23/06/03 21:29:21.38 TGxzUWsd.net
教壇の上に突っ立った身長5尺に満たない小さな先生。
難解な数学の問題に頭を痛めている教室の生徒たちをジロリと見渡してから、
やおらフトコロより羊羹を取り出す。
「ホレ、見てみろ、これが長方形でアル」
右手にしたナイフで羊羹をさらに切って見せ、
「ホレ、これが弧三角形でアル。これは鋭角であり、これは鈍角なのでアル。
ウン、どうじゃ。まだわからんかい。」
唖然としている生徒を尻目に、くだんの先生、今度は羊羹の切れっ端をポイと口の中に放り入れ、ムシャムシャ。
これぞ名にし負う徳中の数学の鬼、阿部有清先生。臨機応変と言おうか、チェンジオブペースの妙と言おうか、
他人は真似のできない先生のユニークな指導方法は徳中名物の一つであった。
当時の数学教授は洋書を使って行うもので、内容的にもレベルが高く、生徒の学習は容易なものではなかった。
生徒思いの熱心な有清先生は、毎時の講義文を作成し、数学の苦手な生徒にも懇切丁寧な指導に当たった。
知識注入的詰め込みを避けた開発的教授法と、ユーモアと機知にあふれた授業は、
やがて数学の魅力にとりつかれた多数の生徒たちを生み出していく。
後年徳中の数学と畏敬された武田丑太郎先生は有清門下の四天王の一人である。
我が国数学教育に名を馳せる林鶴一東北帝大教授
及び、吉川実夫京都帝大教授は、武田先生の弟子であるから、
有清先生の孫弟子にあたる。