22/04/30 19:54:15.10 Vf6bDvV+.net
>>828
つづき
・通常の数学論文では、IUTほど「可読性」が問題になることは少ない
(皆無ではない。古くはガロアの第一論文とか、カントールの非可算無限集合論とかがある)
・そこで、プログラムに例えると
1)プログラムの設計と書き方
2)プログラムの検証
3)プログラムの可読性
に分けて考えることが出来る
・「プログラムの設計と書き方」は、C言語を使うとか、サブルーチンと本体プログラムとの関係とか
「プログラムの検証」は、論文の査読に相当する
「プログラムの可読性」は、メンテナンスも考えると、作者と別の人が読めるように、どの言語を使ったとか、フローチャートを作るとか、コメントを入れて変数の意味づけやサブルーチンの意図を書いておくとか
・そうすると、「プログラムの検証」と「プログラムの可読性」とは分けることが出来る
ある読み手にとっては「プログラムの可読性」が悪くても、別の人で「プログラムの検証」はちゃんと出来ているってことがあってもおかしくない
(なお、数学論文に戻ると、「プログラムの取説」があっても良い気がする
「このプログラムは、こんな役に立つ」とか、「こんな応用が考えられる」とか)
上記を、IUTに当て嵌めると
1)玉川先生など、IUTの検証は終わったと言っている(これを正当と認めるか否かの議論は別として)
2)”論文読めない”という人多数。つまり、「可読性悪い」と。対して、望月側は、「新しいプログラム言語を使っているので、それを勉強しろ、準備論文にある」という
3)ショルツェ氏登場。「おれ、読んだつもり。Cor3.12にバグあるので、プログラム機能してない」という
対して、望月氏は「新しいプログラム言語を、誤読しているだけじゃの?」と
まあ、本当にどうなのか?は、別として
ともかく、「可読性を高める努力が要るよね」が、私の主張ですよ
(フローチャートを作るとか、なんかもっと、努力要るよね)
以上