純粋・応用数学・数学隣接分野(含むガロア理論)17at MATH
純粋・応用数学・数学隣接分野(含むガロア理論)17 - 暇つぶし2ch213:132人目の素数さん
23/11/19 13:42:22.45 n8WLogxJ.net
>>191-195
さて、高木貞治先生の回顧と展望
1)1898年ベルリン留学、
 私のやろうというのは,例の「クロネッカーの青春の夢」と謂いわれるものの中で,
「基礎のフィールドがガウスの数体である場合,つまりレムニスケート函数の虚数乗法をやろう」と思うと言った
 1901年に帰国し東大で学位
2)1914年に世界戦争が始まって、よい刺戟で
 西洋から本が来なくなって、自分で何かやるより仕方が無いと
 不分岐などいう条件を捨ててしまって,少しやってみると
 要するにアーベル体は類体なりということにぶつかった
3)数学では「大体良さそうだ」では通用しない.特に近くにチェックする人が無いので自信がなかったが,漸くのこと1920年に,チェックされる機会が来た.
 その年,大学教授の欧米巡廻ということで,外国へ往くことになった.
 その年にはストラスブルグで万国数学会議があったから,その時に持ってゆこうというので,急いで論文を書き上げた
4)会議では15分位の講演をしたけれども,無論,反響も何もありはしない.
 会議が済んで暫くして1921年にドイツへ行って,ハンブルヒ大学へも行った.その頃ハンブルヒはヘッケとブラッシュケの二人であった.
 私の論文も着いていて,一人女の助手がそれを読んでいるのを見たのであるが,とにかく類体論を一番早く読んだのはハンブルヒだったろうと思う.
 1925, 6年頃に私はヒルベルトから手紙を貰った.
 それは私の論文をアンナーレンに転載することを申込んで来たのであったが,その手紙の中に,ヒルベルトが代数的整数論の講義をするについて,「初めてお前の論文を読んだ」と書いて,そこの処へ ausf※(ダイエレシス付きU小文字)hrlich と書き入れがしてある.
 どうも1920年に受取った論文を25年に初めて読んだのでは,あまり気の毒だから,「初めて詳しく読んだ」ことにしたのであろう.
 ああ見えても,ヒルベルトは中々細心な所のある人であると思って,可笑しかった.
ということで、これをさらに私なりに要約すると
・1898年ベルリン留学、「クロネッカーの青春の夢」は”高木貞治先生の類体論の夢”となる
・1901年に帰国し東大で学位
・1914年に世界戦争が始まって、このころ東大数学科教授になって10年弱
 西洋から本が来なくなって、自分で何かやるより仕方が無いと
 やってみたら、従来と異なり 不分岐という条件は捨てて、”アーベル体は類体なり”という方向で解けた
・1920年に国際会議で発表するも、反響なし
・1925, 6年頃になって、ようやく認められだした
さて、時代がと環境が違うのだろうが
高木貞治先生は、絶望はしていないようす
1898年ベルリン留学で「クロネッカーの青春の夢」について、教えて貰いながら共同研究でもとおもっていたあてはずれ
1901年帰国し、多分追いかけていたろう。その蓄積が、1914年の世界戦争で”自分で何かやるより仕方が無い”と本気モードで限界突破
こう読みました


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