ガロア第一論文及びその関連の資料スレat MATH
ガロア第一論文及びその関連の資料スレ - 暇つぶし2ch888:132人目の素数さん
23/02/26 11:21:55.96 ZAlHQVD3.net
>>802-803 >>798
ありがとう
志村理論は、不勉強で分からない
(志村五郎先生は、いろんな志村理論ありそう。多分>>798だと、谷山-志村か。全く詳しくないが)
肥田 晴三先生は下記か。「ワイルズによるフェルマーの最終定理の証明には、肥田理論が使用」のくだりは、有名ですね
話は飛ぶけど、望月拓郎先生は、院試で数学へ転向したみたい
(下記 京大で他学科(多分物理?)から、修士は数学科へ。肥田先生のころは、飛び入学なかったかも)
URLリンク(ja.wikipedia.org)
肥田 晴三(はるぞう 1952年8月6日)は、日本の数学者で、数論・代数幾何学・モジュラー形式の研究で著名
経歴
肥田は、京都大学から1975年学士号を、1977年修士号を、1980年「志村曲線のヤコビアンの因子としての虚数乗法を持つアーベル多様体」(On Abelian Varieties with Complex Multiplication as Factors of the Jacobians of Shimura Curves)の論文により博士号を得た[1]。1987年からカリフォルニア大学ロサンゼルス校で教授を務めている。1979年から1981年までプリンストン高等研究所の訪問研究者だった。
1986年肥田は、バークレーの国際数学者会議の招待講演者だった。1991年、肥田はグッゲンハイム・フェローシップを受賞した[2]。1992年、代数群のp進L-関数とp進ヘッケ環に関する研究に対して、日本数学会の春季賞を肥田は受賞した。[3]
アンドリュー・ワイルズによるフェルマーの最終定理の証明には、肥田理論が使用されている。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
望月 拓郎(1972年8月28日)
来歴
生い立ち
長野県長野市出身[2]。長野県長野高等学校を卒業し、京都大学に進学した[1]。理学部にて学んでいたが[1]、在学中にトポロジーの本を読み[3]、「計算で答えを出す高校までの数学からガラッと変わった」[3] と述懐している。大学院の理学研究科に飛び入学で進学するため、1994年(平成6年)に理学部を中途退学した[1]。1996年(平成8年)、京都大学の大学院における修士課程を修了した[1]。それに伴い、修士(理学)の学位を取得した。大学院在学中に「Gromov-Witten class and a perturbation theory in algebraic geometry」[4] と題した博士論文を執筆した


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