23/12/07 12:49:21.18 gYhurcGu.net
・斎藤 毅氏「今では遠い学生のころ、来る日も来る日も読みふけった、Tohoku、EGA、SGA」
多分彼は、面白い推理小説でも読むように、Tohoku、EGA、SGAを読みふけったのでは?
写経などせずに
・斎藤 毅氏「抽象数学では、記号はただの記号であることがだいじだが、ただの記号と思ってはいけないなどという話をする」
「そう思ってはいけないというのは、記号にあてはめられるものには、実に多様なものがあり、それらについての実体感抜きでは、本当の理解にはならないというつもりである」
・”実に多様なものがあり、それらについての実体感抜きでは、本当の理解にはならない”ならば
具体的な多様なあてはめられるものに遭遇することろまで、進まなければいけない
写経と沈思黙考で立ち止まってしまっては、”実体感抜きで、本当の理解にはならない”ということ
”具体的な多様なあてはめ”まで進む(別の本を読んでみるのもあり)
あるときは、基本のところに立ち返る
あるときは、重要なところでは立ち止まって写経し沈思黙考する
自分にあった勉強法を考えるべし
写経と沈思黙考だけ?
それが合っている人もいるでしょうね
(参考)
URLリンク(www.ms.u-tokyo.ac.jp)
斎藤 毅
URLリンク(www.ms.u-tokyo.ac.jp)
グロタンディーク pdf (数学セミナー2010年5月号)斎藤 毅
ここで書きたいのは、私にとってのグロタンディークである。
それは、今では遠い学生のころ、来る日も来る日も
読みふけった、Tohoku、EGA、SGA の著者である。
最近、数学を専門として勉強し始めた学生向け
の授業をうけもつ機会が多い。今の数学のカリキュ
ラムでは、まず抽象的な数学の思考法に慣れること
が重要になる。そこで、抽象数学では、記号はただ
の記号であることがだいじだが、ただの記号と思っ
てはいけないなどという話をする。矛盾しているよ
うだが、いいたいのはこんなことである。ただの記
号であるとは、どんなものでもあてはめてよいとい
うことである。そう思ってはいけないというのは、
記号にあてはめられるものには、実に多様なものが
あり、それらについての実体感抜きでは、本当の理
解にはならないというつもりである。
しかし、グロタンディークは、スキームX とい
えば、ただX だと思っていたのではないかという気
もしてくる。とすると、そんな話をしても、未来の
グロタンディークにとっては、余計なお世話かもし
れない。でもグロタンディークだからこそ、それで
よかったのだとも、一数学者としては思うのである