河東泰之「セミナーの準備のしかたについて」は本当に正しいのか?at MATH
河東泰之「セミナーの準備のしかたについて」は本当に正しいのか? - 暇つぶし2ch309:132人目の素数さん
23/12/10 13:04:14.92 hlVZhvmn.net
>>257
>ガウスがやったことを自分でやってみると
>ガウスが真の「数学ヲタク」であったとわかる
>
>ここであえて「ヲタク」と書いてるが
>もちろん侮蔑の意味など微塵もない
>本当に好きでやっているという意味で
>「ヲタク」といわせていただいてる
>
>アカポスとか賞とかのためとかいうのは邪と言わざるをえないw
たてついて悪いが
1)ガウスには、ブラウンシュヴァイク公というパトロンがついて、1791年(14歳?)経済的支援を受けられた
 ”アカポスとか賞”を問う必要がなかった(今の孫正義育英財団か)
2)「数学ヲタク」とか、彼の業績は数学に限定されない
 ”ヲタク”ではなく、神童がそのまま大人になった(御大は神韻という)
3)あと、いまから思えば読むべき文献も少なかったろう
 オイラーやラグランジュ、フェルマーなど、ガウスの能力からすれば、1年以内ですべて読めたろう
 いま? ガウスの時代の数十倍、数百倍。競争相手多数
”真の「数学ヲタク」”?
ガウスにパトロンがいることを見落としている
時代錯誤としか思えない
といって、焦っても仕方ないけどね
(参考)
URLリンク(ja.wikipedia.org)
カール・フリードリヒ・ガウス
19世紀最大の数学者の一人であり[1]、18世紀のレオンハルト・オイラーと並んで数学界の二大巨人の一人と呼ばれることもある[2]。
バーテルスはブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公フェルディナントの知人であり、1791年にガウスは彼に謁見して援助を受けられるようになった[5]。この経済的支援によって進学し、1795年にゲッティンゲン大学に行くことができた[6]。その後、1798年にはブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯領にあったヘルムシュテット大学(英語版)へと移り[7]、1807年に再びゲッティンゲンに移るまでここで過ごした。
URLリンク(masason-foundation.org)
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