23/12/12 11:36:33.03 948RporJ.net
>>390-391
>横からだが、歴史的に数学基礎論は数学の基礎付けのために始まった学問だから、現代の数学をベースにした数学基礎論は循環論法だっていうキチガイが基礎論スレにいたな
>「現代の数学をベースにした数学基礎論は循環論法だっていう
> スレを立てた奴が数学板にいたな」
>
>数学基礎論「数学を使って数学の基礎を作ります」←循環論法じゃん
>スレリンク(math板)
面白いけど
1)数学史をちゃんと勉強してないよね
カントールやデデキントが、(素朴)集合論を始めた
ところが、(素朴)集合論で「すべての集合の集合」のようなものを考えると
パラドックスが起きる
2)そこで、数学の公理化をしようとなった(ヒルベルト)
この数学の公理化の部分を、後世では一般に基礎論と呼ぶ
3)公理化については、ユークリッド幾何の公理的扱いがモデルになっている
これは、ゆとり以前では、小学校でユークリッド幾何とあわせて公理的扱いを教えたものです
点は長さも面積もたない、線は長さを持つが面積を持たない、面は面積を持つなどなど
そうして、最後定義に使う用語は、無定義用語に行き着くのです(なので循環論法にならない)
(無定義用語の存在は、避けられないのです)
”数学基礎論は循環論法”っていう人は、「数学の公理化」という行為が全く分かってない
それは、数学史をちゃんと勉強してないってことであり
”ゆとり”で、(”公理化”とか基礎的な知識の)インプットが不足ってことでしょ?
URLリンク(ja.wikipedia.org)
素朴集合論
パラドックス
任意の性質を用いて、制限なしに集合を構築できるという仮定は、パラドックスにつながる。一般的な例に、ラッセルのパラドックスがある。「自分自身を含まないすべての集合」で構成される集合は存在しない。したがって、素朴集合論を無矛盾なシステムとするためには、集合を構成するために使う原理に対して制限をかける必要がある。
公理的理論
公理的集合論は、どの操作がいつ許可されるかを正確に定めることを目的として、集合を理解するこれらの初期の試みに応えて開発された。