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森政稔 「アナーキズム」(作品社)
第三章 M.シュティルナー p141
「聖なるものは、ただ、
自分自身を自己承認しないエゴイスト、
不自由なエゴイスト
にとってだけ存在する。
この者は、つねに自分自身のものを探し求めながら
しかも自分を最高のものとは認めず、
ただ自分にだけ仕えていながら、
しかもつねに何か、より高い存在に仕えていると思い込み
自分より高いものは識らないくせに、
より高いものに酔っている、
すなわち、かかるエゴイストは、
決してエゴイストであろうとはせず、
自己を堕しめ、つまりは自分のエゴイズムと闘い、
しかも、ただ「高められる」ためだけに、
自分のエゴイズムを満足させるためだけ、
自分を堕しめるのだ。
彼はエゴイストたることを止めようとして、
自分が仕え自分を犠牲にできるような高次の存在を、
天に地に探し求める。
けれども、この者がどれほど奮起して苦行を積もうと、
彼のなすすべてはやっぱり自分自身のためであり、
悪名高いエゴイズムは彼から去ることはない。
この者を私が不自由なエゴイストと名付ける理由である。」
(M.シュティルナー)