZI.net
>>501
>直観主義では、二重否定の法則を認めないことでも
>"ラッセルのパラドックス"は回避できるのです(常識ですよ)
 大嘘ですよ
 >>478で、二重否定の法則なしで矛盾が証明されましたから
 
 まったく、口から出まかせでウソつかないでくださいね
 任意の正方行列は正則行列だとか
 箱入り無数目は間違ってるとか
 IUTTは世界の数学者に認められたとか

520:132人目の素数さん
23/12/15 12:34:35.40 OnJUxI5P.net
レス乞食set Aいわく、
ガリレオ天動説です。トンデモ〜

521:132人目の素数さん
23/12/15 12:38:49.37 SGv1Q1ZI.net
>>504
>”直観主義ではラッセルのパラドックスが回避できていないぞ”と 突っかかってくる
>それって、「あんた 何考えているの?」レベルの暴挙でしょ?
>(確立されている数学に対して、岩にぶつかっていくみたいなこと)
 いいや
 「直観主義でラッセルのパラドックスが回避できる」
 という主張こそ
 「あんた、なにを誤解してるの?」
 という三歳児レベルの暴挙ですが、自覚ないですか?
 無理な素人の傲岸不遜な思い上がりってコワいですね
>(確立されている数学に対して、岩にぶつかっていくみたいなこと)
 初歩的誤りを正しいと思って
 岩にぶつかってグチャッとつぶれたのは
 ID:NkEr3tnM さん、あなたです

522:132人目の素数さん
23/12/15 14:38:16.18 NkEr3tnM.net
>>509
> 「直観主義でラッセルのパラドックスが回避できる」
> という主張こそ
> 「あんた、なにを誤解してるの?」

なるほど、下記の林晋 「科学史」メモ 2017.01.19 だね

"直観主義
すくなくともゲーデルの不完全性定理が発見されるまで、あるいは、第二次世界大戦前位までは、公理的集合論が数学の基礎であることにに飽き足らない数学者たちがいた。
その様な人たちの代表としては、フランスのアンリ・ポアンカレ、オランダのL.E.J.ブラウワー、ドイツのヘルマン・ワイルをあげることができる。特に、後の方の二人、ブラウワーとワイルは、その代表格中の代表格である。
これらの人たちは、直観主義者と呼ばれる"

”ヒルベルトとその弟子たち(その一人が、ジョン・フォン・ノイマンだった)と、ブラウワー・ワイル陣営の間で、数学史上稀に見るような激烈なバトルが開始される”

”ゲーデルの不完全性定理
数学者たちは、ヒルベルトの失敗を教訓として、また、経験的には無矛盾で、自分たちの目的のためいは十分完全な、ZF集合論を数学の基礎とすることにしたのである。
そして、無矛盾性は信じること、あるいは、気にしないことにし、第一不完全性の方も、実際の数学の問題に影響を与えない限り気にしないことにしたのである。
その結果、数学者たちは、それまでの哲学的議論を止めてしまったのである。”

要するに
1)直観主義が提唱されたとき、ラッセルパラドックスの克服法は、すでに開発されていた
2)しかし、公理的集合論が数学の基礎であることにに飽き足らない数学者たちがいた、ブラウワーやヘルマン・ワイル
3)数学史上稀に見るような激烈なバトルが開始される
4)しかし、ヒルベルト計画は失敗し、その結果、数学者たちは、それまでの哲学的議論を止めてしまった

だが、そのあとがあると思う
・圏論による直観主義の復権
 ZFC集合論は、一階述語論理限定で、高度化した現代数学の基礎としては非力
・高階述語論理と圏論の方が相性がいい
 現代数学では、圏論を使う方がすっきりしている場合が多い
・現代の直観主義論理では
 ラッセルパラドックスは、克服されている(当然ですが)

(参考)
URLリンク(shayashiyasugi.com)
全学共通科目「科学史」メモ 2017.01.19 林晋

数学の危機と数学基礎論論争
数学基礎論論争は、一昔前の古い解説では、論理主義、形式主義、直観主義という三つの学派に分かれて争われたとされることが多かったが、実は、この見方は、あまり適当なものではない。

つづく

523:132人目の素数さん
23/12/15 14:38:33.38 NkEr3tnM.net
つづき

形式主義と直観主義の間で、最終的には学界政治闘争で決着がつけられる激烈な論争があった一方で、論理主義に分類される人たちと、他の二つの主義に分類される人たちとの間には、論争らしい論争がみられなかったからである。

論理主義は、むしろ、形式主義と呼ばれるもののお膳立てをしたものと考えた方が良い。

実は論理主義とは、すでに説明しているデーデキントやラッセルによる「集合を材料として数学の再構築を目指す方向性」のことなのである。そして、この方向性の可能性は、実質的にはラッセルのパラドックスの発見により潰えたのである。

論理主義
デーデキントは、1888年の著書の前書きで、「自然数を還元する先は、もう論理 Logik しかない」という意味のことを書いている。それを、実行したのが1888年のデーデキントの自然数論なのである。

伝統的論理学入門
現代の日本の大学で、伝統的論理学を教えている所は非常に少ない。しかし、アメリカなどの大学では、今も伝統的論理学と記号論理学と合わせて教えられているケースが多い。

この伝統的論理学と、その西洋文明における位置づけの理解がないと、なぜ、デーデキントやラッセルが、数学より論理学の方が確実だと思った理由がわからなくなる。

集合論化したラッセルの「論理学」
数学を純粋論理に還元するはずだった「論理主義」のプロジェクトは、実質失敗に終わることとなった。Principia Mathematica は論理学と言いながら、その実は「変装した集合論」だったのである。つまり、数学が、その数学の新興分野である集合論に還元できただけだった。

つづく

524:132人目の素数さん
23/12/15 14:38:59.03 NkEr3tnM.net
つづき

ツェルメロの公理的集合論
ラッセルは「型」の概念を導入して「文法的」にパラドックスを避けたが、パラドックスを避けるもう一つの方法として「集合のサイズを抑制する」という方法がある。

つまり、集合すべての集合とか、要素が一つだけの集合のすべての集合、のような巨大な集合をさけるという方法である。

ラッセル・パラドックスのもととなったカントル・パラドックスが、「最大の大きさを持つはずの集合」のパラドックスであったことを考えれば、非常に大きな集合を避ければ、ラッセル・パラドックスのようなものは避けることができそうである。

この方向性を追求したのが、ラッセル・パラドックスを、ラッセル以前に発見していた数学者エルンスト・ツェルメロである。

ラッセルのパラドックスを生んだ {x | x∈x でない}のような巨大な集合の存在を認めないかわりに、実際の数学で使われる集合を割り出して、それらは存在することにする、つまり、それらの存在を公理とする、というのがツェルメロの戦略だった。

これは、極めて実用主義的、機能主義的アプローチであり、別の言い方をすれば、ご都合主義的でもある。

ZFC集合論のような、使える公理を明確に規定して、それのみを使って理論を展開する集合論を公理的集合論という。

つまり、現在の数学の基礎は、公理的集合論が担っているのである。

つづく

525:132人目の素数さん
23/12/15 14:39:21.00 NkEr3tnM.net
つづき

直観主義
すくなくともゲーデルの不完全性定理が発見されるまで、あるいは、第二次世界大戦前位までは、公理的集合論が数学の基礎であることにに飽き足らない数学者たちがいた。

その時代を代表する数学者、あるいは、そうなる筈だったのに不運にも若くして命を落とした数学者たちの間に、「数学の基礎は、Principia Mathematica や、ZFCの様な公理的集合論だとすることで、現実的には困らないので、そうしておく」という状況に飽き足らない人たちがいたのである。

その様な人たちの代表としては、フランスのアンリ・ポアンカレ、オランダのL.E.J.ブラウワー、ドイツのヘルマン・ワイルをあげることができる。特に、後の方の二人、ブラウワーとワイルは、その代表格中の代表格である。

これらの人たちは、直観主義者と呼ばれる。

直観主義と呼ばれる人たちが求めていたものは、伝統的論理学に代りえる様な、本質的な基礎、だったといえる。

Principia Mathematica や公理的集合論は、上に説明したように、その成立の歴史から見て、どの様に見ても実用主義的であり、それを真理の根本とする根拠に欠けていた。

ブラウワーとワイルは、この状況に我慢がならなかったと思われる。彼らは、ラッセルやツェルメロなどが、「経験的に勝手に作ってしまった Principia Mathematica やZFC」が、数学の基礎であることに我慢がならなかったのである。

彼等にとって、数学の基礎は、何かもっと本質的なものでなくてはならなかった。

しかし、このブラウワーの数学には大きな欠点があった。哲学的な本質性が、公理的集合論などに比べて強い一方で、実際の数学の実行が困難になるのである。この様な状況の中、基礎の問題を一挙に解決する方法が、当時、数学の世界に君臨していたと言ってもよい、大数学者ダービット・ヒルベルトにより提唱された。それが、証明論、超数学(メタ数学)などの名前でも呼ばれる、形式主義という数学思想である。

つづく

526:132人目の素数さん
23/12/15 14:39:40.33 NkEr3tnM.net
つづき

形式主義
このヒルベルトの形式主義は、先に説明したクロネッカーの一般算術による数学の基礎における多変数多項式の代数の体系を、ラッセルの The Principles of Mathematics や、Principia Mathematica で使われた記号論理学の体系に置き換えたものと見なせる。

ヒルベルト計画
Principia Mathematica や ZF 集合論では、ラッセルのパラドックスなどの集合論のバラドックスを再現することができないということは、1920年代ころには、すでに経験的に解っていた。

だから、多くの数学者は、それで十分満足していた。

しかしながら、ブラウワーやワイルのような、哲学的問題をも重視する人たちは、それだけでは飽き足らず、内的時間直観など論理学に代る何らかの保証を求めたのである。

ところが、それは、結果として、先に説明したように、数学の実行を困難にしたばかりか、既存の数学理論のかなりの部分を放棄することを迫るものだった。

内的時間直観というものは、我々人間という有限的存在の「所有物」であるために、本質的に有限的性格を帯びており、そのためにカントルやデーデキントの集合論が扱うことが多かった無限集合を十分に扱うことができなかったのである。

しかし、ヒルベルトという人は、そういうデーデキントやカントルの方法が、クロネッカーが研究したような、伝統的な数学の枠組みの中でも、非常に重要な役割を果たすことを最初に実証した人のひとりだった。

ヒルベルトは、その後、デーデキントのイデアル論を使い、クロネッカーや、クンマーの代数的整数論の理論を徹底的に書き直し、現代的な代数的整数論の発展の基礎を作った。

つまり、ヒルベルトは、集合論のような「仮想現実」を駆使して、数学を行うことにより、19世紀終わりから20世紀初め、凡そ第二次世界大戦の勃発前までの時代を代表する世界的な数学者となったのである。

つづく

527:132人目の素数さん
23/12/15 14:39:57.93 NkEr3tnM.net
つづき

ヒルベルト計画の行方
このヒルベルト計画を巡って、直観主義者とヒルベルトの陣営の間で、最期は学界権力闘争に発展するような激しいやり取りが行なわれた。

それに火をつけたのは、歴史上初めて、リーマン面に十分納得の行く説明を与えた数学者ヘルマン・ワイルである。

ワイルは、集合論を使う位相幾何学という新興数学分野の結果などを駆使して、リーマン面を集合を使って厳密に記述してみせたのである。

しかし、ワイルは、その研究成果を発表した「リーマン面の概念」(Die Idee der Riemannschen Flache、1913)という小冊子の前書きに、新約聖書のフレーズを引用しつつ、集合を使うリーマン面の基礎づけが数学の立場からは決して本質をついたものではない、この仕事が高く評価されることはないだろう、ということを縷々語ったのだった。

ドイツ・ゲッチンゲン大学で、ヒルベルトの高弟としての地位を保ち、ラッセルのパラドックスなどを身近に知り、また、一方でハイデガー哲学などにも精通していた、この数学者には、実用的には十分でも、哲学的には中途半端な Principia Mathematica や、ZF集合論による基礎づけは我慢ならなかったようである。

ヒルベルトとその弟子たち(その一人が、ジョン・フォン・ノイマンだった)と、ブラウワー・ワイル陣営の間で、数学史上稀に見るような激烈なバトルが開始される。

そして、様々な経緯を経て、1928年ころ、ブラウワーは、ヒルベルトの政治的動きにより、実質的に数学の世界から追い出される。これには、ブラウワーの反ゲルマン的な政治思想と、コスモポリタン的なヒルベルトの政治的傾向との衝突の意味もあったようである。

いずれせよ、1931年ころ、ブラウワーは実質的に数学の世界を去り、直観主義的な数学の基礎づけは、その後継者によって担われ、ヒルベルトの形式主義・ヒルベルト計画の勝利は明らかであるかのように見えた。

つづく

528:132人目の素数さん
23/12/15 14:40:26.14 NkEr3tnM.net
つづき

ゲーデルの不完全性定理
その様な状況の中で、1930年の秋に突然現れたのが、ウィーン大学の学生、クルト・ゲーデルによる不完全性定理という数理論理学の定理だった。

ゲーデルは、第一不完全性定理の帰結として、第二不完全性定理と呼ばれるものを導いたのである。

この第二不完全性定理は、もし、誰かが、ヒルベルト計画の「無矛盾性問題」を解決しようとすると、その人は、本質的に、無矛盾性証明を行う対象理論で使われる証明手段より、信頼性の劣る証明手段を使うしかないということ意味していた。

しかし、これでは本末転倒なのである。第二不完全性定理が示していたことは、ヒルベルト計画の無矛盾性証明を行うには、無矛盾だと証明される Principia Mathematica やZF集合論における証明方法以上に危険な方法を使うしかない、ということを意味していたからである。

つまり、ある知識の体系が矛盾しないこと示すには、それより危険な方法を使うしかない、ということであり、これでは、信頼性が全く還元されていないのである。

これでは困るので、ヒルベルト計画では、無矛盾性証明は、直観主義者も認めるような「有限の立場」という非常に限られた証明法だけを使い、集合論を使わないことになっていた。

ところが、第二不完全性定理は、それが無理だということを示していたのである。

不完全性定理が生んだ数学の哲学離れ現代では、想像し難いことだが、デーデキントの集合論やラッセルの数理論理学が、哲学の一部だった(アリストテレスの哲学の一部)、伝統的論理学に基づいていたように、19世紀には、未だ、数学と哲学が未分化であった。

ヒルベルト計画が成功すれば、哲学的問題は重要としたまま、哲学からの干渉を一切排除して、数学は哲学から完全に独立できる筈だったのである。

しかし、その計画は実行できないことを不完全性定理は示してしまった。

数学者たちは、これを受けて、再び哲学的議論を行なったのだろうか?

実際に起きたことは反対だった。

ワイルの関心ような哲学的関心が、不完全性定理以後、急速に薄れたのである。

つづく

529:132人目の素数さん
23/12/15 14:40:50.81 NkEr3tnM.net
つづき

これ以後、ゲーデルのようなもともとから哲学的な人を除き、歴史に名の遺すような偉大な数学者が、数学の基礎付いて発言する機会が激減したのである。

数学者たちは、ヒルベルトの失敗を教訓として、また、経験的には無矛盾で、自分たちの目的のためいは十分完全な、ZF集合論を数学の基礎とすることにしたのである。

そして、無矛盾性は信じること、あるいは、気にしないことにし、第一不完全性の方も、実際の数学の問題に影響を与えない限り気にしないことにしたのである。

その結果、数学者たちは、それまでの哲学的議論を止めてしまったのである。

つまり、不完全性定理の歴史的意義を問われれば、古代ギリシャのプラトン以来、2千数百年に渡って緊密な関係を持っていた数学と哲学の関係を、現在の様に疎遠なものにした最終的契機こそが、不完全性定理であったという結論に達したのである。

この話は、現在、執筆中の本(岩波新書)に期待して頂くことにして、不完全ながら、これで講義を終わる
(引用終り)
以上


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