21/10/23 05:44:44.85 VEyje5yT.net
>>448
ご参考/”妻の勧めにせかされて書いた論文がノーベル賞を受賞”という題が、面白い
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ノーベル賞日本人受賞者9人の偉業 ノーベル賞100周年記念展 国立科学博物館 2002
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【湯川 秀樹】妻の勧めにせかされて書いた論文がノーベル賞を受賞
最新の理論について教えてくれる先生は、日本にはいませんでした。海外で大きな成果が上がるたびに、「私がこのまま理論物理学をやっても、大物にはなれないのではないか」という不安がよぎるのでした。
自分の行く末に不安を感じながらも、湯川博士は京都大学に副手という肩書きで残ることに決めました。しかし給料は出ませんでした。20代半ばといえば、とっくに給料をかせいで自立している年ごろです。湯川博士は自分だけが出遅れているようで、悲観的な気持ちで研究生活を送っていました。
1931年、そんな湯川博士に縁談が舞い込みました。相手は大阪にある病院の末娘です。縁談はまとまり、結婚して大阪に移り住むことになりました。京都大学でも給料の出る講師の職を得ることになり、その2年後には大阪大学で講師をつとめることになりました。
湯川博士は心の中では、原子核の構造に関する「ある疑問」とそれにこたえる理論について考えをまとめ始めていましたが、それをどこかに発表することはしませんでした。妻だけには「私は世界中の物理学者がわからないことにこたえる自信があるよ。日本人だってノーベル賞がもらえるはずだ」と語っていました。そんなある日、物理学教室の教授が湯川博士をどなりつけました。「君は大学を卒業して5年もたっているのに、論文を1本も書いていないじゃないか。こんなことではダメだ。さっさと論文をまとめなさい」。
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つづく