ガロア第一論文と乗数イデアル他関連資料スレ2at MATH
ガロア第一論文と乗数イデアル他関連資料スレ2 - 暇つぶし2ch57:132人目の素数さん
23/03/06 17:33:58.73 S0uGUShK.net
>>46
ありがとう
>園正造ー>秋月康夫
園正造先生ね
久しぶりに見たな
(過去数回見た気がする)
秋月康夫ー>広中平祐(+森重文)ー>許埈珥(2022年フィールズ賞受賞)

(参考)
URLリンク(ja.wikipedia.org)
広中 平祐(ひろなか へいすけ、正字体:廣中 平祐、1931年(昭和6年)4月9日 - )は、日本の数学者。ハーバード大学名誉教授。京都大学数理解析研究所元所長。山口大学元学長。日本人で2人目のフィールズ賞受賞者である。
京都大学の学生時代は秋月康夫の研究室に入り、厳しい指導を受ける。日本人3人目のフィールズ賞受賞者・森重文も秋月研究室出身。
特異点解消問題について、1963年に日本数学会で講演した。その内容は、一般的に考えるのでは問題があまりに難しいから、様々な制限条件を付けた形でまずは研究しようという提案であった。その時、岡潔が立ち上がり、問題を解くためには、広中が提案したように制限をつけていくのではなく、むしろ逆にもっと理想化した難しい問題を設定して、それを解くべきであると言った。その後、広中は制限を外して理想化する形で解き、フィールズ賞の受賞業績となる[4]。
ハーバード大学ではオスカー・ザリスキに師事。同門下にデヴィッド・マンフォード(1974年フィールズ賞受賞)がおり、広中は後年「ランチを食べながらお互いに教え合い、刺激しあった」と語っている[3]。
ハーバード大学に滞在中、グロタンディークがハーバード大学にやってきた。広中はグロタンディークを非常に面白い人と思い、親しく交流するようになった。そしてグロタンディークがパリに帰るときに「パリに来ないか」と要請を受けた。広中はこれに応じ、パリに行くことになった[5]。
2008年より招聘を受け韓国ソウル大碩座教授となる。許埈珥(2022年フィールズ賞受賞)は、物理学専攻であったがその講義に感銘を受け師事し、京都市の自宅へ訪れるほどの親交を結び、大学院より数学科に転向した。米国留学も広中の推薦である[6]。
座右の銘は「素心深考」。


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