23/12/08 09:55:00.45 0g+C30+Q.net
>>160-161
>”厳密性を数学と取りちがえるという勘違い”(渕野語録)
>そのような「生きた」「実存としての」(existentialな)数学で問題になるのは,
>アイデアの飛翔をうながす(可能性を持つ)数学的直観」とよばれるもので,
>これは, ときには,意識的に厳密には間違っている議論すら含んでいたり,
>寓話的であったりすることですらあるような,
>守屋先生(早稲田)の「数学の自由性」
>カントールは次々と新しい数学の概念を導入したが、強い反駁も受けたため、「数学の本質はその自由性にある」と叫んだ。
>高木貞治も『数学の自由性、ちくま学芸文庫、改訂版2010年』の中でそれに触れている。
>デュドネ(J.A.E. Dieudonné)は『人間精神の名誉のために、岩波書店、1989年』の中で、
>「数学をするとは人間精神の自由な発露であり、人間精神の名誉ために数学をする」と 述べている。
>それまでの数学にはなかった対象や方法や抽象化が次々と現れた:
>非ユークリッド幾何、4元数、様々な代数的構造、位相、数学基礎論、・・・
要するに
・”アイデアの飛翔をうながす(可能性を持つ)数学的直観”
・自由な発想(「数学の自由性」)
これらを尊重すべし!
(渕野語録)”厳密性を数学と取りちがえるという勘違い”をして
自由な発想や、数学的直観を減摩し殺す方向の勉強法は間違いだってこと!
その体現者が、高木貞治先生であり
小澤 登高(なるたか)氏じゃないでしょうか