23/05/06 08:44:12.37 Q27p2044.net
>>783
>>782
>>>新しい研究に身が入らない、
>>>なんら進展が見られない同じ問題に長期間こだわる、 という停滞
>こういう言葉には余り共感が持てませんね
ありがとうございます
スレ主です
>>782より
”某氏のプレプリントを読んでいて、 某未解決問題がアッサリ解けることに気がついた。 おかげでこの後一年余りの間、数学的ウツに悩まされる。 新しい研究に身が入らない、 なんら進展が見られない同じ問題に長期間こだわる、 という停滞のことだ。”
小沢 登高氏が、どういうつもりでこれを書いたかは、ご本人でないと分からない
だが、私の解釈は、下記「待ちぼうけ」(北原白秋)守株待兔 と読みました
つまり、あまりの”棚からぼた餅”で、そういう経験をしたために
無意識に、二匹目のうさぎを期待してして(研究が)上の空になってしまった(つい二匹目のうさぎを探してしまう)
そういう反省文と読みました
(参考)
URLリンク(ja.wikipedia.org)
「待ちぼうけ」(まちぼうけ)は、北原白秋作詞、山田耕筰作曲の唱歌(童謡)である。1924年(大正13年)
守株待兔
歌詞は中国の法家の思想書の一つ『韓非子五蠹篇』の中にある説話「守株待兔(しゅしゅたいと、(くひぜをまもりてうさぎをまつ)」から録られたものである。説話の内容は、昔宋に農民がいた。彼の畑の隅に切り株があり、ある日そこにうさぎがぶつかり、首の骨を折って死んだ。
物を持ち帰ってごちそうを食べた百姓は、それに味をしめ、次の日からは鍬を捨て、またうさぎがこないかと待っていたが、二度と来なかった。そのために作物は実らず、百姓は国の笑いものになった。
ここから守株(しゅしゅ)という成句ができた。
歌詞
1.
待ちぼうけ、待ちぼうけ
ある日せっせと、野良稼ぎ
そこに兔がとんで出て
ころりころげた 木の根っこ