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>>315
つづき
僕が学部学生の頃、数学専攻の大学院に進学することは困難な厳冬の時代であった。100名以上が受験し合格者は4、5名などという凄まじい状況のときもあった。数学科の4年生(昭和54年)の9月、名大院の数学専攻を受験したが不合格。翌年再挑戦するも惨敗。僕の数学者への夢は儚くも消えた。しばらくは呆然としながら、山崎豊子の「白い巨塔」を読み耽った。野望に燃える財前五郎(「白い巨塔」の主人公の外科医)の姿は、挫折感に浸る僕を魅了した。昭和56年3月、名古屋大学理学部数学科卒業。
縁あって、昭和60年4月、名古屋大学理学部助手に採用され、昭和62年12月、理学博士。昭和63年8月から平成元年7月、マサチューセッツ工科大学客員研究�