23/09/23 11:02:27.74 soWmxFoh.net
>>898 >>904
(引用開始)
例えばコイントスした結果を見せずに、多くの人に
「このコインは表か裏か」と尋ねる
おそらく表も裏も全体の半分程度が予想する
さて、これは「何の確率」であるか?
「コインが表(もしくは裏)である確率」か?
否
「人がコイントスの結果を表(もしくは裏)と予想する確率」である
(引用終り)
スレ主です
やれやれ、まず「確率の古典的な定義」を読みましょう
その上で、現代確率論なども理解しましょう
(参考)
URLリンク(ja.wikipedia.org)
確率の古典的な定義 ラプラスの『確率の解析的理論』では、次のように述べられている:
事象の確率は、起こりやすさに差異が認められない全ての場合の数に対する、期待していた事象の場合の数の比率(割合)である
この定義は、本質的に、等確率の原理による帰結である。根元事象に等しい確率が割り当てられている場合、事象の確率は、その事象内の結果の数の結果の総数に対する割合になる
批評
確率の古典的定義は、コイン、カード、サイコロの物理的対称性に基づいて、根元事象に等しい確率を割り振る
・定義は非常に限られている。サイコロなどに物理的対称性がない場合については何も述べていない。例えば、保険料は、測定された損失率によってのみ合理的な価格設定ができる
・理想的な場合を除いて、等確率の原理は明らかではない。実際のコインは真に対称ではない
・確率の古典的定義は、偏った確率の解釈を引き起こし、哲学的な多様性を疎外する
URLリンク(ja.wikipedia.org)
確率(probability)とは、偶然起こる現象に対する頻度(起こりやすさの指標)のことである。確率の定義は、統計的確率、数学的確率・理論的確率・古典的確率(意味はどれも同じ)、公理的確率の3つがある。
数学的な定式化については「確率論」を参照
どのような現象でも確率をもつとはいえない。数学的にも、確率をもたない集合(非可測集合)や、解釈により確率の数値が異なる問題(ベルトランの逆説など)がある。
理論・結果に基づいたこれらの「客観確率」に対し、個人または特定の集団にしか真偽を判断できない「主観確率」が提唱されている